小春庵の一員
雨はさらに2日間続いたが、その翌日には何とかやんで曇り空になり、久しぶりに傘なしで出かけることができた。
今日は華の勤務日だ。
さすがに前回のことを2人に謝らなきゃと思いながら重い足取りで出勤すると、藍子がいつも通り明るく
「おはよう華ちゃん」
と声をかける。
「おはようございます」
作業台を見ると、今まで使っていたクレジットカード控え入れの箱の代わりに、針にプスプスと刺して保管できる伝票ホルダーが新しく置いてあり、台座の木の部分には可愛らしいワッフルの絵が描かれている。
華の視線を見て藍子は、
「今までだとカード控えを箱に入れて重しを乗せてたでしょ?あれだと両手使わないといけないし、箱も浅くて飛び散る時もあって、みんなやりにくいなと思ってたのよね」
藍子は新しい伝票ホルダーに控えを刺して見せながら、
「これだと片手で刺せるから簡単でしょ?前のはヒカルちゃんも面倒って言ってたし、春子さんに相談して新しいの買ってもらったのよ」
華は、藍子が自分のことは全く責めずに、みんなが等しく面倒だったというふうにしてくれていることに、ちょっぴり胸が痛んだ。
でもまだ素直には謝れずに、
「いいですね、使いやすそう。それにちょうど台座にワッフルの絵もついてるんですね、このお店にピッタリ」
「あ、その絵は私があとからウッドバーニングで入れたの」
「ウッドバーニング?」
「木に電熱ペンで字や絵を描くものなんだけど、あれ、言ってなかったかな?私の作品、いくつかお店に置いてもらってるの」
「え!?そうだったんですか!?」
「ドアの外に置いてる看板でしょ、注文カウンターのところにある木のプライス札でしょ、あとはえーと、そうそう、ヒカルちゃんの提案でお手洗いのドアにぶら下げた札とかもね」
華は改めて店内をぐるりと見渡す。
春子が出てくる。
「華ちゃんおはよう。このプスプス刺すの、使いやすくて私も気に入っちゃった。前のやつよく飛び散ってたもんね。それに藍子さんのワッフルの絵も可愛いし、変えて良かったわ」
春子は華に向かってにっこり微笑む。
「これからもやりにくいものはどんどんみんなに意見出してもらって変えていくから、華ちゃんもぜひ意見ちょうだいね。小春庵の一員なんだからね」
華の心が温かくなっていくと同時に、申し訳ない気持ちも膨れていく。
「…ありがとうございます。でも…もともとは私がいちばんガサツで散らかしたりしてたのが原因ですよね。本当にすみません」
「そんなことないよ。みんなの一致した意見だっただけよ」
「全然気にしないでね」
春子と藍子は口々にそんな言葉をかけ、自分の場にそれぞれ戻っていった。
ただただ自分が悪かったのに、みんな優しく受け入れてくれている。
華は涙が出そうになったが、一生懸命こらえた。
その日はいつもの何倍も気をつけて丁寧に仕事をした。
出したものはきちんと片付け、ゴミももちろん投げずにゴミ箱に入れる。
カード控えをきちんとホルダーに刺す度に可愛らしいワッフルの絵が目に入り、気持ちも和んだ。
「藍子さん、お店の外のあの看板まで作るってすごいですね」
「私はオープニングスタッフとしてオープン直前に雇われたのよ。最初は春子さんの手描きの薄い看板だったんだけど、割れてきたから、私が申し出て分厚い木の丈夫な看板を作らせてもらったの。ウッドバーニングは趣味で習っていたことがあったから。そして私が字と絵を入れたものに防水や日焼け防止加工してもらって、今も看板として使ってもらってるの」
「そうだったんですね。最初に春子さんが描かれた看板はどうなったんですか?」
藍子は壁を指さす。
「額に入れて壁に飾ってあるのよ」
春子が厨房から会話に入る。
「私は薄いベニヤ板に油性ペンで書いた臨時の看板なんてもういらないって言ったんだけど、藍子さんがこれも思い出に置いといてほしいって言ってくれてね。もう割れてきてたんだけど、額縁でカバーしてるの」
華は壁まで歩いていって眺めた。
「さすがに客席側には飾らずに、スタッフの作業場の壁にしたけどね。木の枠を選んだ理由は、わかるでしょ?ほら、下の部分に藍子さんのウッドバーニングで店名とオープンの日付を入れてもらったのよ」
藍子も華に並んで眺める。
「これは春子さんと私の合作っていう感じで、私が今まで文字入れした中でも特別に思い入れがあるんです」
「…素敵ですね」
ここに「小春庵」と書かれた板が飾ってあるのはもちろん知っていた。
でも地味であまり目を引くようなものではないし、今まではその意味も知らなかった。
今改めて春子の即席の手書きの看板を見てみると、素敵なワッフル店をオープンしようと全力でがんばり、走り回る春子の姿が浮かぶようだ。
それを包む木枠に刻まれたウッドバーニングの店名を見ると、春子と藍子の絆がキラキラと眩しくて、華はしばらく夢中で眺めていた。
「藍子さん、次に何か作られる予定はあるんですか?」
「今は思いつかないけど、何かリクエストがあれば作るわ。何かあるの?」
「たとえば『今月のフルーツ』っていう木の札を作ってもらって、そこに私が羊毛フェルトでフルーツを作って置かせてもらうとかはどうでしょうか。私、小学生の頃から羊毛フェルトが好きで、よく作ってたんです。バナナとかブドウとか、リンゴも作ったことあります」
藍子は驚き、
「え!華ちゃんすごい!そんなの作れるのね。小春スペシャルのフルーツ、今はホワイトボードに書いてるだけだものね。立体の方がわかりやすそうだわ」
春子も厨房から出てきて、
「華ちゃんそれは素晴らしいわ。その技術を持ってるのもすごいけど、アイデアもすごい。ぜひ藍子さんと華ちゃんで合作を作ってほしいな。材料費は私が出すから、2人ともあとでレシートをちょうだいね」
「承知しました!じゃあ先に華ちゃんにフルーツを作ってもらおうかしら。だいたいその大きさを見てからそれに合わせて私が木の札を作ることにしていいですか?」
トントン拍子に決まって華はむしろびっくりし、
「え?本当にいいんですか?でも作るのすごく久しぶりなんです。何年ぶりかなぁ。完成度はあまり期待しないでもらえると嬉しいです」
恥ずかしそうに言う。
「ひとまず今月のフルーツ、バナナとさくらんぼと桃を作ってみます。メニューのところに置けるようにできるだけ小さい方がいいですよね」
華は人に見せるようなものが作れるかなぁと心配しながらも嬉しかった。
自分も小春庵の役に立てることがあった。 藍子と合作でフルーツの札を作るなんて、本格的に小春庵の仲間になったと実感が沸いてきて、心がほんわか暖かくなる。
その日家に帰ると華は実家の母に電話をかけた。
「もしもしお母さん?」
「あら華ちゃん、どうしたの?」
「私が小学生の頃によく使ってた羊毛フェルトの道具、私の部屋から探し出してこっちに送ってくれない?」
「いいけど、どうしたの?」
「バイト先に私の羊毛フェルトの作品を飾ってもらうことになりそうなの」
「え!?それは大変な出世ね」
「出来上がったらお母さんにも写真送るわ」
「楽しみだわ。じゃあ探して出来るだけ早く送るわね」
「段ボールに入れるわよね?ついでに空いてるスペースになんか美味しいもの入れてね」
「はいはい。商店街の和菓子も入れるわね」
華はワクワクしながら電話を切った。
相変わらず日替わりで気持ちはアップダウンを繰り返し、落ち込んでは立ち直るのがエンドレスに続いている。
でもそんな中でも華は確実に少しずつだが成長していた。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




