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第二話:「勝頼様出入禁止」とリスク管理

「――で、あるので! 我が小山田家は織田家のご威光にひれ伏し、甲斐・郡内の地をそのまま新体制へ円滑に移行させるべく、すでに『引継ぎ書』の作成に着手しておる!」

岩殿城の広間。信茂は青ざめた顔の家臣たちを前に、熱弁を振るっていた。


広間に集まった小山田家の重臣――小林宮内助をはじめ老臣たちは、開いた口が塞がらない様子で信茂を見つめている。

「信茂様……! 武田家を見限るのみならず、織田家に『引継ぎ書』などという書類を差し出すと……!? それでは、まるで我が小山田家が織田家の代官か何かのようではございませぬか!」

老臣の一人が拳を握りしめ、体を震わせる。武田二十四将の1人:小山田家の家臣として誇り高く生きてきた老武士たちにとって、戦う前から敵に詳細な帳簿を提出するなど、プライドが絶対に許さないのだ。

(出たよ、プライド……! これだから古い体質の企業のベテラン社員は面倒なんだ!)

信茂は前世で「社内システムの刷新」を提案した際、「現場のやり方を変えるな!」と猛反発してきた頑固なベテラン社員たちの顔を思い出していた。


「皆の者、落ち着いて聞くのだ」

信茂は姿勢を正し、あえて低く落ち着いた声で語りかけた。

「武士の意地で腹が膨らむか? 武士の意地で織田の軍勢を防げるか? 答えは『否』だ。勝ち目のない戦で命を散らすのは『誇り高く死ぬ』のではない。ただの犬死にだ!」

「犬死にですと……?」

納得いかない家臣たちに、信茂は身を乗り出して力説した。

「今、織田信長・信忠親子が率いる軍勢は数万。対する我が小山田家は、かき集めても一千強。勝ち目は無い。だが、我々には他にはない強力な『強み』がある。それが、この郡内の地理、人流、そして流通の生きた情報だ!」

信茂は、前夜遅くまでかかって作成した毛筆の書類――『郡内諸領地目録並びに物流網概要』をパンパンと叩いた。

「織田家が武田を滅ぼした後に最も苦労するのは何だと思う? 甲斐・信濃という広大な山岳地帯の統治だ。誰がどこに住み、どれだけの米が獲れ、どこを通れば補給ができるのか。彼らは何も知らない。そこで我々が『完璧な情報』と『統治に支障のない引き継ぎ』を提供するのだ。そうすれば、織田家にとって我々は『殺すべき敵』から『組織に不可欠な優秀な実務部隊』へと変わる!」

「……」

家臣たちは黙り込んだ。信茂の言っていることは、これまで彼らが習ってきた「武士道」とは根底から異なる。しかし、圧倒的な説得力と、なにより「これで自分たちの命と家が助かるのかもしれない」という生への希望が、じわじわと彼らの心に染み込んでいく。


「小林宮内助!」

「は、ははっ!」

「郡内への主要な関所の警備を強化せよ。ただし、織田家に対してではない。勝頼様……いや、武田の落ち武者たちが我が領内に流れ込んでくるのを防ぐためだ!」

信茂の冷徹な指示に、宮内助は息をのんだ。

「勝頼様を……拒否(出入禁止)するのですか!?」

「当たり前だ!」

信茂はきっぱりと言い放った。

「新府城で勝頼様には『真田を頼って北へ逃げてくれ』と丁寧にお願いし納得していただいたのだ。それなのに、万が一にも勝頼様やその側近が『やっぱり郡内へ逃げ込もう』と戻ってきたらどうする? 我が領内で勝頼様が織田に討たれでもしたら、我々は『勝頼を引っ張り込んで逃げ場を失わせた裏切者』として織田家に一網打尽にされる!」

(史実の俺は、まさにそれをやったんだ! 笹子峠で勝頼様を遮断して、結果として織田から『なんて卑劣な奴だ』と激怒された。拒絶するなら峠じゃ遅い! 領地の入口(水際)で完璧にシャットアウトするんだ!)

「関所には『勝頼様は真田家を頼って北上された。郡内は補給・兵糧ともに完全に遮断されているため通行不可』との立て札を掲げよ! 万が一、勝頼様の使者が来たら、手厚く兵糧と路銀(金子)を握らせて『北へ向かってください』と丁寧にお引き取り願うのだ!」

「て、手厚く兵糧と金を渡して、追い返す……!?」

「そうだ! 拒絶する時こそ、態度は丁寧にな! 『ご意向には添えませんが、陰ながら応援しております』という姿勢を崩すな! これが『円満な契約解除(損切り)』の鉄則だ!」

信茂の徹底したリスクヘッジに、家臣たちはもはやぐうの音も出なかった。


数日後。信茂の懸念は、恐ろしい精度で的中した。

「報せ! 報せにございます!」

早馬が岩殿城に駆け込んできた。汗と泥にまみれた伝令が、広間に飛び込んでくる。

「勝頼様の一行が、真田領への北上を途中で断念! 再び我が郡内・岩殿城を目指して笹子峠の手前まで進軍して来られました!」

「何だと……!?」

広間に激震が走った。宮内助をはじめとする家臣たちが一斉に血の気を引かせる。

「なぜだ! なぜ真田殿のもとへ行かれなかったのだ!?」

「は! 途中で噂に惑わされ、跡部勝資らが『やはり真田より小山田を頼るべきだ』と主張を覆した模様にございます!」

(うわあぁぁぁぁぁッ!! 出たよ!! 「やっぱり前言撤回で!」っていう土壇場の仕様変更(仕様変更ハラスメント)!!)

信茂は心の中で頭をかきむしった。

企業でもよくあるのだ。散々打合せをして「この方針で行きましょう」と決まったのに、家に持ち帰って役員や親族に相談したら「やっぱり変えよう」と言い出すワンマン経営者!

(勝頼様……! あなたという人はどこまで「二代目ワンマン」なんですか! 真田の提案を蹴って、なんで俺のところにまた戻ってくるんだよ!)


「信茂様! どういたしますか!?」

宮内助が狼狽しながら信茂を見る。

「勝頼様が笹子峠の手前まで来られております! これを受け入れねば、我らは完全に『不忠の臣』……! しかし受け入れれば、追撃してくる織田家に踏みつぶされます!」

広間の空気は緊張で張り詰めていた。ここで対応を誤れば、織田家の抹殺対象になる。

信茂は深く息を吐き出し、天を仰いだ。そして、ゆっくりと目を開ける。その目は、数々の不祥事を謝罪会見で乗り越えてきた元総務部次長の冷徹な光を帯びていた。

「宮内助。笹子峠へ向かうぞ!」

「えっ……? 信茂様自ら!?」

「引き止め(交渉)に行くのだ。現場の責任者として、完璧なロジックで『お引き取り』願う!」


笹子峠。春浅い山道には冷たい風が吹き荒れていた。

そこに勝頼の一行がいた。かつて最強を誇った武田騎馬軍団の面影はなく、わずか数百名の兵と、泣き叫ぶ婦女子を連れた痛々しい落人集団だ。

「左衛門尉! 左衛門尉はまだか!」

馬上で焦燥しきった表情を浮かべていた勝頼が、山道の先を見つめる。

そこへ、騎馬に乗った信茂が、わずか十数名の供だけを連れて現れた。

「おお! 左衛門尉! やはり来てくれたか!」

勝頼の顔にパーッと喜びの光が差し込んだ。

「途中で愚かな側近どもが真田を疑い、行き場を失ってな……! すまん、おぬしの言葉を破り、頼ってきてしまった! だが、おぬしなら余を受け入れてくれると信じていたぞ!」

勝頼が馬を寄せてくる。

(……くっ、この純粋な目が痛い! 痛いよ勝頼様! 悪気がない分、一番タチが悪いんだよこの社長は!)


信茂は馬から下りると、冷たい地面に深々と平伏した。

「……勝頼様。大変なご足労、恐縮にございます。しかし……これ以上、一歩も先へお進みになることはかないません」

勝頼の笑みが、フッと凍りついた。

「……なに?」

「申し上げたはずでございます。我が郡内はすでに補給が断たれております。今、勝頼様がここに籠もられても織田家の軍勢に包囲され、全滅いたします。岩殿城は、すでに籠城の機能を失っております!」

信茂は毅然として声を張り上げた。

「領民は織田家の恐怖に怯えて逃げ惑い、城内の兵糧は数日分もございません! この状態で勝頼様をお迎えすることは、勝頼様を死地に誘い込むことと同義! 我が小山田家として、主君をそのような危険に晒すわけにはまいりません!」

「嘘だ! 嘘をつくな左衛門尉!!」

勝頼の側近、跡部勝資が刀を抜いて叫んだ。

「貴様、織田に買収されたな!? 主君を見捨てるつもりか、この裏切り者が!」

信茂は跡部を鋭く睨みつけた。

「黙れ跡部殿! 勝頼様をこのような追いつめられた状況に追い込んだのは、誰の失策か! 真田殿の申し出を蹴り、無計画に右往左往した結果がこれではないか! 今さら他人の領地に押し寄せて『匿え』とは、あまりにも無責任と言わざるを得ない!」

「な……何だと……!?」

前世で無能な他部署の課長を論破した時のロジックハラスメント(ロジハラ)が爆発した。跡部は言葉を失い、ぐうの音も出ない。


信茂は再び勝頼に向かって頭を下げた。

「勝頼様。某は武田家を裏切ったのではありません。『不可能な受注(避難)』をお断りしているのです。……ですが、このまま勝頼様をお返しするわけにはまいりません」

信茂は後ろの手下に合図を送った。

手下たちが運び出してきたのは、数頭の馬に積まれた大量の米俵と、黄金が詰まった小箱だった。

「これは……?」

勝頼が目を見張る。

「我が小山田家が用意できる限りの兵糧と、路銀にございます。さらに真田殿の岩櫃城へ向かうための抜け道の地図を用意いたしました」

信茂は地図を差し出した。

「郡内へ入れば織田家に討たれます。しかし、ここから迂回して上杉・真田を頼る道はまだ残されております。この兵糧と金をお持ちになり、どうか別の道をお探しください!」

「左衛門尉……おぬし……」

勝頼の肩が震えた。


史実の信茂は、勝頼を笹子峠でただ突っぱね、木戸を閉ざして放置した。それが勝頼の絶望を呼び、天目山での自害へと繋がった。そして織田家からは「裏切り者」と蔑まれた。

しかし、今の信茂は違う。

「理由の開示」(地理・兵糧的リスクの提示)

「手切れ金の提示」(兵糧と資金の提供)

「別ルートのアドバイス」(代替案の提示)

完璧な「円満な契約解除(コンプライアンス遵守の損切り)」の手続きを踏んだのだ。


「……余は、おぬしに無理を言っていたのだな」

勝頼はポロポロと涙をこぼした。

「我が身の不徳ゆえに、忠臣であるおぬしにまでこのような苦汁を飲ませてしまった……。すまぬ、左衛門尉。許せ……」

勝頼は兵糧と金を受け取ると、ゆっくりと馬の首を返した。

「皆のもの、抜け道をゆく! 真田を頼るぞ!」

「勝頼様……! どうか、お達者で……!」

信茂は地面に額をこすりつけ、勝頼一行が遠ざかっていくのを見送った。

(勝頼様……ごめんなさい。俺にはあなたを救うほどの英雄的な力はない。だけど、史実みたいに『騙して見捨てた』わけじゃない。これで……これで武田家に対する最低限の義理は通した……!)

信茂は立ち上がり、着いた泥を払った。

「よし! 感傷に浸っている時間はないぞ!」


信茂はパッと表情を切り替えた。

「宮内助! ただちに織田信忠様の陣へ使者を飛ばせ!『小山田家は武田家との関係を正式に解消し、織田家への帰順の準備が整いました』とな!」

「は、ははっ!」

「急げ! 織田家が甲斐を完全平定する前に、俺たちの『優秀なデータ』を信忠様のデスクに届けるんだ!!」


生存をかけた戦国サバイバル。

勝頼との悲痛な別れを告げた信茂は、いよいよ最大の難関――「恐怖のCEO・織田信長」との面談へと足を踏み出していくのだった。

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