雨の日の爆発
6月に入った。
その日は朝から大雨だった。
これで3日連続の雨だ。
華の髪はごわごわとした太い癖毛で、普段でもなかなかうまくまとまらないのに、雨となるとさらに膨張してしまう。
前髪も横も後ろも、朝家を出た時とはまるで違う方向を向き、何倍ものボリュームになる。
傘を差しても濡れてしまう雨の中、小春庵にたどり着き、スタッフルームの鏡で自分の姿を見た時、華は絶望した。
小さい頃から既に雨の日はいつもこうだったけど、この素敵な店の中でこんな自分の姿を見ると、特に気持ちが沈む。
エプロンをつけてフロアに出ると、しゃがんで作業していた藍子が明るく
「おはよう華ちゃん」
とにっこり微笑んで立ち上がり、肩にかかった髪を軽く手の甲で払った。
ストレートの長い綺麗な髪はサラサラと華奢な背中に流れた。
手を洗う藍子を見ると、指先まで白くて細くて綺麗だ。
華は無言で立ったまま、強い怒りが沸き上がってきた。
雨にも、こんな自分にも、こんな容姿に産んだ母にも、目の前の美しい藍子にも。
春子が来る。
「おはよう。6月になったからまた小春スペシャルのフルーツが変わったのよ。バナナは同じ、あとは『羽賀桜桃』っていうさくらんぼと、『白沢姫』っていう桃ね。両方とも石尾県産よ。桜桃っていうのは桜と桃って書くんだけど、さくらんぼの正式名称なの。大粒の綺麗なさくらんぼよ。で、何と言っても桃の白沢姫が、もうびっくりするくらい美味しいの。私たちはもう食べたから、華ちゃんもあとで試食してみてね」
「…ありがとうございます…」
華は無愛想に低く答える。
白沢姫?まるで藍子さんみたいな名前じゃん。食べたくないわ。
最近ヒカルのアドバイスの通りエレガントに振る舞おうと気をつけていた努力も台無しになって、今日は荒々しい動きになる。
ワッフルを包むワックスペーパーはうまく包めずいびつになり、カフェオレは運びながら中身がこぼれる。
雑に拭いてふきんを洗うと周りの床には水が飛び散り、華のエプロンもびしょぬれになった。
さっきカフェオレを作った時の牛乳が置きっぱなしになっており、藍子が静かに冷蔵庫に戻すのが見えた。
はぁ、とため息をつくと藍子が
「どうしたの?何かあった?」
と心配そうに聞くが、
「いいえ、何も」
と低く答える。
使ったペーパータオルを丸めてゴミ箱に投げたが、外れて床に落ちてしまった。藍子が拾って捨てる。
「さすがに職場ではゴミ投げるのはやめとこうか。お家ならオッケーだけどね」
「…はい…すみません…」
お客様は誰もいなかったけれど、藍子の注意は小声だった。
きっと華がゴミを投げたことが春子に聞こえないように配慮してくれたのだ。
華はやり切れない思いだった。
そこへ源田が納品に訪れる。
「いやぁえらい雨で道も混んで大変だったわ。雨は嫌だねー」
とタオルで頭を拭き、
「しかしアイちゃんはいつも通り美人だなぁ。雨でブルーになってたのが一気に元気になるよ。目の保養だね」
と大きな声で笑った。
春子が奥から出て来て
「もう、源さんは調子いいんだから」
とあきれる。
源田は全く気にせず、
「ところでアイちゃんはここのワッフル3つの中ではどれがいちばん好きな味?」
「私はほうじ茶です」
「へぇ。旦那さんや息子さんは?」
「息子も2人ともほうじ茶ですね。でも主人はそもそもスイーツを食べないんです」
「旦那さん食べないの!?へぇ〜。じゃあオレ今日アイちゃんオススメのほうじ茶ワッフル3つ買うから包んでくれる?」
「ありがとうございます」
源田は支払いをし、藍子が綺麗にワックスペーパーで包んで紙袋に入れる。
それを源田に渡すと、源田はそのまま藍子に返し、
「はい、これ誕生日プレゼント。この前免許の更新するって言ってただろ?誕生日近いんだろなと思って」
「えっそんな会話から!?いいんですか?ありがとうございます」
藍子はびっくりしながら受け取った。
春子は、
「源さんは美人の情報はしっかり収集してるのねぇ。それをちゃんとプレゼントにつなげてるのが素晴らしいわ。しかも私のワッフルをプレゼントに選んでくれて私も嬉しい。私からもありがとう」
源田は嬉しそうに帰っていった。
華はやりとりの間も無言で立っていた。
ムシャクシャは留まることなくどんどん増幅していく。
髪も心も爆発しそうだ。
最近は気をつけて箱に入れていたクレジットカードの控えも、今日はその辺に放り出したままで、藍子が拾い集めて整理するのを黙って見た。
藍子は何も悪くないのはわかっている。でも腹が立つのは止められない。
藍子が退勤したあともイライラは収まらないままで、春子が気にしてチラチラ見ているのはわかっていたが、どうしようもなかった。
ああ、これでは面接の時の春子さんとの約束が守れない…。
華は自己嫌悪に陥りながらもムスッとしたままだ。
唯一の救いは、大雨のせいでお客様が非常に少なかったことだろうか。
華のいつもより無愛想な接客を受けたお客様がかなり少なかったのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。
閉店時間になった。
「華ちゃん、今日は調子が悪そうだから、片付けは私が1人でするわ。もうお帰りなさい」
「…はい。お先に失礼します」
華が下を向いたまま店を出ていく後ろ姿を、春子は心配そうに見送る。
華はどうやって帰ったのかもわからないほどだった。
電車には乗ったのだろうか。傘は差したのだろうか。
びしょ濡れの状態で家にたどり着くと同時にベッドに突っ伏し、堪えていたものが一気に崩れるように、大声で泣いた。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




