わからない幸せ
この物語は、十三歳(中学生)の橘スズちゃんが、パイロットとしての存在を自問しながら、平和維持組織のノヴァ日本支部の室長の青年や、パイロットたちと協力する話です。
スズはまた口角を上げて、首肯した。
「うん。このパンフレット面白いんだよ。ノヴァ日本支部の歴史とか、ウーゼに乗るパイロットの実績とか、いろいろなことが書いてあるの。結構詳しく載ってて、好きなんだよねえ」
航空機用ヘッドセットのスピーカーを通した、静かな声が聞こえた。
「スズ。それ読んでるの?」
彼女の隣席にいるユキは、赤い瞳を少し丸くした。
スズも、ヘッドホン型の航空機用ヘッドセットで話す。
「真白さん、これ知ってるの?」
ユキは丸窓を眺めている黒スーツの若い男性を、目だけで一瞥した。
「ううん。知らない。スズ。それ、パンフレットなの?」
「うん。私、知らないこと好きなんだ」
ユキは赤い瞳で、彼女を一瞥した。
「知らないことがいいこともある。それだけで、そのときはまだ、幸せに浸っていられるから」
名を呼ばれた彼女は途端に、呼吸がしずらいと感じた。それは、なぜかわからなかった。彼女はユキから逃げるように、目を泳がせた。
「私……私は幸せなんてわからない。だから、〝今は〟知らない。そんなのは、奪われたらもう、おしまいで——」
スズは息を整えた。彼女は唇を湿らせ、それから、深呼吸をする。
また彼女の脳裏に、ジジッ、とノイズが走った。
「少しでも思い出しでもしたら、ずっと苦しい思い出として、次から次にずるずると引きずり込まれていくんだよ」
沈黙は、ヘリコプターの回転翼が埋めるかと思われた。だが、その沈黙を破ったのは、アオだった。
「おしまいじゃないよ、スズ」
アオは、スズが見たことがない顔になっていた。彼は笑ってはいるが、何やらその凄みのある笑みを抑えようとしており、片手で口を覆っている。彼は、獲物を狙うような目つきで、眼前の席にいるユキを見ている。
「たとえ、絶望でおしまいでも、奪われたなら、奪い返せばいい」
しかし、アオは、はあ、とため息をつく。先ほどの凄みのある笑みを消すかのようだった。
「でも、その分、天秤は傾き、罪は重くなる。それは人間の業——大罪にさえなる」
銀色の建物が、スズの目に入った。すると、ヘッドホンのような形の航空機ヘッドセットを着けたアオが、銀色の建物に指さした。
「ほらほら、あれだよ、あれ。あれが『ノヴァ日本支部』。スズ——君がこれから、僕たちと一緒に働く場所だよ」
『ノヴァ日本支部』は、初めて会ったとき、アオが言っていたように、バベルの塔のようにそびえ立っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
スズちゃんは、みんなのことを知りたいと思いながら、ほかのみんなは、他人にあまり話せない秘密を持っていたりするので、新米のスズちゃんに話すべきなのどうなのか、そこの調整が難しいんです……。
一方、スズちゃんも、他人には話せない過去がありますので、本人も悩んでおります。
一見、優秀な登場人物でも、実はとても悩んでいたり……など、人間関係の難しさを表せられたらいいな、と思っております。




