第一話 起動
※試験的に行間を開けてみました。
詰めるべきか、開けるべきか、読みやすいのはどちらか、ご意見をお聞かせください!
カグラは、ナギの背中を見つめていた。
その小さな背中は、こんな状況下においては何よりも頼もしく見えていた。
不意にカグラは、寒さが幾分和らいでいることに気づく。
そのとき、頭の中で月連ゆかりの言葉が蘇った。
――ナギは火を司るヒモロギよ、いざというときは頼りなさい……。
そういうことかと、カグラは眠っているルインの肩に手を置いた。
ナギはヒモロギ、死なずの肉体を持つ者。総じて『死なずの操』と呼ばれる彼女らの使命は、異形の理であるマガリガミを鎮めることにある。
「いずこの境より来られたか! 雄々しくも荒ぶる鉾を納め給え、マガツカゼの理よ!」
ナギの堂々とした声が響き渡った。
そしてあのいびつな剣を上空に掲げた。
「おい! 起きろルイン、おい!」
「静かにして」
カグラの声を、ナギはすかさず宥めた。
そのときだった。
「ナァアアアアアアアアアアアギィイイイイイイイイイイイ……!」
存在を揺さぶられるかのような、野太くて甲高い轟音が響き渡った。例えるなら、何隻もの巨大船の汽笛を間近で鳴らされたような感覚。
それはマガリガミから発せられた声であった。
「あ……あぁ……」
立っていたカグラは膝から崩れ落ちた。口からは無意識の声が漏れた。どういう感情かわからない涙が、頬を伝い落ちる。
そのとき、はるか上空に赤く光る三つの球が現れた。
それは徐々に地上に向けて迫ってくる。
逆三角形の位置にあるそれは、マガリガミの目であった。
マガリガミの目は、地上から二十メートル上空あたりで停止し、地上にいる三人を照らす。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ……!」
カグラの荒い息遣いがする。
ナギは剣を掲げたまま微動だにしていない。
すると、マガリガミの首あたりが微かにうごめき、幾本もの長い触手が出現した。触手はナギの体を包み込んで、上空へさらって行く。
「ナギ!」
カグラは小さく叫んだ。
ナギは抵抗する素振りも見せぬまま、マガリガミの目の位置で停止した。
「クソ、起きろルイン、ルイン!」
カグラは再びルインの肩を揺すって起こそうとする。だが、ルインは首を垂れたまま起きる気配はない。
カグラはギリッと歯ぎしりをして、ルインの背中にまわる。
そして両手をルインの背中につけて叫んだ。
「ルイン! ルイン! ルイン! ヒュムレキス! ヒュムセルキス! ヒュムデスコーツ! マギナ ゼンフェクト! リギル ニジム デガンダ! ロスコム ギルガ!
(ルイン! ルイン! ルイン! 汝が鎖を解き放つ! 汝が枷を解き放つ! 汝が罪を解き放つ! 天翔ける咎人よ! 慈愛と混沌の御翼よ! 因果の針を背負いて今、ここに顕現せよ!)」
――何も起きなかった。
仄かな光がカグラを包んだが、途中で消え、ルインを召喚したときのような様相はなかった。
「そんな……どうしてっ……!?」
カグラは茫然とした顔でルインを見る。
ルインは、やはり首を垂れたまま起きる気配はない。
「クソ! クソ! クソ! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! こんなところで! クソ! 起きろルイン、ルイン!」
感極まったカグラは、喚き散らす。とそのとき、カグラの近くにナギの野球帽が落ちてきた。
カグラは上空のナギを見て息を飲んだ。
ナギはマガリガミの触手に長い黒髪を掴まれ、宙に浮いていた。その足元には、マガリガミの奈落のような大口が、ぽっかりと開いていたのだ。
ナギは剣を掲げたまま、やはり微動だにしていない。
「ナギ……ダメだ、何をやって……」
絶望の涙が頬を伝い落ちる。ぼたぼたと地面を跳ねる。
ルインの背中にあったカグラの両手がずれ落ちた――そのときだった。
「因果ハ満チタ、誓約ノ刻カ――」
ルインから無機質な声がした。
刹那、ルインの背中に白く光る模様が出現した。ルインの体がその模様に包まれていく。
「ルイン!」
叫んだカグラの目に光が戻った。
「ああそうだ、天翔ける咎人よ!」
光に包まれたルインは、ゆっくりと空に上昇していく。
そしておもむろに両手を広げると、背中に真っ白な翼が現れた。
ルインは水平に、ゆるやかに回転しながら更に上昇を続け、上空で停止した。
閉じていた目を開いて地上を見下ろす。
口が動く。
「コレヨリ百二十秒ノ因果ヲ実行。命令ヲ」
「よし――」
と言って、ナギに目をやったカグラは息を飲んだ。たった今、ナギがマガリガミの大口に呑まれたのである。
「今すぐあの黒い災厄に呑まれた少女を救出しろ! 急げ!!!」
「畏――」
刹那、ルインは言葉を残して消えた。
そして、
――ゾブリッ!
という鈍い音。
マガリガミの喉に亀裂が入り、切り取られた部分が胴体から離れていく。
そこにいたのか、ナギが空中に投げ出された。
ルインは遥か上空にいた。右手には光り輝く槍のようなものを掴んでいる。ルインは落下するナギを地面ギリギリで抱え上げて、着地した。
「ナギ、大丈夫か!」
カグラが二人に駆け寄る。
「おまえその髪っ……!」
カグラはナギを見て絶句した。
マガリガミと一緒にルインに斬られたのか、ナギの頭髪がバッサリと短くなっており、雪のように真っ白になっていた。
「静かにしてって言ったでしょ」
ナギは不機嫌そうに答える。髪のことなどお構い無しだ。
カグラはナギの両肩を掴んで、口早に言う。
「ナギ、帰還だ! あるだろ、現世に帰る方法が!」
「まだ帰ることはできない」
「どうして!?」
「あなたたちが、彼らを怒らせたから」
ナギが剣の切っ先を向けたその先、胴体から切り離されたマガリガミの喉の一部が、無数の触手となって迫り来る姿があった。
「回避しろ、ルイン!」
カグラが叫んだ。
「畏。残リ七十秒――」
ルインはカグラとナギを抱えて空へと舞い上がる。
誰もいなくなった場所に、触手の塊がどっとなだれ込んだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、間一髪――なっ!?」
遥か上空からマガリガミの全貌を目にしたカグラは、言葉を失った。
大きい。三百メートル四方は確実にある。黒く巨大なうねりが渦を巻き、所々が怪しげに発光している。
「こ、これが常世のマガリガミなのか……!」
カグラはその異様さに改めて圧倒された。
「降ろして、彼らを鎮めなきゃ。あのままだと現世に出てくる……」
ナギが呟くように言った。
カグラはナギを睨みつけて言う。
「何言ってんだ、あいつに呑み込まれたんだぞ、おまえ!」
「いいから降ろして。終わったら、現世に帰るから……」
ナギは体を揺らして今にも飛び降りようとしている。
その目はマガリガミしか見ていない。
カグラはしばらくナギの横顔を見つめて溜息を吐き、決断した。
「地上に向かえ、ルイン」
「畏。残リ四十三秒――」
わずかな重力の軽減を感じながら、三人は地上に降り立った。
マガリガミとの距離は、三百メートルはある。
――高さは百五十メートルくらいか……。
カグラは目測でマガリガミの全高を推察する。
少し手前でうごめく触手の塊が、どうでもよくなってくる。
「少し離れていて」
ナギは、カグラとルインにそう告げて、剣を構えた。
――こんな場所から何かするのか?
そう思ったカグラは、何も理解してはいなかった。そう、この時はまだ何も。
ナギは目を閉じて呼吸を整える。
そして目を開き、口を開いた。
「刃祇解放。謳え、空蝉――」
それは、微かな声だった。
優しくて、寂しげな声だった。
夏の終わりを告げる、ひと鳴きだった。
――ドゴォオオオオオオン!
そして、それは世界を割った。
空も、大地も、マガリガミも、そこに一本の線を引いたかのように割れていた。
カグラは全身の細胞が上げた悲鳴を、確かに聞いた。
いま目にしたのは、かつて見たことのある惨禍そのものであった。
「またね……」
構えを解いたナギは、踵を返してカグラとルインの腕を取った。
ナギの手の平には青い炎。
両手でそっと、包み込んだ。
次回、『第二話 夢の中の英雄(一)』
お楽しみに!
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