06. 波笛神社の掃除
ことのぎにて昼食を終えた僕たちは、波笛神社へ到着した。
……そういや、ちゃんとこの神社の敷地に入るのはこれが初めてかもしれないな。
勿論学校までの通学路で何度も通りかかってはいるが、特に用もないので入る理由も必要もなかったからだ。
「外から見たらなんてことない神社だけどさー。中入ってみたら、結構赴きあって良くない? 東京にこんな荘厳な神社、無かったっしょ」
「ああ。屋敷神の皆が郷の守り神だって崇める理由が分かるな」
中に入ってみると、改めて不思議な感覚に襲われた。
古びた本殿に石の灯籠。
どれも特別珍しいものではないのだが…雰囲気も込みで神聖なもののように思える。
まるでこの場所だけ、時間の流れが違うような。
そして神木に取り付けられたライブカメラも、不思議なことに今ではあまり気にならなくなっていた。
こうして近くで眺めていると、案外風景に馴染んでいるようにも思える。
郷の人間たちが言うように、神様と一緒にこの郷を見守ってくれている……そう考えれば納得できる気もした。
「んじゃ、始めますか~! あたしは本殿内の掃除するから、キイチは神木周りをお願いね~」
「おう。任せてくれ!」
通常の神社なら、本殿の掃除などは神主さんが担当するものだろう。
しかしこの波笛神社では、郷全体で神社を守っていくという方針の下、そういった役職の人間は不在だ。
公的な手続きや管理自体は旧家が行っているようだが、基本的には郷民全体での共同管理である。
境内の隅にある古びた物置から、箒やら軍手、ゴミ袋を取り出して掃除へと取り掛かる。
「……祭りとかイベントの時は賑わうって聞いたことがあるけど、寂しいくらい人気がないもんだな」
神社内は驚くほど静かで、風に舞う落ち葉と箒の音だけが辺りに響く。
竹箒を使い、参道へ散らばった落ち葉をゆっくりと掃き集めながら、僕は何となしに神木のライブカメラへと視線を向けた。
『殆どジジババしか通らねぇこんな場所の映像なんて、誰も見ねぇっつうの!』
ふと…祥太郎の言葉が頭に過る。
たしかに、ただひたすら郷の平和な風景を映し出しているライブ映像を見る人間は殆どいないだろう。
きっと今も、視聴者数は一人か二人くらいだと思う。
それどころか誰も見ていない可能性がある。
…そんなことを考えていると、ふと僕の中に悪戯心が湧いてきた。
「えー、ゴホンゴホン。…全国の皆さん、おはようございます。本日も波笛神社は快晴です。空気は澄んでおり、本日も素晴らしい一日が始まりそうですね!」
竹箒をマイク代わりに握ると、僕は神木のライブカメラに向かって口を開いた。
一度やってみたかった、ニュースキャスターごっこである。
「ただいま私は波笛神社の境内を掃除中でございます。皆様、応援のほどよろしくお願いいたします!!」
…一体僕は何をしているんだろう。
言い終えてから、自分で自分の馬鹿らしさに苦笑いする。
「……よし、掃除掃除。サボってたら秋葉に怒られちまう」
ライブカメラの前でそう呟き、再び落ち葉の山へと竹箒を向けた。
その時――突然落ち葉を揺らす音と人の気配がし、僕は慌てて振り返る。
「あのー、お兄さん。いま誰に向かって喋ってたんすか? 周り……誰も人いないっすよねー」
「うおおっと!? ああいや、別に誰に対してってわけじゃなくて…」
そこには――僕より頭一つ小さい背丈の女性が立っていた。
年齢は、二十代後半くらいだろうか。
肩口で跳ねる金色のウルフヘアに、どこか気の抜けた垂れ目の女性。
カメラに向かって一人で喋っていた僕を、彼女は好奇の目で見つめている。
「怪しいものではないです……。僕は屋敷神郷に教育実習で来ている、都内教育大学の四年生、杉谷喜一です」
「へぇ~。外から来た人なんすね。それに、こんな田舎に教育実習で? 益々変な人っすねー」
彼女はふああっと欠伸をしながら、小さくそう呟く。
一体彼女は何者なんだ……。
この郷の人間なのだろうか。
「あの。あなたは一体……? 屋敷神郷の方ですか?」
「ああ、違うっすよ。ジブンは隣の村。青喜原の人間っす。田舎者には変わりないけど」
「青喜原の方でしたか。こちらには何か用事で?」
「まあそんなことですねー。青喜原村の役場で地域整備課やってます、真菅です。よろしくっす」
真菅と名乗るその女性は、僕に向かって小さく頭を下げた。
よく見ると、紺色ジャケットの胸元の名札には『地域整備課 真菅陽菜』と刻まれている。
「あは。驚きました? こんな奴が公務員なんて、びっくりっすよね~」
「え? ああいや、そんなことはないですけど……」
彼女の第一印象を一言で表すなら、お世辞にも真面目そうには見えない職員といった感じだ。
のんびりとしているというか、マイペースな雰囲気が漂っている。
「でも仕事はちゃんっとするっすよ。今日も、サボるためにこの郷へ来たわけじゃないっすからね。――ぷはーっ」
「そんな美味そうにコーラ飲みながら言われても……」
いつの間にか缶コーラを手に持っていた真菅さんは、徐にプシュッとそれを開けて一服し始めた。
変わった人だな…。
「まあ…旧家同士の話し合いが進んでない以上、様子見くらいしかすることないんすけどねー」
「え? 話し合い、ですか」
「そうそう。新道路計画についてっすね。ジブンも地域整備課としてその件を担当してるっす」
新道路計画。
ローカルニュースでたまに流れているのを耳にしたことがあるが、詳しい内容は僕も知らない。
道路計画という名前から、土地整備の話であることくらいは分かるが。
「ん。もしかしてセンセー、あんまピンと来てない感じっすか?」
「まあ、正直……。この郷に来てから日が浅いもので」
僕は正直にそう伝えた。
長いこと周辺の地域に住んでいる人からすれば、その計画は周知の事例なのかもしれないが…。
「まあ簡単に話すと。1998年ごろ……なんで、まあかれこれ十年くらい前から進められてる、勝乃木群の道路開通工事のことっすね。青喜原からこの屋敷神郷まで来るのにどれだけ不便かは、センセーも知ってるっすよね?」
「え。ああ…たしかに、引っ越しの時とかはかなり苦労した記憶がありますね……」
交通の便で言えば、屋敷神郷は最悪の立地であると言っていいだろう。
屋敷神郷と隣村の青喜原村を結ぶ道路は一本しか存在しない。
深い山を縫うように走るその道は道幅も狭く、移動するのも困難だ。
青喜原村から他県に出るには屋敷神郷を通らねばならないので、村の人達はさぞ不便であろう。
「まあ、ただ不便くらいならここまで道路計画を推し進めようっていう動きはなかったかもしれないっすけど。無理にでも整備しないといけない理由もあって、それが――」
「積雪……ですか?」
「…おー。流石センセー、頭いいっすね」
僕の回答に、真菅さんはご名答といった様子でぱちぱちと手を叩く。
この話はスイから聞いたものだ。
この郷では冬になると雪が激しく、道路が塞がれてしまうことも珍しくない。
大雪の日には、集落そのものが孤立する可能性や雪崩も危険視されていると。
「でもそれが理由なら、すぐにでもその新道路計画を始めればいいじゃないですか?」
「まあそう思うのも自然っすよね。でも、そう簡単にはできないんすよ~これが。ほんと面倒くさい!」
真菅さんは珍しく感情を表して、不満げに口を尖らせて息を吐く。
道路整備やら土地関係は色々時間を要するものだから、一筋縄ではいかないんだろうか。
「まあ確かに、費用とか景観とかのコスト面もありますもんね」
「それもありますけど。――この郷、昔から色んなもん抱えてるっすからねー」
「……え?」
彼女は相変わらず、マイペースな口調でそう呟いた。
だがその一言は、たしかに僕の心をざわつかせる。
「ま、ジブンは仕事して給料さえもらえればそれでいいんで。センセーも実習終わったらこの郷出るんでしょうし、気にしなくていいっすよ」
「え…ええ。そうですね」
…退屈してしまう程平和で穏やかな郷。それが屋敷神郷だろ?
色んなもんって……何なんだよ。
先程まで静かだった神社に吹く風が、いやに生ぬるく感じられた。




