すすきののひつまぶしと、朝里川温泉の午後
夏の北海道。太陽がジリジリとアスファルトを焦がす中、珠子の運転するスタイリッシュなCX−60は、札幌市の繁華街・すすきのへと向かっていた。
「……なぁ、祭。本当にいいのか?」
助手席に座るヨウは、後部座席から聞こえてくるアイリーンの『マツリ、オネエサマ!』という陽気な片言の日本語を聞きながら、隣の珠子越しに妻へ声をかけた。
「何が?」
「いや、昼飯。すすきのの『かど屋』って……あそこ、結構いい値段するぞ。珠子に服まで買ってもらって、昼飯は祭が出すって……」
「いいの!」
祭は、ヨウの言葉を明るい笑顔で遮った。
「陽がずっと行きたがってたでしょ。それに、珠子ちゃんには服を買ってもらったお礼もしたいし。今日は私のおごり! その分、明日からのパート頑張るから!」
「祭……お前ってやつは……」
ヨウは、妻の健気さに胸を打たれた。
ヨウと祭は、昔からすすきのにある老舗の鰻屋『かど屋』が大好きだった。
しかし、ヨウが植物状態になり、家計が火の車になってからは、そんな贅沢など夢のまた夢だったのだ。
車はすすきのに到着し、四人は香ばしいタレの匂いが漂う『かど屋』の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませー」
奥の座敷に案内され、四人はメニューを開く。
「俺は……やっぱり、ひつまぶしだな」
ヨウがメニューの写真を指差すと、祭も「私も!」と即答した。
「じゃあ、私も先生と同じもので」と珠子。
『ワタシモ、オナジ!』とアイリーン。
全員、ひつまぶしを注文した。
やがて、運ばれてきたお櫃の蓋を開けると、艶やかなタレを纏ったうなぎがぎっしりと敷き詰められていた。
「うおおぉぉ……! これだ、これ!」
ヨウの碧眼が、感動でキラキラと輝く。
彼は、迷うことなく最初から急須に入った出汁を取り、お椀によそったひつまぶしにダバァーッと豪快に注いだ。
「えっ、ヨウさん、最初から出汁をかけるんですか?」
珠子が驚いたように尋ねる。
「ああ。俺はせっかちだからな。ひつまぶしは、最初からお茶漬けにしてサラサラかき込むのが一番美味いんだよ!」
ヨウがおっさん臭いウンチクを熱く語りながら、ズズッと豪快に音を立ててかき込む。
『ヨウ、オネエサン、マネ、スル!』
アイリーンもヨウの真似をして、お櫃に直接出汁をドバドバと注ぎ込み、スプーンでガツガツと食べ始めた。
『……っ!? ヒギャァァァッ!!』
一口食べた瞬間、アイリーンは感電したように背筋を伸ばし、オッドアイをカッと見開いた。
「おい、どうしたアイリーン!」
『ウ、ウマ、ウマすぎマスゥゥゥッ!! この、甘辛い泥のソースと、泥の中で育った長虫の脂、そして温かい薬湯のハーモニー! 魔界の泥土の味とは次元が違いますぅ!』
途中から異世界の言葉に変わった熱弁に、祭と珠子が顔を見合わせる。アイリーンは、感動の涙を滝のように流しながら、まさにバキュームカーのような勢いでひつまぶしを吸い込み始めた。
「泥のソースって言うな! あと長虫ってなんだよ!」
ヨウがツッコミを入れる間もなく。
『ゴチソウサマ!』
開始わずか二分。アイリーンの前のお櫃は、見事に空っぽになっていた。
「「「早っ!!!」」」
ヨウ、祭、珠子の三人が、完璧にハモってツッコミを入れた。
「……魔王の胃袋、どうなってんだよ……」
ヨウが呆れていると、祭と珠子はクスクスと笑いながら、お茶碗に一杯ずつよそい、薬味を乗せ、最後に少しだけ出汁をかけるという、正しい手順でひつまぶしを堪能していた。
「ん〜っ! 美味しい! 味変して食べるのが一番だよねぇ」
祭が幸せそうに頬を抑える。
「はい、本当に美味しいです。祭さん、ごちそうさまです」
珠子も上品に微笑む。
「あー、食った食った! 大満足だ!」
ヨウは、ぽん、と自分のお腹を叩いた。口元を拭うその仕草と、深く息を吐く満足そうな表情は、絶世の美女の顔をしていても完全に「食後の四十九歳のオヤジ」のそれだった。
『ワタシモ、ダイマンゾク!』
アイリーンも、幸せそうに口の周りをタレだらけにしながら笑っていた。
***
昼食後。
珠子の運転する車は、札幌の街並みを抜け、小樽方面へと車を走らせていた。
クーラーの効いた車内で、珠子がバックミラー越しに微笑みかける。
「せっかく札幌まで来たんですから、帰る前に温泉でも寄りませんか? 朝里川温泉がちょうど帰り道ですし」
「温泉!」
祭がパァッと顔を輝かせる。
「いいね! 行こう行こう!」
「ああ……。俺、疲れてるのは身体じゃなくて精神なんだけどな……」
ヨウが、後部座席で遠い目をしてボヤいた。
『オンセン……魔王の城?』
アイリーンが、温泉という言葉の響きに首を傾げた。
「違う。風呂だ。でかい風呂」
ヨウが即座に訂正する。
『フロ……?』
「大きなお風呂に、みんなで一緒に入るのよ」
祭が楽しそうに言い、湯船に浸かるしぐさをしてから、みんなをぐるりと指さしてみせる。
『……みんなで? ヨウ、オネエサンモ?』
アイリーンのオッドアイが、ギラァンと怪しく光った。
「嫌な予感しかしない……」
ヨウは、再び深いため息をついた。
車は、木立に囲まれた朝里川温泉の大きなホテルに到着した。
日帰り入浴の受付を済ませ、四人は暖簾をくぐる。
当然ながら、向かう先は『女湯』である。
「うおおぉぉ……! でけぇ……!」
脱衣所を抜け、巨大な内風呂と、ガラス越しに見える岩造りの露天風呂を目にした瞬間、ヨウは感動の声を上げた。
「日本って、すごいな。この広さ、この湯量……」
感心している場合ではない。
今、この空間には、絶世の美女が四人いるのだ。
しかし、そのうちの三人(祭、アイリーン、珠子)は女性として入浴の準備を進めているが、ヨウだけは『精神的には完全に四十九歳の男』である。
(いや、待て。俺は中身が四十九歳のおっさんだぞ。女湯に入ること自体より、俺の精神的なハードルが高すぎる!)
ヨウが、入り口でタオルで身体を隠しながらモジモジしていると、祭が呆れたように振り返った。
「何してるの、陽? 早く入ろうよ」
「いや、俺の精神が追いついてないんだよ!」
「今更なに言ってんの。ほら、アイリーンも珠子ちゃんも待ってるよ」
『ヨウ、オネエサン! ハヤク、ハイル!』
アイリーンが、すでにかけ湯を終えて手を振っている。
(ヨウお姉さんって呼ばれるの、マジで慣れねぇ……)
珠子も、少し離れたシャワーの前に座りながら、チラチラとヨウの方を意識して見ていた。
「先生……」
(だから、その熱い視線で見るな! 俺は中身はおっさんなんだぞ!)
ヨウは、腹をくくって洗い場へと進んだ。
脱衣室でのことだった。
祭とアイリーンは、恥ずかしがる素振りもなく、サッサと服を脱ぎ捨てていた。日帰り入浴のため浴衣はなく、持参したラフな夏服をカゴに入れていく。
「まぁ、お前らの身体は見慣れてるからいいや……」
ヨウがボソッと呟くと。
「おいっ!」
祭から、容赦ないツッコミが入った。
「陽、私の身体は見慣れてるってのは百歩譲って許すとして、なんでアイリーンの身体まで見慣れてるのよ!」
「いやっ、これはその、異世界での戦闘訓練とか! 治療とか! 色々あったんだよ!」
ヨウが必死にごまかすように言うと、祭がプイッとそっぽを向いた。
ヨウは、機嫌を直そうと祭のお腹をポンと触った。
「おっ、祭。なんかお腹出てないか?」
「失礼ね! さっきお昼にひつまぶし食べたばかりだから、お腹は出るの!」
祭が顔を真っ赤にして怒る。
ふと見ると、隣で全裸になったアイリーンとヨウ(クレアの肉体)のお腹は、あれだけ大量の鰻を食べたにもかかわらず、ペッタンコで引き締まっていた。
「……このファンタジーボディめ!」
祭が悔しそうに地団駄を踏む。
その横で、珠子はそっと服を脱ぎながら、祭の言葉を聞いてスッとお腹を引っ込めていた。
だが、文句を言いつつも、祭は改めてヨウの全裸の身体をまじまじと見つめ、思わず息を呑んだ。
(……それにしても、美しすぎる)
透き通るような白い肌、引き締まったウエスト、そして重力に逆らって形を保つ規格外の巨乳。同性から見ても、嫉妬を通り越して芸術品のように美しい。
そして、初めてヨウの裸を目の当たりにした珠子もまた、顔を真っ赤にしながら目を奪われていた。
(先生の身体……美しすぎる……っ!)
女としての自信が揺らぐほどの、完璧なプロポーションだった。
そんな二人の沈黙を破ったのは、無邪気な元魔王だった。
『ヨウ、オネエサン! キレイ!』
アイリーンが、満面の笑みでヨウの身体を指差して褒め称えた。
「おう、お前もな」
ヨウが、照れ隠しにぶっきらぼうに返す。アイリーンのプロポーションもまた、魔王というだけあって非の打ち所がない。
そのやり取りを見て、祭と珠子がハッとして同時に声を上げた。
「あっ! ちょっと、私も言いたかった! 私が先に陽に綺麗って言いたかったのに!」
「わ、私もです! 先生、すごく綺麗だって……!」
アイリーンに先を越されたのが悔しかったのか、二人が抗議の声を上げる。
「なんだよそれ……」
ヨウは苦笑しながら、祭を見た。
「あー、祭も、お前体型変わらないな。いいと思うぞ」
「本当? えへへ、陽に褒められると嬉しいな」
祭がえへへと笑う。十年の付き合いになっても、夫からの誉め言葉は嬉しいものだ。
しかし、ヨウは祭とアイリーンの方は見ても、珠子の方だけは頑なに視線を向けないようにしていた。
それに気づいた祭が、ヨウの背中をバシッと叩いた。
「ちょっと陽! 珠子ちゃんもちゃんと褒めないとダメでしょ!」
「バカッ! 俺が珠子の身体をジロジロ見ちゃだめだろうが!」
ヨウは視線を逸らしたまま、大慌てでツッコミを返す。相手は元教え子なのだ。四十九歳の男の魂として、そんな破廉恥な真似ができるはずがない。
すると。
「……見てください」
背後から、消え入りそうな、小さな声が聞こえた。
ヨウが恐る恐る振り返ると、珠子がタオルを胸の前でギュッと握りしめ、顔を真っ赤にしながら上目遣いでヨウを見つめていた。
「先生……見てください」
小声での、恥じらいを含んだアピール。
「…………」
ヨウは、覚悟を決めてチラッと珠子の身体を見た。一七〇センチの長身で、均整の取れた美しいスタイル。若々しく、張りのある肌。
「……綺麗だよ。すごく」
ヨウが少しだけ顔をそむけながら褒めると、珠子はパァッと顔を輝かせた。
「……ありがとうございます」
珠子の頬が、温泉に入る前だというのに、すでに茹でダコのように赤く染まっていた。
***
「はぁ〜……極楽、極楽……」
ヨウは、広い内風呂の肩まで湯に浸かり、目を細めて息を吐き出した。
『……アツイ』
隣で、アイリーンがお湯を触ってビクッと手を引っ込めていた。
「普通の温泉だからな。魔界の泥風呂とは違うんだよ」
『……これほど大量の湯を、しかも熱を保ったまま湧き出させるなんて……人間はどうやって魔法陣を組んでいるのですか?』
「魔法陣じゃねぇよ。ボイラーと水道だ」
『スイドウ……?』
元魔王が、現代文明のインフラの前に完全に敗北していた。
「そういえば……先生って、昔、学校の温泉研修の時も……」
不意に、少し離れたところから珠子が声をかけてきた。
「待て。その話はするな」
ヨウが即座に遮る。
「生徒たちに、『お前ら、ちゃんと肩まで浸かれ! 十秒数えるまで出るな!』って、ジャージ姿で怒鳴ってましたよね。ふふっ」
「やめろ。今の俺に言うな。この絶世の美女の姿でそんな過去を暴露されると、いたたまれなくなるんだよ!」
「へえ〜」
祭が、ニヤニヤしながらヨウに顔を近づけてきた。
「先生だったんだぁ。陽のジャージ姿、私も見てみたかったな」
「祭まで乗らないでくれ……」
ヨウが頭を抱えていると、祭と珠子の距離がさらに縮まっていた。
「珠子ちゃん、陽って昔からこんな感じだった?」
「はい、祭さん。昔から妙に真面目で、でもどこか抜けてて……」
「おい! 本人がいるところで昔話大会するな!」
二人の楽しそうな会話をよそに、ヨウだけが湯船の中でどんどん小さくなっていく。
(なんで俺だけ、女子風呂のど真ん中で公開処刑されてるんだ……)
「先生」
「だから、その呼び方、今はやめてくれって」
ヨウが力なく返す。
「どうしてですか?」
「ここでは、俺はただの陽だからだよ。周りの客が変な顔して見てるだろうが。『あの金髪美女、先生なの?』って」
「でも、珠子ちゃんにとっては、いつまでも先生なんでしょ?」
祭が、フォローを入れるように言った。
その言葉に、珠子は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
(先生……)
珠子の胸の奥が、温かくなる。
ヨウだけが、その珠子の微かな感情の変化に気づいていなかった。
***
四人は、露天風呂へと移動した。
木々に囲まれた岩造りの立派な露天風呂に、アイリーンは完全に心を奪われていた。
『……サイコウ』
アイリーンは、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「お前、魔王時代より幸せそうだな」
『はい。魔界で血で血を洗う戦いをするより、この温かいお湯に浸かっている方が、何倍も楽しいです』
「それはそれで、元魔王としてどうなんだよ……」
ヨウがツッコミを入れていると。
アイリーンが、露天風呂の端にある、ひときわ大きく平らな岩を見つけた。
『ヨウ、オネエサン。アソコニ、スワル』
「何?」
アイリーンは、その大きな岩の上に、堂々と、かつ妖艶なポーズで腰を下ろした。
『ドウデスカ? 魔王っぽい?』
「ただの温泉客の休憩だよ! 全然威厳がねぇよ!」
ヨウの的確なツッコミに、祭と珠子がお腹を抱えて爆笑した。
***
湯上がり。
四人は、広い畳の休憩所で、持参したTシャツなどのラフな夏服に着替えてくつろいでいた。
「温泉といえば、これですよ」
珠子が、売店で買ってきた瓶の牛乳を四本、テーブルに置いた。
「おっ、腰に手を当てて飲むやつか?」
ヨウがニヤリと笑って牛乳瓶を手に取る。
「そうです」
珠子が微笑む。
『ワタシモ、ヤル!』
アイリーンも真似をして、腰に手を当てて牛乳瓶を構えた。
「せーの」
四人で一斉に腰に手を当て、瓶の牛乳をグビグビと飲み干す。
「ぷはぁーっ!」
「んっ……美味しい!」
「……なんで俺たち、こんなに息ぴったりなんだよ」
ヨウが、空になった瓶をテーブルに置きながら苦笑した。
「家族だからじゃない?」
祭が、ごく自然にそう言った。
その言葉に、ヨウは少しだけ顔を赤くして、照れ臭そうに視線を逸らした。
『ヨウ、オネエサン』
アイリーンが、空の瓶を握りしめながら、目をキラキラさせてヨウに迫ってきた。
『コレ、モウイッポン!』
「気に入ったのか? ただの牛乳だぞ」
『はい! シロイ。アマイ。ツヨイ』
「何が強いんだよ」
『キブン!』
「そこかよ!」
ヨウのツッコミが、休憩所に心地よく響いた。
***
ヨウは、休憩所の姿見に映る自分の姿を見た。今日買ったばかりの、涼しげなサマーニットと細身のデニムパンツ。
「……俺、完全に女性だな」
今更ながら、その圧倒的な美しさと、色気にため息が出る。
「今更?」
祭が呆れたように言う。
「今更だから困ってるんだよ。中身はおっさんなのに……」
「先生……綺麗です」
珠子が、ポツリと呟いた。その声には、隠しきれない見惚れた感情が混じっていた。
「そういうのは普通に言わないでくれ。反応に困るから」
ヨウが照れ隠しにボヤいていると、祭が後ろから近づいてきて、持っていたタオルでヨウの濡れた金髪をわしゃわしゃと拭き始めた。
「ほら、陽。ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「おい、やめろ祭。子供じゃないんだから」
「夫婦なんだからいいでしょ。ほら、大人しくして」
祭が自然な手つきでヨウの髪を乾かす。
その光景を、珠子は少しだけ羨ましそうに見つめていた。
(先生……)
珠子の胸が、ドクンと高鳴る。
しかし、すぐに我に返る。
(……今は、先生じゃなくて、陽さん。奥さんがいる、陽さん)
少しだけ寂しい気持ちが、珠子の心をよぎる。
その時だった。
祭が、珠子の視線に全く気づかない様子で、明るく声をかけてきた。
「あ、珠子ちゃんも乾かしてあげようか? 髪、長いから大変でしょ」
「えっ!?」
珠子が驚いて声を上げる。
「なんでそうなるんだよ、祭」
ヨウがすかさずツッコミを入れる。
「いいじゃない。はい、珠子ちゃん、こっち向いて」
祭は、全く悪気のない、純粋な優しさで珠子の黒髪をタオルで拭き始めた。
珠子は、されるがままになりながら、フッと笑顔に戻った。
(……先生のことは好き。でも、奥さんの祭さんも、なんだか放っておけないアイリーンさんも……みんな、優しくて温かい)
恋愛感情だけではない。
珠子の心の中に、『この奇妙で温かい四人の家族の一員になりたい』という、新しく、そして確かな感情が芽生え始めていた。
***
帰りのCX−60の車内。
『マタ、オンセン、イキタイ!』
アイリーンが、後部座席でご機嫌に宣言した。
「じゃあ、次は一泊旅行にします?」
運転席の珠子が、バックミラー越しに提案する。
「待て」
ヨウが嫌な予感を察知する。
「いいね! 次は絶対お泊まりがいい!」
祭がノリノリで賛同する。
「待て待て待て!」
ヨウが焦る。
『ヨウ、オネエサン。ツギハ、カゾクリョコウ?』
陽が念話でかいつまんで伝えてやると、アイリーンが、純粋な目でヨウに問いかける。
「…………」
ヨウは、沈黙した。
そして、ルームミラー越しに、楽しそうに笑う祭、珠子、そしてアイリーンの顔を順番に見た。
「うん!」
「ですね」
『ハイ!』
三人の声が見事に揃う。
ヨウは、深く息を吐き出して、諦めたように笑った。
「……まぁ、いいか」
「次は一泊旅行ですね!」
珠子が楽しそうにアクセルを踏み込む。
世界を滅ぼす魔王と、それを討伐する勇者の物語。
そんな血生臭いファンタジーの記憶は、今のヨウにはもう遠い昔の話のように思えた。
***
一方、天界の最上層「モニタリングルーム」。
壁一面の巨大モニターには、夕日に向かって走るCX−60の車内が映し出されていた。
「――はい、カーーーーットォォォォッ!!」
上級天使にしてチーフディレクターのフュジェモンが、メガホンを振り回して大爆笑した。
「ガハハハハッ! 温泉回、大成功じゃないか! 魔王の文明への敗北から、おっさんの公開処刑まで、見どころ満載だったぞ!」
「いやぁ、素晴らしいですねぇ」
最高位の女神エリシアが、肘掛け椅子で天界特製の甘いジュースを飲みながら微笑んだ。
「おっさんの魂が、少しずつこの奇妙な家族を受け入れていく過程……スポンサーの神々も『尊い』と言って投げ銭してくれていますよぉ」
「カッカッカ……」
メインカメラマンの上級天使ウレシリアが、死んだような目でファインダーを覗き込みながら、喉を鳴らした。
「女の身体になった勇者が、妻と元魔王と教え子を引き連れていく……実にいい画が撮れました。カッカッカ」
「よし! 次回は『魔王と勇者、ついに現代社会で働き始める』だ! 身分証を手に入れたポンコツ二人がどうやって稼ぐのか、カメラ五台回しっぱなしでいくぞォ!」
天界のディレクター陣の悪ノリは止まらない。
大暮ヨウの平和で安らかな日常への道のりは、まだまだ遠そうであった。




