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とりあえず文章出力は停止したようだ。
俺はなんとか気持ちをリセットして、再び静かに首まで湯に浸かった。
しんしんと降り続ける雪を眺めながらの雪見露天風呂。よく考えれば、この上なく贅沢な時間だ。
幸いにも、それ以上のドタバタに見舞われることもなく、芯まで十分に温まってから、俺たちは静かに館へと戻ってきた。
一階の広間で、パチパチと爆ぜる暖炉の火をぼんやりと眺める。
そもそも、いったいどの時点から、現実と概念が混在するこんな奇妙な状態に遷移してしまったのだろうか。
もしこれが本物のアドベンチャーゲームと同じ仕組みなら、シナリオが進行して「エンディング」を迎えさえすれば、俺は無事に麓へ下山できるのだろうか……。
何か手掛かりはないのか。そうだ、この館の図書室だ。あそこに何か情報はないだろうか……。
図書室の存在を思い出し、ハルカさんに閲覧の許可を求めて快諾を得たので足を運んだ。なぜか皆といっしょにぞろぞろと。
「この周辺の古地図でもあれば、外の地理や脱出ルートがわかるかもしれないんですが……」
そう呟きながら地理や郷土史の棚を探してみるが、この地域の決定的な古地図は見当たらない。
ならばと、次は民俗伝承の書籍が集まるコーナーへ。この館に関する怪異や奇妙なルールの正体が載っていないか期待したが、ここにあるのは一般的な妖怪や地域の伝承が書かれた普通の書籍ばかりだった。
しかも大正あたりに発刊された本は、文体も旧仮名遣いで古くてとにかく読みづらい。文字を追うだけで目が滑る。
「宗近さん、そろそろ一息入れませんか?」
そのとき、本棚の向こうから救いの声が聞こえた。振り返ると、アヤカさんとサツキさんが人数分の紅茶と、何やら良い香りのする焼き菓子を載せた上品なティーカートを押して入ってきてくれた。
図書室の中央にある、重厚で大きな木製の机へ皆で集まる。
「図書室でお茶会なんて、ちょっとお行儀が悪いかな……」
「うふふ、堅苦しいことは言いっこなしよ。ここでは私たちがルールなんですもの」
ハルカさんが優雅に椅子を引きながら微笑む。まあ、こんな風に美女たちと古い書物に囲まれてお茶をすするのも、状況さえまともなら「こんなのも楽しいね」と純粋に言える空間だ。
「そうっすよ! ほら、これ当館の自慢の自家製クッキーっす。たっぷり食べて元気出してください!」
トレイからお皿を差し出してくれたのは、厨房からお茶会に合流したナギサさんだ。
さっそく一枚、口に運んでみる。バターの芳醇な香りと香ばしいサクサク感が口いっぱいに広がった。
「うん、美味しいです。ありがとうございます、料理長」
「へへ、お粗末さまでっす!」
旨いクッキーと温かい紅茶のおかげで、擦り切れかけていたライフゲージがようやく少しだけ回復していくのを感じた。
「ユキエさん、紅茶のおかわりはいかがですか」
アヤカさんが静かにポットを傾けるのを横目で見ながら、俺は温かいカップを両手で包み、意を決してユキエさんに話しかけてみた。
「あの、ユキエさん。もし可能なら、俺を連れて一緒に麓まで踏破する……っていうのは、やっぱり無理ですかね」
藁にもすがる思いの提案だったが、ユキエさんは紅茶のカップをそっとソーサーに戻し、穏やかな、しかしどこか諭すような視線を俺に向けて首を横に振った。
「宗近さん、お気持ちは分かりますが……お勧めはできません。この積雪と吹雪の中、私の歩調についてくるのは、並の体力では不可能です。途中であなたが動けなくなるのは目に見えていますから」
流石はあのクレイジーな白銀の世界を平然と歩いてくるウルトラ地元民、言うことに説得力がありすぎる。
仮に強行したところで、俺だけが早々に脱落するか、良くて途中の山中にあるというユキエさんの家に命からがら退避させてもらい、ただ避難場所が移動するだけという結果に終わりそうだ。
(やっぱり、物理的な強行突破は無理か……)
俺ががっくりと肩を落とした、まさにその瞬間。
図書室のクラシックな木製デスクの真ん中から光が立ち上り、余計な文章が空中にテキスト展開され始めた。
『おれは脱出という大義名分を掲げながらも、内心ではユキエと二人きり、誰もいない雪深い銀世界へ飛び出す妄想に胸を焦がしていた。過酷な吹雪に遮られた視界の中、互いの体温だけを頼りに身を寄せ合う二人。それはまさに、世界のすべてを敵に回したかのような、甘く切ない雪の中の愛の逃避行――』
「逃避行じゃねえ! 必死の脱出戦略だ! 」
俺は立ち上がり、空中に浮かぶ「愛の逃避行」の文字を両手でベシベシとはたき、雑巾でも絞るかのように力任せにねじ切った。
だめだ、この世界は本当にどうかしている。
脱出の相談という、これ以上ないほど真面目で切実な会話をしているだけなのに、俺の思考やセリフのすべてが全自動でラブシナリオの燃料に変換されていってしまう。
「あら、宗近さん。私との逃避行、そんなに嫌でしたか?」
ユキエさんがクスリと、どこまでも穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「い、いや、そういう意味では……」
弁明しかけたが、これ以上何か言えば、さらに強力なナレーションの第2波が飛んでくるのは火を見るより明らかだった。
俺はそれ以上の言葉を飲み込み、残りの紅茶を一気に胃の中に流し込んで、固く口を閉ざした。
「でもな……」
押し寄せる静かな現実を前に、俺は思わずポツリと本音を漏らしてしまった。
「流石にちょっと、これからどうなるのか不安になってくるよ……。皆が親切なのも、ここでどれだけ過ごしても現実世界の時間に影響がないのも分かったけどさ。いつまでここにいることになるのか、本当に戻れるのかって考えると……」
暖炉の爆ぜる音だけが響く静かな図書室で、俺が少しうつむいた、その時だった。
「大丈夫ですよ、宗近さん!」
不意に、サツキさんがポンと俺の肩を叩いた。
顔を上げると、彼女はいつもの太陽のような屈託のない笑顔を浮かべて、俺を真っ直ぐに見つめていた。
「そんなに暗い顔しないでください。雪だっていつかは絶対に止みますし、そのうちにちゃんと下山できますから! 私たちが保証します!」
「……サツキさん。ありがとう」
その真っ直ぐで根拠のない、だけど温かい言葉に、張り詰めていた胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
本当にいい子だなぁ、と心から感謝した――まさにその瞬間。
『おれはサツキの無邪気で温かい励ましに、激しく心を揺さぶられていた。不安の闇を照らす彼女の笑顔は、おれにとって唯一無二の救いの光。おれは熱い感情を抑えきれず、彼女の華奢な肩を抱き寄せ、そのまま二人の距離は――』
「だから! 良い話の余韻を1秒でブチ壊すな!!」
俺は立ち上がり、空中に出現した邪悪なテキストを殴りつけて破砕した。
文字は火花となって散ったが、サツキさんはケラケラと笑っている。
このメンタルへの波状攻撃、本当に寿命が縮まる。
・ ・ ・ ・ ・ ・
お茶会を終えた後、俺は図書室の片隅で、諦め悪くあの「コマンド入力欄」を呼び出して必死に文章を打ち込み、力技での脱出を試みていた。
システムがこちらの行動や思考をラブラブ展開に変換してくるなら、こちらからダイレクトに状況を規定するテキストを入力してやればいい。
まずはこれだ。
【 重機が入って雪崩で埋まった道が急速に復旧作業が進み道が通れるようになった 】
確定をタップ。一瞬、虚空の画面が緑色に明滅し、事態が好転するかと思われた。だが――。
『――だが、復旧した瞬間に上空で局地的な超巨大乱気流が発生。観測史上最大の豪雪が再び国道を襲い、復旧したばかりの道路はさっきの倍の雪崩によって文字通り完全に消失した。下山不可能な絶望が、再びおれを襲う――』
「どんだけ俺を閉じ込めたいんだよ!」
諦めずに次のコマンドを打ち込む。
【 雪が止んだ。おれはクルマまでたどり着いて掘り出せた 】
これならどうだ。画面が承認の音を鳴らす。
『――おれは必死に雪を掻き出し、ついに愛車を完全に掘り出すことに成功した。しかし、狂喜乱舞するおれが運転席に乗り込んでナビを確認すると、麓へ降りる道は変わらず3メートルの豪雪で不通のままだった。結局、おれは冷え切った車内で途方に暮れ、ハルカたちの待つ温かい館へ、すごすごと引き返すしか道は残されていなかったのだ――』
「結局戻されるんかい!」
ことごとくシステムに先回りされ、全てのルートを綺麗に回避されてしまう。除雪すればさらに豪雪が降り、車を掘り出しても道が塞がっている。
力技のテキスト入力に対して、システム側も「後出しの不条理」で徹底抗戦してくる構えだ。
(クソ、何かこのシステムの盲点はないんかな……。アドベンチャーゲームのルール、バグ、あるいは……)
脳細胞をフル回転させてバグの突破口を探していた、まさにその時。チーン、と館の奥から心地よい鐘の音が響いてきた。
「宗近さん、そろそろ夕食の時間ですよ」
廊下からのぞき込んだナギサさんが、エプロンの紐を結び直しながら声をかけてくれた。時計を見れば、いつの間にかもう夕方のいい時間だ。
コンソールに齧り付いて突っ込みを入れていたせいで、時間が経つのが恐ろしく早い。
「あら、もうそんな時間なのね」
ハルカさんが優雅に立ち上がり、アヤカさんやユキエさんたちもぞろぞろと席を立つ。
「あ、はい。今行きます」
正直、システムの裏をかくアイデアはまだ浮かばない。だが、これだけ頭とツッコミの体力を酷使したのだ、お腹は完全にペコペコだった。
「よし……まずは腹を満たして落ち着こう。戦いはそれからだ」
ナギサさんの作る絶品料理の匂いに誘われるようにして、俺は皆と共に図書室を後にした。




