61話 まだ、死ぬわけにはいかない
前回のあらすじ
・クー・フーリン戦
・コンラが本来のコンラでないことが発覚する
・死闘の果て、朱槍ゲイ・ボルグで腹を刺された
赤色が、あたりに舞い散る。
朱槍ゲイ・ボルグは、コンラのへその少し右、鍛え抜かれた腹筋を超え、肋骨のない、腹の腑の少ない場所を貫いていた。それでも、常人ならそれだけで死んでもおかしくないような、苦痛を伴っている。
「ごふっ……!」
文字通り内臓をかき混ぜられるような、生理的な苦痛。口角から血液の交じった唾液がこぼれ、目の前に霧がかかるような感覚を覚える。同時に、己が死んだときの情景が、脳裏によぎる。
__ああ、そういや、あんときはこの槍が心臓をえぐっていたな
「……悪くない太刀筋だった。だが、あんまりにも愚直すぎたな」
クー・フーリンの、声。その声には、敵に対する敬意と、小さじ一杯の落胆が混ぜ込められている。
__畜生、畜生、畜生!!
金属と金属をこすり合わせるような音が、響く。コンラの、歯ぎしりの音だった。
決闘の勝者が決まったと思ったのだろう。観衆の戦士たちの野太い雄たけびが聞こえてくる。同時に、挑戦者を仕留めたクー・フーリンへの称賛の声も。
「殺せ、殺せ!!」
「首を刎ねろ! 頭は炙っちまえ!!」
コナハトの戦士長たちの野蛮な掛け声。クー・フーリンは、すっと目を細めると、とどめを刺すために見えないコンラの腹から、槍を引き抜こうと力を籠める。
そんな、時だった。
「……?」
狂乱する戦士たちの中。いち早く異変に気が付いたのは、ゲイ・ボルグを握り締めたクー・フーリンであった。
槍が、引き抜けない。まるで、何かにつかまれているかのような……?
そして、その次の瞬間、強烈な足払いをされた。アキレス腱のあたりからすくいあげるような蹴り上げ。完全に敵を仕留めたと思っていたクー・フーリンは、その足払いを無防備な状態で受けざるを得なかった。
「なっ……?!」
目を見開き、驚きを隠せないクー・フーリン。半死半生のコンラの反撃に、周囲の戦士たちも、小さなどよめきの声を上げた。
消えかけの、風前の灯火。
わかっている。原典をなぞっての殺傷が、想定以上に己を蝕んでいることなど。
状況は、最悪であった。父親であるクー・フーリンとのタイマンでの決闘。死力を尽くしての争いの果て、朱槍ゲイ・ボルグで腹を貫かれる。ここまで原典をなぞられると、もはや何故己が即死していないか、分からないほどだった。
……否、己が即死していない理由は分かっている。
一つ目は、己が本来の己でないこと。実力不足であるのにもかかわらず、父親が相手だからという理由で手加減をすることなど、できもしなかった。
二つ目は、朱槍が突き刺さったのが、心臓ではなかったということ。この槍が心臓に刺さっていれば、間違いなく死んでいた。……もちろん、心臓を刺されたなら、原典をなぞっていなかろうとも死んでいたのだが。
そして、三つ目は……クー・フーリンが、己の名前を、代理の名乗りを、聞いていたこと。代理とはいえ名乗り上げを聞いていたクー・フーリンは、敬意をもって挑戦者との決闘に挑んだ。それが、一番原典を破壊していた。
己の誓いが、戦う前にたてたゲッシュが、己の命をつなぎとめる。原典になぞらえられた負傷で通常よりも大ダメージを負っているとは分かっている。それでも、まだ、コンラは生きていた。
「死なねえ……死ねねえ……! 俺はまだ、クソ親父をぶん殴ってねえ……!」
唸るようにつぶやき、コンラは歯を食いしばって顔を上げる。
はやし立てる観衆の声に従い、コンラの腹から朱槍を引き抜こうとする。名残惜しさのような感情をその瞳に混ぜ込んだクー・フーリンは、おそらくコンラが動けないほどの重症を負ったと思ったのだろう。確かに、原典をなぞったその攻撃は、いくら急所を外していたとはいえ、コンラに行動不可能な大ダメージを与えていた。
それでも、彼は、生きていた。
引き抜かれそうになった朱槍を、右手でつかむ。傷口が抉れるような苦痛が、かつておのれの命を奪った朱槍の冷たい感触が、心臓に冷水をかけるような恐怖にかわる。
しかし、コンラはまだ死なない。かつて父を恨んだ幼い彼は、まだ、生きていたのだ!
「ああああああああ!!」
消えそうな意識を復讐心でつなぎ止め、引き抜けない槍に困惑するクー・フーリンの足を蹴りはらう。肉と肉がぶつかり合う、鈍い音が響いた。
完全に不意打ちを喰らったクー・フーリンは、目を丸くしてバランスを崩した。
朱槍を右手で握ったまま、コンラは左手でバランスを崩して倒れ込んだクー・フーリンの横っ面をぶん殴る。
「ぐっ……?!」
握りこんだ左拳が、クー・フーリンの横っ面を捉える。確かな反撃に、したたかな一撃に、クー・フーリンは動揺を隠せず、驚いた表情のまま、朱槍から手を放した。
「ははっ、ざまぁ、みろよ」
ゲッシュを守った時の、確かな高揚感が体に満ちる。同時に、霧のかかったような視界が、さらにぼやけて滲んでいく。
「くや、しい」
ちっぽけな復讐心が、満たされていく。ちっぽけな怒りが、収まっていく。幼い怒りが、復讐心が、溶け落ちていくのを感じた。そして、湧き上がるのが、どうしようもない悔しさだった。
父を、超えたかった。父に、認めてほしかった。
アンタの息子はここまで立派に育ったのだと。忘れていない。覚えていると。覚えていなかったのなら、思い出したのだと。言ってほしかった。
「やっぱ、俺じゃあ勝てねえじゃねえか」
幼い復讐心は満ち足りた。しかして、小さな承認欲求は、実力が足りなければ、見せつけることができなければ、満たされない。
一度でいい。父に、己の名前を呼んでほしかった。一度でいい。父に、己が息子だと認めてほしかった。母の元に一度も帰ることのなかった父を、子供だったコンラは求めていたのだ。
「ああ、悔しい、な」
闇に落ちていく意識。抜けていく力。小さな小さな復讐を果たした今、コンラには、意識を保てるだけの力が残っていなかった。
そんな時だった。
「……どういう、ことだ?」
クー・フーリンは、己を殴打したコンラの左手を、つかむ。その瞳には、確かな困惑と、同時に恐怖やおびえにも近い感情が滲んでいた。
殴られたために赤く腫れた頬をそのままに、クー・フーリンはコンラの左手に触れた。てのひら、手の甲、そして、指の付け根を触れて、ソレを、彼の手から外した。
コンラの左手の中指。そこから、クー・フーリンの手に零れ落ちたのは、金の指輪。……この指輪を、クー・フーリンは知っていた。知らないはずもなかった。ああ、そうだとも、この指輪こそ、クー・フーリンの右手の中指にはめられていた指輪なのだから!
「何で、こいつが、俺の指輪を……?」
目を白黒とさせ、クー・フーリンはコンラの左手を握り締めたまま、必死に呼びかけた。
「おい!! 答えてくれ、お前は、お前は一体誰なんだ?!」
もうすでに意識のないコンラの手を強く引き、抱き起すようにして彼の肩をつかむ。触ることはできても、見ることはできない。もしかしたら何かしゃべったかもしれないが、それを聞き取ることもできない。ただ唯一、握り締めた左手の脈拍から、見えない彼が生きていることだけはわかった。
__クー・フーリンは右手の中指だけ、指輪が付いていない。
そして、もしも、武骨なこの指輪を与えるのだとしたら、一体、誰に対してだろうか?
愛する妻? 師匠? 叔父? 否、違う。彼等に、こんなつまらない見た目の指輪を与えるわけがない! だからと言って、見ず知らずの相手に、己の所有物を与えるだろうか? それも、違う。心から愛する相手でなければ、指輪を与えるようなことないだろう。
なら、彼は誰だ?
戦士は半ばパニックになりながら、彼の左手を強く握る。握り締めた左腕の、確かな脈拍。それを感じるだけで、訳が分からないほどの愛おしさを覚える。誰だ、誰だ、誰だ?!
「頼む、答えてくれ。……声を、聞かせてくれ!!」
必死に呼びかけるクー・フーリン。だがしかし、返答は、帰ってこない。
訳が分からなかった。意味が解らなかった。何で、ここまで、つい先ほどまで敵対していた相手を愛おしく思うのか、心の底から理解できなかった。
「わかんねえ、わかんねえよ!! 誰なんだよ、お前は! 俺の息子を名乗るお前は、誰なんだよ?! 俺には、息子なんていないはずだ!! 子供なんて作った記憶がねえんだよ!!」
叫ぶクー・フーリン。そして、そんな彼をあざ笑うような、甲高い声が響く。声の主は、玉座から降りた女王メイヴであった。
「よく頑張ったじゃない、クー・フーリン。そうそう、勝者には、美酒を与えないと、ね?」
女王メイヴはそう言うと、いつの間にか右手に持っていたグラスを、クー・フーリンの顔にかける。ぴしゃりと酷い味の蜂蜜酒をかけられたクー・フーリンは、黄金の蜂蜜酒を長い髪の毛から滴らせながら茫然自失とした様子で、女王メイヴに問いかける。
「……お前、まさか、俺が戦ったこの戦士のことを、知っているのか?」
「知らないわけがないでしょう? __あらやだ、もしかして貴方、知らずに戦っていたの? 彼、貴方の息子よ?」
「そんなわけあるか!! 俺に、子供は……!!」
「ああ、そうだったわね! 確かに、貴方に子供はいなかったわね! __でもね、貴方、気が付いているのかしら?」
けらけらと笑う女王メイヴ。その瞳には、狂気混じりの愉悦が滲んでいた。女王は、なめし革の鞭を片手に、ニタリと気味の悪い笑みを口元に浮かべ、クー・フーリンに言った。
「ねえ、貴方、正規の手続きを踏んで召喚されたクー・フーリンじゃあないじゃない。だってそうでしょう、貴方が冒険者たちを裏切った理由は、フェルグスが私たちの陣営にいるからだったでしょう?」
「だからどうした。王である叔父が間違った判断をするわけがないだろう?!」
「それだからよ。__ねえ貴方、自分が何者か、しっかり自己紹介してご覧なさい?」
楽しそうに、愉しそうに、女王は嗤う。その挑発のような言葉に答えるように、クー・フーリンは吠えるように名乗りを上げた。
「俺は、スカサハの元で修業を積んだ、戦士クー・フーリンだ!」
堂々たる、戦士の名乗り上げ。びりびりとあたりの空気を震わせる、気迫あるその名乗りに、彼の周りを囲んでいた戦士たちは数名、怖気づいたように身じろぎをした。
しかし、女王は、ついに腹を抱えて笑い出した。
「アッハハハハハハハハ!! やっぱり!! やっぱりそうじゃない!」
「何が可笑しい?!」
その目元にうっすらと涙を浮かべるほど大笑いした女王メイヴ。クー・フーリンは怒りのあまり額に青筋を浮かべる。女王は酷くおかしそうに笑いながら、残忍な笑みを口元に浮かべ、告げる。
「ねえ、貴方、憎きアルスターの大英雄のクー・フーリンじゃあないのね。ああ、おかしいったらないわ! 大英雄のクー・フーリンなら、いくらフェルグスが味方にいるからって、自分の主を裏切るようなことをするはずないじゃない!」
「……は?」
女王メイヴの、からかうような言葉。その言葉に、クー・フーリンは目を白黒とさせる。
__思い返してみれば、彼は、イレギュラーで変異したダンジョンから出てきた、ボスモンスターだった。スカサハやコンラのような召喚獣ではなかった。
そう、コンラが正規のコンラッハでなかったように、クー・フーリンもまた、正規の英雄ではなかったのである。
メイヴは楽しそうにその場でステップを踏み、歌うように言葉を紡ぐ。
「不甲斐ない夫のアリル。腰抜けの赤牡牛。眠れる戦士クー・フーリン。そして、宴に囚われたフェルグス。__私もまたそうね。恋人を縛り付けるためだけに狂った宴を開き続ける女王でしかない」
コンラの左手を握る手が、強まる。意識を失い、身じろぎすることも敵わないコンラを庇うように抱きかかえ、クー・フーリンは奥歯を噛みしめて女王を睨みつける。
大の戦士でもおびえるようなにらみつけ。されども、女王は全く気にせず、にっこりと笑顔を浮かべて、クー・フーリンに言った。
「このイレギュラーの正体は、【英雄がいないこと】よ。【英雄無きアルスター物語群】なのよ、自覚、あるでしょう?」
「__!!」
戦士は、息を飲む。そして、見えぬコンラをぐっと抱き寄せた。最悪、戦士である己はどうなっても良い。ただ、愛おしい息子だけは生きて帰さなければならない。
父である自覚はなくとも、彼の本能はコンラが自分の息子だと直感していた。息子にこんな邪悪な女王へ忠誠を誓わせたくない。幸い、槍は急所を外れている。そして、まだ彼には仲間と主がいるはずだ。なら、己が足止めをすれば、息子を生きて帰らせることくらいはできるはずなのだ。
敵意と殺意をむき出しにするクー・フーリン。しかし、それでも今だ女王メイヴは余裕の表情を崩してはいなかった。真っ赤な舌をぺろりと差し出し、なめし革の鞭を舐る。煽情的なその光景に、コナハトの戦士たちは小さく生唾を飲み下す。
コンラの腹に突き刺さった朱槍を抜くわけにもいかず、クー・フーリンは拳を構える。スカサハの元で修業をしたのだ。素手での戦い方も心得はあった。
まるで獲物をいたぶるような猫のような視線の女王は、やがてうっそりとした笑みを浮かべて、高い声でクー・フーリンに言う。
「戦士クー・フーリン。跪きなさい」
「……は?」
短い命令の言葉。気が付くと、クー・フーリンは、砂の地面に片膝をついていた。女王は、空のグラスを片手に、高笑いを上げる。
【メイヴの魔術】
55話の説明通り、女王メイヴは魔術を使うことができる。しかし、魔術と言っても、ドルイド僧のように炎を操るような攻撃性の高いものではない。用途は主に、洗脳と幻術である。
幻術はユウキらがかかったような、道をごまかしたり、見えないものを見せたりする程度の能力であり、それ単一で相手を死に至らしめさせることはできない。
しかし、それに対して、洗脳は条件さえ満たしてしまえば、相手を殺すことも十分可能になる。
条件の一つ目は、洗脳する相手が男であること。そして、二つ目が、女王メイヴの経血の混ざった飲み物を飲ませること。その二つさえ満たしてしまえば、どんなに屈強な戦士だったとしても、メイヴのいいなりになってしまうのである。
……経血を知らない穢れのない読者のミナサマは、決してググらないこと。




