結衣の憧憬と、元担任の甘すぎる誤魔化し
九月下旬。
小樽の空は高く澄み渡り、吹き抜ける秋風が街路樹の葉を少しずつ色づかせ始めていた。
週末の午後。
小樽港マリーナに面した大型商業施設『ウイングベイ小樽』。その広大なショッピングモールの二階を、周囲の視線を否応なしに集める一組の『美女コンビ』が歩いていた。
一人は、巻き髪に明るいブラウンのカラーコンタクトを入れ、少し派手めの秋物ファッションに身を包んだ女子大生、西田結衣。
そしてもう一人は、一七五センチのモデル体型に、暴力的なまでの巨乳を白いニットで包み込んだ絶世の金髪美少女――中身は四十九歳の元高校教師である、大暮ヨウだ。
「いやぁ、それにしても広いなここは。映画館にプールまであるのか」
ヨウが、おっさんのようなガニ股を必死に抑えながら天井を見上げてボヤく。
今日は、教習所が休みだった。
午前中、アパートでゴロゴロしながら高卒認定試験の参考書を読んでいたヨウのスマホに、結衣から『ヨウちゃん! 今日ヒマ!? 秋服見に行きたいから付き合って!』と強引なメッセージが届き、半ば引きずり出されるようにしてここまでやってきたのである。
「もう、ヨウちゃんってばキョロキョロしすぎ! ちょっとこっちのショップも見よ!」
結衣は、ヨウの腕にギュッと自分の胸を押し当てるように絡みつきながら、若者向けのセレクトショップへと引っ張っていった。
(お、おいおい……結衣のやつ、相変わらず距離感がバグってんな。こっちは既婚者のおっさんなんだぞ。心臓に悪いわ)
ヨウは内心で冷や汗を流しながら、結衣のペースに巻き込まれていた。
一方の結衣は、ヨウの腕に絡みつきながら、チラチラと横目でその圧倒的な美貌を盗み見ていた。
(ヨウちゃん……本当に綺麗。肌なんて陶器みたいに真っ白だし、スタイルも外国のスーパーモデルみたい……)
すれ違う男女問わず、誰もがハッとしてヨウを振り返る。
結衣は、そんな絶世の美女の隣を「親友」として歩けていることが、誇らしくてたまらなかった。
大学デビューを果たし、メイクもファッションも頑張っている結衣だが、ヨウの持つ『天性の美』と、どこか堂々としたオーラには敵わない。
自分を持っていて、媚びることもなく言いたいことを言う。なのに、ふとした瞬間にすごく気遣いができる、大人の余裕がある。
(私も、ヨウちゃんみたいになりたい。ヨウちゃんの良いところを真似して、もっと魅力的な大人の女になりたいな……)
憧れと、羨望。
そんな思いを抱えながら、結衣はショップの鏡の前で、二着の服を両手に持って振り返った。
右手には、肩が大きく開き、派手なビジューがあしらわれた黒のタイトなトップス。
左手には、落ち着いたベージュの色合いで、シルエットの美しい上品なブラウス。
「ねえ、ヨウちゃん、どっちがいいと思う? この黒のやつ、ちょっと攻めすぎかなーって思うんだけど、大学生っぽくて良くない?」
結衣がウインクしながら尋ねてくる。
小樽南高校でヨウが担任を持っていた頃、彼女は分厚い参考書を抱えて歩く超真面目な学級委員だった。
今はギャルっぽくなっているが、ヨウの目から見れば、彼女は今でも『真面目で不器用な教え子』のままである。
その瞬間、ヨウの脳内で『元担任としての長年の観察眼』が、無意識に、そして反射的に言葉を紡ぎ出してしまった。
「うーん……お前、昔からそういう派手なの選びたがるけどさ、実際のところ、本当に似合うのはこっちのベージュの方だろ」
ヨウが、何気なくベージュのブラウスを指差して言った。
その直後。
(――ッッ!! しまったぁぁぁぁっ!!)
ヨウは、自分の放った言葉に気づき、心臓が口から飛び出そうになった。
(『昔から』!? なんだその言い回し! 完全に高校時代の地味だった結衣を知ってる前提の言い方じゃねぇか! 俺は教習所で知り合ったただの友達設定のはずなのに!)
滝のような冷や汗が、ヨウの白い背中を伝い落ちる。
結衣は、手に持った服を下ろし、目を丸くしてヨウを見つめた。
「……えっ。ヨウちゃん、今、『昔から』って……?」
怪しまれる。ここで焦って取り乱せば、さらに不自然になる。
ヨウは、四十九歳の大人の余裕と、かつて進路指導で泣く生徒を宥めてきた『無意識の甘い言葉』を総動員した。
表面上は極めてクールに、クスッと涼やかな笑みを浮かべてみせる。
「ああ、言葉の綾だよ。『教習所で出会った時から』って意味な」
ヨウは、ベージュのブラウスの生地を指先で軽く触れながら、結衣の目を見つめて滑らかな口調で言葉を紡いだ。
「お前、教習所でもいつも気合い入れた明るい服を着てきてるだろ? でもさ、結衣の本来の整った顔立ちとか、綺麗な瞳の色を見てたら、無理して派手な黒で着飾るより、こういう上品な色合いの方が、結衣の『素』の綺麗さが際立つんじゃないかと思ってな。……まぁ、俺はお前がどっちを着ても可愛いと思うけどな」
完璧なリカバリー、かつ、おっさん特有の『無意識の女たらしムーブ』だった。
落ち着いたトーンと、直球の褒め言葉。
結衣は、それを聞いて小さく息を呑んだ。
「私の……『素』の綺麗さ……」
(ヨウちゃん……出会ってまだ少しなのに、私のこと、そこまで見ててくれたんだ……)
結衣の胸の奥で、トクトクと甘く、そして激しい鼓動が鳴り始める。
大学に入って、浮きたくなくて、必死に背伸びをして派手な服を選んできた。でも、ヨウはそんな『作られた派手さ』を見透かし、その奥にある『本当の私』を肯定してくれたのだ。
「……そっか。うん、そうだよね」
結衣は、黒のトップスを棚に戻し、ベージュのブラウスを胸に当てて鏡を見た。ほんのりと頬が赤く染まっている。
(かっこいい……なんか、包容力があるっていうか……素敵なおじさまみたい)
結衣の思考が、少しずつ危険な方向へとシフトしていく。
「ヨウちゃん。私、これ買うね。選んでくれてありがとう」
結衣が上目遣いで、とびきり嬉しそうな、熱を帯びた笑顔を向けた。
一方のヨウは。
(あぶねぇぇぇぇ……っ! マジで元担任だったってバレるところだった! 生徒を観察する癖が抜けきってねぇ!)
と、己の失言のカバーが完璧にうまくいったことに、ただひたすら安堵の息を吐いていた。
***
ショッピングを終え、二人は海が見えるモールのカフェに入った。
窓の外には、ヨットが停泊する静かなマリーナと、傾きかけた秋の太陽が広がっている。
「はぁ〜、歩き疲れた。やっぱ休日はどこも混んでるな」
ヨウがアイスコーヒーのストローを咥えながら、肩を回す。
結衣は、買ったばかりの紙袋を愛おしそうに撫でながら、自分のカフェラテを見つめていた。
「……ねえ、ヨウちゃん」
ふと、結衣の声からいつものギャルっぽい明るさが消え、少しだけトーンが落ちた。
「どうした?」
「私ってさ……昔から、こういうところあるんだよね。なんか、周りに合わせて無理して明るく振る舞っちゃうっていうか……。本当はそんなキャラじゃないのに、大学で浮きたくなくて、頑張りすぎちゃって……時々、すごく疲れちゃう」
ストローを指で弄りながら、結衣はポツリポツリと本音をこぼした。
それは、彼女が高校時代に学級委員として、一人で重圧を抱え込んでいた頃の悩みにとてもよく似ていた。
その不器用な教え子の悩みに、ヨウの『教師の魂』が、またしても反射的に反応してしまった。
「いや、お前は昔から――」
言いかけて、ヨウはハッとして奥歯を噛み締めた。
(しまった! また『昔から』って言いそうになった! 学習能力ねぇな俺!)
「……む、昔からっていうか! なんだ、アレだ! お前は、根がすげぇ『クソ真面目』なんだろうな。教習所で初めて会った時から、そう思ってたよ」
ヨウは、ギリギリのところで軌道修正を図りながら、平然を装って続けた。
結衣は、驚いたように顔を上げた。
「……初めて会った時から? 分かるの?」
「私が無理して笑ってる時とか……ヨウちゃんって、すぐ気づくよね」
ヨウは、アイスコーヒーの氷をカラカラと鳴らしながら、単純に元教師としての長年の経験を理由にして答えた。
「まあ、人間なんてな、顔見てりゃ分かるだろ」
「顔、だけ?」
「それにお前、教習所のロビーでギャルっぽく振る舞ってるけどさ。学科の教本、付箋だらけでマーカー引いてあるし、配車券受け取る時は無意識に両手で受け取ってるだろ。そういうふとした瞬間に、育ちの良さとか真面目さは滲み出るもんだよ。だから、周りに合わせようとして一人で勝手に無理しちまうんだ」
ヨウは、教師時代に培った『生徒の些細な行動を見逃さないスキル』を存分に発揮して、結衣の目を真っ直ぐに見つめた。
「別に、無理してキャラ作る必要なんてねぇんだよ。お前はお前のままで十分魅力的なんだからさ。疲れたら休めばいいし、俺の前ではそんな無理しなくていいぞ。ありのままの結衣が、俺は好きだからな」
ヨウにとっては、かつて進路指導室で泣く生徒を励ました時と同じ、単なる『親愛の情』のつもりだった。
しかし、結衣は、言葉を失ってヨウを見つめていた。
明るいブラウンの瞳の奥が、じんわりと潤んで激しく揺れている。
「……っ」
結衣の心臓が、大きく、痛いほどに跳ねた。
(教本の付箋……配車券の受け取り方まで……!?)
(私のこと、そんなに深いところまで、ずっと見てくれてたんだ……。だから、いつも絶妙なタイミングで助けてくれる。ヨウちゃんは……私の本当の姿を、誰よりも理解してくれてる)
ドクン、ドクン、と。
胸の奥で、今まで経験したことのないような、甘く焦げるような感情が爆発した。
(かっこいい……。女同士なのに……私、ノーマルなはずなのに……)
結衣は、頬をゆでダコのように真っ赤に染め、テーブルの下でギュッと両手を握りしめた。
(私、ヨウちゃんが好きなんだ……。ううん、女とか男とか関係ない。ヨウちゃんだから、好きなんだ)
確信だった。
憧れや友情を通り越した、明確な『恋』の自覚。
結衣は、両手で自分の熱い頬を包み込みながら、俯いた。
「ヨウちゃんの、バカ……。そんな甘いこと言われたら、私……本気に、しちゃうじゃん」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん! なにもないっ!」
結衣はバッと顔を上げ、今度は無理をして作った笑顔ではなく、心の底からの、熱を帯びた、女としての艶やかな笑顔をヨウに向けた。
一方のヨウは。
(ふぅ……教師やってた頃の生徒観察の癖が、どうしても抜けねぇな。あやうく昔の話を持ち出しそうになったが、なんとか説得力のある理由で誤魔化せたぜ。結衣の悩み相談にも乗れたみたいだし、やっぱり俺は良い(元)教師だな!)
と、自分の華麗なる誤魔化しテクニックに酔いしれ、完全にトンチンカンな納得をしてアイスコーヒーを啜っていた。
***
窓の外、夕日に染まるマリーナ。
「ねえ、ヨウちゃん」
「んぁ?」
「……今度また、二人で遊びに行こうね。絶対だよ。次は私から、特別なところに誘うから」
結衣の瞳には、かつての教え子の面影はない。
一人の女性として、愛する人を落とそうとする肉食獣のような光が宿っていた。
「おう、暇な時ならいつでも付き合うぞ」
秋の夕暮れ。
絶世の美少女の皮を被った四十九歳のおっさんの、無意識に放たれる甘すぎる『華麗なる誤魔化し』が、教習所を取り巻く恋愛模様を、もはや後戻りできないドロドロの修羅場へと加速させていくのであった。




