第33話 避けるという選択
リゼットお嬢様は、手が早い。
リゼットの掌から放たれたフラムボルトが、一直線にレオンへ迫る。
威力は落とされている。速度も、実技試験で使ったものより遅い。それでも、当たれば火傷する程度の熱はある。
レオンは危機察知の反応に従い、右へ足を踏み出した。炎弾が左肩の横を通過し、訓練場の防護結界へ衝突する。
「避けられるじゃない」
「この速度なら」
「では、少し速くするわ」
リゼットの前に、再び小さな炎が生まれた。
「待ってください。間隔は?」
「教えたら訓練にならないでしょう」
「威力を落とすという約束は?」
「守っているわ」
今度のフラムボルトは、先ほどよりも速かった。
レオンは左へ動く。炎弾は外套の端をかすめ、焦げた臭いを残して飛び去った。
「少し熱い程度ですね」
「当たっていないでしょう」
「外套には当たりました」
「身体ではないわ」
リゼットは続けて炎を作る。次は2つ。高さも位置も異なっていた。
レオンは腰を落とす。
1発目は胸元。2発目は左足を狙っている。
同時に避けるなら、右後方へ下がる。
そう判断した瞬間、危機察知が強く反応した。
レオンは歩法で地面を蹴った。2つの炎弾の間を抜け、リゼットとの距離を詰める。
「前へ来るの?」
「後ろより安全でした」
レオンの背後を、2つの炎弾が交差するように通過した。
「悪くないわ。でも、近づけば私が次の魔法を使えないと思った?」
リゼットが右手を上げる。
掌には、すでに3つ目の炎があった。
近い。
この距離では、横へ避けても間に合わない。
レオンは左手を伸ばしかけ、動きを止めた。
魔法へ触れない方法を考える。
リゼットの肩。
肘の向き。
掌が向いている角度。
フラムボルトが放たれる直前、わずかに右腕が下がった。
レオンは身体を沈める。
炎弾が頭上を通過した。
熱が髪を撫でる。
そのまま床へ片手をつき、回転するようにリゼットの横へ抜けた。
「今のは危機察知?」
「いいえ。腕の動きを見ました」
リゼットが振り返る。
「私の癖?」
「撃つ直前に、肩が少し下がります」
リゼットは自分の右肩を見る。
「今まで指摘されたことはないわ」
「威力を落としていたからかもしれません」
普段は強い魔力を抑える必要がない。小さく撃とうとしたことで、余計な力が腕へ入った可能性がある。
リゼットは同じ姿勢を取り、もう一度フラムボルトを作った。
今度は肩が下がらない。
レオンが動くより先に、炎弾が放たれた。
頬の横を熱が通り過ぎる。
「修正が速いですね」
「あなたにだけは言われたくないわ」
リゼットは次々に炎を生み出した。
1発。
2発。
3発。
レオンは歩法と危機察知を使い、炎弾の間を移動する。避けきれないものだけ、ゼロスレッドでわずかに軌道をずらした。
だが、回数が増えるにつれて呼吸が乱れていく。
避ける方向。
足を置く位置。
次の炎弾。
リゼットとの距離。
すべてを考えようとすると、判断が遅れる。
5発目が右腕をかすめた。
「止めます」
リゼットが炎を消す。
「まだ続けられます」
「安全に続けられる?」
治療室へ向かう前に言われた言葉だった。
レオンは右腕を見る。外套に小さな焦げ跡ができている。皮膚に傷はないが、呼吸は速くなっていた。
「少し休めば」
「それは"限界に近い"と言うのよ」
「限界ではありません」
「では、限界になるまで続けるの?」
レオンは答えられなかった。
これまでは、動けなくなるまで訓練することが多かった。
魔力が尽きるまで。
腕が上がらなくなるまで。
失敗しても、次に成功すればいい。
そうやって、7年間を生き延びてきた。
だが、学院で行う訓練は、今日だけではない。明日も、その次の日も続く。今日すべてを使い切り、明日の授業や訓練へ影響を残せば、積み重ねられるものが減ってしまう。
「休みます」
レオンが言うと、リゼットは満足そうに頷いた。
2人は訓練場の壁際へ移動し、木製の長椅子へ座った。レオンは帳面を開き、先ほどの訓練を記録する。
攻撃を見る。
発動前の動きを読む。
逃げ道を先に確保する。
すべてを処理しようとしない。
「何を書いているの?」
「避けるときに気づいたことです」
「見せて」
リゼットが隣から帳面を覗き込む。
レオンが書いた項目の1つへ指を置いた。
『避けられない場合のみ、ゼロスレッドを使う』
「これは逆ではない?」
「逆?」
「避けられる攻撃を先に選ぶのではなく、避けなくてよい攻撃を見極めるのよ」
レオンは意味を考える。
「当たっても問題ない攻撃ということですか?」
「違うわ。私が防げる攻撃よ」
実技試験は2人1組だった。
レオンは自分が避けることと、リゼットが守ることを、別々に考えていた。
だが、実戦で共に動くなら、レオンがすべてを避ける必要はない。リゼットの防壁が届く位置へ動く方法もある。
反対に、リゼットがすべてを防ぐ必要もない。レオンが軌道を変えれば、防壁を小さくできる。
「次は、避ける訓練ではなく、私の盾へ入る訓練をしましょう」
「盾の位置を予測するんですか?」
「私が合図するわ」
「右、左、上、下ですか?」
「それでは長いわね」
リゼットは少し考える。
「『赤』と言ったら、私の近くへ来なさい」
「なぜ赤なんですか?」
「私の炎は赤いでしょう」
「分かりやすいです」
レオンは帳面へ書き加えた。
『赤――リゼットの防御範囲へ移動』
その文字を見たリゼットが、僅かに笑う。
「本当に何でも書くのね」
「決めたことを忘れないためです」
「では、私も覚えておくわ」
休憩を終え、2人は再び訓練場の中央へ戻った。
今度はリゼットも移動しながらフラムシールドを作る。レオンは飛来する魔力弾を避けるだけでなく、彼女の声と位置を確認する。
「赤!」
レオンは左へ踏み込む。
リゼットが展開した小さな炎の盾の陰へ入る。魔力弾が盾へ衝突し、火花となって消えた。
次の攻撃が背後から迫る。
「右、ずらします」
レオンがゼロスレッドを伸ばす。魔力弾の軌道を変え、リゼットの盾へ誘導する。
「赤!」
再び2人が同じ位置へ動く。
先ほどまで、リゼットの盾はレオンを守るために大きく広げられていた。今は2人が自分から防御範囲へ入るため、半分ほどの大きさで済んでいる。
魔力の消費も少ない。
10発。
15発。
先ほどより長く続けても、レオンの呼吸は乱れていなかった。リゼットの炎も安定している。
最後の魔力弾が盾へ当たり、消える。
「成功ですね」
「ええ」
リゼットは炎の盾を消した。
「避けることは、逃げることではないわ」
レオンは彼女を見る。
「守るべきものを守るために、必要な場所へ移動することよ」
レオンは、その言葉も帳面へ記録した。
「それも書くの?」
「大事なことなので」
「そう」
リゼットは少し照れたように顔を背ける。
そのとき、訓練場の入口から声がした。
「楽しそう」
ミナが壁にもたれ、2人を見ていた。
「いつからいたんですか?」
レオンが尋ねる。
「『赤』の少し前」
「何かありましたか?」
ミナは外套の内側から、折り畳まれた紙を取り出した。
表情から、訓練を見に来ただけではないことが分かる。
「施設管理棟の台帳」
ミナは紙をレオンへ渡した。
そこには、第0研究室の名が記されていた頁の番号が書かれている。
その下に、短い一文。
『該当頁、消失』
レオンは紙を見つめた。
「切り取られたんですか?」
「台帳ごと違うものに交換された」
「いつです?」
「今朝」
第0研究室の記録。
辞職した職員の名前。
対象B入学前に、封鎖を確認せよという指示。
すべてを知る記録が、消された。
ミナはレオンの帳面へ視線を落とす。
「待っている間に、相手が動いた」
レオンは帳面を閉じた。
こちらが諦めたと思わせる。
その方法は、間違っていなかった。
相手は、証拠を消すために動いた。
ならば次は、その動いた人物を探せばいい。
「地下へは行きません」
レオンが言う。
ミナが首を傾げる。
「まだ待つ?」
「いいえ」
レオンは、施設管理棟の方向を見る。
「今度は、地上にいる相手を追います」
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