懐旧への一歩③
「はぁ、まぁ本当に覚えていないなら良いけど」
「はい・・」
「で?あんたは?何にハマっているの?」
気を取り直し、話題を再開させる彼女。
「うーん・・古い小説探したり。とか?」
「ふーん。本好きなの変わってないね」
「え、俺、小中と本なんて読んだことなかったけど」
「そうだっけ」
え、これ怒って良いやつだよね。と思った頃には、すでに別の話題が飛んできていて、この世の不条理さに嘆きつつも、取りこぼさぬよう耳を傾ける。
「ここ最近の思い出は?」
「思い出ね・・この間歩いて行ける神社を巡ってたら、外国人に話しかけられて」
と、つい最近外国人の道案内の悪戦苦闘の出来事をまとめて話すも「神社とか巡ってんだ」と、入りの感想で終えられてしまったので、戦意喪失。
「きみは?」と聞き返すことしかできなかった。
「私はね・・」と、家事のルーティンについて話し始めたのに対し、「へー」と、こちらは気の抜けた返答しかできず。またも怪訝そうな表情を浮かべるが、その矛先は俺の反応ではなかった。
「何・・こんなに話って続いてなかった?私たち」
「いや、そんなことはないと思うけど」毎日こんな不毛な返答で帰り道が辛くなかったかだけ心配になってきた。
「古本探しとか、神社巡りとか、あんたが老けすぎなのよ」
「いや、編み物と家事の話し始める人に言われたかないね」
互いに負けじと言われ言い返しとこれまた不毛な言い合いを繰り返す。
「アウトドアなんて似合わない」と言ってきたので「インドアなきみにはできっこないもんな」と言い返す。「シチューをお米と食べるなんてありえない」と吹っ掛けられたら「じゃあ、金輪際リゾットを食べるなよ」と言い返す。あとは、「あんたとはテレビの音量とか合わなそう」とか、「時計の秒針の音も気にならない性格」だとか。「家の中でスリッパを履くことを強制してきそう」とか、そんな不毛な争いを続けている。
そういえば、意外にも喧嘩という喧嘩をしたことはなかった。喧嘩するほどの仲でもないと言うのもあるが、意見も趣味も考え方も性格も違うような自分達が、言い争いなく毎日を帰っていたことに今になって不思議に思う。
「はぁ、なんなの。さっさと負けを認めなさいよ」
「訳わからない話題と持論をぶつけてきているのはそっちのくせに」
互いに、案外負けず嫌いだということだけが、共通点だったのかもしれない。
「あんたそんな言い返す人だっけ」
「そっちこそ、案外脈絡のない話題を勢いよくぶつけてくるタイプなんだな」
「うるさい」
息を互いに整える時間。息を吸って吐くタイミングが揃うも、次第にずれていく。今日の空気は意外と冷たいのだと気管から肺へと空気の温度を感じていると、彼女もまたカーディガンの袖を伸ばす。
「毎日いたのに、知らないことだらけなんだな」と、呟いた俺に対し、特に反応を見せない彼女だった。実際よりも長く感じるその一間に、なんだか意味があるように感じ、彼女の言葉を待つ。
「毎日いたからこそ、知ろうとしなかったんでしょ。明日でいい。明日聞けばいいって」
自分の言葉に対して、的確な言葉は返って来たことに思わず、喉が閉まるような感覚に襲われる。
明日でいいや。か。
確かにな。
至って真面目に話す彼女の目は、それこそ知らない姿で、その視線は、決して俺に向けられるものではなく、ただ遠く、昔か今か未来かもわからない方向へと向けられていた。
「どんどんと変わっていくの。いろんなものが。例えば、あの十分の帰り道だって、何年も歩いた十分でも今歩いて仕舞えばきっと五分だってない。私たちを築いた数年は、十年という年月が経つだけで、届いたはずのものが届かなくなる」
「・・・・」
「そんなことを何度も経験してきたけれど。それでも、今も昔もこれからも、変わらないでいて欲しいものとか。時間とか。人とか。そんなものに浸りながら、考えながら私たちは、結局今を過ごしていくの。そしたら、たまにだけど幸せな時間をくれたりするのよ」
彼女の言葉が終える頃には、その真剣な眼差しが目尻の皺と共に柔らかくなっていて、とても見慣れた表情になっていた。
瞬きすら許されないほどに時の流れは残酷で、今という現在地も自分では見定まらない。だから、赤と黒のランドセルを揺らした帰り道を。日々一喜一憂していた帰り道を思い出しては、浸ってしまうのだろう。
それでも、確かに今俺たちは、今を過ごしている。
そして、彼女の言う幸せな時間というのは、現在地を示してくれる瞬間のことなのかもしれない。
俺よりも成績が悪かったはずの彼女に、こうも示されるなんて。
「なんか言いなさいよ。失礼なこと考えてないで」
「人の心読むのやめてね」
「本当に考えていたの?信じらんない」
いつもの怪訝な表情を想像したけど、意外にも呆れた顔に笑みも混ざっていて、どことなく大人びた表情に思わず言い返すことができなかった。
目くそ鼻くそ
って、酷い言い回しだよね




