第4話 俺の人生は、俺が決める
生き残りたい。
26/07/24 修正
レオンは左手の指先へ、透明な魔力を集めた。
「俺の人生を決める権利まで、あなたに渡した覚えはありません」
屋根裏に、短い沈黙が落ちた。グレゴールの顔から笑みが消える。
「……何を言っている」
「言葉通りです」
「お前を拾い、今日まで育ててやったのは誰だと思っている」
「あなたです」
食事を与えられた。雨風を防げる場所も与えられた。そのことまで否定するつもりはない。
だが、レオンも何もせずに暮らしてきたわけではなかった。
工房の掃除。薪割り。炉の管理。材料の運搬。道具の手入れ。
幼い頃から、毎日働いてきた。
「だから、七年間働きました」
「あんなものは仕事のうちに入らん」
「あなたが決めた仕事です」
グレゴールの眉が動いた。
「食費と寝床代は、十分に返したつもりです」
「黙れ!」
怒鳴り声が屋根裏を震わせた。
グレゴールが大股で近づいてくる。
「無属性のお前を置いてやる人間が、他にいたと思うのか!」
その手が、レオンの胸元へ伸びた。
レオンは動かなかった。指先に集めていた魔力を、グレゴールの足元へ流す。
細く。
気づかれないように。
床板の隙間を通し、透明な糸を伸ばす。
「お前は俺の工房で育った! なら、俺のために働くのが当然だ!」
グレゴールが胸元をつかもうとする。
その直前。
レオンは半歩だけ後ろへ下がった。
グレゴールの手が空をつかむ。同時に、足元へ張られた透明な糸が引かれた。
「なっ――」
グレゴールの右足が払われる。大きな身体が傾き、床へ尻をついた。
「グレゴールさん!」
鉱山の男たちが剣を抜いた。
レオンは左手を動かす。床板の上を走っていた糸が跳ね上がり、旅袋の持ち手へ絡みついた。
手首を引く。
壁際に置かれていた旅袋が、床の上を滑ってくる。レオンは右手で受け止め、肩へかけた。
「こいつ、魔法を使ったぞ!」
扉の横にいた男が叫んだ。
階段を塞いでいた男が、剣を構える。
「無属性は何もできないんじゃなかったのか」
「俺も、そう聞いていました」
レオンは答えながら、男たちの動きを見る。
一人は剣を身体の前で構えている。足幅が広い。腕にも無駄な力が入っていた。
剣を持つことには慣れているが、正式な訓練を受けた動きではない。
もう一人は違う。
剣先をわずかに下げ、身体の中心を隠している。呼吸も乱れていない。先に動けば、こちらの攻撃へ合わせて斬り返すつもりだ。
戦うなら、警戒すべきは後者。
レオンの背後には窓がある。だが、窓を開けて外へ出るまでには時間がかかる。先に男たちの動きを止めなければならない。
「おとなしくしろ」
構えの粗い男が前へ出た。
「抵抗すれば、多少傷つけても構わんと言われている」
「商品として運べればいいからな」
もう一人の男が続けた。
商品。
その言葉を聞いた瞬間、レオンの中から迷いが消えた。
男が剣を振り上げる。狙いは肩。殺すつもりはない。だが、骨が折れても構わないと思っている一撃だった。
レオンは左足を引いた。
一般級・歩法。
剣が振り下ろされる直前、男の視界から外れるように右へ踏み込む。刃がレオンの服をかすめた。
レオンは男の手首へ右手を添えた。
力で止める必要はない。剣が進む方向へ、わずかに押す。
男の身体が前へ流れた。その足元へ、自分の右足を差し込む。
「うおっ!」
男は勢いを止められず、床へ倒れ込んだ。剣が手から離れ、床板の上を滑る。
レオンは落ちた剣を蹴った。剣は屋根裏の隅まで滑っていく。
「このガキ!」
もう一人の男が動いた。
速い。
剣先が、真っ直ぐレオンの胸へ向かってくる。
先ほどの男とは違う。正確で、迷いがない。
レオンは身体をひねった。刃が胸元を通り過ぎる。
避け切れない。
剣先が服を裂き、胸に浅い傷を作った。熱い痛みが走る。
レオンは後ろへ跳んだ。
男は追ってこない。剣を構え直し、こちらの動きを観察している。
「なるほど」
男の目から、レオンを侮る色が消えていた。
「無属性だろうが、魔法が使えようが関係ない。お前は俺には勝てん」
レオンは胸元を押さえた。指に血がつく。
深い傷ではない。
だが、正面から戦えば次は浅く済まない。相手の剣術は、自分より上。力も体格も負けている。
それでも。
勝つ必要はない。
この男を倒す必要もない。窓までの道を作り、逃げられればいい。
レオンは男の足元を見る。
右足に体重を置いている。踏み込むときは、左足を前へ出す。剣先はレオンへ向けたまま。視線も外さない。
ならば、視界の外から動かす。
レオンは左手を下げた。
透明な糸が床を這う。
男の背後。屋根を支える細い柱。そこに立てかけられた木材。
糸を巻きつける。
「何を企んでいる」
男が一歩近づいた。
レオンは動かない。
二歩目。
まだ遠い。
三歩目。
剣の間合いへ入る。
男の左足が前へ出た。
レオンは左手を強く引いた。
背後の木材が倒れる。
「っ!」
男が音に反応し、わずかに顔を動かした。
一瞬。
それで十分だった。
レオンは地面を蹴る。
男の剣が横へ振られた。レオンは身体を低くし、その下へ潜り込む。
すれ違いざま、男の腰へ左手を伸ばした。
切るのは身体ではない。
剣を下げている革帯。
極限まで細くした無属性魔法を、革へ押し当てる。
「ゼロエッジ」
革帯が裂けた。鞘と革袋が床へ落ちる。
予想外に重みを失い、男の体勢がわずかに崩れた。
レオンはそのまま窓へ走った。
「逃がすか!」
男が振り返る。
だが、先ほど倒した男が起き上がろうとし、その進路を塞いでいた。
「どけ!」
「ま、待て!」
二人の身体がぶつかる。
レオンは窓の留め金へ手をかけた。
固い。
長い間、開けられていなかったらしい。引いても動かない。
背後から足音が迫る。
時間がない。
レオンは留め金の隙間へ、透明な魔力を滑り込ませた。
「ゼロエッジ」
細い刃が、錆びついた金具を切断する。
窓を押し開ける。冷たい夜風が、屋根裏へ吹き込んだ。
地上まで、およそ五メートル。そのまま落ちれば、足を折る可能性がある。
レオンは窓枠へ左手を置き、透明な糸を太く束ねた。
一本では切れる。
二本でも足りない。
何本もの糸を重ね、縄のように編み上げる。
背後で剣が空気を切った。
レオンは窓の外へ身体を投げ出す。
直後、剣が窓枠へぶつかった。
透明な糸が強く張る。左腕に、身体の重みが集中した。
痛い。
肩が抜けそうになる。
それでも、糸は切れない。
レオンは壁を蹴り、少しずつ身体を下ろした。
上から男が顔を出す。
「止まれ!」
止まる理由はなかった。
レオンは途中で糸を緩めた。
残り二メートル。
身体が落下する。
着地の直前、膝を曲げて衝撃を逃がす。両足に強い痛みが走ったが、骨は折れていない。
レオンはすぐに立ち上がった。
屋根裏から怒鳴り声が聞こえる。正面の扉から回り込まれれば、追いつかれる。
町の門はすでに閉じている。外へ出るには、朝まで待つしかない。
それまで隠れられる場所。
レオンの頭に、マーサの顔が浮かんだ。
旅袋を背負い直し、暗い路地へ走り出す。
そのとき。
「レオン!」
背後からグレゴールの声が響いた。
レオンは足を止めなかった。
「逃げても無駄だ! 受験など、お前にできるはずがない!」
石畳を蹴る。
胸の傷が痛む。左肩も熱を持っている。
「無属性で!」
グレゴールの声が遠ざかる。
「一般級しか持たないお前が、王立魔法学院に入れるものか!」
レオンは走り続けた。
七年前なら、その言葉に傷ついていただろう。自分には才能がない。誰にも必要とされない。そう思い、うつむいていたかもしれない。
だが、今は違う。
無属性魔法は、灰牙狼を倒した。
一般級の歩法は、剣を避けた。
一般級の魔力制御は、透明な糸を何本も束ねた。
一般級の反復作業は、七年間の失敗をレオンの中へ積み上げている。
誰かが外れだと言った。誰かが弱いと決めた。
だからといって、それが真実とは限らない。
自分が何者になれるのか。
それを決めるために、レオンは王都を目指す。
路地を曲がり、マーサの道具店が見えた。
扉を三回叩く。
返事はない。
もう一度。
今度は少し強く叩いた。
「マーサさん」
店の奥で物音がした。
しばらくして、扉が細く開く。眠そうな顔を出したマーサは、レオンの姿を見た瞬間に目を見開いた。
裂けた服。胸元の血。肩にかけた旅袋。
「……予定より、ずいぶん早い出発になったようだね」
「すみません」
「謝る前に入りな」
マーサは周囲を確認し、レオンを店内へ引き入れた。扉が閉じられる。
外からは、男たちの怒鳴り声が聞こえていた。
マーサは窓の板戸を閉め、ろうそくへ火を灯した。
「傷を見せな」
「浅いです」
「それを決めるのは、あんたじゃないよ」
有無を言わせない声だった。
レオンは旅袋を下ろし、椅子へ座った。
マーサは服の裂けた部分をめくり、胸の傷を確認する。薬草をすり潰しながら、低い声で尋ねた。
「工房の連中かい」
「鉱山の迎えが来ました」
「グレゴールは、あんたを渡そうとしたのか」
レオンは答えなかった。
それだけで十分だったらしい。
マーサは深いため息をついた。
「朝になれば、門にも話が回る」
「分かっています」
「受験許可証は?」
レオンは旅袋を開いた。
だが。
一番上に入れていたはずの紙がない。
着替えをどける。保存食を取り出す。帳面の間も確認する。
どこにもない。
胸の奥が冷たくなった。
屋根裏で旅袋を引き寄せたときか。窓から降りたときか。逃げる途中で落としたのかもしれない。
それがなければ、王立魔法学院の入学試験を受けられない。
七年間かけて貯めた銀貨。鉱山へ送られる前に、ようやく手に入れた道。
そのすべてが、たった一枚の紙とともに消えた。
「レオン」
マーサの声が聞こえる。
だが、返事ができなかった。
レオンは空になった旅袋を見つめた。
その頃、工房の屋根裏では、グレゴールが床に落ちた紙を拾い上げていた。
王家の紋章。
王立魔法学院の受験許可証。
そこに書かれたレオンの名前を見て、グレゴールは顔を歪める。
まだ生きてたい。
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