第1話 色のない子
お、お手柔らかに…
26/07/23 修正
高城直人が、レオン・アーヴェルとして生まれ直してから八年が過ぎた。
前世の記憶をはっきりと思い出したのは、三歳の頃だった。自分がかつて日本という国で暮らしていたこと。部品工場で働いていたこと。壊れかけた機械を止めようとして、命を落としたこと。
最初は、すべて長い夢だと思っていた。けれど、成長するほど記憶は鮮明になった。機械の構造も、上司の顔も、床に倒れたときの冷たさも覚えている。
そして今日、レオンは教会の長椅子に座り、自分の順番を待っていた。
八歳になった子どもは、国が管理する教会で魔法属性とスキルの鑑定を受ける。属性は原則として生涯変わらない。スキルは成長や経験によって増える可能性があるが、最初にどんな能力が現れるかで、その後の扱いは大きく変わる。
火属性なら、鍛冶師や兵士。水属性なら、治療師や農業。土属性なら、建築や鉱山。風属性なら、狩人や船乗り。
珍しい光属性なら、神殿や貴族から迎えられる。闇属性は恐れられることも多いが、斥候や諜報の才能として重宝される国もある。
どの属性を持つかで、就ける仕事まで決められてしまう世界だった。
「次、マルク・ベイリー」
名前を呼ばれた少年が、緊張した顔で祭壇へ進んだ。祭壇の上には、大人の頭ほどもある透明な水晶が置かれている。
少年が両手を触れると、水晶の内部に赤い光が灯った。
「火属性です」
教会の鑑定官が告げる。続いて、水晶の表面に文字が浮かび上がった。
『一般級・火炎適性』
『一般級・槌術』
『熟練級・耐熱』
教会の中から歓声が上がった。
「熟練級だって!」
「しかも火属性だぞ」
「あの子の家は鍛冶屋だったな。跡継ぎは決まりだ」
マルクの父親が、誇らしげに胸を張っている。本人も水晶を見つめながら、嬉しそうに笑っていた。
八歳の時点で確認されるスキルは、二個から三個ほどが一般的だ。成人する頃までに新たなスキルが発現し、最終的には四個前後を所有する者が多い。
スキルの数が多いほど、できることも増える。階級の高いスキルを持っていれば、平民であっても騎士や宮廷魔導士を目指すことができる。
この世界では、努力を始める前から、才能に名前と階級が与えられる。
レオンはそれが、少しだけ怖かった。
前世でも、学歴や資格によって人間の価値を決められた。この世界でも、鑑定結果によって人生が決まるのだとしたら、生まれ直しても、結局は同じなのかもしれない。
「レオン」
隣から低い声が聞こえた。
振り向くと、腕を組んだ大柄な男が立っていた。グレゴール・ハインツ。レオンが働いている魔導器工房の主人だ。
レオンの母親は、彼を産んで間もなく病で亡くなった。父親が誰なのかは分からない。身寄りを失ったレオンを引き取ったのが、母親とわずかに面識のあったグレゴールだった。
もっとも、家族として迎えられたわけではない。食事と寝床を与える代わりに、工房で働かされている。
「火か土を出せ」
グレゴールは祭壇を見たまま言った。
「それなら工房で使える。水でも構わん。冷却作業くらいはできるからな」
「風だったら?」
「炉の火力を上げられる。何でもいい。役に立つ属性ならな」
役に立つ。
その言葉に、レオンは小さく拳を握った。
グレゴールが欲しいのは、レオンではない。工房で使える魔法とスキルだ。
分かっていた。それでも、胸の奥に重いものが沈んでいく。
「次、レオン・アーヴェル」
ついに名前を呼ばれた。
レオンは長椅子から立ち上がり、祭壇へ向かった。教会に集まった大人たちの視線が、一斉に自分へ向けられる。
逃げたくなる気持ちを押し込み、水晶へ両手を置いた。
冷たい。
何も起きなかった。
先ほどの少年のように、赤い光は現れない。青も、緑も、茶色もない。透明な水晶は、透明なままだった。
教会の中がざわつき始める。
「故障か?」
「いや、そんなはずは……」
「もう一度、魔力を流してください」
鑑定官に言われ、レオンは目を閉じた。胸の内側にある、温かい何かを意識する。
それを腕へ。腕から指先へ。水晶へ流し込む。
しばらくすると、水晶の中心に白い光が生まれた。
光属性の輝きとは違う。色がない。ただ、透明な水晶がわずかに濁っただけだった。
鑑定官の顔から、表情が消えた。
「無属性です」
誰かが、小さく息を漏らした。
無属性。
火を生み出せない。水も操れない。土も動かせない。風も起こせない。光のように傷を癒やすことも、闇のように姿を隠すこともできない。
魔力そのものを扱う属性だとされているが、実用的な魔法はほとんど存在しない。属性同士の相性に弱点がない代わりに、得意な相手もいない。
弱点がないのではない。
何に対しても、強くないのだ。
「スキルを確認します」
鑑定官が水晶へ手をかざした。表面に、ゆっくりと文字が浮かび上がる。
一行だけだった。
『一般級・反復作業』
鑑定官は何も言わなかった。
教会の中から、抑えきれない笑い声が聞こえた。
「反復作業って、同じ仕事を続けるだけのスキルだろ?」
「荷運びや畑仕事には便利なんじゃないか?」
「一般級に一般級一個かよ」
レオンは、水晶に浮かんだ文字を見つめ続けた。
一般級・反復作業。
同じ作業を繰り返す際、疲労をわずかに軽減する。工場、農場、鉱山などで単純労働者が持つことの多いスキル。
特別な力ではない。戦闘にも向かない。魔法の才能を補うこともできない。
誰が見ても、外れだった。
「……そうか」
背後で、グレゴールが吐き捨てた。
レオンが振り返ると、彼は露骨に顔を歪めていた。
「せめて火属性なら使い道があったものを」
「グレゴールさん」
「帰るぞ。仕事が残っている」
レオンは祭壇から手を離した。教会を出るまで、誰も声をかけてこなかった。
工房へ戻る道中、グレゴールは一度も口を開かなかった。石造りの家が並ぶ通りには、馬車の車輪が石畳を叩く音が響いている。市場では商人たちが声を張り上げ、城壁の向こうには領主の城が見えた。
前世とは何もかも違う風景だった。けれど、人間を見る目だけは同じだった。
何をしてきたかではなく、何を持って生まれたか。役に立つか。利益を生むか。
それだけで価値を決められる。
工房へ着くと、グレゴールは裏口の前で足を止めた。
「レオン」
「はい」
「今まで通り、飯と寝床は与える」
優しい言葉ではなかった。取引条件を確認する声だった。
「だが、無属性では魔導器職人にはなれん。反復作業程度では、まともな仕事にも就けない」
レオンは黙って聞いていた。
「十五歳になったら、北の魔石鉱山へ行け」
その言葉に、レオンは顔を上げた。
北の魔石鉱山。危険な魔物が出るうえ、崩落事故も多い。身寄りのない者や、借金を抱えた者が送られる場所だった。一度入れば、まともに帰ってくる者は少ない。
「七年分の食費と寝床代だ。働いて返してもらう」
「最初から、そのつもりだったんですか」
「役立つ属性を持っていれば、工房で返せた」
グレゴールはそれだけ言い残し、工房へ入っていった。
レオンは一人、裏口の前に立ち尽くした。
十五歳になれば、鉱山へ送られる。
逃げても、八歳の子どもが一人で生きていける場所はない。身分証も、金も、頼れる親族もいない。この国で身寄りのない平民が安全な身分を手に入れる方法は、ほとんどなかった。
ただし、一つだけ例外がある。
王立魔法学院。
学院の入学試験に合格すれば、在学中は国から身分を保証される。優秀な成績を残せば、騎士団や魔導師団、貴族家へ仕官する道も開かれる。
だが、学院に集まるのは、優れた属性や高階級スキルを持つ者たちだ。
無属性。
一般級スキル一個。
今のレオンが受験しても、門前払いされるだけだった。
その夜、工房の仕事を終えたレオンは、物置小屋の裏へ向かった。手には、一冊の薄い帳面と短い炭筆を持っている。
使い終わった伝票の余白を集め、自分で綴じたものだった。
前世でも、失敗するたびにノートへ原因を書いた。
手の位置。力の加減。音の違い。失敗した理由。
一度でできなければ、十回。十回で足りなければ、百回。それでも足りなければ、できるまで続ける。
レオンは地面へ座り、右手を前に出した。
属性魔法には、それぞれ決まった感覚があるらしい。火は熱。水は流れ。土は重さ。風は動き。
だが、無属性には何もない。
色もない。
形もない。
教本すら、工房には置かれていなかった。
それでもレオンは、昼間に水晶へ流した魔力を思い出した。胸の奥にある、温かい何か。
それを腕へ送る。指先へ集める。外へ押し出す。
何も起きない。
帳面に記す。
『一回目。魔力を指先まで運べた感覚はある。外へ出たかは不明』
もう一度。
何も起きない。
『二回目。右肩に力が入りすぎた』
もう一度。
『三回目。呼吸を止めると、魔力の流れも止まる』
四回。
五回。
十回。
夜が深くなっても、何も起きなかった。指先は痛み、腕は震え、頭の奥が熱を持っている。
反復作業のおかげなのか、同じ動作を続けても身体は少しだけ疲れにくい。
だから何だというのか。
疲れにくいだけでは、鉱山送りを避けられない。学院にも入れない。誰にも認められない。
それでも、レオンは右手を上げた。
前世の自分は、努力しても評価されなかった。積み重ねた成果さえ、他人の名前に変えられた。
けれど、今は違う。
この身体で積み重ねたものは、自分の中に残る。少なくとも、自分だけは知っている。
何度失敗したのか。なぜ失敗したのか。次に何を変えるのか。
誰にも評価されなくても、誰にも見られていなくても、自分まで、自分の努力をなかったことにする必要はない。
それからレオンは、毎晩同じ訓練を続けた。
百回目。
指先から、魔力が一瞬だけ漏れた。
三百回目。
漏れた魔力を、空中に留められるようになった。
五百回目。
魔力が消える原因は、外へ出す瞬間に制御を失うことだと気づいた。
七百回目。
糸を作るように、細く伸ばす方法を試した。
九百九十九回目。
透明な魔力は形を作る前に崩れ、夜の空気へ溶けた。
レオンは帳面に失敗の理由を書き込んだ。
魔力を一度に出しすぎた。指先だけで制御しようとした。呼吸と魔力の流れが合っていない。
直す場所は分かっている。
レオンは立ち上がり、右手を前へ伸ばした。
胸の奥から、ほんのわずかな魔力を引き出す。肩の力を抜く。呼吸に合わせ、腕へ流す。
押し出すのではない。
引き伸ばす。
途切れないように。
細く。
もっと細く。
千回目。
指先から、透明な糸が伸びた。
月明かりを受けなければ見えないほど細い、頼りない糸だった。
火を起こすこともできない。水を生み出すこともできない。石を割ることすらできない。
それでも。
九百九十九回失敗した末に、レオンが初めて自分の力で作り上げた魔法だった。
胸の奥で、何かが音を立てる。
次の瞬間、レオンの視界に文字が浮かび上がった。
『反復回数、1,000』
『失敗分析、修正、再試行を確認』
『習得条件を満たしました』
『無属性魔法を習得しました』
レオンは、震える指先から伸びる透明な糸を見つめた。
そして、誰もいない夜の物置小屋で、初めて笑った。
外れでもいい。
弱くてもいい。
一度でできなくてもいい。
千回失敗して届くのなら、次も千回繰り返せばいい。
十五歳まで、あと七年。
鉱山へ送られるつもりはない。
誰かに決められた人生を、もう一度歩くつもりもない。
レオンは帳面の新しい頁を開いた。そこに、一つの目標を書き込む。
『王立魔法学院に合格する』
無属性と外れスキルしか持たない少年の、長い反復が始まった。
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