第42話 対策の、その先
翌朝。学院中央棟の掲示板前には、昨日よりも多くの生徒が集まっていた。掲示されているのは、1週間後に行われる順位戦の組み合わせだ。Dクラス60人の名前が、2人ずつ並べられている。
レオンは人の間から掲示板を確認した。
『第7試合』
『28位 レオン・アーヴェル』
『24位 ノア・ウェルズ』
予想していた相手だった。昨日、順位表の前で話しかけてきた水属性の男子生徒。中距離から水弾を連続で放ち、相手を動かし続ける戦い方を得意としている。
「随分と落ち着いているな」
背後から声がした。レオンが振り返ると、ノアが立っていた。青みがかった髪と細い目。制服には乱れがなく、腰には細身の訓練剣を下げている。
「相手は予想していた」
「俺もだ」
ノアは掲示板に並んだ2人の名前を見る。
「今回の組み合わせは、近い順位の者同士が選ばれている。お前が相手になる可能性は高かった」
「それなら、昨日から準備していたのか」
「昨日から?」
ノアが小さく笑った。
「お前がガルドと最初に戦った日からだ」
レオンはノアの顔を見る。冗談を言っている様子はない。
「お前の魔法は、初めて見る相手には厄介だ。見えない糸で足を止められ、武器を引かれれば、それだけで勝負が決まる」
「初めてでなければ?」
「対処する方法はある」
ノアはレオンの左手へ視線を落とした。
「昨日、ガルドが証明しただろう」
周囲の生徒たちも、2人の会話を聞いている。ゼロスレッドへ砂を付着させれば、透明な糸でも位置を確認できる。ガルドが見つけた対策は、すでにDクラス全体へ知られていた。
「1週間後を楽しみにしている」
ノアはそれだけ言うと、人混みの外へ歩いていった。
「感じの悪い奴だな」
隣へ来たガルドが、ノアの背中を見送る。
「間違ったことは言っていない」
「だからって、わざわざ言いに来るか?」
「自信があるんだろう」
レオンは再び掲示板を見る。24位と28位。この試合に勝ったからといって、すぐに順位が入れ替わるとは限らない。筆記試験や普段の授業も評価される。それでも、自分より上の相手に勝てば次回の順位へ大きく影響する。反対に負ければ、28位からさらに下がる可能性もあった。
「ガルド」
「何だ?」
「放課後、時間はあるか」
ガルドが目を丸くする。
「お前から訓練に誘うなんて珍しいな」
「砂への対策を試したい」
「俺に勝つための方法を、俺に手伝わせるのか?」
「次に戦うときは、別の対策を考えればいい」
ガルドは一瞬黙ったあと、大きく笑った。
「いいぜ。何回でも砂まみれにしてやる」
その日の授業が終わると、レオンとガルドは第3実技場へ向かった。授業用の実技場は、夕方になると生徒の自主訓練へ開放される。すでに何組かの生徒が、魔法や武器の練習を始めていた。
「最初は昨日と同じでいいか?」
「ああ」
レオンとガルドは一定の距離を空け、向かい合う。レオンが左手を下げ、ゼロスレッドを伸ばした。
ガルドは盾を地面へ叩きつける。
「グランドパルス!」
土が跳ね上がり、細かな砂が宙を舞った。砂が透明な糸へ付着し、茶色い線となって位置を浮かび上がらせる。
レオンは糸を解除した。
もう1度。今度は地面から少し離し、ガルドの腕を狙う。だが、舞い上がった砂は空中にも広がっている。先ほどより見えにくくはなったが、完全には隠せない。
ガルドが盾で糸を払った。
「駄目だな」
「ああ」
「高さを変えても、砂が届く範囲なら分かる」
レオンは帳面へ結果を書き込む。
糸を細くする。失敗。
地面の色に近い場所を通す。失敗。
複数の方向から同時に伸ばす。すべての糸を避けることはできなかったが、砂の動きを見れば、近づいていることには気づかれた。
10回。20回。30回。
結果は大きく変わらない。
「砂をどうにかするより、別の方法を考えた方が早くないか?」
ガルドが言った。
「それも試す」
レオンは腰の短剣へ手を伸ばした。
「次は糸を使わない」
「本気か?」
「ゼロスレッドを使うと思われているなら、使わないことにも意味がある」
ガルドが盾を構える。
「来い」
レオンが踏み込んだ。正面から近づき、盾の外側へ回ろうとする。ガルドが身体の向きを変えた。
大型の盾は広い範囲を守れる。糸による妨害がなければ、レオンが正面から崩すのは難しい。短剣を盾へ当てる。弾かれる。左へ回る。追われる。
距離を取ろうとした瞬間、盾が前へ突き出された。レオンは身体をひねって避けたが、肩をかすめた。
「糸がないと、かなりやりにくそうだな」
「ああ」
レオンは再び踏み込む。今度は盾ではなく、ガルドの足を見る。
右足が動く。少し遅れて、盾がついてくる。
盾そのものを崩すのではない。盾を動かす身体を狙う。
レオンが低く沈み込み、ガルドの右側へ回った。
「させるか!」
ガルドが足を引く。だが、レオンは攻撃しなかった。足を引かせたことで生まれた隙間へ入り、盾を持つ左腕の外側へ移動する。短剣を首元へ近づけた。
その前に、ガルドの片手槌がレオンの腹部へ向かう。レオンは後方へ跳んだ。
互いの攻撃は届かない。
「今のは危なかった」
ガルドが言う。
「だが、決まっていない」
「分かっている」
盾の外側へ回り込んでも、ガルドには右手の武器が残っている。相手の防御を抜けることと、勝つことは同じではない。
レオンは帳面へ書き込む。
『ゼロスレッドを使わない場合、接近するまでに時間がかかる』
『盾の外側へ移動しても、右手の武器が残る』
『糸だけが問題ではない』
「当たり前じゃない?」
突然、別の声がした。レオンとガルドが振り返る。
実技場の入口に、ミナが立っていた。黒い髪を揺らしながら、2人の方へ歩いてくる。
「いつから見ていた?」
レオンが尋ねる。
「少し前から」
「声をかけてくれればよかった」
「集中していたから」
ミナは地面へ付着した砂と、レオンの左手を交互に見た。
「順位戦の練習?」
「ああ」
「相手はノア・ウェルズだったわね」
「知っているのか?」
ミナがうなずく。
「合同実技で見たことがある」
「どんな戦い方をする?」
「水弾をたくさん使う」
ミナは少し考えてから、短く付け加えた。
「それより、水を細かく広げるのが上手い」
「霧か?」
「霧より細かい。周りに水滴を残す」
ガルドが眉を寄せた。
「砂より厄介じゃねえか?」
レオンも同じことを考えていた。砂は地面から巻き上げる必要がある。だが、水属性なら自分で水を作れる。実技場全体へ水滴を漂わせれば、どの方向から糸を伸ばしても付着する。
空中へ伸ばしても。地面を這わせても。
ノアには糸の存在を確認される。
「ゼロスレッドは使わない方がいいか」
レオンがつぶやく。
ミナは返事をしなかった。代わりに、地面に浮かんでいる茶色い糸を見る。
「さっきの糸」
「何だ?」
「見えてから、ガルドが動いた」
レオンはミナを見る。
「避けていた」
それだけ言うと、ミナは黙った。
ガルドが砂によって糸を見つける。糸を見たあと、危険だと判断して避ける。
レオンは、これまで糸を隠すことばかり考えていた。見えなければ、相手は対処できない。
だが。
見えた糸を避けるなら。
避ける方向を、こちらで選ばせることもできる。
盗賊との戦いで、リゼットへ伝えたことと同じだ。攻撃を当てることだけを考えない。相手がどこへ避けるかを考える。
ゼロスレッドを隠す。ゼロスレッドを使わない。
それだけではない。
わざと見せる。
「試したい」
レオンが言った。
ガルドが盾を構え直す。
「何か思いついたか?」
「ああ」
レオンは左手を下げた。透明な糸を伸ばす。先ほどより太く、砂が付着しやすい形にする。ガルドの右側へ、はっきり見えるように張った。
ガルドが糸を確認し、左へ動く。レオンは、その移動先へ2本目の糸を伸ばした。
ガルドの足が止まる。
正面にはレオン。右には最初の糸。左には新しい糸。
「なるほどな」
ガルドが笑う。
「糸を避けさせて、動く場所を決めるのか」
ガルドは後方へ下がった。レオンが距離を詰める。
しかし、ガルドは盾を前へ構えたまま、糸ごと押し切るように進んできた。
「見えてても、防げるなら避ける必要はねえ!」
盾へ糸が巻きつく。レオンが引く。ガルドは、その力を利用してさらに前へ出た。
盾がレオンの身体へ迫る。レオンは糸を解除し、横へ避けた。
「今のも失敗だな」
ガルドが言う。
「ああ」
見つけさせればいい。だが、見つけさせるだけでは足りない。相手が糸を避けるとは限らない。防御できると判断すれば、そのまま進んでくる。
レオンは帳面へ新しい結果を書き込む。
『糸を見せれば、相手の移動を誘導できる』
『防御できると判断した相手は、糸を避けない』
『避ける以外の選択肢も考える』
「もう1度頼む」
「おう」
訓練を再開する。
右へ見せる。ガルドは左へ動く。
足元へ見せる。ガルドは盾で押さえる。
複数の糸を広げる。ガルドは後退する。
同じ位置へ糸を伸ばしても、ガルドの反応は毎回同じではない。レオンが狙いを変えるように、ガルドもまた次の動きを考えている。
ミナは少し離れた場所から、その様子を見ていた。
「ミナ」
「何?」
「糸はどう見えている?」
「白くて、薄い」
「太さを変えたら?」
「少し明るくなる」
「魔力を弱くした場合は?」
「消えそうになる。でも、見える」
短い答え。だが、それで十分だった。
レオンは糸の太さと魔力量を変えながら、ミナへ確認する。ミナに見える限界。砂が付着する量。ガルドが気づく距離。
何度も試すうちに、糸の見せ方にも違いがあると分かった。
はっきり見える糸。気づきにくい糸。見つけさせるための糸。見つけたと思わせるための糸。
すべてを同じように使う必要はない。
日が傾き始めた頃、ガルドが盾を地面へ置いた。
「さすがに腹が減った」
レオンも帳面を閉じる。
「今日はここまでにする」
ミナが帰ろうとしたため、レオンは声をかけた。
「助かった」
ミナが足を止める。
「別に」
「夕食をおごる」
ミナが振り返った。
「食堂?」
「希望があるなら聞く」
ミナは少しだけ考えた。
「食堂の外」
「高いところか?」
「少しだけ」
「分かった」
ガルドが、にやにやしながら2人を見る。
「俺も手伝ったんだが?」
「食堂でいいか?」
「扱いが違わねえか?」
「お前は量を食べる」
「理由になってねえ!」
翌朝。
レオンは授業前に、第2実技場の前を通った。中から水の音が聞こえる。
足を止め、入口から様子を見る。
ノア・ウェルズが、1人で訓練していた。ノアの周囲には、細かな水滴が漂っている。霧よりも薄く、雨よりも細かい。実技場の端から端まで、水滴が広がっていた。
ノアが片手を動かす。水滴の一部が集まり、細い線を描く。空中に張られた見えない何かの形を、なぞるように。
ノアはレオンに気づくと、訓練を止めた。
「見学か?」
「水で糸を探す練習か」
「それだけではない」
ノアが指を動かす。
実技場を満たしていた水滴が、一斉に流れ始めた。足元、背後、頭上。水滴はあらゆる方向から中央へ集まり、3つの球へ変わる。
1つは正面。1つは右。1つは左。
逃げ道を塞ぐ配置だった。
「お前が糸を使わなくても、俺の戦い方は変わらない」
ノアが薄く笑う。
「お前が俺への対策を考えるように、俺もお前の対策の先を考えている」
レオンは漂う水滴を見る。
ノアは、糸を見つけるだけではない。レオンが避ける方向まで考え始めている。
自分だけが、失敗から学ぶわけではない。相手も考える。相手も試す。相手も成長する。
順位戦まで、残り6日。
対策を考えるだけでは足りない。
相手の対策が変わることまで、考える必要があった。
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