3話 一級探索者
前回のあらすじ
・日常に戻った
多少のハプニングはあったものの、月曜の授業は何事もなく終了し、あっという間に放課後は訪れる。
部活動に加入していないユウキは、大抵の場合、放課後学校に残ることもなく早々に帰宅する。
しかし、今日は実験室に用事があるため、荷物を整えたユウキはすぐに教室から出て行った。そうでもしなければ、最悪の場合シンジに絡まれ、訳もなくパシリに使われる可能性もあったのだ。わざわざ予定を組んでもらった補講の時間を破るわけにはいかない。
三階の教室から降り、一階の渡り廊下を通って二棟へ移動する。
二棟は研究室や実験室が集まっている棟であり、薬品科学系の実験室が多いため、若干病院のような薬品の匂いがしみついている。無機質な蛍光灯が照らす廊下を歩いて、ユウキはそっと第一実物理験室の扉をノックした。
「失礼します。1-Aの長嶋裕樹です」
「はいはい。さっさと入って」
割と雑な許可の言葉の後、ユウキは実験室の引き戸を開ける。
ユウキは、提示された課題の9割を終えた。残りの一割は、出席できなかった物理の実験のレポートである。高学年になると、前レポートなるものも必要になると聞くが、まだ低学年、それどころか実験自体初めてのユウキたちに、そんな無慈悲な課題は流石に提示されなかった。
物理学担当の小林先生は、実験器具の片づけをしていたのか、何に使うかもよくわからない、小さな穴のたくさん開いた金属の板でできた実験器具を棚に戻しているところだった。
高級そうな黒ぶちメガネと白衣姿の小林先生に、ユウキはぺこりと頭を下げる。
「今日はよろしくお願いします」
「忌引きとか、大丈夫?」
あっさりとされたその質問に、ユウキは一瞬目を丸くする。その表情を見て、小林先生は「すまない、言いたくなかったら良いんだ」と慌てて付け加えた。
そんな小林先生に、ユウキは苦笑いを浮かべて答える。
「あ、はい。その、ポーションで姉の容体が安定したらしくて」
「そうなのか。不躾な質問して悪かった」
「いえ、大丈夫です。実際、凄く危なかったみたいなので……」
そう言ってユウキはそっと医療用の手袋で覆った右手を見る。肌色で一見ただの肌にしか見えない手袋は、眼科に行ったときに購入したものだった。理由はあるとはいえ、片手だけ室内でも手袋をつけているというのは、存外目立ってしまうものなのだ。
三級ポーションと迅速な手術のおかげで、姉の容体は安定した。もしも三級ポーションが無ければ……もしも、あの日に探索をしていなければ、姉の命は、おそらく今の今まで残ってはいなかった。
湿っぽくなった空気に、ユウキは少しだけ慌てたように口を開く。
「すみません、実験やってしまいましょう。加速度の実験ですよね?」
「ああ、そうだな。実験試料を開いて、速やかに実験を済ませてくれ」
小林先生はそう言って、滑らかに動く滑車を用意し始める。そうして、ユウキは補講実験を進めていった。
ところ変わり、東京都旧新宿区42丁目。旧新宿区崩壊前の名残であるランドマークタワーの破片を踏みにじりながら、男は頭をかいてつぶやいた。
「どこ、ここ。【妖伏魔殿】探索してたはずなんだけど」
そう呟く短髪の男性の視界に広がるのは、瓦礫と廃墟の山。空を見上げれば雲が少しと原典不明の怪鳥が甲高い鳴き声を上げて飛び回るばかり。おおよそ、日本の光景には見えなかった。
それでも、男はその視界の中に、へし折れた電柱とその電柱にかかれた『新宿区42丁目小杉東通り』の文字を見つける。そして、この場所を把握した。
「あー……旧新宿か。第二新宿はちゃんと区の名前のところ、『第二新宿区』だもんなぁ」
男性はそう呟きながら、ポケットの中にしまっていた最新鋭の小型タブレットを取り出す。腕につけていたスマートウォッチは確か三日だったか四日だったか前に怪物に襲われてうっかり壊してしまった。
買えばそこそこなお値段のするスマートウォッチだが、特に男はソレに未練を抱いてはいなかった。どうせ、スポンサーが無料で提供してくれた装備品の一種なのだ。あれば脈拍のデータをリアルタイムで事務所に送信するらしいとの話だったが、探索で壊れてしまうなら意味はない。
全身を覆うダンジョン産素材の最新鋭プロテクターを緩め、男は小さく体を伸ばし、そして、タブレットを指でさっさと操作してマネージャーに電話をかける。
マネージャーは2コールどころか、1コールが終わるよりも早くに電話に出た。
「もっしもーし、牧田? 今すぐ旧新宿街来てもらえるー?」
『さ、さ、さ、櫻木さん!! 生きていたのですね!?』
通話口から返って来たのは、裏返ったマネージャー、牧田の声。かなり驚いていたのか、冷静さを欠いていたらしく、随分大きな声であった。
男……否、一級探索者の櫻木 廻は、やかましいと言いたげに眉を顰めながら、言葉を続ける。
「生きてるっての、いいからさっさと来てよー。ボクは今最高に気分が悪いから。ねえ聞いてよ、【妖伏魔殿】のボス、徘徊型だったんだけど!! マジないわー」
『……へ? 今なんて……い、いえ、すみません、通話共有に切り替えます! 現在行動可能な二級探索者とともにすぐに向かうので、待機していてください!』
さらりと現在までボスすら判明していなかった特級ダンジョンのボスを見つけたと言う櫻木に、牧田は声を震わせながらも、すぐに通話口の向こうであわただしく動き始めた。どうやら、今日は休日だったのか、娘に謝りながら事務所用の別通信機で車を手配する声が聞こえてきていた。
__ん? 娘に謝りながら?
櫻木はふと、家にいたらしい牧田の様子に、首をかしげる。そして、あわただしく準備をしている牧田に問いかけた。
「ねー、牧田。今日何月何日?」
『は、はい? 今日ですか? 5月18日の土曜日ですが……』
「土曜日?! やっべ、約束すっぽかした……!」
『ま、待ってください。今週末に予定なんてないはずでは?』
マネージャーの牧田は、タブレットのスケジュール表を見て、櫻木に言う。特級ダンジョンの探索のために、今週末までは仕事が入っていなかったはずなのだ。その後の予定も、特級探索で死亡する可能性も否めないため、そう多くは入っていない。それでも、たった一つ例外があった。
櫻木は、所持品の確認をしながら頭をかいて口を開く。
「重火器取り扱い講座の当番だったんだよねー。明日は参加しないとなぁ」
『む、無理しなくてもいいのですよ? 特級探索明けですし、精密検査受けないとマズいのでは……というか、そういうのはちゃんと報告してください! キャンセルできないじゃないですか!!』
「いやいや、そんなことしている暇ないって。探索協会が唯一許してくれた、新人探索者と関わらせてもらえる機会なのだよ? 無駄にするのはもったいないじゃないか」
『それだからやめてほしいのですが……』
あきれたように言う牧田に、櫻木は「は?」と凄みつつ、装備品の中で唯一無事であったナイフを一本、取り出す。ユウキも持っている、探索者協会お墨付き、銃刀法許可範囲内のナイフである。とはいえ、炊事やらちょっとしたことに使うためには便利であるため、一応持ってきていたものだった。
「野菜とか切るのに使うやつだから、あんまり使いたくないけど……まあ、いっか」
『どうしました?』
「んー? 食糧尽きたからさー、適当に焼き肉でもしようかと思って」
『は?! そ、それを先に言ってくださいよ!! 唯さん、保存食持っていきますね』
「唯ちゃんのおやつはおいていきなよー。事務所の持っていけばいいじゃん」
『事務所に寄れるような時間があるとでも思っているのですか?!』
そんなやり取りをしながら、櫻木はそっとタブレットから顔をあげる。
すると、目の前一メートルほどの距離に、筋骨隆々で単眼の巨人……いわゆるキュクロプスがそびえたっていたのだ。
身長は優に5メートルを超し、ヒトのものとはかけ離れた緑色の皮膚はまるでゴムのように分厚く、固い。額の中央についた丸く大きな目は、通話中の櫻木のことをじっと濁った色彩で見つめており、にやにやと笑んだ口元からはまるで先のとがった杭を大量に集めたかのようにギザギザとしていた。
櫻木は面倒くさそうにつぶやく。
「うーん……イレギュラーはずいぶん前にぶっ潰したから……新しいダンジョンでもできたのか?」
『?! さ、櫻木さん?! 大丈夫ですか?!』
単眼巨人……キュクロプスの唸り声が聞こえてきていたのだろう。牧田は焦ったようにそう言いながら自動車に飛び乗った。
目の前に現れたキュクロプスを前に、櫻木は特に驚くことも困惑することもなく、右手に持った短いナイフの鞘を取り払い、肩をすくめて牧田に問いかける。
「ねー、牧田。キュクロプスの肉って食えたっけ?」
『すぐに応援に向かいます!!』
「いや、食べられるかどうか聞いたんだけど……でもまあ、ぱっと見人間っぽい見た目だし、肌ヤバい色だから美味しくなさそう」
『食べないでください! すぐに食事持って向かいますから!!』
通話口の向こうから叫ぶ牧田の声。櫻木はキュクロプスを一瞥し、そして、口を開く。
「ボス個体じゃないし、モブかな? __余計に腹減って来た。まーきーたー、急ーげーよー」
そして、ナイフを鞘に戻した。
突然ナイフを鞘に戻した櫻木に、キュクロプスは彼を馬鹿にしたように笑う。知能の低いキュクロプスは、あることに、気が付けていなかったのだ。
櫻木を食い殺すため、キュクロプスは彼を握りつぶそうと巨大な手を伸ばそうとする。その時だった。
ぐちゃっ
何かが落下する、水っぽい音が響く。
哀れにも……いや、幸いにも、だろうか。低い知能が故に、何もわからないまま、キュクロプスはたった一つしかない瞳を右手に向ける。そして、そこに己の右手が、否、己の右半分が、存在しないことに気が付いた。
「???」
キュクロプスは醜い声をあげることすらできず、疑問の内に息絶える。そうだろう。理解できなくともおかしくはない。彼が持っていたのは、名刀ですらない、いや、もっとだ。玩具といっても差支えのない、短く、柔く、法律さえ許す武器とすら呼べない代物だ。
それでも、キュクロプスは確かに、そんな玩具によって両断されていた。
太刀筋すら見えず、己の死すらも知覚できぬうちに、やがて、キュクロプスはその瞳の輝きを永遠に失う。
「……つまんないの」
瓦礫の上に溢れる血の海を一瞥し、櫻木は退屈そうにつぶやく。
__そう、一級とは、そう言う次元なのだ。
人を凌駕する怪物さえも容易に屠る怪物。それこそが、探索者協会も……いや、世界さえもが認める、人外探査領域__特級ダンジョンの探索を許可された存在。ヒトとしての限界を超越し、世界を破滅に導きかねない一級ダンジョンを攻略し、それでもなお上を目指し続ける。
それこそが、一級探索者であるのだ!
櫻木は、思い出したようにバッグをあさる。そして、バッグのポケットの奥深くから、一つのチョコレート菓子を見つけた。
「あー、これ、牧田に押し付けるつもりだった、チョコレートブルーハワイ味じゃん。……これ食べるくらいなら、キュクロプス焼いて食べるほうがマシか……?」
「そんなものを私に押し付けようとしないでください!!」
肩で大きく深呼吸を繰り返し、必死に呼吸を整えるのは、国内最大級の探索者事務所『風林火山』に所属するマネージャー、牧田昭雄である。スーツにヘルメットという妙に似合わない恰好をした牧田は自動車から飛び降りると、キュクロプスの死体に小さく悲鳴を上げた。
「ビビんなよ、牧田。ちゃんと死んでるよ?」
「死んでても怖いものは怖いです!! 帰りますよ、櫻木さん」
膝をがくがくと震わせながら言うマネージャーに、櫻木は小さく肩をすくめてそっと何かを手渡す。
「じゃ、それ、食べておいて。感想はあとでメッセージに送っといてねー」
「今それ言います?!」
負傷ひとつしていない櫻木は、ひらひらと牧田に手を振って事務所『風林火山』の社用車に乗り込む。牧田の手には、例のチョコレートブルーハワイ味、しかも、チロルチョコのような小さなものではなく、大きめの板チョコレートの状態のものが握り締められていた。




