異世界からの宅配便と、祭のレベルアップ
九月も下旬に差し掛かり、小樽の夜は窓を開けていると少し肌寒さを感じるようになってきた。
しかし、大暮家のアパートの八畳の居間は、相変わらず扇風機が首を振り、独特の熱気とカオスに包まれている。
「――ああ、わかった。今週は教習所が休みの日があるから、そこで合わせるよ。溜まっていた後志地区の定期巡回だな。任せとけ」
ちゃぶ台の前で、大暮ヨウはスマートフォンを耳に当てながら頷いていた。
電話の相手は、古神道結社・八咫烏のエージェントである葉室珠子だ。
『ありがとうございます、ヨウ。最近、また少し怪異の動きが活発になってきているので、ヨウが同行してくれると本当に助かります』
「おう。俺も実戦経験積んでおきたいからな。じゃあ、また当日の朝に」
電話を切り、ヨウがふぅっと息をついてスマホをテーブルに置いた、その時だった。
「ゴシュジンサマ」
背後から、長い赤髪を揺らして元魔王アイリーンがひょっこりと顔を出した。
「ん? どうしたアイリーン」
アイリーンは、オッドアイを真剣に輝かせて口を開いた。
「タマコのレベルが、低すぎます。あのレベル(10〜15程度)では、少し強力な怪異が出ただけで死んでしまいます。これからの護衛や同行を考えるなら、タマコのレベルを上げた方が良いです」
「レベルを上げる?」
ヨウは首を傾げた。
「お前、ゲームみたいなこと言うな。現実のレベルって、そう簡単に上がるもんなのか? どうやって上げるんだよ」
「簡単です。モンスターと戦わせればいいのです。実戦経験と、命のやり取りによる魂の格上げが最も効率的デス」
「モンスターって……魔族とかか?」
ヨウが尋ねると、アイリーンは心外だというようにプクッと頬を膨らませた。
「ヒドイですゴシュジンサマ! 私達『魔族』を、あんな下等な『魔獣』や『モンスター』と一緒にしないでください! 人でなしデス!」
「人でなしって、俺が言われてるのか!?」
「いいですか。魔族には知性があります。文化も、言語も、社会もあります。対して、魔獣やモンスターには知性がありません。ただ本能で動く獣やバケモノです。私たち魔族は、食料や素材として、それらの魔獣やモンスターを『狩る』側なのです!」
アイリーンがビシッと指を立てて力説する。
「なるほどな。魔族と魔獣は全然違う生き物ってことか。人間と野生動物みたいな関係だな」
「ハイ、その通りデス!」
「でもな、アイリーン」
ヨウは、腕を組んで現実的な問題を指摘した。
「こっちの世界(地球)には、異世界みたいに都合よくスライムやゴブリンみたいな魔獣はいないぞ? いるのは、珠子が相手にしてるような幽霊みたいな『怪異』か、ただのヒグマくらいだ」
「問題ありません。連れてくれば良いデスから」
「は?」
「異世界から、適当な魔獣を引っ張ってくれば良いのデス」
アイリーンが、いともたやすくとんでもないことを言った。
「いやいやいや! どうやって!?」
アイリーンは立ち上がると、アパートの壁に向かってスッと右手をかざした。
「『次元門・小(ディメンション・ゲート)』」
ギギギギギ……ッ!!
空間が不気味な音を立てて歪み、畳の上の空中に、大人一人が通れるほどの漆黒の『穴』が開いた。
その穴の向こう側からは、むせ返るような血の匂いと、全く質の違う重い魔力が吹き出してくる。
「ええっ!?」
ヨウが驚愕している隙に、アイリーンはその漆黒の穴の中に、ズボッと右腕を肩まで突っ込んだ。
そして、穴の向こう側で何かをガシッと掴むと。
「フンッ!!」
とてつもない腕力で、強引に『それ』を八畳のリビングへと引きずり出した。
「グルァァァァァァッ!!!」
引きずり出されたのは、体長二メートルはあろうかという、巨大で凶悪な漆黒の狼型の魔獣だった。
鋭い牙からは涎が滴り、目は血走り、完全に殺意の塊である。
「うおおおぉぉっ!? 出たぁぁっ!?」
ヨウが尻餅をついて後ずさる。
しかし、その巨大な狼の顎を、アイリーンの細く白い腕がガッチリと掴んで押さえ込んでいた。
魔獣が暴れてヨウに襲いかかろうとするが、アイリーンが冷たいオッドアイで一瞥し、「『拘束』」と短く呟いた瞬間。
ギリィッ!
見えない鎖に縛り付けられたかのように、巨大な狼は畳の上でピクリとも動けなくなった。
「グゥゥ……キャインッ……」
完全にアイリーンの格の違いに屈し、哀れな声を上げている。
「これで準備完了デス」
アイリーンは、誇らしげに胸を張った。
「コイツは『シャドウ・ウルフ』。魔界の森によくいるCランクの魔獣です。タマコがコイツを狩れば、レベル20くらいまではすぐに上がりますよ!」
「お前……」
ヨウは、畳の上に転がる巨大な狼と、得意げな元魔王を交互に見比べた。
「えっ、何お前、異世界に自由に行けるの!?」
「ハイ。こっちの世界に来れたのですから、私の魔力があれば戻ることも可能です。ゲートを開くくらい造作もありません」
「マジかよ……! じゃあ、帰りたいのか?」
ヨウが恐る恐る尋ねると、アイリーンはブンブンと首を横に振った。
そして、ヨウの首にギュッと両腕を回して抱きついてきた。
「戻りませんよ! あんな殺伐とした魔界になんて、絶対に帰りません! ゴシュジンサマとマツリ様のそばで、美味しいご飯を食べて、エッチして、テレビを見る。それが私の、一番の幸せなのです!」
「お、おう……そうか。ならいいけど」
ヨウは、豊満な胸を押し付けられて顔を赤くしながらも、よしよしとアイリーンの頭を撫でてやった。
「でもアイリーン、もう一つ疑問なんだけど」
ヨウは、拘束されてプルプルと震えている狼を見下ろした。
「レベルって、お前はどうやって数字でわかるんだ? 俺には珠子が10レベルとか、全然見えないんだけど」
「『鑑定スキル』です」
アイリーンがヨウから離れ、答えた。
「異世界の戦闘系の職業に就く者は、基本的には全員持っているスキルです。対象を視認して意識を集中させると、ステータスが視覚化されます」
「へぇー! 便利だなそれ!」
「ただし、基本的には『自分よりもレベルが低い相手』のステータスしか詳細には分かりません。さらに『偽装スキル』というものもありますから、気をつけないと痛い目を見ます。相手を低レベルの雑魚だと思って襲いかかったら、高レベルの偽装で、返り討ちにあった……なんて話は、魔界や冒険者の間では日常茶飯事デスから」
「なるほどな。面白い。俺も勇者なんだから、その鑑定スキルってやつ、持ってるはずだよな」
ヨウは、目を閉じて自身の脳内のスキルの海へとダイブした。
(検索、検索……鑑定、ステータス表示……あった!)
「よし、後で使ってみるか。……って、それよりもアイリーン」
ヨウは、鼻をつまんだ。
「とりあえず、その獣の獣臭さがやばいから、元の世界に帰してやってくれ。部屋が臭くなる」
「あ、ハイ。そうですね」
アイリーンが、再び次元の穴を開こうと右手を上げた、その瞬間だった。
ガチャリ。
「ただいまーっ!」
玄関のドアが開き、仕事終わりの祭が元気な声と共に帰ってきた。
「あー疲れた! 今日はお客さん多くてさー……って、え?」
リビングに入ってきた祭は、その光景を見てピタリと足を止めた。
ちゃぶ台の横に転がる、体長二メートルの巨大な漆黒の狼。
「…………」
祭は、持っていたスーパーの買い物袋を静かに床に置いた。
そして、キッチンの壁に掛かっていた、お気に入りの重たい鉄のフライパンをスッと手に取った。
「グゥルルルッ……!?」
シャドウ・ウルフが、突然現れた祭に対し、本能的な威嚇の声を上げた。拘束されているとはいえ、その恐ろしさは尋常ではない。
しかし、祭の目は、完全に据わっていた。
「……アンタ」
祭は、フライパンを両手でしっかりと握りしめ、ゆっくりと狼に近づいていく。
「うちの、新しい畳に……!!」
ブンッ!!
「土足で上がってんじゃないわよォォォッ!!!」
ドガァァァァァァァンッ!!!!
祭の渾身のフルスイングが、シャドウ・ウルフの頭部にクリーンヒットした。
凄まじい金属音と共に、巨大な魔獣の頭蓋骨が砕け散る嫌な音が響いた。
「キャイーーーーンッ……!!」
狼は白目を剥き、短い断末魔を上げてピクピクと痙攣し……そして、光の粒子となってフッと消滅した。
魔獣は死ぬと、魔力となって世界に還元されるのだ。
「……ふぅ。全く、泥だらけの足で上がり込むなんて、非常識な野良犬ね」
祭は、フライパンの底をポンポンと叩きながら、何事もなかったかのようにキッチンへ戻っていった。
「…………」
ヨウは、ポカンと口を開けたまま固まっていた。
「ゴ、ゴシュジンサマ……」
アイリーンが、震える声でヨウの袖を引いた。
「マツリ様が……今の魔獣の経験値を吸収して、レベル10から、レベル20に上がりました……」
「えっ!?」
ヨウは慌てて、先ほど見つけた『鑑定スキル』を起動した。
視界が切り替わり、キッチンでエプロンをつけている祭の頭上に、半透明のステータスウィンドウが浮かび上がった。
【名前】 大暮 祭
【種族】 地球人
【レベル】 20
【筋力】 15
【耐久】 18
【敏捷】 22
【魔力】 5
「うおおっ、ホントだ! レベル20になってる!」
ヨウが驚きの声を上げる。
「でもこれ、ステータスの数値自体は、そんなに高くないよな?」
「ハイ。ですが、地球人はレベルや基礎ステータスが低い代わりに、別の特徴があります。スキルの欄を見てください」
言われるがまま、ヨウは祭のスキル欄に視線を移した。
【所持スキル】
・主婦の知恵 Lv.5
・料理(家庭料理) Lv.8
・節約術 Lv.7
・夫への絶対愛 Lv.MAX
・魔獣特攻(フライパン) Lv.3
・暗記力 Lv.4
・接客スマイル Lv.6
……他、多数。
ズラーッと並んだ、異世界には存在しないであろう生活密着型の多種多様なスキルの数々。
「えっ……なんだこれ。スキルがめちゃくちゃ多いぞ」
「ハイ。こっちの世界の人間は、異世界人のように魔法や戦闘に特化していない分、日常を生き抜くための細かな『生活スキル』や『適応スキル』を大量に持っているようデス。それが、地球人の強さなのかもしれません」
アイリーンが、感心したように頷く。
ヨウは、キッチンで鼻歌を歌いながら夕飯の支度を始めた最強の妻の後ろ姿を見て、静かに冷や汗を流した。
(レベル20で『魔獣特攻』のスキルまで生えやがった……。うちの嫁、どこに向かってるんだ……?)
小樽の安アパート。
勇者と魔王が暮らすこの家で、一番恐ろしいのは、間違いなくこの『レベル20の主婦』であった。




