引継
翌週、華が小春庵に出勤すると、カウンターの上には数枚の紙がホッチキス留めされたものがあり、表紙には「引継書」とあった。
「引継書…!」
春子が出てくる。
「華ちゃんおはよう。それね、藍子さんが引継書を作ってきてくれたの。朝の準備から販売の流れ、機械の使い方なんかをWordでまとめてくれたのよ」
「すごいですね…」
ポイントが丁寧にわかりやすくまとめられており、コーヒーマシンや食洗機、クレジットカード端末などの扱い方には手描きのイラストや写真なども挿入されている。
藍子が、
「でも私遅番のことが分からないから、後片付けのこととかは何も書いていないんです。それは春子さんか華ちゃんにお願いしてもいいですか」
「じゃあ続きは私が書きます!」
華が張り切る。
「それじゃ私のUSBを華ちゃんに渡すから、続きを打ってきてもらえるかしら?」
「承知しました!」
「藍子さんと華ちゃんで引継書を作ってくれるなんて助かるわ。ありがとう」
「いえいえ。あ、そういえば新しいバイトさん決まったそうですね」
「1人だけね。あと最低でも2人は欲しいからまだまだ募集中よ」
そこで藍子がためらいがちに口を開いた。
「あの、春子さん。ちょっとここのパートに興味を持ってる人がいるんですけど」
「あら、どういう方?」
「長くなるんですけど、まず先週のことから話しますね。この前佐藤さんに誘われて保護猫活動の会に参加して…」
「え!?佐藤さんってお客様の!?どういうことですか!?」
華が遮り、藍子が保護猫関係で偶然会った経緯を手短に説明した。
「…それで佐藤さんご夫妻、うちの家族、会長さんなど、総勢10人で集まったんですけど、実は佐藤さんの奥さんと仲良しになっちゃったんです」
「えー!?」
「私より10歳以上年下の40歳なんですけど、私の若い頃に何となく似ていて、何だか妹みたいな親近感が湧いちゃって。向こうもお姉さんみたいって懐いてくれてるんです」
「それは相当な美人さんね」
「私よりひと回り小さくて何倍も可愛くした感じです。めちゃくちゃ人懐っこくてよく喋って」
「そんな可愛い人いるのね。もう、佐藤さんったら…」
「で、子猫の世話のことを教わりながらたくさんお喋りしたんです。奥さん、麗花さんっていうんですけど、ずっと専業主婦と保護猫ボランティアでお仕事はされていなくて、でもそろそろ働きたい気持ちもあるんですって」
「ふんふん」
「小春庵の募集のことを話したら、考えてみると言ってました。ここのワッフルも佐藤さんがよく買って帰るからしょっちゅう食べてるし、大好きなんですって。それが1人目で…」
「え!?2人目もいるの!?」
「はい、そちらもまだ不確かなので言わないでおこうかと思ってたんですけど、まだ検討の段階として聞いてくださいね」
「うん、雑談としてね」
「息子のお嫁さんが1人で先に新居で暮らし始めてるんですけど、ご近所の主婦さんともうお友達になって、その方もパートを始めたいと思ってるらしいんです。社会人になってわりとすぐに結婚して専業主婦になって、今24歳だそうです。佐藤さんもその方もまだ迷ってますけど、もし決心したら自分で応募してくると思います」
「なるほどね、それは有望なお2人ね」
「もし結局2人とも応募してこなかったら、期待だけさせてすみません。本当は言わないつもりだったのに言っちゃいました」
「ありがとう。ぜひ心を決めて応募してきてほしいわね」
「藍子さんがいなくなったら寂しいけど、もし藍子さん関係の人が来てくれるのなら寂しさもちょっと減りそうですよね」
と華が言うと、
「私も応募してくれることを祈ってます」
と藍子が言い、春子は人員確保の希望が出てきてホッとした表情になった。
お客様が入って来られたので話は中断し、華が注文を聞いてお会計をし、藍子が包んで手渡すのを繰り返す。
「ありがとうございました」
お辞儀して見送ると、藍子の退勤時間になった。
藍子はレジのチェックをしたあと、
「お先に失礼します」
と退勤ボタンを押したが、その後また春子と華は藍子のそばに集まってきた。
春子は先ほどの引継書を手に取り
「それにしても藍子さんはWordも使いこなせるのね」
と感心したように言う。華は
「本当ですよね。イマドキの大学生ならパソコンできないと授業受けられないけど、お母さん世代はできないイメージでした。うちの母なんかスマホすら苦労してますよ」
春子が、
「藍子さんって大学の専攻は何だっけ?」
「国文学科です」
「へぇ!それは納得なような、意外なような…」
華も、
「国文学科にも英文学科にも見えますね。英語もペラペラだし」
藍子はエプロンを外しながら、
「中学から大学まで一貫校の女子校だったんですけど、クラスの半分が帰国子女だったんです」
「半分って多いわね!」
「帰国生は休み時間に雑談するのも英語混じりだったから、私もある程度は英語も使ってて、その頃は今より英語力はあったとは思います」
「めちゃくちゃインターナショナルね」
「ただ、私の英語は文法カッチリだから、くだけたネイティブの言い方は使いこなせないままでしたね」
「それだと帰国生とそうじゃない人は仲良くならないとかはないんですか?」
「それはそうでもなかったかな。言ってることはわかるから、向こうが英語で話してきて、こっちが日本語で答えるとかでも全然会話は成り立ってたんですよね」
「入り混じっても平気なのね」
「帰国生の子が家でテレビ見てて、たまたまリモコンに手が当たったのか、吹き替えからいつの間にか英語に変わってたけど全く気づかなくて、いつ変わったんだろ?ってあとから思ったって言ってました」
「へえ!じゃあ完全なるバイリンガルは入ってくる言語はどっちでも関係ないのね」
「最終的な概念は同じってことですね」
華も感心して、
「それなら言葉は関係なく仲良くなる子がなるって感じかもですね」
「そうね。仲良し6人組も、3人が帰国生で3人が国内生だったわ」
「国際結婚する人も多いの?」
「どちらかと言うと多いですかね。高校のクラスだと、アメリカ人と2人、カナダ人1人…」
藍子は指を折って数え、
「6人だから、クラスの7分の1ですね。あと日本人と結婚して海外に住んでる人も多いです。日本にいない人が多いから同窓会は長い間していなくて、SNSで繋がってる感じですね」
「なるほどねー。でもその環境でも英語の方に流れていかずに国文学を極めるのがかっこいいわね」
華も、
「私もすっごく思います。また日本の古来の伝説とか教えてほしいな」
と、お願いするように手を合わせる。
藍子は、
「そうね、国生みの話とかも面白いわよ。また話しましょうね」
「絶対、また教えてくださいね!」
藍子は帰って行き、春子と華はそれぞれの持ち場に戻っていった。
藍子が退職しても、仕事がよくできる他の人は見つかるかもしれない。でもこんな風に藍子と仕事の合間に話をしたり、ちょっとした知識を教えてもらったり、そんなことはもうなくなってしまう。そう思って、春子は寂しさが募った。華も同じく、楽しかったけど寂しい、というような複雑な表情になっている。
でも悲しんでいても仕方ないので、春子はワッフルを焼くのに集中し、華はお客様が入ってくると切り替えてにこやかに応対した。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




