↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/30

救世主

第27話 救世主


五月の柔らかな陽射しが、都の通りを照らしていた。


允浩(ユンホ)は人々の行き交う道を歩きながら、昨夜読んだ記録のことを考えていた。


瑞華(ソファ)との戦。


港を確保するために進められていた作戦が、直前になって王城への進軍に変わったという話。


古い記録を調べても、その理由は分からなかった。


軍のことなら、もっと詳しい者に聞くしかない。


そう考えた允浩が向かったのは、兵曹だった。


⸻


兵曹の一室では、数人の役人が書類に目を通していた。


その中で、若い男が机に向かって筆を走らせている。


林 志成(イム・ジソン)。


二十三歳。


十六歳から兵曹に勤め、今では後輩から仕事の相談を受けることも多い。


父親は兵曹の高官だったが、志成自身はそれを鼻にかけることもなく、誰に対しても気さくに接する男だった。


「林様、お客様がお見えです」


声をかけられ、志成は顔を上げた。


「ん? 誰だ?」


「允浩様とおっしゃる方です」


「ユンホ?」


志成は筆を置いた。


「おお、通してくれ!」


しばらくして、允浩が部屋へ入ってきた。


「お久しぶりです、ジソンさん」


「おう! 久しぶりだな!」


志成は嬉しそうに笑った。


「元気にしてたか?」


「はい。ジソンさんもお元気そうですね」


「見ての通りだ。仕事は山ほどあるけどな!」


志成は机の上に積まれた書類を指さした。


「それにしても珍しいな。お前がここへ来るなんて」


「お仕事中にすみません」


「いいって、いいって。ちょうど一息入れようと思ってたところだ」


「……その割には、随分お忙しそうですけど」


「気にするな。書類は逃げない」


「増えたりはしませんか?」


「……それを言うな」


志成は大げさに肩を落とした。


允浩は思わず笑った。


昔から変わらない。


志成はいつも、こうして人を笑わせる。


年上ではあるが、允浩にとっては気兼ねなく話せる友人の一人だった。


「それで? 今日はどうした?」


志成は向かいの席を勧めた。


「わざわざ兵曹まで来るなんて、何かあったんだろ?」


允浩は腰を下ろした。


「少し、聞きたいことがあるんです」


「俺に?」


「はい」


志成は面白そうに笑った。


「珍しいな。医術のことなら、俺に聞いても何も分からないぞ?」


「医術のことではありません」


「じゃあ、何だ?」


允浩は少し間を置いてから口を開いた。


「瑞華との戦で、聞きたいことがあるんです」


「……瑞華?」


志成は首を傾げた。


「また随分と昔の話だな」


「何か覚えていませんか?」


「覚えてることはあるけどな。俺もあの頃は十七だったし、まだ分からないことだらけだったぞ」


志成は腕を組んだ。


「それで、何が聞きたいんだ?」


「当時、景和の軍は瑞華の港を確保する予定だったんですよね?」


「ああ、そう聞いていたな」


「それが、突然王城へ進軍するよう命令が変わったそうなんです」


「……王城?」


志成の眉がわずかに上がった。


「港より先に、か?」


「はい」


「へえ……」


志成はしばらく考え込んだ。


「俺が聞いていた話じゃ、港を押さえるのが先だったはずだけどな」


「やはり、そうなんですね」


「ただ、俺が知ってるのはその程度だぞ。あの頃はまだ下っ端だったし、上の連中が何を決めていたかなんて知らない」


「そうですか……」


允浩は小さく息をついた。


「でも、どうしてそんな話を?」


志成が尋ねた。


「お前、前から師匠のことを調べてただろ? それと関係があるのか?」


允浩は少しだけ目を伏せた。


尹 仁救(ユン・イング)。


かつて自分に医術を教えてくれた師。


先王を殺害した罪で捕らえられ、獄中で亡くなったとされている人物。


志成は、允浩が今も仁救について調べていることを知っていた。


だが、その死に疑問を抱き、真実を探していることまでは話していない。


「……まだ、分からないんです」


允浩は静かに答えた。


「ただ、少し気になる話を聞いたので」


「ふうん」


志成はそれ以上、追及しなかった。


「まあ、お前が気になるっていうなら、何か理由があるんだろうな」


「すみません」


「何で謝るんだよ」


志成は笑った。


「昔からの仲だろ?」


允浩は顔を上げた。


「……ありがとうございます」


「礼を言うには、まだ早いぞ」


志成は椅子にもたれ、天井を見上げた。


「しかし、王城への進軍命令か……」


しばらく考えたあと、ぽんと手を打った。


「ああ、そうだ!」


「どうしました?」


「父上に聞けばいいんじゃないか?」


「お父様に?」


「ああ。俺が知らないことでも、父上なら大体の事情は知ってるかもしれない」


允浩は少し驚いた。


「よろしいんですか?」


「何が?」


「そんな昔の戦のことを、わざわざお尋ねしても……」


「別に構わないだろ。聞くだけなんだから」


志成はあっさりと言った。


「もっとも、父上だって何でも知ってるわけじゃないけどな」


「それでも、ありがたいです」


「ただ、一つ問題がある」


「問題、ですか?」


「ああ。父上は今、都にいないんだ」


「そうなんですね」


「仕事で地方へ出ていてな。確か、戻るのは三日後だったはずだ」


志成は指を折りながら数えた。


「うん、三日後だな」


「では、その頃にまた伺っても?」


「もちろん。父上には俺から話しておくよ」


「ありがとうございます、ジソンさん」


「だから、礼はまだ早いって!」


志成は笑った。


「何も分からないかもしれないぞ?」


「それでも、聞いてみなければ分かりませんから」


「そうだな」


志成は頷いた。


「じゃあ、三日後。またここへ来いよ」


「はい」


允浩が立ち上がると、志成も席を立った。


「それにしても、久しぶりに顔を見せたと思ったら、戦の話とはなぁ」


「すみません」


「だから謝るなって!」


志成は允浩の肩を軽く叩いた。


「今度は用事がなくても遊びに来いよ」


「ジソンさんがお忙しくないときにします」


「それじゃ、いつまで経っても来られないだろ!」


二人は顔を見合わせて笑った。


⸻


兵曹を出ると、午後の陽射しが通りを照らしていた。


允浩はゆっくりと歩き始めた。


三日後。


志成の父親に会えば、何か分かるかもしれない。


もちろん、何も得られない可能性もある。


それでも、昨日まで手がかりのなかった調査に、小さな道が開けたような気がした。


允浩は振り返り、兵曹の建物を見上げた。


「……ジソンさんには、いつも助けられてばかりだな」


そう呟くと、自然に笑みがこぼれた。


三日後の約束を胸に、允浩は診療所へと足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。