59話 食糧庫の門を開けよ
前回のあらすじ
・食糧庫の前にはドルイド僧がいた
・ドルイド僧のゲッシュは【女王の許可を得ていないものはネズミ一匹食糧庫へ入れてはいけない】と【敵対者は燃やし尽くして神に捧げなければならない】の二つ
・子ネズミが、ユウキを庇って炎の渦に巻き込まれた
立ち昇る炎が子ネズミを包み込む。
ユウキは絶叫しながら己の足跡で構成された直線の模様をかき消し、まだめらめらと燃え上がる炎を探ろうと顔を上げる。
「何で、何で君が!」
ユウキの目から涙がこぼれる。子ネズミには、直接間接問わず何度も助けてもらった。赤い靴では子ネズミからもらった魔石が無ければ少女を助けることはできなかった。今日だって幻術にかかったところを助けられた。今だって、そうだ。
「あ、ああ、あああああああ!」
炎に零れ落ちた涙が、じゅっと小さな音を立てて燃え尽きる。伸ばした右手は何もない高音の炎を撫でただけで、あの小さなぬくもりのあるあの子をつかむことはできなかった。
ぎり、と、歯ぎしりの音が、炎に焦げる。そして、彼は産まれて初めて、殺意を知る。
炎をすり抜け、ユウキはナイフを振りかぶる。
涙目で雄たけびを上げるユウキに、ドルイドは初めて恐怖を覚えた。本職の戦士たちと比べれば幾分かお粗末であるものの、それは、まぎれもなく殺意であった。
振り下ろされたナイフを、杖で受け止める。重く鋭い一撃に、手がしびれるような感覚を覚える。
「……っは! いきなりどうした?」
「……ふっ!」
からかうように問いかけるドルイド。しかし、ユウキは、獣のように荒く息を吐き、問いかけを黙殺して再度ナイフを振るう。
顔面を狙ったナイフの突き。
ドルイドは寸前のところで回避に成功するも、かなり深めに左頬が切り裂かれ、思わず目を見開いた。
赤色の血が、砂漠に飛び散る。炎を頬に押し当てられたような痛みが走り、ドルイドは表情を歪める。
防御と思考をかなぐり捨てた、殺意のみの猛攻。素人だからこそ刃の動きが読めず、知識のみしかないドルイドはやはりこの場でも武器の差で不利を強いられる。
しかし、それでも、肉体の有利はドルイドが保持していた。
「いい加減に、しろよ……!」
獣のような唸り声を上げ、無我夢中でナイフを振るうユウキの横っ面を、オークの杖がとらえる。左目の下くらいを強打されたユウキは、一瞬目が真っ暗に眩むような感覚になり、小さくうめき声をあげた。
双方後衛がメインだとしても、筋力も体力も、ドルイドが上回っていた。じくじくと痛む眼下をそのままにナイフを握り締めながら、ユウキは左目の急激な視力低下を自覚した。酷く、左の視界がぼやけるのだ。
激しい痛み。動きっぱなしで尽きかけた体力。それでも、ユウキは戦い続ける。
そんな、時だった。
「……は? なんだ、焚火が燃え尽きたのか……?」
突然、ぽつりとドルイドがそう呟く。その言葉に、ユウキは首を傾げた。
たしかに、左の視界はぼやけて見えにくいが、はっきりと見えている右目は忌々しい大焚火のドス赤い炎を認めている。訳が分からず、前を見て、ユウキは小さく息を飲んだ。
フードの下。染み一つない真っ白な肌。その頬に、黒々とした血の涙が、伝っていたのだ。
突然の出来事に、ドルイドは取り乱したようにフードをはぎ取って周囲を確認する、
「どういうことだ……何をやった、探索者!!」
「待ってくれ、僕は何も……?!」
目からだらだらと血を流すドルイド。初めて見たフードの下の目は白く濁っており、既にその瞳は光を知覚することはできていないように見えた。突然の異常状態。だがしかし、ユウキには、ある直感にも似た予想があった。
「まさか、何かのゲッシュに抵触した?」
「はぁっ?! 俺はまだお前を燃やしては……まさか……?!」
ドルイドは左手で両目をおさえ、必死に杖であたりを探る。そして、吠えるように怒鳴った。
「畜生、ネズミを焼きそこなったか……!」
「えっ……?!」
ドルイドの言葉に、ユウキは目を丸くしてあたりを見回す。黒く焼け焦げた砂漠の砂。まだうっすらと蒼色の炎が足跡の溝に残っているが、それも少しの風でかき消えていった。
巨漢の戦士を一撃で焼き殺したあの大炎を、あんな小さな子ネズミが耐えられたのだろうか?
がつがつと地面を叩くようにしてネズミを確実に殺そうとあたりを探索し始めるドルイド。その姿を見て、ユウキも慌てて子ネズミを探す。
「ねえ、君! どこだい? どこにいるんだい?!」
ユウキは、今ほど子ネズミに名前を付けていなかったことを悔いたことはなかった。必死に声を上げ、ドルイドが振り下ろす杖に砕かれないうちに、小さな小さな子ネズミを探す。その時にはすでに、ナイフなど放り投げてしまっていた。
あたりは黒く焼け焦げた砂。焦げていない砂。そして、少し奥に食糧庫の門。大きなオークの木は砂の地面だというのに青々とした葉をつけており、木の太い幹にはヤドリギが絡まっていた。
子ネズミがいるなら、おそらくあの炎が直撃した当たりのはずだ。
「生きてなくてもいいから……せめて、お礼だけはさせて……!」
ユウキは涙目になりながら、必死に子ネズミを探す。生きたまま炎に炙られ死ぬのがどれほど苦痛を伴うかは、燃え尽き灰も残っていないコナハトの戦士が実演して見せた。ユウキ一人の命を救うために、あの子ネズミもあれだけの苦痛を感じたかもしれないのだ。
まだ熱い焼けた砂を必死にかきわけ、ユウキは子ネズミを探す。
そんな時だった。
「チュウ!」
「……?!」
高らかに聞こえてきた、子ネズミの鳴き声。
「そこかぁぁぁぁあああ!!」
そして、同時にドルイドの咆哮。
彼は血の涙を流したまま、杖であの直線の模様を描く。
ユウキは慌てて妨害しようとするも、子ネズミはそんなユウキの行動を止めるように、小さく鳴き声を上げた。
真っ黒に焼け焦げた砂にまみれた子ネズミは、するりとユウキの足元を駆け抜け、湧き上がった炎の渦へ突撃する。
再び炎に包みこまれる、子ネズミ。
しかし、ダメージを受けたのは、ドルイドただ一人であった。
両目をおさえ、絶叫を上げるドルイド。彼の手から、オークの杖が滑り落ちる。ぱたりと倒れたオークの杖は、少しの砂を巻き上げ、熾火に燃やされ、やがて黒煙と木の燃える独特のにおいをあたりに漂わせる。
ユウキは、炎に突っ込んでいった子ネズミの姿を、今度こそはっきりと見た。
炎に包まれた瞬間、真っ黒に焼け焦げた砂がはじけるように振りほどける。そして、あの赤茶色の毛並みが、輝かんばかりの赤銅色に代わっていた。
ドルイドの奇跡の炎を一心に浴びた子ネズミは、体についた砂をぶるぶると震えることで振り払う。その体には、焼け焦げた痕も苦痛の様子も見受けられない。
その姿を見て、ユウキは目の奥がずきりと痛むのを感じた。
__あの子ネズミと初めて出会ったとき、あの子は何を食べていた……?
あのいつまでも夕暮れの竹藪。タケノコを掘った後、その灰汁を処理するために、寸胴鍋は沸かしたままだった。そう、あの子ネズミは、鍋から吹きこぼれた熱々のぬか汁を舐めていたのだ。
普通のネズミなら、全身やけどでは済まない。いやむしろ、あそこまで熱せられた液体に近づくという発想がないだろう。
点と点が、つながっていく。
__【竹藪ダンジョン】のレアモンスターは火鼠……火鼠の皮衣は、宝石のように見目麗しく、一切燃えないと言われるほど強い耐火性能を誇る……
炎を浴びた子ネズミの姿は、輝く赤銅色。月明りを浴びた箇所は、色の濃い琥珀のようにも見えた。
つまり、あの子は、あの子ネズミは……
「君、火鼠、だったの?」
震えるユウキの声。
そのユウキの質問に、子ネズミは肯定を意味する「チュウ」という返事一つ。
【敵対者は燃やし尽くして神に捧げなければならない】の禁忌を侵し、その瞳を失ったドルイド。それはそうだろう。相手があまりにも悪すぎる。悪すぎた。
何せ、かの魔術師が焼き殺そうとしたのは、日本最古の昔話に語られる燃えない毛皮を持つネズミなのだから!
ユウキは、炎の中で熱せられ、ほんのりといつもよりも暖かくなった子ネズミを両手で救い上げる。そして、申し訳なさそうに謝った。
「ごめんね、何度も助けてもらって。……僕、不甲斐ないよね」
肩をすくめそう言うユウキに、子ネズミは否定を意味する「チッ」という短い鳴き声を上げた。そして、ユウキの手をするすると登ると、首筋にするりとその毛皮を擦り付けた。
「いいの?」
「チュウ」
子ネズミは肯定の鳴き声を上げ、フードの中に戻る。見限られてもおかしくないほどの不甲斐なさであった。そう、ユウキは思っている。
それでも、子ネズミはうれしかったのだ。子ネズミが大炎に巻き込まれた直後、確かにユウキが悲しんで、仇を討とうとしてくれたことが。
レアモンスターである子ネズミは、その生涯を命狙われ過ごすことが運命づけられていた。火鼠の毛皮は高く売れる。だからこそ、子ネズミは大きくなれば探索者に狙われるはずだった。探索者に追いかけられる火鼠を、ダンジョン内のネズミたちは嫌う。それはそうだろう。火鼠のそばにいれば、とばっちりで殺されかねないのだから。
味方もなく、敵に追われ、孤独に死んでいくことが決定されていた子ネズミ。それを、たまたまとはいえ救ったのが、ユウキだったのだ。
まだ成体になっていないために、くすんだ赤茶色の毛皮。それでも、高温の炎を浴びれば大人の火鼠と同様、琥珀色のつややかな赤銅色にかわる。熱に対し完璧な耐性を持った、火鼠の幼体。それこそが、この子ネズミだった。
ユウキを守れた子ネズミは、満足そうにフードの中で丸まる。そして、ユウキもまた、食糧庫に向かって歩を進める。
そんな時だった。
「おい、少しだけ話を聞いてくれ、探索者」
両の瞳と杖を失ったドルイドが、朗々たる声でユウキに言う。
あまりにも堂々とした声に、ユウキは足を止めた。
「なん、ですか?」
「……そんなにビビるなよ。どうせお前が食糧庫に入れば、短期間でゲッシュを二つも破った俺は死ぬ」
「……!」
余りにもあっさりとした、ドルイドの言葉。ユウキは、唐突に見えた人の死に表情を凍り付かせる。そんな気配を読み取ったのだろう。ドルイドは小さく苦笑いをすると、ドルイド僧としての最後の仕事を行う。
「気にするな。獣だろうと、ヒトだろうと、植物だろうと、魂はめぐるものだ。それよりも、お前に大切な話がある」
……ケルト人は、輪廻転生に近い思想を持っている。だからこそ、死をさほど恐れはしない。ドルイドもまた、苦痛は嫌がるが、それでも死に対し恐怖を覚えているようには見えなかった。
ユウキは小さく息を飲み、ドルイドに言う。
「なんですか?」
「……女王を、殺してくれ。食糧庫に来てるってことは、あの女……メイヴの弱点はわかってんだろう?」
「……はい」
ドルイドの問いかけに、ユウキは頷く。ドルイドは満足そうに笑い声をあげると、ついでと言わんばかりに内通情報を気前よく投げ捨てた。
「食糧庫の塩漬け肉の樽のうち一つ、山羊の頭が入っている樽がある。アレは実は酒樽だ。豊穣の女神フリディッシュがフェルグス殿を憐れんでくださった、永遠に酒を作り出す酒樽だから、必ず壊しておけ。ああ、探索者なら持ち帰りたいと思うだろうが、オススメはしねえぞ。外に持ち出そうものなら確実にフェルグスが殺しに来る」
「……! あ、ありがとうございます!」
「あとは、死んだ探索者の遺品は大体は死体ごとあの焚火にくべられている。死体やら骨やらは流石に残ってはいないだろうが、金属くらいは燃えずに残っているかもな」
「……はい。生存者は、やっぱり、いませんか?」
「何人か逃げ帰れた運のいいやつもいたが、逃げてねえやつは全員死んだな。ああ、あと、食糧庫に来たのはお前が初めてだ」
てめえが来なけりゃ、目を潰さなくて済んだが、と小さくつぶやくドルイド。どうやら、彼も対探索者戦は初めてだったらしく、経験不足から初手燃やし尽くしという手段をとれなかったのだろう。ユウキは、それに安堵すればいいのかどうかわからなかった。
ドルイドは血で汚れたほほをローブの裾で拭い、胡坐をかくと、ユウキに言葉を続ける。
「……こんな狂った宴、とっととしまいにしてくれ。俺の炎は神にささげ物をするためのものであって、あのイカレクソ女を喜ばせる拷問のための炎じゃあない。ウィッカーマンもふざけた使い方しやがって」
憎しみを隠し切れないらしいドルイドは、吐き捨てるようにそう言う。
そんな彼に、ユウキは困惑しながら問いかけた。
「あの、女王メイヴは、貴方に一体何を……」
「……俺のゲッシュは、女王メイヴに無理矢理与えられたものだ。俺自身が誓ったものじゃねえ」
「えっ……?!」
ドルイドの言葉に、ユウキは驚きの声を上げた。
確かに、コンラのゲッシュも父であるクー・フーリンから与えられたものである。ゲッシュを与えることも、おそらく可能なのだろう。だからこそ、彼はこんなにもおのれに不利になるゲッシュを強いられたのだろう。
ドルイドは深くため息をつき、もう二度と光を写さない瞳で空を見上げ、言葉を続ける。
「おおかた、メイヴは権力者が増えることを嫌ったのだろう。あの女が宴の絶対王者になるために、俺に食糧庫の門番を押し付けて、あわよくば死んでほしいとでも思ってんだろうな」
「そ、そんな」
恐怖で声を震わせるユウキ。そんな彼を鼻で笑って、ドルイドは問いかける。
「ありえねえ、とは、思わないだろう?」
「……はい、まあ、その、アルスター物語群の彼女の言動から見ても、やっておかしくはないかと」
「はは、アンタ、めちゃくちゃ勉強してきてんな。ドルイドとしてもそう言った勤勉さは尊敬に値する。続けると良いと思うぜ」
ドルイドはそう言うと、完全にユウキに対し背を向け、最後に言った。
「さ、とっとと食糧庫に行きな。__狂宴の女王を、確実に倒してくれよ」
「……はい。必ず、このダンジョンをクリアします」
ユウキは、そう言って食糧庫の大きな門に手をかける。そして、決して後ろを振り返らずに、食糧庫へ入り込んだ。
食糧庫の門がしまった後、ドルイドの全身は砂漠から湧き上がった炎に巻き込まれる。全身を燃え上がらせながら、ドルイドは苦痛の声も悲鳴も上げることなく、黙って目を閉じてつぶやいた。
「__かの青年に、幸運があらんことを」
……食糧庫の前で立ち昇った真っ赤な炎は、数分と立たずに消える。あとには、真っ黒に焦げた砂だけが残り、骨も、燃えカスも、何一つとして残ってはいなかった。
【フリディッシュ】
鹿と牛の女神で、フェルグスの妻に当たる。
普通に夫婦仲はよかったが、アルスターの愚王……もとい、コンホヴァル王に間接的とはいえ殺される。フリディッシュは解釈として豊穣神と見ることもできるため、本作では鹿と牛の女神の側面よりも豊穣神としての立ち位置を強調している。
ちなみに、鹿と牛ならいくらでも提供できる彼女がいないと、超絶燃費悪いフェルグスは飢え死にしそうになる。まあ、そりゃそうだよね。




