第52話 17位の速さ
放課後の第3実技場。
セイルは中央で木剣を肩に担ぎ、レオンが準備を終えるのを待っていた。
周囲には腰ほどの高さの杭が6本立っている。訓練用の障害物で、位置は自由に動かせる。
観客席にはガルドとミナが座っていた。
ガルドは盾を脇へ置き、セイルの足元を見ている。
ミナはレオンの左手から流れる魔力へ視線を向けていた。
「条件は?」
レオンが尋ねる。
「お前が俺の身体へ触れたら終わり。武器でも手でもいい」
「お前は?」
「避けるだけだ」
「攻撃はしないのか?」
「必要ない。触れるものなら触れてみろ」
セイルが木剣を腰へ差した。
両手を空け、姿勢を低くする。
「魔法は?」
「使う」
「最初からか?」
「それを教えたら訓練にならないだろ」
レオンは左手を開いた。
治療師から許可された範囲では、問題なくゼロスレッドを使える。
ただし、細かな振動や長時間の連続使用は避ける必要があった。
ガルドが手を上げる。
「始め!」
レオンは正面から踏み込んだ。
セイルの身体が右へ動く。
追う。
だが、レオンが進路を変えた時には、セイルはすでに左側へ回っていた。
足元の砂がわずかに外側へ流れている。
風属性魔法。
大きく身体を飛ばしてはいない。
踏み出す瞬間だけ足元へ風を流し、最初の一歩を速めている。
レオンはゼロスレッドを伸ばした。
狙いはセイルの右足。
糸が届く前に、セイルが後方へ下がる。
レオンが糸を引き戻す間に、反対側へ移動していた。
「遅い」
セイルの声が背後から聞こえる。
レオンが振り返る。
すでに距離は開いていた。
再び正面から近づく。
今度は糸を先に左右へ伸ばした。
セイルが右へ動けば右の糸を引き、左へ動けば左を使う。
セイルはどちらにも進まなかった。
真後ろへ下がり、杭を回り込む。
レオンが追うと、今度は杭の反対側から前へ抜けた。
位置を捉えても、判断してから身体を動かすまでに差がある。
糸を伸ばす動作も見られている。
数分が過ぎた。
レオンは1度も触れられていない。
「速すぎるぞ!」
ガルドが観客席から声を上げる。
「最初から分かっていた」
「じゃあ、どうするんだ?」
「考えている」
「走りながら考えられるのか?」
「止まるよりはいい」
セイルは実技場の端に立ち、呼吸を乱していなかった。
まだ余裕がある。
「ノアの水には対応したのに、速い相手には何もないのか?」
「水は残る」
「何が?」
「水滴も、水たまりも、攻撃した場所に残る。お前は残らない」
「それが速さだ」
セイルが再び動く。
レオンは追わなかった。
中央で足を止める。
セイルはレオンの周囲を回った。
右。
背後。
左。
どの方向からでも近づける距離にいるが、自分から触れられる場所へは入ってこない。
追えば逃げる。
待てば周囲を動く。
レオンはセイルではなく、実技場を見る。
6本の杭。
壁。
足元の砂。
入口側に置かれた木箱。
相手の速度を落とすことはできない。
自分が同じ速度になることもできない。
なら、走る距離を減らす。
レオンは最も近い杭へゼロスレッドを伸ばした。
続いて、反対側の杭へ2本目を張る。
水滴はない。
それでも、今回は意図的に魔力を多く流した。
陽光を受け、細い糸の輪郭が浮かぶ。
「また見える糸か?」
セイルが足を止めずに言う。
「ああ」
「ノアに使った方法なら知ってるぞ」
「知っていていい」
3本目の糸を、壁際の杭へ伸ばす。
セイルの右側に、斜めの線ができる。
糸に触れても、身体が切れるほどの強度はない。
訓練中に危険な罠を作るつもりもない。
だが、セイルはゼロスレッドへ直接触れないように動いていた。
前回の順位戦を見ている。
見える糸が囮になることも知っている。
それでも、触れた先に何があるか分からない以上、無視はできない。
セイルの移動する範囲が少し狭くなった。
レオンは4本目を使わない。
糸を増やせば左手へ負担がかかる。
何より、すべての道を塞ぐ必要はなかった。
右側には2本の糸。
背後には壁。
左側だけが大きく開いている。
セイルが左へ進む。
レオンも左へ動いた。
追いかけるのではなく、開いている場所の中央に立つ。
セイルは途中で進路を変え、2本の糸の間へ踏み込んだ。
身体を低くすれば通れる隙間だった。
レオンが糸を引く。
2本の線が動き、間隔が狭くなる。
セイルは前へ抜けず、後ろへ戻った。
その時には、レオンが左側を塞いでいる。
進める場所は正面だけになった。
セイルの足元で風が弾ける。
一歩でレオンとの距離が消えた。
速い。
レオンは右手を伸ばした。
届かない。
セイルは接触する直前に身体を横へ流し、レオンの腕の外側を通り抜けた。
また逃げられる。
レオンは振り返らなかった。
左手の指を動かす。
壁際へ張っていた3本目の糸を引いた。
糸につながっていた杭が、砂の上をわずかに滑る。
セイルの進行方向へ、杭が動く。
大きな障害ではない。
飛び越えることも、横へ避けることもできる。
セイルは左へ避けた。
そこには、レオンがいた。
右手がセイルの制服へ伸びる。
セイルもすぐに身体をひねった。
指先が胸元をかすめる。
触れた感触があった。
「そこまで」
ミナが言った。
セイルは数歩進んでから止まった。
レオンの指には、制服の布をかすめた感触が残っている。
ガルドが観客席から立ち上がった。
「今、触ったのか?」
「触った」
「かすっただけだろ」
「条件は触れることだ」
「そうだけどよ」
セイルは自分の胸元を見る。
布に傷はない。
それでも、レオンの指が触れた場所を確認していた。
「俺の動きを読んだのか?」
「読んでいない」
「じゃあ、どうしてそこにいた?」
「お前が進める場所を減らした」
「糸で?」
「糸と杭と壁。それから俺の位置だ」
セイルは実技場を振り返る。
見える3本の糸が、中央から右側の範囲を分けている。
動かされた杭も、逃げ道を完全に塞いだわけではない。
避ける方向を選ばせただけだった。
「速さを追うのをやめたのか?」
「追いつけないからな」
「簡単に認めるんだな」
「今は追いつけない」
セイルは少し黙った。
その後、杭の位置を元へ戻す。
「もう1回だ」
「触れた」
「1回で終わるつもりか?」
「条件は達成した」
「今度は同じ方法を使わせない」
セイルが足元へ風を流す。
砂と小石が外側へ押し出された。
ゼロスレッドの近くを細かな砂が通り、見えていなかった糸の位置まで一瞬だけ浮かび上がる。
レオンは糸を消した。
「ノアの水を見て考えたのか?」
「水を使えないから、砂で代わりになるか試した」
「全部は見えていない」
「今はそれでいい」
セイルは杭の周囲へ風を流した。
砂が削られ、杭の根元が露出する。
固定が浅くなり、先ほどより簡単に倒れる状態になった。
「杭を使うなら、先に使えなくする」
「壁は動かせない」
「壁際へ行かなければいい」
「俺が追い込む」
「追い込まれる前に、お前を通り過ぎる」
セイルが木剣を抜いた。
今回は攻撃するつもりらしい。
「次は、避けるだけじゃない」
「条件を変えるのか?」
「実戦で相手が避けるだけだと思うな」
ガルドが観客席から声を上げる。
「それ、最初に言えよ!」
「今決めた」
「勝手すぎるだろ!」
セイルはガルドを無視して、木剣を構えた。
2回目の訓練では、レオンは触れられなかった。
糸を張ろうとすれば、セイルが風で砂を動かす。
杭へ固定すれば、木剣で糸の近くを打ち、すぐに距離を変える。
レオンが進路を狭める前に、自分から中央を離れた。
レオンも同じ配置を繰り返さなかった。
糸を地面へ固定せず、短時間だけセイルの木剣へ伸ばした。
引く前に避けられたが、セイルの攻撃を1度止めることはできた。
訓練が終わる頃には、日が沈み始めていた。
セイルは木剣を鞘へ戻す。
「今日触れたからって、順位戦で勝てるとは思うなよ」
「思っていない」
「次は最初から砂を動かす」
「なら、砂を使わない」
「杭も倒す」
「別の固定先を使う」
「全部避ける」
「避ける方向を減らす」
セイルはわずかに笑った。
「やっぱり、お前は面倒だな」
「お互いに」
「俺まで一緒にするな」
セイルは実技場を出ていった。
レオンは使った3本の杭を元へ戻す。
今日、セイルへ触れられたのは1度だけだった。
同じ形は、すでに対策されている。
それでも十分だった。
速さそのものに追いつかなくても、触れる方法はある。
同時に、上位の相手も1度見た方法を放置しない。
レオンが変われば、セイルも変わる。
17位は、ただ待っている壁ではなかった。
良ければブックマークしていただけると泣いて喜びます。




