16話 【はなさかじいさんダンジョン】
前回のあらすじ
・ひげ面の男「荷物回収できんかった」
・長瀬龍治郎「落とし前はつけろ」
翌日の放課後。
シンジから『荷物が到着した』というチャットが届いた以外は平凡な日常を過ごし、明日に控えた【はなさかじいさん】ダンジョンの探索に備えるためにも、早めに学校から帰ろうと支度を済ませる。
今日は一日中、窓際の一番後ろの席は空席だった。スカサハの黒槍が飛んできたトラウマから、あまりあの席には近づきたくないが、それでもあの席にいつものふてぶてしい彼がいないと、どこか寂しいような気がしないでもない。
そんなことを考えながらも、ユウキはタブレットの電源を入れて【はなさかじいさん】のダンジョンの資料を再度確認する。いくら2級探索者や1級の教官がいるとはいえ、無計画で挑めばダンジョンは容赦なく牙をむく。さらに、今回挑戦する予定のダンジョンは、特五級ダンジョンである。イレギュラー中の【アリババ】ダンジョンを除くと、ユウキは今だ特五級ダンジョンの探索をしたことがなかった。
__殺虫剤はまだ在庫がある。装備はいつもの装備にマスクをつけて、念のためにポーションも持っていく。買い足す必要があるのは……手袋くらいかな?
ユウキはそう考えて、そっと右手を見る。
【蛮地の赤牡牛】の探索で、ユウキは右手を火傷していた。火傷はかなり深く、応急手当のおかげで後遺症は残らなかったものの、皮膚の焼けただれは消えなかった。そのため、医療用の皮膚とほぼ見分けのつかない手袋をつけて普段の生活を送っていた。
きれいに治るなら、ぜひ手の治療をしたい。だが、現状、影響のない手を直すためだけにポーションを使うくらいなら、探索のための保険に残しておきたくなる。そんな理由のため、ユウキはずっと手袋をつけていたのだ。
そのストックがあと2枚で切れてしまうため、新しいものを購入したい。ついでに、そろそろなくなりそうな卵のパックも買い足したい。朝食は基本的に目玉焼きばかりなので、卵の消費が激しいのだ。
重火器の維持費と所得税を考えると、まあ多少の贅沢はしても大丈夫だが、継続的な探索を続けるためにも節約はしておくべきだ。
そんなことを考えながら、ユウキは教室で放課後の部活動の準備をし始めているクラスメイト達を背中に、さっさと廊下へ向かう。姉の事故や探索活動のためになりふり構わず勉強していた時期があったため、ユウキはまだ部活動には参加していなかった。そして、クラスメイト達もまた、放課後になると早々に帰宅しようとするユウキは何らかの用事があるのだろうと察していたため、積極的に部活の勧誘をしてはいなかった。
そのため、事実上帰宅部のユウキは、ふと、クラスメイト達が何か話をしていることに気が付く。
「そう言えば、須藤って探索者試験受けてたよな? 結果どうだった?」
「受かったよ。って言っても、研修受けただけで探索はまだだけど。新井田は? 確か受験したって言ってたよな」
「俺も受かった! 週末研修あるわー。部活あるからあんまり探索できないよな」
彼らはバスケ部の運動着に着替えながら、そんなことを話している。そして、思い出したように廊下に出たユウキの方を見る。
「そう言えば、長嶋君は結構探索しているって言ってなかった?」
「あー……さっき帰ったみたいだな。どうせなら探索の話とか聞いてみたかったけれども……」
足早に帰って行ってしまったユウキに、クラスメイト達は顔を見合わせる。噂では……というよりも、彼と学園の中でも飛びぬけて目立つシンジとの話を聞く限り、最低でも5つのダンジョンをクリアしているらしい。さらに、週末には昇級試験も控えているという。昇級試験を受験可能ということは、初心者では攻略の難しい特五級も攻略済みということだ。
五級帯のダンジョンは、生半可な事前準備では利益を出しにくい。本業の探索者でさえも、まともな利益を出すことができるのは四級以降であり、利益度外視で速攻四級へ上がってしまうのが一番面倒がないと言わしめている。
とはいえ、学生の身分で揃えられる金銭はたかが知れている。少ない小遣いを使って装備を整え、さらに赤字が出るとなれば、金銭支援か装備を譲ってくれる人間がいない限り継続的な探索は不可能である。
購入する装備を考えるような話をしていたユウキには、おそらく装備を譲ってくれる人間はいないはずだ。だからこそ、クラスメイト達はユウキは潤沢な資金援助を……具体的には、随分理解ある親がいるのだろうと予想をつけていた。
そして、ユウキについての話が出れば、当然気になることもある。
女子の田中は、首をかしげて窓際の空席を見る。
「そう言えば、長瀬君って、何者なの?」
「……わかんない。前に体育に参加してた時、明らかに手を抜いていたのに、学校記録抜いてなかったか?」
田中のその言葉に、つられるようにして首を右にかしげるのは、新井田である。そんな新井田の言葉に、悔しそうな表情を浮かべた須藤が体育館シューズの入った靴袋を手に取りながら口を開く。
「彼がバスケ部に入ってくれれば、全国行くのも夢じゃないけれども……でも、無理だろうね……」
靴底の溝の浅い体育館シューズは、中学校の頃から使っているものだ。杉浦学園のバスケ部は強豪な方ではない。むしろ、卓球部やバレー部の方が全国、関東に出場しているため、体育館の隅に追いやられているほうである。
だからこそ、運動神経抜群なシンジがいれば、せめて地区大会くらいは突破できるのではと思ったのだが、彼は彼で召喚獣スカサハの元での修業がある上に、基本的に部活動に入るつもりはないらしい。
須山の言葉に、新井田もうーん、と小さく唸り声をあげる。傍若無人という言葉をそのまま人間にしたようなシンジが、おとなしくバスケットボールをしている姿を想像できなかったのだ。
「そういえば、おとといのニュース見た? 草薙がまた新しいドラマ出るんだって」
「え、本当?! 私、結構草薙くんのこと好きなんだよね!」
そうして、クラスメイト達の話題は次の話題にうつっていった。
学校から帰ったユウキは、装備を一通りそろえ、両手を自由に使えるようリュックサックに詰めていく。チャットで連絡を取り合った結果、『はなさかじいさん』の探索の上限時間は3時間、それ以上の探索となる場合は、両親の迎えのある志乃は先んじて撤退することとなった。
【はなさかじいさん】に出現するモンスターは、モブに害虫と怨霊、レアモブにヒスイアゲハ、ボスに意地悪爺さんである。害虫には【害虫ダンジョン】ではボスとして出現した大百足がモブとして出現する。とはいえ、殺虫剤はきくため、そこまで警戒しすぎる必要はない。怨霊は正直、そこにいるだけというまったくもって意味のない存在である。こちらの攻撃が効かない代わりに、どうやら向こうも探索者たちを攻撃できないらしい。
そして、意地悪爺さんだが……正直なところ、二足歩行の人型というだけで、強みはほぼない。目に入ると必ず失明してしまうという特性を持った臼を燃やした灰をなげかけてはくるものの、目にさえ入らなければ問題はないため、ゴーグルをつけるなど目の保護をしてしまえば一方的に攻撃出来てしまう。ボスとしての危険度は、特5級の中でもトップクラスに低いのだ。
レアモブのヒスイアゲハは、翡翠を薄く薄く伸ばし、磨き上げたような輝きを持つ蝶で、その美しさから高値で取引されている。とはいえ、非常に素早く動き、また、羽に傷がついていると価値が下がるため、なかなか高値で売れる状態で採取するのは難しいとされている。
そのため、【はなさかじいさん】の主な収入源は、モブの害虫から採取できる魔石が中心となる。また、意地悪爺さんからは目つぶしの灰を採取できる。この灰は上手く目に当てることさえできれば、格上でも失明をさせることができる。自爆にさえ気を付ければ、大変有用な採取物であるため、そこそこな高額で取引されている。
正直なところ、目つぶしの灰は欲しいにはほしい。それでも、採取できれば100グラム1500円前後のまとまった金額にはなる。そうなると、結局話し合いをするか、ユウキ自身がその買取価格で灰を買い取る必要がある。
__まあ、探索者協会から売られている売値の方が倍以上高いし、みんなが良いって言ってくれたらその値段で買おうかな……
ユウキはそう判断して、灰を入れておくための気密性の高い瓶を用意する。万が一にでも採取した灰が目に入ってしまえば大惨事だ。現代科学でさえ説明できない不明な物体を保持しておくには、念には念を入れておくくらいがちょうどいい。
そして、リュックサックに荷物を詰め終わるころ、子ネズミのコハクが眠たそうに鳴き声を上げ、てちてちとユウキの側へ歩み寄ってきた。
「チュウ」
「あ、どうしたの?」
栄養状態がかなり改善され、つやつやな毛並みの子ネズミは、すりすりとユウキの手に体を押し付けた。小動物特有の、温度の高い毛皮に触れたユウキは、少しだけほころんだ表情を浮かべ、子ネズミをそっと撫でた。
小さくも強い脈動を指先に感じながら、ユウキは思い出したように子ネズミに話しかけた。
「コハク。僕明日、重火器講習でダンジョンに行くんだ。帰り遅くなるから、ご飯はコンラからもらってね」
そんなユウキの言葉に、眠そうにうつらうつらとしていたコハクはハッとして顔を上げ、何かを訴えかけるようにてしてしとユウキの手を前足で叩く。そして、しきりにチュウチュウと鳴き声を上げる。
その声に、ユウキは首をかしげて問いかける。
「どうしたの?」
「チュウ!」
「……もしかして、一緒に行きたいの?」
ユウキのその問いかけに、コハクは首を縦に振った。
そんなコハクに、ユウキは少しだけ顎に手を当て、考える。
正直なところ、ユウキは今回の【はなさかじいさん】ダンジョンについてきてほしくはなかった。理由はきちんとある。それは、今回の探索では、殺虫剤を多用するからである。
殺虫剤は、人体にも悪影響がある。そして、毒は量によって影響も変わってくる。特に、体の小さい子ネズミは殺虫剤の影響を受けやすいはずだ。
ユウキはうーん、と小さく唸ってから、コハクと目を合わせ、やさしい声で言う。
「その、殺虫剤を使うから、あまり健康にはよくないと思うよ」
「チュウ!」
子ネズミは首を横に振る。どうやら、大丈夫だと言いたいらしい。とはいえ、不安は全くぬぐえない。せめて、殺虫剤を吸い込まないようにどうにかするべきだ。
しばらく考え込んだユウキ。ふと、その視界にカーテンの白色の布が入り込む。それを見て、ユウキは小さく「あ」と声を上げた。
翌日。授業が終わるとほぼ同時に学校を飛び出したユウキは、子ネズミのコハクとともに【はなさかじいさん】のダンジョンへ向かう。
【はなさかじいさん】は楽鳥羽町の南西部に存在する。農機具をしまうための倉庫の扉がダンジョンへつながったらしく、ボロボロのトタン屋根と古ぼけた扉が取り付けてある。【英雄無きアルスター】騒動の時には、イレギュラーで変異していたという話は聞いたが、被害報告は特にはなかった。
かなり急いでダンジョンに向かったつもりだったが、どうやら志乃たちの方が先についていたらしい。学生服を身に纏ったままの志乃は、装備品をしまい込んでいるらしいキャスターの上に座り、紙の学校の教科書を読みこんでいた。
ユウキが近づいてきたことに気が付いた志乃は、教科書から顔を上げ、そして、少しだけ目を丸くした。
「マスクをつけたネズミ?」
「あ、はい」
その言葉に、ユウキは小さく頷く。彼の頭の上には、小さなマスクをつけたコハクが乗っかっていたのだ。
【毒は量】
別名、薬も量によっては毒になる。基本的にどんな物質でも摂取のし過ぎは即ち毒になる。物事には適量というものがある。そして、摂取の目安は体重によって決まる。
コハクの体重はハムスターとさほど変わらないくらいの重さであるため、致死量は人間の100分の1以下になる。完全なる火耐性を持つとはいえ、毒には注意すべきである。
ちなみに、有機リン系やカルバミン酸系の殺虫剤による事故死や自殺は事例として存在する。また、ペットが殺虫剤を誤食し重篤な症状に至る例もまた存在する。人間諸君はぜひ気を付けていただきたい。




