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第46話 見えている糸

ノアが一歩踏み込む。

左右に浮かんだ水球も、レオンを挟み込むように動いた。


後ろには壁。

横へ逃げれば水球に触れ、正面へ進めばノアの剣が待っている。

空中に広がった細かな霧は、どこへゼロスレッドを伸ばしても水滴を付着させる。


隠して使うことはできない。


レオンは左手の人差し指を動かした。

細い糸が、左側の水球へ伸びる。

霧が付着し、糸の輪郭がすぐに浮かび上がった。


「見えているぞ」


ノアが剣を構えたまま言う。


「ああ」


レオンは糸を水球の外側へ巻きつけた。

魔力で形を保っている水を完全につかむことはできない。

それでも、飛んでくる軌道へ横から力を加えることはできる。


ノアが水球を放つ。

同時にレオンは糸を引いた。


水球の進路がわずかに左へずれる。

レオンの肩を狙っていた水が、壁へ衝突して弾けた。


その隙間へ踏み込む。


ノアは驚かなかった。

剣を横へ振り、開いたはずの道を塞ぐ。

レオンは短剣で受けた。

金属音とともに右腕が押し戻される。


残った水球が背後から迫った。


レオンは糸を切る。

左手の指先へ軽い熱が残った。

振動は使っていない。

水滴を落とす必要もなかった。


見えるままで、1回使い切った。


「水を弾くために見せたのか?」

「違う」

「なら、何のためだ?」

「お前に見せるためだ」


ノアの目が細くなる。


背後の水球が距離を詰める。

レオンは2本目のゼロスレッドを、実技場の壁に取りつけられた杭へ伸ばした。

水滴をまとった糸が、左手から斜め後方へ続いている。


ノアにも見えている。


レオンが糸を引く。

身体が横へ動き、水球の進路から外れた。


ノアはすぐに左手を動かした。

水球が空中で曲がり、逃げたレオンを追う。

同時にノア自身も距離を詰めてきた。


糸で移動した直後を狙っている。


レオンの足が地面へ着く。

濡れた靴底が滑った。


以前なら、さらに別の糸を使って姿勢を戻していた。

だが、レオンは糸を切り、左足を前へ踏み出した。

滑った勢いを止めず、腰を落としてノアの剣の下へ潜る。


剣先が髪をかすめる。

レオンはノアの横を抜けようとした。


ノアが身体を回す。

追っていた水球も、レオンの背中へ迫る。


逃げ切れない。


レオンは3本目の糸を伸ばした。


狙ったのは、ノアの左手首。


水滴によって浮かび上がった糸を見て、ノアはすぐに腕を引いた。

水球を操る手をつかまれると判断したのだ。


同時に剣を引き、レオンとの間へ刃を戻す。

左手首を守りながら、正面から来る短剣にも対応する動きだった。


だが、糸はノアの手首へ届く前に止まっていた。


レオンは引かない。

巻きつけない。


見せただけだった。


ノアの注意が左手へ向いた瞬間、レオンは右足で地面を蹴った。

糸ではなく、自分の足でノアの右側へ回る。


ノアが反応して剣を振る。

レオンは半歩だけ下がった。

刃が胸元の前を通過する。


その背後から、ノアが操っていた水球が迫っていた。


ノアは水球の軌道を変えようと左手を動かす。

だが、その手はゼロスレッドを警戒して身体の近くへ引かれている。

大きく動かせない。


水球がノアの右肩へ衝突した。


水が弾ける。

衝撃でノアの身体が前へ傾いた。

剣先が下がる。


レオンはその内側へ入った。

右手の短剣を、ノアの首元へ突きつける。


ノアも剣を動かそうとする。

だが、レオンの刃の方が早かった。


「そこまで!」


教師の声が響いた。


実技場から水の音が消える。

空中に広がっていた霧も、ノアの魔力が途切れると地面へ落ちていった。


レオンは短剣を下ろす。

同時に3本目の糸も消した。


左手が震えている。

使用した糸は3本。

細かな振動は使っていない。

それでも、水に濡れた状態での操作と短時間の連続使用は、完全に回復したばかりの手へ負担を残していた。


教師が2人の間へ入る。


「勝者、レオン・アーヴェル」


観客席から声が上がった。

ガルドの大声も混じっている。


「勝ったぞ、レオン!」


レオンは左手を握った。

指は動く。

感覚もある。

これ以上使わなければ、治療室へ運ばれるほどではない。


ノアは濡れた右肩を押さえながら立ち上がった。

細身の剣を鞘へ戻し、レオンを見る。


「最後の糸は、俺の手首を狙っていなかったのか?」

「狙っていた」

「だが、途中で止めた」

「お前が避けたから、届かせる必要がなくなった」


ノアは自分の左手を見る。

糸を避けようとした動きが、水球の操作を遅らせた。

触れられてはいない。

それでも、糸に動かされていた。


「見えている糸を、囮にしたのか?」

「ああ」

「匿名の忠告どおりだな」


レオンの視線がノアへ向く。


「なぜ知っている?」

「何をだ?」

「見せる糸に頼るなという紙だ」


ノアは一瞬だけ眉を動かした。


「知らない」

「お前が置いたんじゃないのか?」

「俺なら、相手に助言してから戦おうとは思わない」


嘘をついているようには見えなかった。

少なくとも、レオンを水滴の檻へ追い込んだノアが、事前に対処法を教える理由はない。


「なら、別の誰かだ」

「お前は思っているより見られている」


ノアは観客席へ目を向けた。


順位が近い者。

能力に興味を持つ者。

試合の勝者へ次に挑もうとする者。


そして、そのどれにも当てはまらない誰か。


「今回は負けた」


ノアが言う。


「次は水球を自分に当てない」

「俺も同じ糸は使わない」

「そうでなくては困る」


ノアは先に実技場を出ていった。


レオンは残された水たまりを見る。

水滴によって、すべての糸を見抜かれた。

左手の癖も、糸を使う瞬間も読まれていた。


それでも勝てたのは、糸を隠せたからではない。


見えている糸を、相手にも選ばせたからだ。


使う糸。

使わない糸。

使うように見せるだけの糸。


匿名の紙が何を意図していたのかは、まだ分からない。

だが、書かれていた言葉に従ったわけでもなかった。


見える糸に頼らず。

見えていることを利用した。


レオンが実技場を出ると、ガルドとミナが待っていた。


「最後、何が起きたのか全然分からなかったぞ」

「ノアが糸を避けた」

「避けたから負けたのか?」

「ああ」

「避けなかったら?」

「手首へ巻きつけた」


ガルドは少し考えたあと、首を傾げた。


「どっちでも嫌だな」


ミナはレオンの左手を見る。


「震えてる」

「もう使わない」

「治療室」

「ああ」


レオンは素直に歩き出した。

勝ったあとまで無理をする必要はない。


順位が正式に変わるのは、次の更新日。

今のレオンは、まだ28位のままだった。


それでも今日、24位のノアに勝った。


Dクラスの中で、レオンを見る目はすでに変わり始めていた。

良ければブックマークしていただけると泣いて喜びます。

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