休み明け
華は3日間実家で過ごしてから白沢に戻り、久しぶりに小春庵に出勤した。
「おはようございます」
「華ちゃんおはよう」
「春子さんお休みいただいてありがとうございました。これ、実家の母からです。皆さんでどうぞ、って。実家の近くの和菓子屋さんのなんです」
「ありがとう。あら自分で包むタイプのもなかね」
「皮には今年の干支が描かれてるんです」
「お正月らしくて嬉しいわ。あとでいただきましょうね」
春子は藍子と一緒に嬉しそうにしばらく眺めたあと、スタッフルームに置きに行った。
その間に藍子が
「華ちゃん、お休みの間に常連の大山さんが来られたんだけどね、息子さんも連れてこられたのよ。で、その息子さんが、今日は上園華さんはいないんですかって。お知り合いなの?」
「え?大山さんの?…あっ、あー!大山伸一くんですか?来たんですか!?」
「うん。同じ大学っておっしゃってたんだけど」
「そうらしいんです。でも1回落とし物を拾ってもらったことがあるだけで、その時しか会ったことないから別に友達とかではないんですけど。連絡先も知らないし」
「あら、そうなのね。じゃあまたお店に来られるか、大学で会うかもしれないわね」
「そうですね」
華は存在をほぼ忘れかけていたけれど、あの大山伸一か。お父さんと一緒に来店したとは…。お母さんは怒らなかったのかな。勝手な想像をしてクスクス笑う。
その姿を見て藍子もクスッと微笑んだ。
見られていたとわかって華は慌てて通常モードの顔に戻って仕事に取りかかる。
お正月休みも明け、翌週の連休との間の平日なので、お客様はかなり少なく、春子もワッフル製造の手を止めて厨房から出てきた。
「藍子さんこの前ヒカルちゃんに飛梅伝説のこと教えてあげたでしょ。あれヒカルちゃん喜んであのあとも珍しくはしゃいでたわ」
華が
「えっ何ですか?飛梅伝説って」
と聞くと、春子が
「庭の梅が菅原道真を追いかけていって太宰府で咲くやつね」
と言う。華は
「え?」
とキョトンとなり、藍子は
「めちゃくちゃ簡潔ですね」
と脱力して笑った。
春子は、
「今度ヒカルちゃんに聞いてごらんなさい。喜んで詳しく教えてくれるわ」
「じゃあ飛梅伝説は今度ヒカルさんに聞いてみます。でも私も藍子さんから何か教えてほしいなー」
春子も
「私も」
と言うと、藍子は少し考え、
「そうねぇ。安倍晴明とその母『葛の葉』の伝説もすごく好きなんですけど、ご存じですか?」
2人とも首を振る。
「どんなお話?」
藍子はチラッと外を見てお客様が来ないのを確かめてから、話し始める。
「昔、信太の森に住むキツネのお姫様「葛の葉」が、狩人に追われて、安倍保名という男の人に助けてもらうんです。葛の葉は人の姿に化身して、ケガをした保名の手当てをします。ケガが治ってからも2人は一緒にいて、恋人どうしになって、そして可愛い男の子が生まれるんです。それがのちの陰陽師、安倍晴明」
2人は静かに聞き入る。
「幸せすぎて葛の葉はつい気が緩んで保名に本当の姿を見られてしまうんです。
『恋しくば尋ねきてみよ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉』
という和歌を息子に残して、泣く泣くキツネの世界に帰って行く、そういう伝説なんです」
藍子は静かな声で話し、2人はしんみりとして息をついた。
「悲しいけど美しい伝説ね」
「うちの長男の名前は『晴弥』っていうんですけど、『晴』は実はちょっぴり安倍晴明を意識してつけました。3月弥生の晴れた日に生まれたっていう意味もあるんですけどね」
藍子はそこにあったメモ用紙に漢字を書きながら話す。
「そうなのね。じゃあ藍子さんは葛の葉さんね」
「一応葛の葉みたいな優しいお母さんを目指してはいます」
「次男さんはなんていうお名前なんですか?」
「『朔弥』よ。長男が7歳になる直前に生まれて、サクヤっていう音を先に長男が決めたんです。字はあとから私たちが決めたんですけどね。同じく3月弥生生まれで、『朔』っていうのは『始まり』っていう意味なんです。3月1日生まれなのでぴったりかなと」
「そういえばついたちのことを『一日』って書かずに『朔日』って書くこともあるわよね」
「はい。『朔日詣り』とかもありますよね。あと、月の満ち欠けで、新月っていう意味もあります」
「わぁ、名付けのエピソード、素敵ですね」
「あと私が名付けたわけじゃないけど、長男の彼女さんの名前が『紅葉』ちゃんなんです。私は百人一首が好きなんですけど、紅葉という言葉が百人一首にはよく使われているから、なんだか嬉しくて。菅原道真の百人一首にも『紅葉の錦神のまにまに』って出てくるでしょう」
「すごい繋がりですね。古典文学一家って感じ」
「名字が百人一首の『村雨の露もまだ干ぬまきの葉に…』の『村雨』ですからね。でも残念ながら長男も彼女も理系で、文学は私が個人的に好きなだけなんですけどね。次男も理系ですし」
「あらら。旦那さんは百人一首は?」
「坊主めくりだけです。『村雨』って主人の側の名字なのにね」
「あららー、もったいないですね」
「その分藍子さんが1人で4人分ぐらい古典の知識も興味も持ってそうだけどね」
3人は笑いながらそれぞれの持ち場に戻っていった。
華は、ここ数日だけでも藍子の小春庵以外での姿をずいぶんたくさん知ることができたようで、嬉しかった。藍子と話しているといくらでも新しい発見がある。今年もたくさん藍子さんと一緒に勤務して、たくさんお喋りしたいな。食器を洗いながらもそんなことを考えて、1人で微笑んだ。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




