第七話:徳川家康という「安心安全の転職先」
天正十年(1582年)十月。
甲斐・信濃を巡る「天正壬午の乱」は、激しい駆け引きの末に幕を閉じた。
相模の北条氏直は徳川家康と和睦を結んで関東へと撤退。これにより、甲斐国は正式に徳川家の新領地として組み込まれることが決定したのである。
甲府・新府城の跡地(徳川軍本陣)。
徳川家康は、文机の上に積み上がった膨大な書状を前に、深いため息をついていた。
その傍らには、徳川家の知恵袋である本多正信が佇んでいる。
「……佐渡。甲斐の国人どもは、どうにも扱いづらいのう」
家康は苦い顔で揉み上げを弄った。
「武田の遺臣どもは誇りばかりが高く、徳川の支配に不満タラタラじゃ。穴山(梅雪)は本能寺の混乱の最中に上方で死に、真田(昌幸)は北条と徳川の間をクルクルと寝返って信用ならん。このような連中を抱えて、いかにしてこの山国を統治すればよいのだ……」
「殿、ご安心召されよ」
正信は怪しげな笑みを浮かべ、一枚の書状を差し出した。
「実は……一角だけ、完璧に統治され、兵糧の調達から街道の維持まで一切の滞りがない地域がございます」
「ほう? どこじゃ?」
「甲斐・郡内……小山田信茂の領地にございます」
家康は驚いて目を見開いた。
「小山田? あの武田の猛将か? 織田軍が侵攻した際、信長に降伏して命を拾ったと聞くが……乱の最中は『病気だ』『イノシシ退治だ』と理由をつけて、我が軍にも北条軍にも一切加担しなかった日和見の男ではないか?」
「左様。一見すれば日和見の愚物。……しかし殿、これをご覧ください」
正信が一計を案じるように広げたのは、信茂から送られてきたばかりの『徳川様 甲斐統治ご挨拶並びに郡内通過・補給受入マニュアル』であった。
家康はそこに記された内容を目にするや、思わず身を乗り出した。
一、徳川軍が郡内を通過される際の宿場・水場の確保(無料提供)。
一、小山田領内の税率は、徳川家の旧領(三河・遠江)の基準に即座に統一。
一、北条勢に対する警戒線を独自に維持し、徳川軍の後方を無償で防衛。
「な……なんじゃこれは……!? 我らが『こうしてほしい』と思っていたことが、頼みもしないのに完璧に書類として用意されておるではないか……!」
家康の目が丸くなった。
「さらに」と正信が言葉を継ぐ。
「小山田は『織田信長様よりいただいた命、今度は徳川様のために使い潰していただきたく存じます』と、極めて低姿勢な添え状を寄せてきております。殿……この男、ただの日和見ではございませぬぞ」
家康はポツリと漏らした。
「……会ってみたい。その小山田という男に」
数日後。甲府の本陣にて、信茂と徳川家康の面談が執り行われた。
上座には、ドカンと腰を下ろした徳川家康。その横には本多正信。
信茂はいつもの通り、平服で深々と平伏していた。
(よし……! 家康公だ! 史実における『最終的な天下人』! そして何より……慎重派でリスクを好まず、実利と安定を第一とする『安心安全の大企業(徳川グループ)』の社長だ!!)
信茂の脳内電算機がパチパチと音を立てる。
織田信長は「尖った成果主義のベンチャー社長」だったが、徳川家康は「堅実経営で内部留保を溜め込む大企業の会長」だ。
刺さるアピールポイント(刺さるプレゼン)が全く違う!
「小山田左衛門尉」
家康が重々しい声で呼びかけた。
「お前は、信長様が存命の折には織田家に仕え、本能寺の変の後は城に引き籠もり、我が軍と北条軍が戦っている間も静観を決め込んでおったな。……我が徳川に忠誠を誓うと言うが、また勢力が変われば寝返るのではないか?」
(来た……! 面接の『定型質問(意味深な質問)』! だが家康公相手に信長公のような『過激な契約論』をぶつけたら『可愛げがない』と嫌われる!)
信茂はゆっくりと顔を上げた。その表情には、誠実さと「苦労人の中間管理職」特有の哀愁が漂っていた。
「……家康様。某がお答えする前に、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ほう? 何じゃ」
「家康様は……『戦』がお好きでございますか?」
家康は一瞬、呆気に取られた。
「戦が好きか、だと……? 戯れ言を言うな。好きで戦をする者がどこにいる。できれば戦などせず、領民が穏やかに暮らし、家臣が無駄に死なぬ世を作りたいわ」
「左様にございます!!」
信茂は身を乗り出し、激しく頷いた。
「某もまったく同じでございます! 某の願いはただ一つ……『戦がなく、誰もが無駄に死なず、穏やかな老後を迎えること』にございます!」
家康と正信が顔を見合わせた。
「某が乱の最中に静観を決め込みましたのは、北条や徳川様に刃を向けるためではございません! 勝ち目のない戦に領民を巻き込み、無駄な血を流すことを避けたかったからにございます! 武田の世は終わり、織田の世も潰えました。今、この甲斐・信濃の混迷を静め、穏やかな秩序をもたらすことができるのは……慎重にして実利を重んじる徳川家康様しかおられないと、確信していたからにございます!」
信茂は前世の「同業他社の役員同士の飲み会」で使うような、絶妙な「共感テクニック」を繰り出した。
「家康様! 某は豪快な武功を立てる猛将ではございません。しかし、領内を平和に治め、兵糧を管理し、無駄なリスクを排除することにかけては誰にも負けません! 徳川様という『安心安全の組織』の末端にて、地味な実務(総務)に骨を折らせていただきたいのです!」
「……」
家康は、じっと信茂を見つめた。
家康自身、若い頃から三河一向一揆や三方ヶ原の戦いなど、無数の死修羅場をくぐり抜けてきた男だ。だからこそ、「戦が好きで手柄を焦る猪武者」よりも、「リスクを恐れ、平和と実務を求める者」の価値を誰よりも理解していた。
「……佐渡」
家康がポツリと言った。
「はっ」
「この男……わしと『胃の痛む思い』を共有できそうじゃな」
「左様にございますな。武田の荒武者どもとは毛色が違い、実に『実務的』な男にございます」
家康はふっと目元を緩め、膝を叩いた。
「分かったぞ、小山田。お前の本領・郡内三万石をそのまま安堵する! さらに、我が徳川家の『甲斐統治アドバイザー(実務顧問)』として、甲府の代官・伊奈忠次の補佐を命じる!」
(やったぁぁぁぁぁぁッ!!! 徳川グループへの転職、完全成功!!)
信茂の脳内で歓喜の舞が踊った。
伊奈忠次といえば、後に徳川家の関東代官頭として超絶優秀な行政手腕を発揮する「戦国最強の事務官(官僚)」だ! その相棒(補佐)になれるなんて、総務屋としてこれ以上のホワイト部署はない!
「ははぁぁっ! 感謝感激にございます! 伊奈様の手足となり、甲斐の地固めに全力を尽くします!」
こうして、小山田信茂は「徳川家甲斐行政補佐」という、完璧なホワイト(?)ポジションを手に入れた。伊奈忠次と信茂のタッグは、まさに「鬼に金棒」であった。
忠次が徳川流の検地や用水路の建設(伊奈流治水)の基本方針を打ち出し、信茂が前世の総務スキルと地元の人間関係を活かして「現場の調整」と「書類のデータ化」を猛スピードでこなしていく。
「小山田殿! 富士川沿いの治水工事の予算案だが、これ以上削ると現場の土豪たちが納得しないのだが……」
「伊奈様、ご安心ください。現場の土豪たちには『工事に参加すれば来年の年貢を二割免除する』というインセンティブ(恩恵)を提示し、すでに合意を取り付けてあります。予算内で収まりますよ」
「な……! もう折衝を終えたのか!? 仕事が早すぎる……!」
伊奈忠次は信茂の圧倒的な事務処理能力と、人間関係の調整力に目を丸くした。
また、信茂は「徳川家のリスク管理」にも余念がなかった。
「伊奈様。甲斐の武田遺臣たちの集会ですが、すべて『事前許可制』にしましょう。不満のガス抜きのために宴会は許可しますが、武器の持ち込みは禁止です。それと、彼らの愚痴を聞く『相談窓口』を設置しましょう」
「そ、相談窓口……?」
「ええ。不満を溜め込ませて反乱を起こされるのが一番のコスト増ですからね。私が定期的に彼らと酒を飲み、愚痴を聞いて握り潰します」
この「社内政治&メンタルケア」のおかげで、徳川統治下の甲斐国では、他国のような武田遺臣による大規模な一揆や反乱が一切起きなかったのである。
家康は駿府や浜松から届く報告書を見るたびに、「小山田は本当に使い勝手が良い。三河武士にも爪の垢を煎じて飲ませたいわ」と大絶賛していた。
天正十二年(1584年)。
小牧・長久手の戦いにて、徳川家康は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と激突。
激しい軍事・外交戦の末、両者は和睦を結び、天下の趨勢は「羽柴(豊臣)政権」へと傾きつつあった。
岩殿城の自室で、信茂は庭の青々とした竹林を眺めながら、静かに茶をすすっていた。
(ふぅ……。徳川家に転職して数年。大きな戦にも駆り出されず、事務仕事でしっかり評価され、領内も平和。完璧だ……完璧すぎるサラリーマン生活だ……)
史実の信茂は、天正十年に三十二歳という若さで処刑された。
しかし今、信茂は史実の死の運命を完全に回避し、三十四歳となって元気に生きている。
「信茂様! 徳川様より文が届きました!」
小林宮内助が手紙を持って走ってきた。
「おお、家康公からか? 何だ?」
手紙を開いた信茂の顔から、スーッと血の気が引いていった。
手紙にはこう書かれていた。
『羽柴秀吉様より、我が徳川家臣団の「実務能力者名簿」の提出を求められた。つきましては、小山田左衛門尉の名を筆頭に挙げておいたので、折を見て京へ上り、秀吉様にご挨拶に向かわれたし』
「……」
信茂は手紙を握りしめたまま、ガタガタと震え出した。
(家康公……! なんで俺の名前を筆頭に書くんですかぁぁぁッ!? 目立たせないで! 俺を天下人の視界に入れないでぇぇぇッ!!)
織田信長、徳川家康に続き、今度は戦国時代最大の「人たらしにして、晩年は超絶偏執的になる怪物」――羽柴秀吉との接触フラグが立ってしまったのだ。
「信茂様……? お顔色が泥のようでございますが……」
「宮内助……」
信茂は泣きそうな顔で宮内助を見た。
「京へ行く準備をしろ……。京都の『接待マニュアル』と『秀吉様の好みに合わせたお土産リスト』を……今すぐ作成するんだ……!」
穏やかな老後を迎えるための、中間管理職サバイバル。
舞台はついに、絢爛豪華にして裏でドロドロの権力闘争が渦巻く「豊臣政権」へと移っていくのだった。




