第36話 地下を走る影
ガルドの大型盾が扉へ叩き込まれる。鈍い音とともに木板が割れ、錠前ごと扉が内側へ倒れた。
倉庫の中には、古い紙と油の臭いが漂っている。床へ落ちた台帳。切られた綴じ糸。作業台の上には、紙を切るための細長い刃物が残されていた。
だが、今は調べている時間はない。
「奥だ!」
ガルドが盾を前に構え、倉庫へ入る。レオンとミナもその後を追った。
作業台の向こう側では、床板の1枚が開いている。下へ続く石段があり、暗闇の中から足音が聞こえていた。
「ガルドが先頭。僕が中央、ミナは後ろをお願いします」
「分かった」
「何か来たら言う」
3人は石段を下り始めた。
通路は狭く、ガルドの盾が左右の壁へ擦れる。壁には古い魔導灯が一定間隔で設置されていたが、ほとんどは消えている。僅かに残った青白い光が、濡れた石床を照らしていた。
前方で、黒い外套が曲がり角へ消える。
「いた」
ミナが言った。
「止まれ!」
ガルドの声が地下通路へ響く。相手は振り返らない。足音だけが速くなる。
レオンは歩法で踏み込み、ガルドの横を抜けようとした。
「前に出るな」
「追いつけません」
「罠があるかもしれねえだろ」
その言葉と同時に、危機察知が反応した。
「止まってください!」
ガルドが足を止める。直後、通路の床から細い鉄杭が突き出した。あと1歩進んでいれば、ガルドの足を貫いていた。
「本当にあったな」
ガルドが鉄杭を盾で押し倒す。
「この先にもある」
ミナは壁際へしゃがみ、石床を見つめた。
「魔力の線が続いてる」
床の下に、細い術式が張り巡らされているらしい。踏んだ場所によって、異なる仕掛けが動く。黒い外套の人物は、その位置を知っている。
「相手と同じ場所を踏みます」
レオンはゼロスレッドを前方へ伸ばした。糸を石床へ触れさせ、僅かに残った足跡を探る。まだ乾いていない泥。
右。
次は中央。
その次は左端。
「僕の足元だけを見てください」
レオンが進み、ガルドとミナが同じ場所を踏む。何度か床の下で金属音がしたが、罠は作動しなかった。前方の足音が遠ざかっていく。
通路の先に、分かれ道が見えた。右と左。黒い外套の姿はない。
「どっちだ?」
ガルドが尋ねる。
ミナは目を閉じ、周囲の魔力を探る。
「右に新しい魔力」
「なら右です」
「待って」
ミナがレオンの腕を掴んだ。
「左にも足音がある」
確かに聞こえる。右からは走る音。左からも、同じ間隔で足音が響いていた。
「魔導器です」
レオンは右の通路へゼロスレッドを伸ばす。少し先に、小さな金属箱が置かれていた。内部の魔石が一定間隔で振動し、足音を作っている。
「右は偽物です」
「左だな」
3人は左の通路へ入った。
その瞬間、背後で石壁が動いた。分かれ道を塞ぐように、重い石板が天井から落ちてくる。
「走れ!」
ガルドが叫ぶ。
3人が通路の奥へ飛び込んだ直後、石板が床へ落ちた。激しい音が響き、戻り道が完全に塞がれる。
「閉じ込められた」
ミナが石板へ触れる。
「壊せるか?」
ガルドが盾を構えた。
「今は追います」
レオンは前を見る。黒い外套の人物が、通路の奥に立っていた。顔には、白い仮面をつけている。レオンへ手紙を残した人物と同じ姿だった。
「あなたは誰ですか?」
白い仮面は答えない。
「第0研究室の人間ですか?」
僅かな沈黙。やがて、仮面の奥から低い声が聞こえた。
「ここへ来るには、まだ早い」
「僕を対象Bと呼んでいるのは、あなたですか?」
「戻れ」
「戻る道は、あなたが塞ぎました」
白い仮面は、ゆっくりと右手を上げた。白い手袋の指先に、青い魔力が集まる。危機察知が強く反応した。
「ガルド!」
大型盾が3人の前へ突き出される。次の瞬間、白い仮面の手から眩しい光が放たれた。
衝撃が盾へぶつかり、ガルドの身体が後ろへ押される。レオンとミナが背中を支え、3人で踏みとどまった。
「攻撃したな!」
ガルドが盾越しに叫ぶ。
「威力を抑えてる」
ミナが言った。盾の表面は傷ついているが、貫かれてはいない。相手は3人を殺そうとしていない。だが、逃げるためには十分な攻撃だった。
白い仮面の足元に、青い光の輪が広がる。
「転移です!」
レオンがゼロスレッドを伸ばす。糸は光の輪へ届いた。術式の外側へ触れる。
複雑だ。これまで見た転移魔法とは構造が違う。理解できないまま干渉すれば、何が起きるか分からない。それでも、このまま逃がせば手がかりを失う。
レオンは糸を輪の端へ絡ませた。強い反動が左腕へ走る。
「レオン、切って!」
ミナの声に、レオンはゼロスレッドを消した。
直後、青い光が弾ける。白い仮面の姿が消えた。通路には静寂だけが残る。
ガルドが盾を下ろした。
「逃げられたな」
「はい」
レオンは痺れる左手を握る。白い仮面が立っていた場所には、何かが落ちていた。
小さな金属板。拾い上げると、片面に数字の0が刻まれている。裏側には、短い文字が彫られていた。
『第0研究室・第2観測区画』
ミナが金属板を覗き込む。
「観測区画」
「この先にあるのかもしれません」
レオンが顔を上げる。白い仮面が消えた場所の奥には、古い鉄扉があった。扉の中央にも、同じ数字が刻まれている。
0。
そして、その扉の向こうから。規則正しい機械音が聞こえていた。
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