第28話 存在しない修繕記録
翌朝、レオンは授業が始まるより早く学院へ来ていた。
中庭には、まだほとんど生徒がいない。噴水の北側にある、歴代卒業生の名が刻まれた石壁は、昨日と変わらない姿で立っていた。地下への入口が隠されているとは、外から見ただけでは分からない。
レオンは壁から少し離れた場所に立ち、周囲を確認した。人の姿はない。左手から細いゼロスレッドを伸ばし、昨日見つけた石の隙間へ通して壁の裏側を探る。
古い留め具。後から追加された魔導錠。どちらも昨日と同じ位置にある。
だが、違うものが1つあった。
「傷が増えている」
錠前の金属板に、浅い擦り傷がついている。昨日、レオンの糸が触れた場所ではない。鍵か、何らかの道具を差し込んだ跡だ。
昨夜か、今朝。誰かが、実際にこの錠前を使った。
「やっぱり、閉鎖されていない」
背後から声がした。レオンは糸を消し、振り返る。ミナが石壁のそばに立っていた。
「気配を消して近づかないでください」
「気づけなかった?」
「危機察知は反応しませんでした」
「敵じゃないから」
ミナは当然のように答え、壁へ近づいた。
「誰かが開けた?」
「その可能性が高いです。新しい傷があります」
レオンは錠前の位置を指し示す。
「いつ?」
「正確には分かりません。ただ、金属の削れ方が新しい」
ミナは壁を見つめる。外側からは、錠前も傷も見えない。
「昨日、私たちが帰った後?」
「鍵をかける音がしました。あのときについた可能性もあります」
「中にいた誰かが、外へ出た?」
「別の出入口があるなら」
地下へ続く通路が、あの石壁だけとは限らない。中にいた人物は、別の場所から出入りしている可能性がある。
「記録を調べる」
ミナが言った。
「何の記録ですか?」
「魔導錠」
学院内の魔導器は、勝手に設置できない。授業用の水晶、研究用の測定器、扉の魔導錠。小さなものでも、魔石の交換や整備には費用がかかる。正式に学院の設備として設置されたものなら、どこかに記録が残る。
「施設管理棟へ行きましょう」
「正直に聞く?」
「地下の入口とは言いません」
「嘘をつく?」
「必要なことだけ聞きます」
ミナは一度瞬きをした。
「それを嘘と言う人もいる」
「質問されていないことまで、すべて話す必要はありません」
「レオンらしい」
2人は石壁から離れ、学院西側の施設管理棟へ向かった。
施設管理棟は、華やかな中央校舎とは違い、実用だけを重視した四角い建物だった。内部には、校舎の修繕、魔導器の管理、備品の貸し出しなどを担当する職員がいる。
窓口には、眠そうな顔をした中年の男性職員が座っていた。
「どうした?」
「学院内に設置されている魔導錠について調べたいことがあります」
「生徒が?」
職員が眉を上げる。
「授業の課題か?」
「魔導器構造の自主学習です」
完全な嘘ではない。レオンは以前から、魔導器の構造を学んでいる。
「魔導錠の型式を見分けたいのですが、学院で使用されている種類が記載された資料はありますか?」
「型式だけなら、こっちだ」
職員は窓口の下から、分厚い台帳を取り出した。表紙には、『学院内魔導設備・型式一覧』と書かれている。
「持ち出しは禁止。ここで見ろ」
「ありがとうございます」
レオンとミナは窓口横の机へ移動し、頁をめくった。
中央校舎、講義棟、研究棟、学生寮、倉庫。それぞれの場所に設置された魔導錠の型式、設置年、管理部署が記録されている。
レオンは、昨日糸で確認した錠前の形を帳面へ描いた。横長の金属板。内部に2つの魔石。片方は施錠用。もう片方は、登録された魔力を確認する認証用。
台帳の図と見比べていく。
「これ」
ミナが1つの型式を指した。
『レグナ式・第3型魔導錠』
形状が一致している。説明欄には、こう書かれていた。
『研究施設、薬品庫、危険物保管区画に使用』
「一般教室には使わない型です」
「地下に何かを保管している?」
「少なくとも、設置した者は重要な場所だと考えています」
型式の下には、学院内の設置場所一覧があった。
第2研究棟・薬品庫。第5研究棟・危険魔石保管室。中央資料庫。そのほか、合計12カ所。
レオンは上から確認する。だが、中庭の石壁も、旧地下実験区画も記載されていない。
「載っていない」
ミナが小さく言った。
「正式な設備ではない可能性があります」
または、記録から意図的に外されている。
レオンは次の頁を確認した。魔導錠の設置には、交換用の魔石と認証板が必要になる。現在も使用されているなら、定期的な点検も必要だ。
「点検記録も見たいです」
レオンは窓口へ戻った。男性職員が面倒そうに顔を上げる。
「今度は何だ」
「レグナ式・第3型の点検方法を確認したいので、最近の作業記録を見せていただけませんか」
「生徒に見せるものじゃない」
職員は即座に断った。
「では、質問だけでも構いません」
レオンは帳面に描いた錠前を見せる。
「この型は、現在も学院内で新しく設置されていますか?」
職員の表情が少し変わった。
「どこで見た?」
レオンは答える前に、ミナを見た。彼女は黙っている。
「似た形のものを見かけました」
「場所は?」
「型式が同じか確認している段階です」
職員はレオンの帳面を見つめた。やがて椅子から立ち上がり、奥の棚から別の台帳を取り出す。
「第3型は古い。新しく設置することは、ほとんどない」
台帳を開き、記録を確認する。
「だが、壊れていなければ使い続けている場所もある。最後に部品を出したのは……」
職員の指が、記録の行を追っていく。途中で止まった。
「3日前だ」
レオンとミナは顔を見合わせた。
3日前。レオンたちが入学する前だ。
「どこへ?」
「旧研究区画」
職員が読み上げる。その声に、わずかな疑問が混じった。
「そんな管理区画があったか?」
レオンは台帳へ目を落とす。
日付。持ち出された部品。認証用魔石1個。交換用の留め具。レグナ式・第3型の予備鍵。
そして、受領者の署名。
『第0研究室 設備担当』
レオンの呼吸が止まった。
第0研究室。20年前に適応型魔導兵・試作第7号を製造した、存在しないはずの研究室。その名前が、3日前の記録に書かれている。
「この署名をした人は?」
ミナが尋ねた。
男性職員は台帳を自分の方へ引き寄せる。
「待て」
何度も文字を見直した。
「第0研究室なんて、今の学院には存在しない」
「では、なぜ部品を渡したんですか?」
レオンが聞く。
「俺が渡したんじゃない」
職員の声が低くなった。
「3日前は休みだった。代理の者が窓口にいたはずだ」
「代理の職員は誰です?」
「記録を見る」
男性職員は別の勤務表を取り出した。
3日前。施設管理棟の担当者欄。そこには、1人の名前が記されていた。
だが、職員はその名前を見て動きを止めた。
「あり得ない」
「何がですか?」
「こいつは、半年前に学院を辞めている」
講義開始を告げる鐘が、遠くから鳴った。
男性職員はすぐに台帳を閉じる。
「この件は俺から上へ報告する。お前たちは教室へ戻れ」
「台帳の内容を記録しても?」
「駄目だ」
職員は2冊の台帳を抱え、奥の部屋へ向かおうとする。
そのとき、室内の照明が一斉に消えた。
窓から朝の光が入っているため、完全な暗闇にはならない。
だが、魔導灯が消えた一瞬。
ミナが動いた。
机の端に置かれていた小さな紙片を拾い、外套の内側へ滑り込ませる。
「ミナ」
レオンが小声で呼ぶ。
「落ちていた」
照明が戻る。男性職員は気づかず、台帳を持って奥へ消えた。
2人は施設管理棟を出た。
中央校舎へ向かう途中、ミナが紙片を取り出す。台帳の頁に挟まっていた、小さな受領証だった。
『レグナ式・第3型』
『認証用魔石』
『旧研究区画』
下には、第0研究室の名がある。
そして裏側。
表とは違う筆跡で、短い文章が書かれていた。
『対象B入学前に、封鎖を再確認せよ』
レオンは受領証を見つめる。
部品が持ち出されたのは3日前。レオンが学院へ来る前。
つまり、誰かはレオンが入学することを知っていた。そして、レオンが地下へ近づく可能性まで予想していた。
「昨日の足音」
ミナが言う。
「私たちに気づいていた」
「その可能性が高いです」
地下にいる何者かは、偶然あの場所にいたのではない。入口を点検し、鍵を交換し、レオンが近づくことを警戒していた。
「これからどうする?」
ミナが受領証を握る。
レオンは少し考えた。
施設管理棟の職員は、上へ報告すると言った。だが、その報告が誰へ届くのか分からない。記録を残した人物が学院内部にいるなら、こちらが調べていることも伝わる。
「予定を変えます」
「地下へ入らない?」
「いいえ」
レオンは、受領証に書かれた文字を見る。
「相手が警戒している今は、入りません」
「では?」
「こちらが諦めたと思わせます」
調べ続けていると知られれば、相手はさらに証拠を消す。入口を変えるかもしれない。地下にあるものを別の場所へ移すかもしれない。
だから、一度離れる。
授業を受け、訓練を続け、何も知らない生徒として振る舞う。その間に、別の入口と、地下へ出入りしている人物を探す。
「待てる?」
ミナが尋ねる。
「待つことも反復作業のうちです」
レオンは答えた。
ただ繰り返すだけではない。観察し、失敗し、方法を変え、次の機会を待つ。それも、レオンが7年間続けてきたことだった。
2人が中央校舎へ入る。
その背後。
施設管理棟の2階の窓から、誰かが2人を見下ろしていた。
白い手袋をした指が、窓枠をゆっくりとなぞる。
やがてその人物は、窓の奥へ姿を消した。
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