第120話 以前のA
領地を離れる前日。
リゼットの父が、レオンとリゼットを屋敷の書庫へ呼んだ。
「地方異常について調べていると聞いた」
公爵は古い文書箱を机へ置く。
「我が家にも、国から受け取った古い報告書が残っている。すべてを見せることはできないが、今回の異常と関係しそうなものは確認した」
「何かあったの?」
リゼットが尋ねる。
「分からない」
父親は正直に答えた。
「だから、お前たちにも見てほしい」
文書は数十年前のものだった。
領内で起きた魔力低下。
原因不明。
測定器上では規定値。
住民への影響は軽微。
今回と似ている。
さらに古い束を開く。
魔力異常とは別に、優秀な魔法使いの配置や保護について記した文書があった。
リゼットが1枚を手に取る。
「これは?」
古い紙の右上。
薄く掠れた文字。
――対象A 経過報告。
レオンの視線が止まる。
日付を見る。
リゼットが生まれるより、はるかに前だった。
「父上」
リゼットの声が低くなる。
「これ、私のことではないわよね」
「違う」
「対象Aは、私だけじゃないの?」
公爵は首を振った。
「私も、その呼称をお前の件で初めて知ったと思っていた」
文書の一部は欠けていた。
対象者の名前も読めない。
Aの後に番号らしき痕跡があるが、そこも破損している。
分かるのは、1つだけ。
リゼットより以前に、「対象A」と呼ばれた誰かがいた。
レオンは別の文書を探す。
同じ形式の紙がもう1枚あった。
さらに古い。
そこにも、Aの文字。
「何人いるんだ……」
リゼットが呟く。
答えは分からない。
適性。
目的。
何をもって対象Aとしたのか。
何も書かれていない。
公爵が文書を見る。
「私は、お前が何に選ばれたのか知らない」
父親の言葉に、リゼットが顔を上げる。
「知っていて黙っていたわけではない?」
「少なくとも、すべては知らない」
公爵家ですら、情報の一部しか持っていない。
レオンは古い紙のAを見る。
対象Aは、リゼットだけに付けられた名前ではなかった。
誰か1人を示す呼称ですらない可能性がある。
過去に何度も使われてきた。
なら。
今、リゼットに付けられている番号は――何番目なのか。
書庫の静けさの中で、リゼットは長い間、その古い記録から目を離さなかった。
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