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「この近くに露天風呂ですか?」
食堂で紅茶を飲みながら、この館の敷地内には立派な露天風呂があるという話を耳にした。
だが、窓の外を見れば豪雪の極限世界だ。いくら温泉が魅力的とはいえ、この中を外に出て移動するなんて正気の沙汰ではない。一苦労どころか、また遭難しかねない。
(……いや、待てよ? この狂ったシステムからすれば、豪雪の露天風呂なんて、それこそ『おあつらえ向きのイベント』としてぴったりなんじゃないか?)
下手に抵抗して部屋に引きこもるより、システムが喜びそうな舞台に自ら乗っかった方が、逆に変な妄想を捏造されずに済むかもしれない。何より、この精神的疲労を温泉で洗い流せるなら、格好の気分転換だ。
「安心してください、宗近さん。館から露天風呂までは、雪の重みにも耐えられる頑丈な屋根付きの小道が通っていますから。傘も要りませんよー」
サツキさんが笑顔で教えてくれた。それなら安全に歩いて行けそうだ。
というわけで、少し身体を温め直そうと露天風呂へ向かうことになったのだが、なぜかハルカさん、サツキさん、そしてユキエさんと俺の四人で行くという大所帯になってしまった。
一瞬、背筋に冷たいものが走ったが、サツキさんが「あ、もちろん男女別々の岩風呂ですからね!」と元気に付け加えてくれた。
(よし、混浴ではないな。安全だ。これなら致命的なラブラブイベントは発生しようがない)
俺が心底ホッとした、まさにその瞬間。食堂の空中に字幕が湧き上がってきた。
当然、その場にいる全員の目が、空中に浮かんだ文字へと向けられる。
『おれは表面上こそ落ち着きを装っていたが、内心ではこれから向かう「雪見露天風呂」のシチュエーションに心を躍らせていた。露天風呂の壁一枚隔てた向こう側から聞こえてくるであろう、ハルカの艶やかな声、サツキのはしゃぐ気配、そしてユキエのしとやかな湯あみの音――。これから訪れる甘美な時間への期待を隠すように、おれはただ、薫り高い紅茶を静かに口へと運んでいた――』
「ですから! そんな失礼なことは考えてませんってば!!」
俺は食堂中に響き渡る声で絶叫し、空中の文章を両手でバシバシと全力で掻き消した。
もう赤面が止まらない。穴があったら入りたいとはこのことだ。
「あら……。宗近さん、私の声がそんなに艶っぽく聴こえていたのかしら?」
ハルカさんが楽しげに妖艶な微笑みを向けてくる。
「そんなに期待してくれているなら、湯船の中で少し大きめにお喋りしちゃおうかな!」
サツキさんも悪戯っぽく笑って俺をからかう。
一方で、ユキエさんだけは相変わらず沈着冷静だった。穏やかな視線で消えゆく光の文字を見届けた後、静かに温かいお茶を口に運ぶ。
「宗近さん、そんなに熱くなられては、お湯に入る前にのぼせてしまいますよ。さあ、温泉へゆっくり羽を伸ばしに参りましょうか」
「うぅ……はい……」
俺は疲れ切った精神を癒やすため(あるいはさらに擦り減らすため)、昼食後の午後に露天風呂へと向かうことになったのだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
湯から上がった後の帰り道で湯冷めしないよう、全員でしっかりと厚手の上着を着込んでから館を出た。
白銀の世界を左右に割るようにして、頑丈な屋根付きの通路が奥へと伸びている。寒風を防ぐ板壁に囲まれた通路を150メートルほど歩くと、お目当ての露天風呂に到着した。
「ほう、これは見事なもんだ……」
男湯の暖簾をくぐり、脱衣所を経て外へ出た瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。
大きな岩で囲まれた湯船からは豊かな湯煙が立ち上り、周囲を囲む雪化粧をした木々が、まるで一幅の水墨画のような美しさを見せている。
掛け湯をしてから身体をゆっくりと湯に沈めると、芯までほぐれるような温もりがじんわりと体に染み渡っていった。
しっかりと足を伸ばせる広々とした湯は素晴らしい。頭上に舞い散る牡丹雪も、今ばかりはただただ風雅な演出に思えた。
(……それにしても、静かだな。あの鬱陶しい文章が全く出てこない)
いつもなら俺のちょっとした感動や肯定を敏感に察知して、捏造字幕が目の前に湧き出てくるはずだ。システム側も、さすがに温泉の風情を前に空気を読んだのだろうか。
「ふぅ……」
張り詰めていた肩の力がようやく抜け、湯の心地よさに身を任せていた、まさにその時だった。
「あははは! ちょっとこれ、めちゃくちゃ面白いんだけどー!」
壁一枚隔てた向こう側の女湯から、サツキさんの爆笑が響き渡ってきた。
(は……?)
嫌な予感がして耳を澄ますと、どういうわけか、俺の目の前に現れるはずのナレーション字幕が、バグのせいで向こうの女湯側に出現してしまっているらしかった。
……って、なんだとーーーっ!?
「ちょっとサツキ、笑いすぎよ。…………でも、システムの脚色だと分かっていても、こんな大胆なことを書かれたら吹き出しちゃうわね」
「システムのイタズラと分かっております、宗近さん。ですが……本当にこのようなお気持ちは、ひと欠片もないのでしょうか?……ふふ」
ハルカさんの妖艶な笑い声と、ユキエさんのどこまでも穏やかな声まで重なって聞こえてくる。
(なんて書いてあったんだ!? バグのせいで中身が全く分からん!)
見えない恐怖と凄まじい羞恥心が押し寄せ、俺はいたたまれなくなって岩壁の向こうへ向かって大声で叫んだ。
「ちょっと待ってください! 何が書いてあるか知りませんけど、俺はそんなこと一切考えてませんから! システムの完全な捏造です!」
すると、サツキさんが容赦なくその字幕を大声で読み上げ始めた。
「えーっとね!
『おれは舞い散る雪を見つめながら、壁一枚隔てた向こうでしっとりと湯に濡れる彼女たちの艶やかな肌を思い浮かべていた。胸の奥で煮立つ情熱は、この湯の温もりすら生ぬるく感じさせるほどに熱い。衝動のままにこの壁を打ち破り、彼女たちをこの腕に強く抱きすくめてしまいたいという猛烈な欲望に、おれの理性は激しく揺れ――』」
「ストップ! 音読するな! 恥ずかしさで湯に沈むわ!」
俺が湯船の中で頭を抱えていると、ハルカさんが「あら、私たちの肌がそんなに気になるのかしら? うふふ……」と愉しげに追撃してくる。
さらに、ユキエさんの静かで穏やかな声が響いた。
「宗近さん、男の方ならこれくらいの血気盛んな妄想を抱くのは自然なことです。決して恥じることではありません。どうぞ、お気になさらずにゆったりと温まってくださいね」
「ユキエさん、その穏やかなフォローが、逆に一番心に突き刺さって辛いんです……!」
バグのせいで、自分だけが内容を把握できないまま、身に覚えのない妄想を勝手に創作されるという精神攻撃。
風雅な露天風呂の風情は、システムによるでっち上げの嵐に巻き込まれて粉砕された。




