ドネーション
華と夢子は早速翌週の平日に栄牧場に遊びに行った。
7月も下旬でもう大学の授業も終わっていたので、美味しいソフトクリームを食べたり、牛の乳搾り体験で大はしゃぎしたりして、思う存分楽しむことができた。
次の小春庵の勤務日、華が店の前に着くと、ちょうど春子が庭でミントを摘んでいた。
「おはようございまーす」
「華ちゃんおはよう。早速栄牧場に行ったんだってね。サカちゃんから報告メッセージが来てたわ」
「そうなんです。サカちゃんさんにも、お父さんにもお会いしました」
「お父さんも素敵な方だったでしょ」
「はい!で、この牛さんのクッキーおみやげです。スタッフルームに置いておきます」
「ありがとう。休憩でいただくわね」
8月に入った初日だったので、小春スペシャルのフルーツはまた新しくなっていた。
今月はバナナの他に『白沢小玉』という白沢産のスイカと、宮崎県産の「サンエッグ」というマンゴーだ。
それに合わせて華も今日羊毛フェルトの作品を持ってきている。
スイカもマンゴーも、丸ごと1個のものと切り分けたものの2種類ずつを作った。
スイカの黒い縞模様やマンゴーの格子状に切り分けた感じがうまく表現できて気に入っていた。
「おはようございまーす」
羊毛フェルトのフルーツを手に持ち、張り切ってフロアに出ると、そこには小柄で華奢なショートヘアの女性の後ろ姿があった。
え、誰?
その人が振り返り、
「おはよう華ちゃん」
と言う。
「ええー!!!」
華は叫んだ。
なんと藍子が髪をバッサリ切っていたのだ。
「切ったんですか!?あんな綺麗な長い髪を!?」
「実はヘアドネーションしたの」
「ヘアドネーション?」
「小児がんなどで髪を失った子どもたちのウィッグを作る機関に寄付したのよ。31cm以上あれば寄付できるんだけど、ずいぶん伸ばしてたから40cm切ったの」
絶句している華のところに春子も庭から戻って来て、
「ショート似合ってるわよね。美人は何でも似合うわ」
「もう春子さんやめてください」
藍子は笑う。
「でも念願のドネーションが出来て満足しました。これからは当分ショートにします」
「やっぱりロングは大変?」
「そうですね、トリートメントとか日焼け対策とか保湿とかが大変で。あごから先の髪は自分じゃなく誰かのものだと思ってケアしてたんですけど、最後の半年ぐらいは結構しんどかったです。解放されてホッとしてます。もう寄付できないのは申し訳ないんですけどね」
春子はニコニコうなずきながら聞いている。
華は藍子からは何回も衝撃を受けてきたが、今回もドカンとすごい衝撃だった。
あの綺麗な美人の象徴のような髪が、癌の患者さんのウィッグを作るために伸ばしていたものだったなんて。
もし自分があんな髪の持ち主だったら、サラサラの髪をなびかせて、ほら見て、綺麗でしょと自慢するように歩き、バッサリ切って寄付するなど夢にも思わないかもしれない。
絶対手放したくないような気がする。
それを藍子はいとも簡単に手放し、楽になったと喜んでいる。
「鏡見るたびに違和感とかないの?」
春子が聞くと、
「それが自分の写真をAIでショートに加工したのを美容師さんに見せて、こんなふうに切ってってお願いしたので、完全にその通りになったんですよ。切った日の帰り道にガラスにちょっと映る顔を見ても、あ、この顔ね、って感じで違和感ゼロでした」
「そんなやり方があるのね」
「ヘアカタログとか見せてオーダーすると、モデルの顔が可愛すぎて、自分の顔ではイメージ違いすぎてがっかりすることあるじゃないですか?AIで自分の顔をショートヘアにしたのを見せるなら、そのがっかりがないからオススメですよ」
「いやいや藍子さんならむしろヘアモデルより美人だからがっかりとかはないだろうけどさ、でもそのAIを使うやり方は良さげね。私も今度やってみよう」
春子は厨房に戻りながら、4年前に夫を癌で亡くした時のことを思い出す。
短髪の男性とはいえ、抗癌剤治療で髪を失うのは辛そうだった。
小さい子供達が病と闘うことを想像するだけでも胸が痛むが、髪が抜けてしまう姿を思い浮かべると涙が出そうになる。
そんな子供達に藍子が提供した髪を使ったウィッグが贈られたら、きっと笑顔を取り戻すことだろう。
春子は温かい気持ちで仕事に戻った。
華はまだ衝撃が収まらず動揺している。
ドアが開き、納品業者の源田氏が入ってくると同時に、挨拶も忘れて藍子のショートヘアにのけぞって驚いた。
「アイちゃん!切ったの!?」
春子が出てくる。
「源さん大丈夫?気失わないでね」
「いやーショートも似合っててビックリだよ。また十歳ぐらい若返ったんじゃない?」
藍子の周りをぐるりと一周し、藍子は苦笑する。
「でもアイちゃんの髪あんなに綺麗だったのに、ちょっともったいない気もするよな」
と言うと、藍子は
「全然もったいなくないですよ。次はさらにもっとショートにしようかしら」
と耳のあたりに手を当て、春子と源田は揃って
「えー!」
と叫んだ。
華は衝撃からなかなか復活できず、自分の気持ちもよく分からなくて言葉に表せなかったので、1人だけ無口だった。
あの6月の大雨の日、自分のひどい姿とは正反対に美しくサラサラの髪の藍子に嫉妬し、当たり散らして落ち込んだことを思い出す。
あの時とは全く違って、怒りや嫉妬はなく、むしろ尊敬、圧倒という感じで、マイナスな感情ではない。
しかし衝撃が大きすぎて受け止めることができない。
接客はそこそこ普通にこなしたつもりではあるが、口数は少ないまま、その日は退勤した。
駅までゆっくり歩きながらもまだ考える。
私が嫉妬して大泣きしたあの美しい髪を、藍子は惜しみなく、見知らぬ子どもに提供した。
切ったからと言って華のようなゴワゴワの癖毛になるわけではなく、また綺麗な髪は伸びてくる。
とは言え切ったのは40cmだ。伸ばすには4年ぐらいかかっただろうか。
毎日お風呂上がりにも朝起きたときにも丁寧にケアし続けて4年間。
私が14歳、中学生の頃から伸ばしてたってこと?他人のために?
藍子は外見だけでなく内面も美しい。それは春子もヒカルも言っているし、自分も心からそう思う。
でも今日はそれを真正面からドカンと見せられたようで、なかなか消化できなかった。
家に着き、ちょっと落ち着いてから夜に親友の夢子に電話してみることにした。
夢子は主婦の話になると、なんだオバサンじゃん!となるので、50代という年齢は伏せ、バイト先にヘアドネーションした先輩がいて衝撃を受けたという話にしておく。
「その人、4年間も伸ばした綺麗な髪を、40cmも、会ったことない病気の子どもに寄付したんだよね。もう私、衝撃すぎて。毎日人のために自分の髪をケアして、ある日スパッと切ってためらいもなく提供するなんて」
「なるほどねー、それでショック受けたのね。うちら2人ともキョーレツなくせ毛だし、確かにそれは想像もつかないなぁ」
「でしょ」
「でもきっと毎日ずっとずっと他人のためだけに綺麗な髪をキープしてたわけじゃないんじゃないかなぁ。4年間の中には、巻き髪やハーフアップやお団子を楽しむ日もあったり、可愛いヘアアクセサリーにときめいて買う日もあったり、きっとその人自身の楽しみもたくさんあったんだよ」
「そうなのかな」
「きっとそうよ。最後にはスパッと切って寄付したとしてもね」
「そっか…」
「私が高校生の時、友達がボランティア部に入ってて、車椅子の人の散歩のお手伝いしてたのね。毎週毎週車椅子を押す係して大変だなぁって私は思ってたんだけど、その子は、散歩する道や公園に、季節ごとに桜が咲いていたり、セミやカブトムシがいたり、イチョウが綺麗だったり、あとお散歩の犬と顔馴染みになったり、自分自身の楽しいことがいっぱいあったんだって。それに車椅子の人やそのお母さんと話すのもすごく楽しくて、自分の親に言いにくい相談も聞いてもらったりしてたらしいの」
「そうなんだ。ボランティアって聞いたら自分を犠牲にして尽くしてるようなイメージだけど、自分の楽しみもあるのね」
「そうなの。相手に喜んでもらえるっていう楽しみの他にも、純粋に自分にとっての嬉しいこと楽しいこともあるからこそ続いたんだって」
「そっか」
「その髪を寄付した人も、4年間も犠牲にして寄付した超善人!みたいにドン引きするような感じじゃなくて、楽しい毎日を過ごしながら最後には寄付したってことなんじゃない?」
「そうか、そうよね」
「どうせ華は衝撃受けて固まって無口になって帰ってきたんでしょ。そりゃその人が素晴らしいのは事実だけど、大きくとらえすぎたり、自分にはできないってショック受けたりしなくていいと思うよ」
「そうよね、ありがとう」
「まあうちらみたいな髪質良くない者にとっては衝撃ではあるけどね。でもまあ素晴らしい人がバイト先の先輩にいて、感謝〜ぐらいに思っとこうよ」
「うん、そうする」
「私は華のそういう、すぐに大ショック受けて放心したり、アドバイスを素直に受けて元気になったり、みたいな純粋なところが好きだよ」
「えー何それ、でもありがとう。夢子に電話して良かった」
「また明日大学でね」
「おやすみ」
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




