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食堂の椅子に深々と身を沈め、俺はそのまま机に突っ伏した。
「もう、頭がおかしくなりそうだ……」
そんな状態の俺を見たハルカさんから「気分転換に館の中を散策してみたら?」と勧められ、俺はアヤカさんの案内でこの巨大な館の中を歩いて回ることになった。
案内されて改めて驚いたが、この館は地上3階建ての巨大な建造物だった。
館の奥へと進むにつれてその広大さが露わになり、壁一面に古書が並ぶ図書室や、重厚な台が置かれたビリヤード室をはじめ、絢爛豪華なシャンデリアが輝く舞踏室、高級感漂う調度品で飾られた貴賓室が次々と姿を現す。
さらに廊下ですれ違う際、アヤカさんやサツキさん、ナギサさん以外にも、何人ものメイドさんたちが働いているのが見えた。この館の巨大さを考えれば当然の人数なのだろう。
地下へ降りると、お決まりのワインセラーや、広大な食料貯蔵庫などがあった。
地下の散策を終え、次に三階へ上がる。そこには、少し広めの開放的なテラスがあった。
屋根付きの一角になっているおかげで、床に多少の雪が吹き込んでいる程度で、その周囲を歩き回ることは十分にできる。
手すりに近づき、冷たい風を感じながら外の白銀の世界を見渡す。
……正直なところ、この狂ったシステムという状況さえなければ、このゴシック様式の館は本当に見ごたえがある。
建築としての完成度は高く、こうしてただ見て歩き回るだけでも、男のロマンを刺激されて純粋に楽しい。
何より、遭難した身でありながら、ナギサさんの作る抜群に旨い食事があり、ハルカさんやアヤカさん、サツキさんのような美女たちに囲まれている。
その事実だけで、俺の精神衛生はかなり救われていると言っていい。なんだかんだ文句は言いつつも、最悪の凍死から比べれば、ここは天国のような場所なのだ。
そこまで考えて、俺はハッと息を呑んだ。
自らの思考のハードルを下げ、現状を肯定しかけたその瞬間。案の定、待ってましたと言わんばかりに、テラスの空中に光の文字が出現した。
『おれは白銀の絶景を前に、ついに自らの本音を白状した。そう、おれはこのゴシックな迷宮に、そして何より、衣食住のすべてを甘やかし、おれを極上の歓びで満たしてくれる美しき魔女たちに、すでに身も心も虜にされていたのだ。ふと隣を見れば、おれの横顔をじっと見つめるアヤカの白い吐息。その美しき顔に見とれ、抗うのをやめたおれは、このまま彼女たちの愛の檻に閉じ込められる未来を、静かに受け入れようと――』
「だから!! 1ミリも受け入れてねえよ!!」
俺は空中の文字を全力で殴り飛ばした。
なんでちょっとポジティブな感想を持っただけで、一気に「愛の檻に監禁されるルート」へ直行しようとするんだ。勘弁してくれ。
隣に立つアヤカさんが、冷たい風に長い黒髪を揺らしながら、相変わらずクールに俺を見つめている。だが、その視線はどこか、俺の必死の抵抗を観察して楽しんでいるようにも見えた。
「……アヤカさん、お願いだから今のナレーションは忘れてください。俺はただ、建物が立派で食事が旨いって言いたかっただけなんです」
「分かっております。ですが、このシステムはお客様のわずかな『肯定』も見逃さず、全力で外堀を埋めに来る仕様のようですね。……おや」
アヤカさんがテラスの入り口に目を向ける。そこには、俺たちの様子を伺うように、いつの間にか次の選択肢がぬっと浮かび上がっていた。
【 アヤカの白い吐息に見とれ、思わずその手を握りしめる 】
【 「部屋に戻ってチェスでもしませんか」とアヤカを誘う 】
【 「ハルカさんは今どこに?」と聞いて、本命の元へ向かう 】
「本命とか言うな!!」
またしてもロマンス展開に誘導してくる。もういっそ、このテラスから雪山に向かって叫び出したい気分だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
システムへ突っ込むだけで、本気で一日のエネルギーを半分以上浪費した気分だ。俺はぐったりしながら、アヤカさんと共に一階の食堂へと降りた。
外はまだ午前の半ば。窓の外の吹雪は一向に衰える気配がない。
「お疲れのようですね。どうぞ」
アヤカさんが手際よく、温かい紅茶を淹れて目の前に置いてくれた。お茶請けにと、綺麗な小皿に上品な焼き菓子まで添えられている。
「あ、すみません……ありがとうございます」
本当に至れり尽くせりだ。システムさえまともなら、今度こそ最高のティータイムなのだが。
そんなことを考えていると、静かな足音がして、食堂の入り口にユキエさんが姿を現した。
驚いたことに、透き通るような白い肌によく映える白い和装に着替えていた。長い白髪も相まって、神秘的というかなんというか……。
(……本当は雪女か何かですかね)
ついそんな疑念が脳裏をよぎる。また変な文字が湧き出ると困るので、俺は思い切って本人に直接、疑問をぶつけてみることにした。
「あの、ユキエさんって、もしかして……その……」
「何でしょうか、宗近さん」
ユキエさんは実に沈着冷静で、穏やかな微笑みを浮かべながら小首を傾げた。その佇まいはどこまでも静かで、凛とした空気を纏っている。
「いえ、その、こんな豪雪の山の中を、一人で歩いてこられたので……。一体どういうご職業なのかなと」
「ふふ、そんなに大層なものではありませんよ。私はただの、ハルカたちの『ご近所さん』です。少しばかり、雪道を歩くのが得意なだけの」
「ご近所さん」
その単語を聞いた瞬間、俺の頭の中にさっき見た「積雪1メートル」の光景がフラッシュバックした。
あの遭難必至の、プロの登山家でも命の危険を感じるレベルの豪雪山中を、レンジャー隊員クラスの重装備とはいえ単独で踏破して回覧板でも持ってくるかのように現れるご近所さん。
(ご近所さんの定義が壊れる……!)
俺が心の中で激しくツッコミを入れた、まさにその瞬間だった。空中に、また新たな字幕がヌッとせり上がってきた。
『おれはユキエの、雪のように儚くも美しい和装姿に、完全に目を奪われていた。ご近所さん、という親しげな響き。それがおれと彼女の距離を急速に縮めていく。おれは彼女の冷たそうな白い指先を想像し、その手を取って温めてあげたいという、抑えきれない衝動に駆られ――』
「駆られてない! 想像もしてない!単独で豪雪を突破してくる「ご近所さん」のスキルにツッコミを入れてただけだ!!」
俺は出現した字幕を思い切り叩き払った。
「あら」
ユキエさんは、砕け散った光の文字の文章を視線で追っていたが、特に慌てる風でもなく、相変わらず沈着冷静に、穏やかな声音で呟いた。
「文字が勝手に紡がれていくというのは、本当のことだったのですね。ですが宗近さん、そんなに怒らなくとも……私の手なら、いつでもお貸ししますよ?」
「いえ……お気持ちだけで十分です。お手を煩わせるなんて、本当に滅相もない……」
これ以上システムに燃料を与えるわけにはいかない。隣でアヤカさんが「ユキエさん、お客様をあまりからかわないでください。システムの文字数が無駄に増える仕様のようです」と、これまた冷静に突っ込んでいる。
お上品なティータイムの筈が、やはりこの館にいる限り、俺の四面楚歌な状況は1ミリも変わらないようだった。




