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ナギサさんの最高に旨い夕食を食べて、至福のまま泊まっている客室のベッドに潜り込んだ。

昼間のツッコミ疲れが祟ったのか、泥のように眠りについていた……はずだった。


ふと、夜中に目が覚めた。


部屋の中はしんと静まり返り、暖炉の残り火がかすかに赤く壁を照らしている。まだ頭がぼんやりする中で、枕元の空間が不自然に明滅していることに気がついた。


『深夜にふと目覚めたおれは、何となく廊下に出て、』


「……また勝手に文を紡いでる。本当に24時間営業だな、この鬱陶しいシステムは」


俺は枕を投げつけたい衝動を抑え、ガシガシと頭を掻いた。就寝中にまでナレーションを侵入させてくるとは、見境なさにも程がある。


しかし、その後に続くはずの文字が、なぜか今回はそこでピタリと止まり、点滅を繰り返している。いつもなら怒涛の勢いで「そこに佇むハルカのナイトウェア姿に――」などと妄想を捏造してくるはずなのに。


(……待てよ。誰かいるのか? それとも、まさかこの館の住人じゃない『知らない人との出会い』か?)


もしこの閉ざされた雪の洋館に、ハルカさんたち以外の誰かが迷い込んでいるのだとしたら? あるいは、システムのバグが引き起こした新しい展開だろうか。


「やれやれ、ちょっと起きてみるか……」


システムに動かされるのは癪だが、このままベッドの中で次のナレーションが降ってくるのを待つよりはマシだ。

俺は上着を羽織ると、意を決して客室の重いドアノブに手をかけた。深夜の廊下の向こうで、一体何が待っているのか――。


この空間自体が、現実とゲームの概念がごちゃ混ぜになった怪異そのもののような場所だ。

今更ナニが存在していてもおかしくはないのだが、この深夜の静寂の中で露骨な幽霊譚が始まるのは普通にちょっと怖い。


俺が廊下へ踏み出すと、また光の文字が走った。


『階下に降りたおれは、導かれるように玄関ホールからラウンジに向かい、そして窓から外を見つめる人影を――』


「おい、なんだよ……本当に幽霊ものイベントか?」


というか、待て。相手が幽霊だろうが怪異だろうが、このシステムのことだ、どうせまた「おれは冷たい彼女の体をこの手で温めてあげたいと――」みたいな愛欲シナリオを裏で作成しているに決まっている。相手を選べ、このクソシステム。


緊張の面持ちでソファの並ぶラウンジに足を踏み入れると、その存在は確かにそこにいた。


月明かりと雪の照り返しが差し込む窓辺に佇み、じっと外の白銀の世界を眺めている。

白いワンピースを着た、驚くほど儚げで線の細い、綺麗な銀髪の少女だった。


部屋に入った俺の衣擦れの音に気づいたのだろう。彼女は驚いたように肩を揺らし、静かにこちらを振り返った。


そして、まっすぐに俺を見つめる――。


いや、違う。彼女の視線は、俺の目の前の空間にデカデカと浮かび上がっている光の文字のテキスト表示欄に注がれていた。


彼女は当惑したように、中空の文字を凝視している。


俺側から見えるように表示されているから、向こうからしたら完全な左右反転の鏡文字だ。反転文字は読みにくいよね、突如現れた謎の発光体だし……なんて思っている場合ではなかった。


最悪なことに、そのテキスト欄には、現在進行形でシステムによるお馬鹿な妄想駄文がリアルタイムで生成され続けていた。


『深夜のラウンジで出会った神秘的な美少女。おれはその吸い込まれそうな瞳に一瞬で心を奪われ、運命の恋を確信していた。高鳴る鼓動。おれは彼女の手を優しく包み込み、熱い想いを告げようと——』


「あっ……マズい!!」


俺が画面を叩き消そうと手を伸ばした時には、すでに遅かった。


その少女はめちゃくちゃ頭が良いか、あるいは凄まじい動体視力の持ち主だったらしい。必死に反転文字を脳内変換して、システムが垂れ流している最悪の駄文を完全に読み解いてしまったのだ。


静寂の中、少女の端正でどこか神秘的だった顔が、みるみるうちに驚愕と羞恥で強張っていくのがはっきりと分かった。


少女の顔が真っ赤に染まっていく。幽霊か怪異か知らないが、初対面の男の目の前で「運命の恋」だの「熱い想い」だのという痛々しい妄想ポエムを音読させられたようなものだ。


「ち、違うんです! これ、俺が考えてることじゃなくて、この狂ったシステムが勝手に!!」


俺は慌てて両手を振りながら、テキスト表示を全力で殴り飛ばして粉砕した。深夜のラウンジに、気まずすぎる空気と、大誤解を解こうと必死な遭難者の声だけが虚しく響き渡った。


幽霊(?)の少女は、無言のままサッと両手で自分の体をかばうように抱きしめ、完全に変質者を見る目で警戒しながら、ススス……と後ずさった。


「違うんです! 本当に誤解なんです! 俺のせいじゃない、俺の脳内でもないんです!!」


必死に身白結白を証明しようとする俺の言葉を遮るように、空中に先ほどよりさらに熱度を増した陳腐なラブラブテキストが、無情にも生成され始めた。


『おれの本気度が伝わったのか、彼女は小動物のように愛らしく身を震わせている。その初々しい拒絶すらも、おれの熱情を激しく刺激した。おれは一歩、また一歩と彼女との距離を詰め――』


「詰めてねえよ! 一歩も動いてねえわ!」


脳の血管がブチ切れそうになりながら、俺は再度、目の前の表示欄をガシッと両手で掴んで床に投げ捨てようとした。


だが、その瞬間。

フワッ、とテキスト表示欄が意思を持ったかのように俺の手をすり抜け、なんと天井近くへと浮き上がったのだ。


「なんだと!?」


システム側も、度重なる俺の物理破壊に対策を講じてきたらしい。


表示欄はまるで生き物のように、俺の手が届かない部屋のあちこちへヒラヒラと逃げ回りながら、なおも『おれの熱い眼差しが、彼女の清らかな肌を――』などと文字を紡ぎ続けている。


「待て! 止まれ! 捏造をやめろ!!」


俺はソファを飛び越え、ラウンジの中を縦横無尽に駆けずり回りながら、深夜の暗がりに浮かぶ光の枠を必死に追いかけ回した。ジャンプしては空を切り、着地しては次の逃走先へダッシュする。


そんな、深夜のラウンジでひとり謎の発光体を血眼で追いかけまわす不審すぎる俺の姿を――。


謎の銀髪美少女は、体をかばったポーズのまま、文字通り「( ゜д゜)?」という、完全に言葉を失った顔で見つめていた。


反転文字でセクハラ文面を読まされた恐怖よりも、目の前で繰り広げられている「システムvs遭難者」の泥仕合のサイケデリックな光景のほうが、彼女の理解のキャパシティを遥かに超えてしまったようだった。


・  ・  ・  ・  ・  ・


「――というわけなんです。車で山越えをしようとしたら、あの記録的な大雪で遭難しかけて、ここの皆さんに助けてもらって、今は一時的に逗留しているだけで……」


俺は息を荒らしながら、天井の隅に張り付いたテキスト表示欄を忌々しげに見上げつつ、銀髪の少女に向かって早口で事情を説明した。


ついでに、あの光の文字は俺の意思とは1ミリも関係なく、この洋館の狂ったシステムが勝手に生成している全自動の濡れ衣テキストであることも、身振り手振りを交えて必死に釈明した。


少女は依然として距離をとったままだったが、俺の必死すぎる形相と、未だに空中を不規則に漂っているお馬鹿テキスト画面を見比べるうちに、少しずつ警戒を解いてくれたようだ。


コクン、と小さく頷き、どうやら俺が危険な狼藉者ではなく、ただの不条理なシステム被害者であるという事実を納得してくれたらしい。


「で……お騒がせして本当に申し訳ないんですが、あなたは、その、結局どなたですかね?」


尋ねてみたものの、彼女はただこちらの目を静かに見つめ返すだけで、何も答えない。喋ろうとする気配もなく、ただそこに透き通るように佇んでいる。


深夜の洋館の幽霊といえば、何かこの世に強い未練を残して亡くなった薄幸の短い人生、みたいな重いバックグラウンドを想像してしまうが……どうも彼女からはそういう陰惨な気配が感じられなかった。


(というか、この狂った館のことだ……。歴史的な怨念とかじゃなくて、最初から『深夜のラウンジに出現する、口数の少ない薄幸系の銀髪幽霊美少女(ヒロイン候補)』として、システム側に備え付けで設定された存在なんじゃないか?)


そんなメタなメタ考察が頭をよぎる。何にせよ、これ以上ここにいても、またあの逃げ回るシステムが「深夜の秘密を共有した二人の距離は、急速に――」などとろくでもない追撃を始めて、彼女に余計な羞恥心を与えるだけだ。


「……とにかく、変なものを見せてすみませんでした。俺はもう部屋に戻って寝ます」


話を終え、俺がこれ以上の燃料投下を避けるために丁重に一礼すると、銀髪の少女は驚いたように少しだけ目を丸くした。


そして、着ている白いワンピースの裾を両手でそっと持ち上げるような、まるでどこかの貴族の令嬢のような気品ある上品な動作で、小さくお辞儀を返してくれた。


その静かで美しい一連の所作に見惚れそうになったが、俺は危うく頭を振って理性を保ち、ラウンジを後にした。


背後では、まだ消え残った光の文字が未練がましく虚空で明滅していたが、もう知らん。俺は今度こそ、泥のような眠りに戻るべく自分の客室へと急いだ。


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