やがて目を覚ます
「……」
地獄が収まって数分、傍観者ネリムはおもむろに席を立ち、脱力した手でドアノブを捻った。
「……」
細い足で、歩幅も小さく歩いて行く。顔は常に地面を向いている。腰が曲がっているせいではない。直視したくない現実が目の当たりにあるせいだ。
「……」
広いエリアに到着。足を止めた。罪悪感という重りがネリムの頭に圧し掛かる。首を下に傾げるほどには重い。
ただ、逃れられない。逃れてはいけない。ネリムは業を背負おうと、ひ弱な筋肉で首を上に上げた。
――ああ。なんと凄惨な。
未だに残る熱気は肌をひりつかせ、吸った酸素で肺が火傷しそうだ。あれほど硬かった床でさえ、若干溶けているのが見える。それでも、原形をとどめているのは流石の硬度だ。
代わりに、ロボットたちは跡形もなく溶け、見る影もない。
「……そうか。これほど重かったのか、人の死というものは」
戦場に初めて立ったネリムは、その手で人を殺めることも初めてだった。これまでは、科学兵器を作るだけで、戦争に使われると分かっていながらも、どこか他人事だった。自身のやりたい研究を追及しているだけで、罪の意識などなかった。
この場で若人を殺して、その自覚が芽生えた。人一人。広大な宇宙の小さな芽。ゼウスの力で今頃は控室でこちらの様子を伺っているのかもしれないが、殺めた事実、感触はずっと残っている。
「……醜いものじゃな。戦争も。わしも」
自分がどれだけ多くの人間を殺してきたのかを悟り、心臓が押しつぶされた。だが、泣かない。逃げない。目を背けない。熱気と溶解した地面を見つめ、一身に罪を背負う。目を瞑り、見なかったふりをすることは許されない。だからネリムは、ただただ自身が起こした罪を見つめた。
「……なんじゃあれは」
その中で見つけた微かな希望。摘み取られるはずだった小さな芽。もしかしたらという淡い期待がネリムの中で芽生える。地獄の中に相応しくない、地面が隆起している箇所を見つけたのだ。
――パキッ。パキパキッ
隆起にヒビが入っていく。その光景を見て、ネリムの希望は徐々に膨らんでいった。
「ああ、どうか」そんな気持ちでいっぱいだった。
そんな祈りに答えるかのように、やがて隆起は割け、中の者が露わになる。その中に居たのは、無傷で縮こまる「小さな芽」だった。
「おお。おお!」
救われた気持ちだった。捧げた祈りは、彼にではなく自分に返ってきたのだ。
「……」
岩の塊が裂け、外の景色を確認した空は、ネリムがこちらを見ていることに気が付くと、すぐに外へと飛び出しネリムに飛びついた。
「ぐっ、」
それが実体のある本物だと悟ると、空は逃げられないよう地面に押さえつけた。
「……」
ひ弱な老人が少年に敵うはずもなく、抵抗する素振りすら見せずに運命を受け入れた。
「……抵抗しないのですね」
ギハンの言葉を空が代弁する。
「分かっておるじゃろ。こうなっては、どうあがいてもわしの負けじゃ」
まだ熱いだろう地面に痛がる様子もなく、ネリムは大の字で寝そべった。負けを悟ったというのに、表情は清々しい。
「それに、おぬしが生きていたことに気が抜けて、入れる力がなくなってしもうたわい」
穏やかな表情でネリムは空を見る。空から見たネリムは、嘘偽りなく安堵しているように見えた。
「……なぜ、あなたがそのような顔を? 仮にも『私』は、貴方の敵ですよ?」
ギハンから見たネリムも、同じ顔つきをしていたようで、それは疑問の声として浮かび上がった。
「人を殺すことに罪悪感を覚えん者がどこにおると言うんじゃ?」
「……」
嘘のない言葉を聞いて、ギハンは黙ってしまった。さっきまで殺し合いをしていた者の発言とは思えず、しかし言葉に嘘偽りを感じられない。ギャップというものにやられ、頭が混乱してしまったのだ。あるいは、純粋な彼の思いが眩しく、思考がまとまらなかったのかもしれない。
「それよりもおぬし、よくあの攻撃を回避できたのう。まさか見抜かれるとは思わなんだぞ」
空を見る目が安堵から感心に変わる。
「それは確かに私も思いました。よくあの土壇場で、あのような策を思いつきましたね」
ネリムに続いて、ギハンも感心の声を上げる。空は表情を崩すことなくその言葉を受け入れ、その時に起こったことを思い出していた。
と言っても、そこまで複雑なことはしていない。熱を感知し、ガスが噴き出す瞬間を目撃した空は、通路で受けた爆発のことを思い出し、まず間違いなくそれに近しい攻撃が来ると予想した。
次に、床の硬さを把握していたため、妖精のエネルギーで地面を隆起し、自身を覆うような形で展開させた。ただ、炎の規模が分からなかったため、壁を三重にして鉄壁の防御で臨んだのだ。
結果、大量のエネルギーを消費したメイは、ガス欠を起こした。
「はぁ、はぁ、もう、無理。今日はもうおしまい」
メイはそれだけ言い残すと、疲れて眠ってしまった。
「……お疲れ様、メイ」
リギラは、メイの活躍を精一杯の慈愛で労った。実質的に、惑星代表争奪戦でのメイのリタイアが確定した瞬間だった。
「……なるほどのう。熱を感知して瞬時にそのようなことを。なんという発想力。というよりも、対応力を評価した方がよいかのう?」
ネリムはただただ感心するばかり。空は明確な敵で、倒すべき存在であるはずなのに、その表情はずっと穏やかなままである。
「おしゃべりはこれくらいでいいでしょう。空」
ギハンは空に合図を送る。それに合わせて、空は死神のエネルギーで小さな鎌を作り、ネリムの首に押し当てた。
「降伏か、抵抗か。万に一つもあなたに勝ち目などありませんが、選ぶのはあなたの自由です」
馬乗りの状態で、体勢的にも身体的にも圧倒的にネリムの方が不利である。おまけに、先ほどの発言。ネリムがどちらを選ぶのかなど、分かり切ったことだった。
「そんなもん、決まっておるわい」
ネリムは間断なく述べた。そしてすぐに結論も述べる。
「降伏じゃ。わしは戦いを降りる」
あっさり引き下がった。状況的に勝ち目がないことは明らかだったが、こうもすんなりいってしまうと、それはそれで奇妙に感じてしまう。
「……それしか選択肢はないと思っていましたが、やけに素直ですね。『故郷の者たちのために、最後まであきらめない!』と抵抗するものかと思いました」
「ほっほっほっ。おぬしと戦う前まではわしもそう思っておったんじゃがの。実際におぬしを殺めそうな時になって思ったわい。わしにはあまりに重すぎる」
「……故郷の者や代表メンバーが聞いたら怒りそうな発言ですね」
「そうじゃな。臆病者と罵られるじゃろうし、裏切者と糾弾されるじゃろう」
「……」
「じゃが、それでもわしには重すぎる。まだ若い芽を潰す気には到底なれんかったんじゃ。おぬしも故郷の者たちと同じ、未来ある者。それを塞ぐような気がしてならんかった」
ネリムは静かに目を瞑り、微笑んだ。
「わしは疲れてしまったよ」
ネリムの体が黄金色に輝き出した。強制送還の時間だ。
「……人を殺める兵器を作っていた者のセリフとは、とても思えないですね」
静かに送還されそうになっている中、ギハンは水を差すにも近いセリフを述べた。ただ、ギハンはこれが正しい言葉だということを知っている。これが最適な言葉だと思った。
「耳が痛い話じゃ。散々人の命を奪っておきながら、自分だけ罪の意識から逃れようというのじゃからな。とんだ卑怯者じゃよ」
自身を卑下する。しかし、ギハンには彼が逃げようとしているようにしか聞こえなかった。だが、彼を糾弾することはない。この後どのような選択をするのかは彼次第だからだ。
「なら、この後はどうするのですか?」
質問を投げる。彼にとって、自分で答えを口に出させることが正解だと思ったからだ。
「……そうじゃな。今後は、人のためになる兵器でも作成しようかのう。わしのせいで死んでいった者たちよりも多くの者たちを救えるくらいとびっきりのやつを。もちろん、それで死んだ者たちが報われるわけでもないし、わしの罪が消えるわけでもない。それでも、その方がこれまでよりも何倍も良い」
ネリムの言葉を静かに聞いていた空たちは、最後の瞬間まで、か弱きを老人を見送ろうとした。しかし、ネリムは一つの通路を指差し、空たちに出口を教えた。
「あそこを通れば地上に出られる。わしのことはいいからもう行きなさい」
「で、でも……」
躊躇を見せたのはリギラだった。口に出さず、代弁はしなかったものの、ネリムは空の表情を見て、それを感じ取った。
「おぬしにはまだやるべきことが残っておるんじゃろう? 救いたい者がおるんじゃろう? なら、こんなところで足を止めている場合ではないはずじゃ」
ネリムは空の胸に自身の手を当てると、
「行きなさい。己の願いを果たすために」
ひ弱な力で奥へと押し込んだ。
それに合わせて空は立ち上がる。しばらくネリムを見つめて、その場を立ち去ろうとした。
しかし、ネリムの独り言が空の足を止めた。
「……おぬしがもしわしの立場なら、きっと逃げずに立ち向かっていたんじゃろうなぁ」
「……」
背中を向けて、足を動かさない。そんな空に疑問を持ち、ネリムは不思議そうな表情を浮かべた。
「……自分がもし、あなたの立場であっても同じような選択をしたかもしれません」
「!」
空から返ってきた返事は、予想していたものとは乖離していた。それは、ネリムの表情に驚きとして表れていた。
「でも、戦わないことを『臆病』だとは思いません。その選択をできることは立派だと思います」
「!」
空の言葉を聞いて、ネリムは再び救われたような気持になった。自身の選択を肯定してくれたこと。間違っていないと教えてくれたこと。「臆病ではない」と否定してくれたこと。二回りも年齢が違う少年の言葉がなにより温かかった。
空の思いを受け取り、ネリムは自身がやはり卑怯な存在だと自覚した。思いついた頼みごとが、あまりにも自分勝手すぎたからだ。
「少年。もし、良かったら……」
そこで言葉を止めた。あまりにも図々しすぎると思ったからだ。
「……いや。なんでもないわい」
「おぬしが勝って、リープと同盟を結んでくれるよう頼んではくれまいか?」。思いついたネリムの案は、あまりにも空に重すぎる。自分だけ逃げて、空にその責任を負わせるのは、人として、大人として、間違っていると思った。
「……もし、あなたが自分を信じてくれるのなら」
空は振り返って、ネリムを見た。送還される寸前、ほとんど黄金色に包まれている。それでも、空とネリムは目を合わせ、お互いの心の奥を見た。
「任せてください。救ってみせます」
目頭が熱くなった。年を取ると涙脆くなっていかん。
ネリムは、強い言葉を残して立ち去る空の背中を見送った。華奢なのに、逞しい。小さいのに、全てを背負えそうな雰囲気だ。
「……若いのぉ」
ネリムは微笑みながら、静かにその場を跡にした。
ネリム対空。 勝者、空。




