月の髪飾り
第十七話 月の髪飾り
翌日。
朴 世俊は。
姜家を訪れていた。
「賢俊は?」
門を入って。
顔見知りの使用人に尋ねる。
「お部屋にいらっしゃいます」
「ありがと」
もう。
何度も来ている家だ。
案内されなくても。
場所は分かる。
世俊は。
慣れた足取りで。
賢俊の部屋へ向かった。
「賢俊」
返事を待たず。
戸を開ける。
「いる?」
「……いるの見れば分かるだろ」
部屋の中で。
姜 賢俊は。
書物を読んでいた。
「何だよ」
「いや」
世俊は。
勝手に部屋へ入る。
勝手に座る。
昔から。
そうだった。
姜家へ来て。
賢俊の部屋へ入り。
くだらない話をする。
柔莉が。
まだ。
賢俊の婚約者だった頃も。
世俊は。
この家へ。
何度も来ていた。
けれど。
一度も。
柔莉に会ったことはなかった。
正確には。
会わせてもらえなかった。
「一回くらい婚約者に会わせろ」
そう言うたび。
賢俊は。
決まって。
「嫌だ」
と言った。
理由を聞けば。
「お前だから」
それだけ。
女好きの友人に。
自分の婚約者を会わせたくなかったらしい。
だから。
世俊は。
柔莉の顔を知らない。
そのくせ。
名前だけは。
嫌というほど知っていた。
賢俊が。
何度も。
何度も。
話していたから。
ユリが。
ユリは。
ユリと。
顔も知らない女のことを。
世俊は。
昔から。
よく知っていた。
「昨日さ」
「うん」
「百華楼行ったんだけど」
「…………」
賢俊の。
目が。
書物から離れた。
妓楼の名を聞けば。
必ず。
反応するようになった。
この三月で。
そうなった。
「百華楼?」
「ああ」
「どこにある」
「待て待て」
「最近入った女は?」
「だから待てって」
世俊が。
呆れた顔をする。
「お前、最近それしか聞かないな」
「いいから」
「分かったよ」
世俊は。
昨日のことを思い出した。
雪華の部屋の前。
空になった盆を持って。
立っていた少女。
「三月くらい前に入った子がいる」
賢俊が。
書物を閉じた。
「歳は?」
「十七」
「元は?」
「両班だったらしい」
賢俊の。
指が。
止まる。
「名前」
「月華」
「…………」
知らない名前。
けれど。
妓楼へ入れば。
それまでの名を。
使わなくなることもある。
「どんな子」
「どんなって……」
世俊は。
腕を組んだ。
「綺麗だった」
「それじゃ分からない」
「俺に女の説明させたら長いぞ?」
「いいから」
「髪は黒くて」
「みんなそうだろ」
「肌が白くて」
「それも分からない」
「注文多いな」
「他は?」
世俊が。
考える。
昨日。
何を見た。
何を話した。
「……ああ」
一つ。
思い出した。
「変わった髪飾りしてた」
「髪飾り?」
「ああ」
世俊が。
自分の頭の横を。
指で示す。
「月の髪飾り」
賢俊が。
動きを止めた。
「……月?」
「ああ」
「どんな月」
「どんなって……」
世俊が。
指で。
細い弧を描く。
「三日月みたいな。細いやつ」
賢俊の。
顔から。
表情が消えた。
「……賢俊?」
「月のほかに」
低い声だった。
「何かついてなかった?」
「何か?」
「花」
「…………」
世俊は。
昨日の少女を。
思い出した。
髪飾りへ触れながら。
月華が。
答えた言葉。
――百合です。
「ああ」
世俊が。
頷いた。
「ついてた」
賢俊が。
立ち上がった。
「何の花」
「え?」
「何の花だった」
「白い花だったけど――」
「百合?」
世俊の。
目が。
少し。
大きくなった。
「……そう」
賢俊は。
何も言わなかった。
月。
百合。
あの夜。
自分が。
柔莉へ渡したもの。
本当なら。
十七歳の誕生日に。
渡すはずだった。
婚約を。
祝うために。
渡すはずだった。
月の髪飾り。
細い月に。
柔莉が好きな。
百合の花を添えた。
あの髪飾り。
「……ユリ」
小さく。
名前が。
零れた。
世俊が。
賢俊を見る。
「え?」
「ユリだ」
「…………」
「その子」
賢俊の。
声が。
震える。
「ユリだ」
世俊は。
昨日の月華を思い出した。
賢俊の話をしたとき。
足を止めた。
三月。
妓楼を回って。
元婚約者を探している。
そう話すたび。
顔が。
変わっていった。
そして。
最後に。
尋ねた。
――その方は……何というお名前なんですか?
自分が。
答えた。
――姜家の三男坊だよ。
――姜 賢俊。
その瞬間の。
月華の顔。
「…………」
世俊は。
ゆっくり。
賢俊を見る。
「だからか」
「何が」
「あの子」
「…………」
「お前の名前を聞いたとき、泣きそうな顔してた」
賢俊の。
目が。
揺れた。
「俺の……名前を?」
「ああ」
世俊は。
そこで。
ようやく。
全部が繋がった。
三月前。
突然。
妓楼へ連れていけと言い出した友人。
何軒回っても。
遊びもせず。
ただ。
一人の女を。
探し続けていた。
その女が。
昨日。
目の前にいた。
「……お前さ」
世俊が。
呆然と呟く。
「俺に一回でもユリの顔見せてたら、昨日の時点で分かったんだけど」
賢俊は。
世俊を見る。
「…………」
「何年も姜家に来てるのに、頑なに会わせなかったよな」
「…………」
「『お前だから嫌だ』とか言って」
「…………」
「三月探してた女、昨日俺の目の前にいたんだけど」
賢俊は。
ほんの一瞬。
黙った。
そして。
「お前に会わせたくなかったんだから仕方ないだろ」
「まだ言う!?」
「女好きだから」
「友達の婚約者に手出すほど節操ないわ!」
「今それどうでもいい」
「お前が言い出したんだろ!」
賢俊は。
もう。
世俊を見ていなかった。
上着を掴む。
「百華楼」
「え?」
「場所教えて」
「今から?」
「今から」
「いや、待て」
「三月待った」
その一言で。
世俊が。
黙った。
「三月」
賢俊が。
上着を握りしめる。
「探した」
一軒。
また一軒。
知らない妓楼へ入った。
そのたび。
聞いた。
十七歳くらい。
元は両班。
最近。
ここへ来なかったか。
違う。
また。
違う。
何度。
その答えを。
聞いただろう。
それでも。
探した。
――見つからなかったら?
――見つかるまで探す。
あの夜。
自分で。
そう言ったから。
「……やっと」
賢俊の。
声が。
震えた。
「やっと、見つけた」
世俊は。
しばらく。
友人を見ていた。
そして。
立ち上がった。
「分かった」
「場所だけ教えて」
「俺も行く」
「何で」
「俺が見つけたんだから最後まで付き合う」
「別にいい」
「よくない」
「邪魔」
「三月探すの手伝った友達に言うことか?」
「早くして」
「はいはい」
世俊が。
戸へ向かう。
賢俊も。
その後を追う。
その途中。
世俊が。
ふと。
振り返った。
「賢俊」
「何」
「あの子」
少しだけ。
笑う。
「お前が探してるって知って、嬉しそうだったよ」
賢俊の。
足が。
止まった。
「…………」
「泣くの我慢してた」
世俊は。
それだけ言って。
先に歩き出した。
賢俊は。
しばらく。
その場に立っていた。
そして。
自分も。
歩き出す。
今度は。
探しに行くのではない。
会いに行く。
三月前。
別れた。
尹 柔莉に。
百華楼で。
月華と。
呼ばれている。
あの人に。
会いに行く。




