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懐旧への一歩  作者: 北原たつき


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懐旧への一歩④

「そう言えば」とポケットに手を突っ込み、取り出した一つの新品の消しゴム。

「あんたそれ」と、すぐ気付いた彼女にも驚いたが、これがポケットに入っていることにも自分で驚いていた。

「そう、これ」

「私がお別れ会であげたやつでしょ」

「今思えば、貰う方なのになんでみんなに配っていたんだろうか」

「なんで新品で持ってんのよ」

「いつか使おう使おうで、十年このまま」

「もうこの歳で使わないでしょ」

 彼女は俺の掌から掬い上げ、消しゴム越しに空を見る。

「お別れ会懐かしいね」とその言葉に「楽しくなかったよ」そう反射的に発していた。

 彼女は、何も言わなかった気がするし「そうだね」と肯定してくれた気もする。そんなことより、自分の無意識な言葉に恥ずかしくなり、鼓膜なんて揺れている暇なんてなかった。

 消しゴムを見ている彼女を見て一つ思い出した。あの日一つ聞きたいことがあったんだ。クラスのみんなに配っていたプレゼント。みんなが鉛筆をあげていた中、なんで俺だけ消しゴムだったのか。それを、帰り道に聞けず、ないはずの明日に持ち越していた。

「ねぇ」と口を開きかけた時。ちょうど雲の間から溢れる西陽が、顔を照らし視界が明るくなる。

 思わず腕で遮る俺をよそに、そんな陽にも怯まずに向かい見つめる彼女があまりに輝かしくて、あとでいいか。と今この時間を過ごす。


 ××


 沈黙が心地良くなったタイミング。気付けば街は暮れ馴染む頃、互いになんとなくもう終わりの時間なんだと勘づいていて、その口火を切るのはいつものように彼女だった。

「じゃあ」と、聞き覚えのある言葉に胸が閉まる。

「そろそろか」

「そうだね」

 あの日、あの最後の日にも同じやり取りをした。いつもなら手も振らず別れるのに。その日だけは、ただ数秒だけ立ち止まっては、言葉も交わさずに、いつものように別れた。 

 君は、さようなら言わず。

 今日も同じようにそんな時間が来る。

「あの頃の十分にも満たないかもしれないけれど、あの頃みたいになんでもない時間が心地よかったよ」

 らしくない言葉に、よりこの時間の終わりを実感する。

「そうだな。今日喋ったことは、忘れないようにしておくよ」

「約束よ」

 彼女はそう言って立ち上がり、そのまま歩き出した。

 これで終わるのだろうか。

 あれだけ近くにいた彼女がもう遠くの存在となっていて。きっともう会うことはないのだろうと、奥底で気付いている。

 あれだけ近くにいたのに、届くはずだった距離が今また手を伸ばしても届かないところへ行ってしまう。

 そうだ。彼女に一つ聞きたいことがあったんだ。

 少し冷えた風が彼女の髪を揺らし、アスファルトを踏み締める表情はもう見えない。名前を呼び、なんとかその足を止める。

「君は今でもあの帰り道を思い出すのかい?」

 彼女は振り返り、黙ったまま、あの時と変わらない綻びを見せると、西日に吸い込まれるようにその姿を消した。


 バイバイ

 終


あとがき


 毎日続く当たり前の時間や行動。毎日続くからこそ記憶には残らないもので。例えば、家の鍵閉めたか。とか、エアコンの電源切ったか。とか。私なんかは、夜ご飯を食べたかどうかも忘れたりすることも度々。当たり前を立ち返って大切さに気づく。でも、それができる時点で、もう当たり前とは少しずれていて、もはや無意識下で行う、呼吸レベルの行動こそが、その人をその人たらしめる事象なのかもしれませんね。

 『懐旧の一歩』の『かざねと俺』。実は、短い後日談もあるにはあるのですが、少し無粋な気がするので、この二人の時間はこれで終わりでこれが全てです。

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