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第八話:秀吉の台頭と「ライン読み」

天正十四年(1586年)。

関白・羽柴秀吉が「豊臣」の姓を賜り、名実ともに天下の権力者として君臨した年である。


京都・聚楽第じゅらくだい

黄金の装飾が散りばめられた眩いばかりの広間に、全国の大名やその名代たちが集められていた。

その人波の末席に、信茂はいた。

着慣れない豪華な小袖に身を包み、周囲の空気を窺うように目線を泳がせる。

(うわぁ……派手だなぁ。前世で言えば、IT系ベンチャーが上場記念に六本木ヒルズで開いたド派手なパーティーみたいだ……)


信茂の視線の先、上座に座っているのは豊臣秀吉である。

信長のような圧倒的な冷酷さとも、家康のような慎重な重厚さとも違う。愛嬌のある笑みを振り撒きながらも、その奥にある瞳は「自分に従わない者は一人残らず潰す」という凄まじい執着心に満ちていた。

「おお、お前が徳川の三河殿(家康)から『甲斐の知恵袋』と推挙された小山田か!」

突然、秀吉の声が信茂に向けられた。広間にいた数百人の武将たちの視線が一斉に信茂に注がれる。

(ひえっ……! スポットライトを当てないで! 目立たせないでぇッ!)

信茂は心の中で叫びつつも、秒速で平伏した。

「ははっ! 小山田左衛門尉信茂にございます。」

「面を上げよ、小山田」

秀吉はニヤニヤしながら、手元に置いてあった大量の文書を叩いた。

「三河殿から届く甲斐の検地帳や年貢の報告書だがな……実に素晴らしい。字は読みやすく、数字に一切の誤りがなく、おまけに『来年の見込み』まで箇条書きで付記してある。わしの側近の三成(石田三成)が『小山田殿の書類は日本一仕事がしやすい』と大絶賛しておったぞ」


秀吉の横に立っていた若き側近――石田三成が、眼鏡(前世のイメージ)でも掛けんばかりの知性溢れる顔で静かに頷いた。

「左様。小山田殿の作成される文書は、書式が完璧に標準化(フォーマット化)されており、検理の時間を従来の半分に短縮できております。豊臣家の奉行所へ引き抜きたいほどにございます」

(やめて! 三成くん! 優秀な官僚同士で共感し合わないで! 豊臣家の直属になんてなったら、将来の関ヶ原で三成派にカウントされて殉職しちゃうから!!)


信茂は冷や汗を流しながら、必死の「謙遜プレゼン」を開始した。

「め、滅相もございません! 某など、ただの田舎の帳簿係に過ぎません! 徳川家康様の厳格なご指導と、石田様ら豊臣家の優秀な奉行様方のお手本があってこその仕事にございます!」

「ハハハ! 謙遜するな!」

秀吉は気分良く声をあげて笑った。

「三河殿(家康)は良い家臣を持っておるな。よし、小山田! お前には今後、徳川家と我が豊臣奉行所との間の『文書・物流調整役(連絡窓口)』を命じる! 関東や甲斐のことで三成とやり取りをし、遅滞なく報告を出せ!」

「ははぁっ! 謹んでお言いつけを承ります!」

信茂は床に頭をこすりつけながら、脳内で素早く状況を整理した。

(よし……! 豊臣家への引き抜きは回避した! 飽くまで『徳川からの出向(連絡窓口)』というポジションだ! これで徳川家への義理を立てつつ、秀吉政権のブラックリストに載るのも防げる!)


聚楽第からの帰り道。

信茂は京都の宿所に戻るなり、ガクッと膝から崩れ落ちた。

「ふぅぅ……命がいくつあっても足りん……」

「信茂様、お疲れ様でございました。秀吉様にも大変お気に召されたご様子、我が小山田家も安泰にございますな!」

付き添っていた小林宮内助が嬉しそうに言う。

「バカ者! 安泰なわけがあるか!」

信茂は立ち上がり、宿所の部屋をうろうろと行き来した。

「いいか宮内助。秀吉様という人はな……『乗っている時(成功している時)』は気前が良くて最高の上司だが、一歩でも意に沿わないことをすれば、身内だろうが容赦なく処罰する『極度の偏執家』だ! 織田信長様よりタチが悪いぞ!」

(史実でも、晩年の秀吉は秀次事件やら何やらで猜疑心の塊になって親族や家臣を殺しまくったんだ……! こんな劇薬みたいなトップと深く関わったら命がいくつあっても足りない!)

「で、ではどうすれば……? 豊臣様からの指示を無視するわけにもまいりませんし……」

「『ライン読み(社内政治)』だよ!」


信茂はビシッと指を立てた。

「前世のサラリーマン時代、親会社と子会社のパワーバランスが変わる時、一番大事なのは『誰がどの勢力ラインにいるか』を正確に把握することだった。これからの豊臣政権は、武功派(加藤清正・福島正則ら)と、文吏派(石田三成・長束正家ら)の二大閥に分かれてギスギスし始める!」

「武功派と……文吏派……」

「そうだ! だから俺の取るべき戦略はこうだ!」

信茂は前世のノートパソコン代わりに、和紙に図を書き始めた。


石田三成(文吏派)への対応:

事務仕事(書類提出・データ共有)は完璧かつ締め切り厳守で行う。三成は「仕事ができる奴」を絶対的に信頼するからだ。ただし、個人的に仲良くなりすぎず、ビジネスライク(公務)に徹する!


加藤清正ら(武功派)への対応:

彼らには極上の酒と肉(兵糧)を差し入れ、「小山田殿は気が利く武士だ」と持ち上げておく。現場の愚痴をニコニコ聞く「聞き上手な居酒屋のオッサン」に徹する!


徳川家康(自社)への対応:

豊臣家とのやり取りはすべて家康公に事前報告ホウレンソウし、「私は飽くまで徳川家の社員です」というスタンスを絶対に崩さない!


「これぞ……『全方位・八方美人リスクヘッジ戦略』だ!!」

宮内助は呆れ果てた顔をした。

「要するに……誰からも嫌われないように、コソコソと八方に良い顔をする、と……」

「言い方が悪い!『高度な利害関係者管理ステークホルダー・マネジメント』と言え!」

信茂は胸を張った。

こうして信茂は、豊臣政権という巨大な権力構造の隙間で、絶妙なバランス感覚を発揮し始めたのだった。


それからの数年間。

信茂の「ライン読み」は恐ろしいほどの効果を発揮した。

石田三成からは「小山田殿から送られてくる帳簿には一切の不備がない。全国の大名に見習わせたい」と絶賛の文書が届く。

一方、加藤清正や福島正則からは、「小山田の準備してくれた酒は美味い!共に酒を飲むと 居心地が良い!」と大評判になった。

そして何より、徳川家康からは「小山田は秀吉公や三成に重宝されながらも、我ら徳川への報告を一日たりとも怠らん。実に忠義で賢い男だ」と絶大な信頼を得ていた。

だが、信茂自身は一切浮かれなかった。

(ふふふ……順調だ。順調すぎる。だが……そろそろアレが来るぞ)


天正十八年(1590年)。

豊臣秀吉による「小田原征伐(北条氏討伐)」が始まったのである。

秀吉は二十万を超える大軍を動員し、関東の雄・北条氏直を小田原城に追い詰めた。

この戦いにおいて、信茂率いる小山田軍(一千)は、徳川軍の補給部隊として後方支援ロジスティクスを担当していた。

小田原城が落城し、北条家が滅亡したその日。

小田原陣中の徳川家康の本陣に、信茂は呼び出された。幕舎の中には、家康と本多正信が重々しい面持ちで座っていた。


「小山田……よく来たな」

家康の声には、どこか緊張と、隠しきれない動揺が混じっていた。

「はっ! 家康様、北条の降伏、誠にお慶び申し上げます」

「……慶事ばかりでもないのだ」

家康は深く溜め息をつき、信茂を見つめた。

「秀吉公より……命令が下りた。我が徳川家は、住み慣れた三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五国をすべて召し上げられ……関東(江戸)へ国替え(転勤)せよ、とな」

(知ってたーーーッ!! 歴史で習った『徳川家の関東移封』だ!!)

信茂は心の中で叫んだ。


現代で言えば、長年住み慣れた本社(東海・甲斐)から、当時は泥と湿地だらけの田舎支社(江戸・関東)へ、全社員一括で左遷移転させられるようなものだ!

「三河以来の家臣どもは『秀吉の嫌がらせだ!』と激怒しておる。甲斐の国人どもも、住み慣れた土地を離れるのを嫌がって動揺しておる。小山田……お前はどう思う?」

家康が、信茂の真意を試すように目を細めた。

信茂は深々と平伏した。そして、前世の「不採算支店の撤退と新市場開拓」の経験に基づき、静かに、しかし力強く答えた。

「家康様……これは『左遷』ではございません。『広大な新市場(関東二百五十万石)の独占権』を手に入れる、絶好の好機にございます!」

家康の目が、パッと見開かれた。

「新市場……だと?」

「さようでございます!」


信茂は立ち上がり、陣幕に描かれた関東の地図を指さした。

「今の江戸は確かに湿地帯で荒れ果てた田舎に過ぎません。しかし! 地形を見れば、広大な関東平野の中心に位置し、水運を使えば膨大な物資が集まる『潜在能力無限大の地』にございます!」

信茂の熱弁が始まった。

「秀吉様は家康様を都から遠ざけようと関東へ追いやったつもりでしょう。しかし、これは怪我の功名! 関東二百五十万石という巨大な単一市場を手に入れ、江戸を一から開発(都市計画)すれば、徳川家は豊臣家を遥かに凌ぐ巨大企業へと成長いたします!」

「……!」

家康と本多正信は、息をのんで信茂の言葉に聞き入った。

三河武士の多くが「住み慣れた故郷を奪われた」と感情的に怒っている中で、信茂だけが「江戸開発という未来の巨大事業」の価値を見抜いていたのだ。

「小山田……お前は、甲斐・郡内という先祖代々の土地を捨てて、わしと共に江戸へ行く覚悟があるのか?」

家康が噛みしめるように問う。


信茂は一瞬、寂しそうな笑みを浮かべた。

(先祖代々の土地……史実の信茂は、この郡内の土地と執着に縛られたからこそ、勝頼様を裏切り、最後に処刑された。……だけど俺は違う。俺の目標は『土地を守ること』じゃない。『穏やかな老後を迎えること』だ!)

「家康様。土地などただの器に過ぎません。大切なのは『誰と共に生きるか』でございます。某は徳川家康様という最高の経営者の下で、どこまでもついて参ります!」

「小山田……っ!」

家康は感動の面持ちで立ち上がり、信茂の手を強く握りしめた。

「かたじけない! お前のような実務に長け、未来を見通せる男がいてくれて、わしは本当に心強いぞ! 江戸へ入った暁には、お前に『江戸の都市計画と総務』の重職を命じるからな!」

(よしっ! 家康公の信頼度、MAXまで上がったぞ!!)


信茂は心の中でガッツポーズをした。

しかし、その直後。信茂の脳内で、さらなる未来の歴史スケジュールが警報を鳴らした。

(待てよ? 江戸へ行って家康公が天下を取るとなると……その先に待っているのは『文禄・慶長の役(朝鮮出兵)』、そして『関ヶ原の戦い』と『大坂の陣』という、超大型の流血ビッグイベントの数々じゃないか……!?)

信茂の背中に、冷や汗がドッと溢れ出た。

現在、信茂は四十歳手前。

このまま徳川家の幹部として働き続ければ、確実に「関ヶ原」や「大坂の陣」の前線、あるいは補給の超過酷な現場に駆り出されて、過労死か討ち死にする!

(ダメだ……ダメだダメだ! 俺の目標は『定年退職して、日当たりの良い縁側で茶をすすること』なんだよ! これ以上規模がでかくなったら、一生退職できなくなっちゃう!!)

信茂は握られた家康の手を温かく握り返しながら、心の中で密かに決意した。

(……決めた。江戸の開拓が一区切りついたら……俺は『早期退職(定年退職)の交渉』に入るぞ!!)


生存をかけた戦国サバイバル。

物語はついに、信茂の最終目標である「穏やかな老後の獲得」を巡る、最大の退職交渉へと向かっていくのだった。

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小林に対して前世のサラリーマン時代云々言っちゃってるのはさすがにおかしくないですか?
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