05. ハニートーストのお歌
『おはようございます。平成20年10月25日、お昼のニュースをお伝えします。』
屋敷神郷での休日がやってきた。
昼下がりのテレビから流れるニュースは相変わらず平和なもので、特に気に留めることのない内容だ。
この郷に来てから、休日の過ごし方も随分と変化した。
東京にいた頃は昼まで惰眠を貪り、堕落した休日を送っていたものだが…。
「――おーい、キイチ~! むっかえに来たよ~!」
チャイムも鳴らさず、外からは騒がしい声が耳を突き抜ける。
窓をがらりと開けると、そこには自転車に跨る私服姿の秋葉が。
「秋葉、約束の時間まであと三十分はあるはずだろ!? 何でこんな早く迎えに……」
「えへへ。いや~、あたしも時間通りに来るはずだったんだけどさ。あまりにお腹ペコペコで、家飛び出してきちゃった!」
このおてんば娘め……。
まあしかし、その気持ちは分からなくもない。
今日、僕と秋葉は波笛神社境内の掃除当番に当たっていた。
郷の守り神である波笛神社の清掃は、この地に暮らす住民たちの使命である。
――が、僕たちが楽しみにしているものは清掃ではない。
「はっやく、はやくう! ハニートースト、ハニートーストっ!」
「はいはい…分かったよ。今準備するから待っててくれ」
神社の清掃前に、僕たちは屋敷郷内にある喫茶店で昼食を取る約束をしていた。
この郷では老舗の店らしく、秋葉たちによるとハニートーストとブレンドコーヒーが絶品とのこと。
もちろんその味も楽しみの一つであるが、僕にはそれ以上に喫茶店で楽しみなことが一つあるのだ。
それを堪能すべく、僕はパパパッと身なりを整えて家を飛び出した。
――――――――――――――――――――
自転車を走らせ、僕たちは目的地へと到着。
古びた手書きの看板には、『屋敷神郷喫茶店 ことのぎ』の文字が。
「……しかしまあ、歴史を感じるというか何というか。レトロだな」
「あはは。まあよく言えばそうだね〜」
喫茶店の外観は、お世辞にも綺麗なものとは言えなかった。
外壁の塗装はところどころ剥がれており、窓枠なんかにも年季を感じさせる傷がいくつもついている。
それでも不思議と寂れた印象はなく、周囲の古い家並みと並ぶとむしろ自然に調和していた。
「はい、いらっしゃい」
喫茶のドアを開けると、カウンターの奥で新聞を読んでいたマスターの返事が返ってきた。
ふむ…外観から想像した通りの落ち着いた雰囲気だ。
焙煎の香りと焼きたてのパンの匂いが漂う、古き良き喫茶である。
「い、いらっしゃいませえっ―!!」
「うおおおぅ――!?」
突如として店内に響き渡る大声に、思わずびくんっと肩が跳ねる。
…さっきまで感じていたような落ち着いた雰囲気なんてあったものではない。
声がした方へ目を向けると、エプロン姿のピンク髪少女が僕たちを出迎えてぺこぺこと頭を下げていた。
「百花、あんた声でかすぎ侍! お客さんびっくりしちゃうよ?」
「うえぇ…す、すみませんっ。そんなに大きかったですか!?」
「今の返事で小さいと思うのは難しいだろうな……」
「ひいいい…張り切りすぎました…」
かあっと顔を赤くし、お盆で顔を覆う百花。
聞いていた話の通り、彼女はこの喫茶店でバイトをしているようだ。
なるほど…スタイルの良さからエプロン姿もわりと馴染んでいるな。
「は~、喉乾いた。百花、あたしミックスジュースね!」
「はいっ。先生はお飲み物、どうなさいますか?」
「僕はブレンドコーヒーを一つもらうよ。それと、ハニートーストのLサイズを頼む」
「うえっ!? ハニートーストですか?」
ハニートーストという注文を聞いた刹那、百花の顔が軽く引き攣った。
ふふ…百花がこの反応になるのも、秋葉からの前情報でリサーチ済みである。
「あのぉ……他にも、美味しいメニューは沢山ありますよ? 例えばチョコドーナッツとかショートケーキとか…」
「いいや、僕はハニートーストじゃないとダメなんだ。なあ秋葉?」
「そうそう! ねえ百花、キイチはあんたが作るハニートーストがいいんだって〜」
「ふええっ――!?」
ニヤニヤとイタズラな笑みを浮かべる秋葉を見て、百花は何かを察したようだ。
「もう、秋葉! 先生に余計なことを吹き込みましたね!?」
「ん〜? そりゃあ、この喫茶店の名物を紹介しないわけにはいかないでしょうよ〜」
「うう……」
僕たちの確固たる意志を感じ取ったのか、百花は観念したといった様子で厨房の方へ戻っていく。
別に僕たちは意地悪がしたいわけじゃないぞ。
ただ、百花の勇姿をこの目で見たいだけなのだ。
そんなことを思っているうちに、厨房からふわりと甘い香りが漂ってきた。
「お待たせいたしました、ブレンドコーヒーとミックスジュースです。それと…ハニートーストです」
「おお……」
ほどなくして運ばれてきたハニートーストに、思わず目を奪われる。
白い皿の中央には、こんがりと焼き色の付いた厚切りトーストが鎮座していた。
表面はきつね色に焼き上げられ、切れ目に沿って溶けたバターがじんわりと染み込んでいる。
熱を帯びたパンからは香ばしい小麦の匂いが立ち上り、その上には真っ白なバニラアイスがちょこんと乗せられていた。
ここにもうひと手間、仕上げを加えるというワケだ。
「でも、まだこれは完成形じゃないんだよなぁ?」
「そうだよね、百花? じゃ、お歌を始めてもらおうかなぁ~」
「ふ、二人ともやっぱり意地悪です……!」
僕らにそう迫られた百花はぷくりと頬を膨らませる。
そして深呼吸の後、意を決したように蜂蜜の入ったボトルを手に取った。
「うう。そ、それではお歌の方を歌わせていただきます……」
「うむ。頼もうじゃないか、百花クン」
「…ち、小さな蜂が、ぶんぶんぶん……。はちみつたっぷり、幸せいっぱい…ことのぎ名物、ハニートースト~!♪ …ですっ……」
お盆で顔を隠すようにしながら、百花は消え入るような声でそう歌い切った。
頬はみるみるうちに赤く染まってゆき、僕達と目も合わせてくれない。
「……百花、お前」
「あうっ。ど、どうでしたか……?」
「――ブラボー!!」
「ひゃうっ!? ぶ、ぶらぼーですか?」
「いやー、天晴れだ。ことのぎの看板娘はやっぱり一味違うな」
「百花、あんた前より歌上手くなったんじゃない?」
可愛らしい歌声が妙に耳に残り、僕と秋葉は思わず顔を綻ばせる。
正直に言えば、歌の出来などはどうでもよかった。
一生懸命に歌いきった百花の姿が、僕には輝いて見えたからだ。
…やっぱり教師って職業はいいなあ。
生徒の成長を感じ取ることのできる、最高の職業である。
……まあまだ実習生なんだけど。
百花の歌のおかげか、ハニートーストは驚くほど美味しかった。




