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贈り物

第28話 贈り物


「ウォルファ、ちょっとおいで」


五月のある日。


朝の仕事を終えた月華(ウォルファ)は、春花(チュンファ)に呼び止められた。


「はい、春花様」


「お前さん、もう少ししたら一年だね」


「……はい」


月華が百華楼に来てから、もうすぐ一年。


慣れない仕事に戸惑ってばかりいた頃が、ずいぶん昔のことのように思えた。


「そろそろ新しい衣装を作ろうと思ってね」


「新しい衣装、ですか?」


「ああ。チュンホと赤い衣装を見繕ってきな」


「赤……」


月華は思わず目を輝かせた。


「よろしいんですか?」


「何を驚いてるんだい。仕事で着るものだよ」


春花は呆れたように笑った。


「ほかの子ならあたしが一緒に行くところだけど、お前さんなら生地も仕立ても自分で見られるだろ?」


「はい!」


「ただし、赤だよ。そこは忘れるんじゃないよ」


「分かりました!」


「チュンホ!」


春花が声を張ると、奥から春昊(チュンホ)が顔を出した。


「何だよ、母さん」


「ウォルファを仕立て屋に連れて行っておやり。新しい衣装を作るからね」


「分かった」


「代金は店につけておくれ。余計なものまで買ってくるんじゃないよ」


「はいはい」


「返事は一回!」


「はい!」


月華は思わず笑ってしまった。


「ほら、行くぞ」


「うん!」


春花に頭を下げ、月華は春昊とともに百華楼を出た。


⸻


久しぶりに歩く都の通りは、思っていた以上に賑やかだった。


行き交う人々。


軒先に並ぶ品物。


風に乗って漂ってくる、焼き菓子の甘い香り。


月華はあちらこちらへ目を向けた。


「そんなに珍しいか?」


隣を歩く春昊が笑った。


「だって、久しぶりなんだもの」


「勝手にどこか行くなよ」


「分かってるわ」


「本当か?」


「もう、子供じゃないんだから!」


「そうかねぇ」


春昊は楽しそうに笑いながら、月華の歩調に合わせた。


やがて二人は、馴染みの仕立て屋に着いた。


店の中には、色とりどりの生地が並べられていた。


月華は一枚ずつ丁寧に手に取り、指先で感触を確かめる。


「こちらは少し薄いですね」


「お嬢さん、お目が高い。そちらは夏向けの生地でございます」


「もう少し張りのあるものはありますか?」


店主が奥から別の反物を取り出す。


月華は光に透かし、織り目を確かめた。


春昊はその様子を黙って眺めていた。


「……慣れてるな」


「何が?」


「生地選びだよ」


「そう?」


「俺にはどれも同じに見える」


「全然違うわよ」


月華は呆れたように笑った。


幼い頃から、母の美蘭(ミラン)と一緒に仕立て屋へ出かけることがあった。


季節に合わせて生地を選び、仕立てを相談する。


それは、かつての柔莉(ユリ)にとって当たり前の日常だった。


今では遠くなってしまった日々。


けれど、指先はあの頃の感覚を覚えていた。


「あ、これ……」


月華は一枚の反物の前で足を止めた。


赤みの強い、濃い桃色。


光の当たり方によっては紅にも見える、華やかな色だった。


「こちらを見せていただけますか?」


店主が反物を広げる。


月華は胸元に当て、鏡を覗き込んだ。


「……綺麗」


「お似合いですよ、お嬢さん」


「これにします」


隣で見ていた春昊が首を傾げた。


「……これ、赤か?」


「赤よ」


「桃色に見えるけど」


「赤みの強い桃色だもの。赤でしょう?」


「母さんは赤って言ってたぞ」


「だから赤を選んでるじゃない」


「……そうか?」


「そうよ」


月華は涼しい顔で答えた。


春昊はしばらく反物を眺めていたが、やがて肩をすくめた。


「まあ、お前に似合ってるならいいか」


「ふふ、ありがとう」


採寸と仕立ての相談を終え、二人は店をあとにした。


⸻


「そういや、ずっと姜家の三男坊、来てるな」


帰り道、春昊が何気なく口を開いた。


「ヒョンジュン?」


月華はすぐに顔を上げた。


「うん。ヒョンジュンが会いに来てくれるの」


「分かってるよ」


春昊は苦笑した。


「名前を聞いただけで嬉しそうだな」


「ふふ、だって嬉しいもの」


「はいはい」


春昊は呆れたように笑った。


「そういや、あいつはいくつなんだ?」


「もうすぐ十八歳よ」


「十八? お前と同い年か」


「うん。小さい頃からずっと一緒なの」


「へえ。そりゃ長い付き合いだな」


「そうね」


月華は懐かしそうに微笑んだ。


春昊は少し考えてから尋ねた。


「誕生日には何か贈るのか?」


「……ううん」


月華は小さく首を振った。


「外には出られないと思っていたから、何も用意してないの」


「そうなのか?」


「でもね、ヒョンジュンが言ってくれたの」


月華の表情が柔らかくなる。


「私と一緒に過ごせるなら、それだけで十分な贈り物だって」


「……あいつらしいな」


「ふふ、そうでしょう?」


春昊は小さく笑ったあと、少し考えた。


「なら、せっかく町まで出てきたんだ。何か贈り物でも探していくか?」


「……いいの?」


「衣装も決まったしな。少しくらいなら構わないだろ」


「ありがとう、チュンホ!」


「はいはい。ほら、行くぞ」


月華は嬉しそうに春昊のあとを追った。


⸻


二人が立ち寄ったのは、装身具を扱う小さな店だった。


髪飾りや簪、帯に下げる飾りなどが、所狭しと並んでいる。


「男の人への贈り物って、難しいのね」


月華は品物を眺めながら呟いた。


「今までにも贈ってきたんだろ?」


「うん。でも、こうして急に選ぶとなると……」


幼い頃から、賢俊とは毎年誕生日を祝ってきた。


贈り物を交換するのも、二人にとっては当たり前のことだった。


けれど、今年は違う。


もう、尹家のお嬢様として贈り物を選ぶことはできない。


それでも、賢俊の喜ぶ顔が見たかった。


「何か身につけられるものがいいな……」


「だったら、髪留めはどうだ?」


春昊は店先に並ぶ品物へ目を向けた。


いくつか手に取って確かめてから、一つの銀の髪留めを持ち上げる。


「なあ、月華。これはどうだ?」


「どれ?」


春昊の手には、細身の銀の髪留めがあった。


飾りの部分には、翼を大きく広げた一羽の鷹が彫られている。


「男に贈るなら、鷹だろ」


「……鷹?」


月華はその髪留めを見つめた。


銀色の翼。


風を切るように広げられた羽。


その姿を見た瞬間、遠い日の記憶がよみがえった。


⸻


まだ、二人が幼かった頃。


姜家の当主、正勲(ジョンフン)は鷹狩りを好んでいた。


賢俊は父について出かけることが多く、柔莉も時折、一緒に連れて行ってもらった。


その日も、二人は並んで空を見上げていた。


「ユリ、見てごらん」


賢俊が空を指さす。


一羽の鷹が、青空を滑るように飛んでいた。


「あっ! ヒョンジュン、見て! すごく速い!」


「うん。あの子は父上の鷹の中でも、特に速いんだよ」


鷹は大きく翼を広げ、風に乗って遠くへ飛んでいく。


柔莉は夢中になって、その姿を追いかけた。


「……風みたい!」


「風?」


「うん! ねえ、あの子、パラムって呼んでもいい?」


賢俊は少し考えてから、にっこり笑った。


「いいよ。じゃあ、僕たちだけの名前だね」


「うん! 二人だけの秘密!」


柔莉が嬉しそうに笑うと、賢俊も笑った。


二人はいつまでも、青空を飛ぶ鷹を見上げていた。


⸻


「……月華?」


春昊の声に、月華は我に返った。


「どうした? 気に入らなかったか?」


「ううん!」


月華は慌てて首を振った。


「これがいい」


「ん? もう決めたのか?」


「うん。これにする」


月華は銀の髪留めを大切そうに受け取った。


「……すごく、いいものを見つけてくれたのね」


「そうか?」


「うん!」


春昊は不思議そうに髪留めを見た。


「まあ、気に入ったならいいけどな」


月華は店主に包んでもらうよう頼んだ。


春昊が代金を支払う。


「あとでお前の取り分から引いとくぞ」


「うん。もちろん!」


「衣装は店の金だけど、こっちは別だからな」


「分かってるわ」


月華は嬉しそうに包みを受け取った。


「ありがとう、チュンホ」


「俺は選んだだけだぞ」


「それでも、ありがとう」


春昊は少し照れくさそうに笑った。


「……どういたしまして」


⸻


百華楼へ戻る道すがら、月華は何度も手元の包みを見つめていた。


「そんなに嬉しいのか?」


春昊が尋ねる。


「うん!」


「まだ渡してもいないのに?」


「ふふ、そうね」


月華は包みを胸元に寄せた。


「でも、きっと喜んでくれると思うの」


「そりゃ、あいつなら喜ぶだろうな」


「うん」


春昊は笑いながら、月華の隣を歩いた。


どうして鷹の髪留めがそれほど嬉しいのか、彼には分からなかった。


けれど、月華が幸せそうにしているのなら、それでよかった。


月華はもう一度、包みを見つめた。


――パラム。


あの頃、二人だけでつけた名前。


賢俊は、まだ覚えているだろうか。


きっと、覚えていてくれる。


そう思うと、自然に笑みがこぼれた。


もうすぐ、賢俊の十八歳の誕生日。


今年もまた、あの人の笑顔を見ることができる。


月華は小さな包みを大切に抱えながら、春昊とともに百華楼への道を歩いていった。

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