第四話:恐怖のCEO・織田信長との面談
天正十年三月十九日。
武田家の本拠であった甲府・躑躅ヶ崎館の跡地。
そこには、甲州征伐の完全なる勝利を勝ち取り、破竹の勢いで甲斐に入城した天下人――織田信長の姿があった。
広間の中央、一段高くなった上座に座る信長。
その背後には、黒と金の豪華絢爛な屏風が立ち、周囲には柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀といった織田家の名だたる重臣たちがズラリと居並んでいる。空気の重圧が尋常ではない。
物理的な重力が増したかのように、広間にいる全員が息をひそめ、汗を滴らせていた。
その広間の末席に、信茂は正座していた。
(ひえぇぇぇ……! プレッシャーが凄すぎる! サラリーマン時代、社長室に呼び出されて「今期の赤字、どう責任取るんだ?」って詰められた時の百倍胃が痛い……!)
信茂は前世の「修羅場メンタル」を総動員して、なんとか失禁するのを耐えていた。
信長の目は、まさに猛禽類のそれだった。
鋭く、冷徹で、人間の「嘘」や「怯え」を瞬時に見抜く絶対的な捕食者の眼光。
手元には、信茂が信忠に提出したあの書類――『甲斐国郡内領 総合資産並びに統治台帳』が開かれて置いてある。
信長は無言のまま、パラパラと毛筆の書類をめくっていた。
その間、広間には和紙が擦れる音だけが響く。まるで死刑宣告のカウントダウンのようだった。
「……小山田」
ついに、信長が口を開いた。低く、甲高い独特の威厳に満ちた声が広間に通る。
「はっ……! 小山田左衛門尉信茂、御前にてひれ伏しております!」
信茂は畳に頭をこすりつけた。
「勘九郎(信忠)から聞いたぞ。お前は勝頼を笹子峠で追い返し、天目山で自害させ、自分だけはこの書類を土産に我が織田家に命乞いに来たとな」
信長の言葉に、周囲の織田家重臣たちから冷ややかな視線が注がれる。
柴田勝家あたりは「不忠の臣め、今すぐ斬り捨てろ」と言わんばかりの厳めしい顔をしている。
「お前は、自分がどういう人間か分かっているか?」
信長の声から感情が消えた。
「武田信玄の代から手厚い恩義を受けながら、家が傾くや主君を見捨てて寝返った『不忠者』だ。我が織田家は、忠義を重んじる。主君を売るような奴を召し抱えれば、いずれ俺のことも裏切るのではないか?……そうは思わんか?」
(来た……! 最大の詰問! 「お前は前職を裏切った転職組だが、うちでも同じことをするんじゃないか?」という、中途採用面接の定番かつ最難関の質問だ!!)
信茂は生唾を飲み込んだ。
ここで「滅相もございません! 織田様には絶対の忠誠を誓います!」なんて安っぽい精神論を言ったら即アウトだ。信長はそんなウソを見抜く。
必要なのは、ロジカルハラスメント(論理的反論)を超える「超・合理主義」の回答だ!
信茂はガバッと顔を上げた。恐怖で心臓が破裂しそうだったが、目はまっすぐに信長を見つめた。
「信長様! 某をお斬りになるのは簡単でございます! しかし……『不忠者』という評価だけは、どうか訂正させてくださいませ!」
「ほう……?」
信長の眉が動いた。秀吉が「ほう、度胸のある奴じゃ」と興味深そうに身を乗り出す。
「某は武田家を裏切ったのではございません! 『武田家という組織との契約(雇用関係)が、あらかじめ終了していた』のでございます!」
広間にどよめきが走った。
「何だと……? 契約だと?」
「さようでございます! 武士と主君の関係は、主君が家臣の領地と民を守り、家臣も主君に忠誠を尽くすという『相互の義務』によって成立いたします! しかし、亡き勝頼様は御館の乱での誤った判断、新府城築城の強行、そして領民を顧みない無計画な逃走により、主君としての義務を自ら放棄されました!」
信茂は一気に畳みかける。前世で「労基署に駆け込んできたブラック会社の元社員」の弁明を聞いた時のロジックだ。
「戦略が破綻し、恩賞の支払いも不可能な状態において、なおも無謀な共倒れの逃走に付き合わされる道理はございません! 某が守るべきは『武田勝頼という個人』ではなく、『小山田の家と、そこに生きる何千人の領民の命』でございます! 領民を捨てて勝頼様と心中することこそ、領主としての最大の『不忠』にございます!」
「……」
信長は無言で信茂を見つめている。だが、その瞳の奥に小さな火が灯った。
「さらに申し上げます!」
信茂は勢いを止めない。ここで止まったら殺される。
「某が提出いたしましたあの台帳をご覧ください! 某はただ逃げてきたわけではございません! 織田家が明日から甲斐を大過なく治められるよう、膨大な時間と労力をかけて『引き継ぎ資料』を作成いたしました! 主家を去るにあたり、引き継ぎもせず逃げ出す奴こそ『無能な不忠者』! 完璧な引き継ぎを行って去る者こそ、真の『プロの武士』にございます!」
「ぷ、プロの武士……!?」
丹羽長秀が思わず吹き出しそうになった。
信茂は最後に、床に強く頭を叩きつけた。
「信長様! 某は『忠誠心(愛社精神)』を売り込みに来たのではございません! 織田家という巨大な天下の組織において、『圧倒的な業務効率化をもたらす実務能力』をお売りしに来たのです! 忠義で人は動きませんが、正確な数値と仕組みは組織を動かします! この小山田信茂、織田家の『使い勝手の良い総務・経理担当』として、骨の髄まで使い潰していただきたく存じます!!」
静寂が広間を支配した。
一分……いや、三分以上、誰も声を発することができなかった。
織田家の重臣たちも、信茂の狂気とも言える「超・論理的プレゼン」に圧倒されていた。
「……ハッ」
信長の唇から、小さな吐息が漏れた。
「……ハハハハハハハハハハハッ!!」
次の瞬間、信長は爆笑した。腹を抱え、天井を仰いで、破顔一笑したのだ。
「ハーハハハハ! プロの武士だと!? 契約終了だと!? ハハハハ! 言ったな! よくぞ言ったわ小山田!!」
信長はパンパンと自分の膝を叩いた。
「面白い! ぶっ飛んでおる! 武田の武士といえば『義理だの情だの』と湿っぽいことばかり言うと思っていたが、これほど冷徹に算盤を弾く奴がいたとはな!」
信長は手元の書類を信忠に向かって放り投げた。
「勘九郎! 見たか! これが『仕事のできる奴』の顔だ! 命乞いをするのに忠念だの武士道だのと抜かす奴は全員叩き斬ってやるつもりだったが……こいつは違う! こいつは自分の『価値』を分かっておって、それを正当な価格で売りに来おった!」
信長は立ち上がり、信茂の前に歩み寄った。そして、その鋭い眼光で信茂を上から見下ろす。
「小山田左衛門尉」
「は、ははっ……!」
「お前の言ったこと、忘れるなよ。『使い勝手の良い総務・経理担当』として使い潰してほしいと言ったな?」
「は、はいっ!」
「よし、許す! お前の首は繋いでやる! 郡内三万石の本領も安堵してやる!」
(勝ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!! 史実の処刑フラグ、完全に粉砕したぁぁぁぁぁッ!!!)
信茂の脳内で、大歓声とファンファーレが鳴り響いた。
前世の孤独死、そして戦国での打ち首という二重の死の恐怖から、ついに解放されたのだ。
「ただし!」
信長がニヤリと虐待的な笑みを浮かべた。
「安堵された三万石分の仕事は、きっちり働いてもらうぞ。まずは……滝川一益の配下に入れ。関東および甲斐の新たな領地引き継ぎの『総責任者』として、寝る間も惜しんで働いてもらう!」
「……え?」
「滝川! こいつをコキ使え! 書類作成も検地も、全部こいつにやらせろ! 締め切りに遅れたら……その時は首を撥ねる!」
「ははっ! 謹んでお言いつけを承ります!」
一益が、ニヤニヤしながら信茂を見た。
(あ……あれ……? 助かったのはいいけど……これって……)
信茂の頭に、前世の忌まわしい記憶がフラッシュバックした。
『佐藤君! 君のプレゼン最高だったよ! ついては来月から新プロジェクトのリーダーとして、残業上限なしで全員の分の書類作ってね! 遅れたら減給ね!』
(これ……過酷な「ブラック企業への再就職」が決まっただけじゃないかーーーッ!?)
「小山田! 感謝の言葉は?」
信長が楽しそうに問う。信茂は血の涙を呑み込みながら、引きつった笑顔で叫んだ。
「は、ははぁぁぁっ! 信長様のご期待に沿えるよう、死ぬ気で(過労死寸前まで)働かせていただきますぅぅぅ!!」
こうして小山田信茂は、戦国時代最大の巨大企業「織田グループ」への中途採用(ブラック部署配属)を無事に(?)勝ち取ったのだった。




