10
翌朝、食堂には香ばしい焼き魚と出汁のいい香りが漂っていた。
窓の外では今日も、容赦なく冷たい雪が舞い散っている。
俺は昨夜の出来事を整理すべく、朝食の席でハルカさんたちに、深夜のラウンジで遭遇したあの銀髪の幽霊少女について話してみた。
だが、返ってきたのは一様に首を傾げるリアクションばかりだった。
「あら、銀髪の……? うちの館に、そんな女の子はいたかしら」
ハルカさんが優雅に箸を止め、不思議そうに記憶をたどる。
「存じ上げません。当館の使用人、および現在ご滞在中の宗近様、ユキエ様のほかに、該当するような者はおりません」
アヤカさんも事務的に、しかし確実に否定した。
「見たこと無いよ? 宗近さん、夜中に寝ぼけて可愛い女の子の幻でも見たんじゃないですか?」
サツキさんが悪戯っぽく笑う。
「知らないっすね。深夜の厨房にも、そんな子は入ってきてないっすよ」
ナギサさんも首を振る。
「私もそのようなお嬢さんは見覚えがありませんね。この辺りの地縛霊という話も聞いたことがありません」
最後にユキエさんが、いつも通り沈着冷静にそう締めくくった。
やはり、既存の館のメンバーとは完全に別の存在、ノーマークのイレギュラーだ。
そうなると、考えられる理由は一つしかない。
俺がこの奇妙な概念空間に逗留し、「手がかりを探す」などのアクションを起こした結果、システムがルート分岐や新ヒロインとして、彼女をこの世界に新たに創成させてしまった可能性が極めて高い。
(なんてこった……。ただでさえ外堀を埋められてるのに、俺の行動のせいで館の住民を増やしてしまったのか……)
――と、頭を抱える俺の前に光の枠がヌッと出現した。
『おれは新たな美少女の影に怯えつつも、心の中では「次はどんな可愛い子が自分を待っているのだろう」と、あくなきハーレムの拡大に密かな期待を膨らませ、胸に滾る熱い血潮を――』
「ハーレムとか言うな! 朝の神聖な食卓に茶々を入れんな!」
俺は表示の途中でテキスト欄をガシッと掴み取り、食堂の窓を開けて、豪雪の銀世界へ全力で投げ捨てた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「そういえば、ここはテレビもラジオもないんだよね」
朝食を終えた後、ふと気になって呟いた。
まあ、外界の現世での時間が一切経過していない空間なのだから、電波を受信できないのも当然か。
それなのに、条件さえ揃えばここから外界の麓へ下山できそうというのだから、本当に不可思議なルールで縛られた世界だ。
すると、俺の呟きを聞いたアヤカさんが、静かに一歩前に出た。
「宗近様、電波の受信は困難ですが、当館には外部との交信用として無線室がございますが……ご覧になりますか?」
「え、無線室があるの?」
予想外の施設の名前に驚きつつ、俺はアヤカさんに案内されて館の奥へと向かった。
重い扉を開けて入ったその小部屋は……想像以上にゴツい通信機器が設置された、異様な空間だった。
「……軍用か何かですかね、これ?」
「さあ、私共には詳細までは。動作するとは思われますが、現在は使用されておりません」
今は使われていないそうだが、もしこの状況でうっかりスイッチを入れて通信なんかした日には、どこか更に深い異界にでも繋がって、とんでもないものを呼び出しそうで怖い。
……いや、よく考えたらここ自体がすでに一種の異界だったな。
そんな俺の警戒をよそに、部屋の真ん中に光の文字の選択肢がヌッと浮かび上がった。
【 通信設備を利用して通信先の異界の女を口説く 】
【 異界の電波に乗せて自分の愛の詩を朗読する 】
【 2人きりの好機を活かしてアヤカを口説く 】
「最初の、異界に向けた通信でナンパって何だよ!?」
下手すれば本当に、昨夜の銀髪幽霊少女の二の舞で、この館に新しい怪異の美女を召喚しかねない。絶対にダメだ。
「二番目のは論外だろ! 世界線を超えて黒歴史を垂れ流す気か!」
何が悲しくて、見知らぬ異界に向かって恥ずかしいポエムを送りつけねばならないのか。
俺が一人で通信機に向かってツッコミを入れていると、後ろで静かに佇んでいたアヤカさんが、その切れ長の目で最後の一行をじっと見つめた。
そして、一切の感情を排した声で極めて冷静なツッコミをくれた。
「宗近様。三番目のコマンドについてですが……私を口説くのでしたら、メイドの仕事中ではない時にしてください。業務の進捗に支障が出ますので」
「……え?」
俺は思考が完全にフリーズした。仕事中じゃない時ならいいの? 業務時間外なら口説いてもオッケーってこと?
「い、いやアヤカさん! 誤解です、そんな不埒なこと考えてませんから! このシステムの捏造ですから!?」
慌てて弁明する俺に対し、アヤカさんは「左様ですか」と静かに一礼するだけだった。
相変わらず表情自体は完璧なプロのメイドのそれだ。この荒唐無稽な選択肢に対して、平然と実務的な返答をしてのけるあたり、流石というか。
だが、その瞳の奥に、ほんの微かに悪戯っぽい光が宿っていた気がしたのは果たして気のせいか……。
いや、それはともかく、これ以上この部屋にいたら、システムのバグで本当に「愛の詩」の朗読が全自動でスタートしかねない。
俺は目の前の選択画面を両手でグシャグシャッと紙クズのように丸めて床へ投げ捨てて、背後でアヤカさんが「おいたわしや……」とでも言いたげな静かな足取りで付いてくる気配を感じながら、無線室を出た。
・ ・ ・ ・ ・ ・
それにしても、隙あらば俺の周囲に湧いて出るこのテキスト表示は、鬱陶しいにも程がある。
「……もう我慢ならん。何とかならないかな、これ」
俺は昼食後の食堂のテーブルで、手入力のコマンド欄を開き、システムそのものへ直接命令を打ち込んでやることにした。
システムからの妨害で即座の下山が叶わないとしても、せめてこの狂ったテキスト表現の方向性だけでも規制してやる。
『文章欄は児童文学レベルの健全な文章を作成するようになった』
指示を入力して確定をタップすると、表示欄が明滅し、システムが命令を受け付けたようだった。
よし、これであの破廉恥なナレーションは根絶されるはず――。
しかし、その直後に空中に展開されたのは、俺の淡い期待を木っ端みじんに吹き飛ばす、別の意味で頭のイカれたテキストだった。
『おれは、この館にみちる愛に、どこまでもどこまでも溺れてゆくのでした。
ハルカは、そのあやしいまなざしをおれに向けて、しづかに微笑みます。その瞳はまるで、夜空の青い星のやうに深く、おれは我を忘れて見惚れてしまふのでした。
ああ、サツキの明るい声は、風のやうに野原を駆け抜けて、おれのさびしさをやさしく包み込みます。
アヤカの淹れてくれるかぐはしいお茶の香りは、ふたりのあまい愛のあかし。
ナギサの拵へて(こしらへて)くれるあたたかな料理は、おれのからだとこころを深く満たすのです。
おれは、ユキエのしなやかな、あたゝかい手を取つて、その鼓動を感じました。
おれはだれひとりとして渡すことなく、この美しい乙女たちのすべてを、この手におさめるのだと心に誓ふのでし――』
「文豪に謝れえええええ!!」
無駄に格調高い表現で、健全性とはかけ離れた欲望の塊が錬成され、俺は頭を抱えた。
独特の語り口や旧仮名遣いで文学的に仕立て上げているクセに、中身はただのド直球ハーレム志向である。
詩的で情緒あふれる文章になった分、かえって狂気度が増して頭がおかしくなりそうだ。
尚、最悪なことに、この一部始終は館の皆に背後からバッチリ見られていた。
「うふふ、宗近さん。随分と格調高い愛の告白を考えていらしたのねぇ」
ハルカさんが口元を隠してクスクスと上品に笑っている。
「『誓ふ』とか『やうに』とか、うちの図書室にある古い本みたいな言葉遣いですね!なんだか物語の中にいるみたいです!」
サツキさんは無邪気に目を輝かせ、文章をじっくりと眺めている。
「す、すべてって……、ア、アタシまで含まれてるんすか……!?」
ナギサさんは顔を赤くして、あたふたしている。
テーブルに突っ伏した俺の背中に、アヤカさんとユキエさんがそっと手を置いた。
「宗近様……。お気持ちは分かりますが、あまり無理にシステムをいじくり回さない方が、御身のためかと存じます」
「そうですね、宗近さん。どうぞお気になさらず。私たちも別に気にしてはおりませんから」
この洋館のシステム、どんなに外側から教育しようとしても、全自動でラブ志向へ収束しようとするその本質だけは絶対に曲げないらしい。
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その日は特に手がかりも無く、皆に頼んで館の雑務の手伝いをさせてもらって過ごした。
そしてその夜。ふと夜中に目覚めた俺は、何となく上着を羽織って館内を散歩することにした。
深夜の館は、冷徹な静寂に包まれている。
(……昨夜の、あの銀髪の幽霊少女はまた何処かにいるのだろうか)
ふと空想が頭をよぎる。薄暗い廊下で、もしあの少女が二人に増殖し、某ホラー映画みたいに手を繋いで並んでいたら……。
流石の俺も、腰を抜かすかもしれん。
恐る恐る廊下を見渡してみるが……うん、幸いにも廊下には誰も居ない。
「居ないか……」とホッと胸を撫でおろし、足の向くままにまた一階の、ソファの並ぶラウンジへと足を運んでみた。
室内を覗く。
「――いた」
いた。いたのだが……。
「しかもたくさん!! 団体さんですかね!?」
窓辺に佇み、常夜灯に照らされた庭に降り続く雪を眺めていたのは、あの線の細い銀髪に白ワンピースの少女一人……ではなかった。
ざっと見ても十五、六人、いやそれ以上の同じ姿の少女たちが、ラウンジに集まっていたのだ。深夜のラウンジが、まるで銀髪美少女幽霊のオフ会みたいになっている。
一斉にこちらを振り返る少女たちの視線。
俺は思わず両手を上げ、全力で引きつった笑みを浮かべた。
「あ、いや、何となく目が覚めて歩いてただけなんで……どうぞお気になさらず、続けてください」
しゃべらない彼女たちは、無言のまま、( ゜д゜)( ゜д゜)( ゜д゜)という顔で、またしても俺の前に浮かび上がろうとしている不穏な光の文字を凝視している。
(待てよ、これだけ人数がいるなら、なんかこの子達から麓へ下山するためのヒントとか、システムの盲点とかがもらえたりしないかな……)
俺が藁にもすがる思いでそんな淡い期待を抱いた、まさにその瞬間だった。暴走したテキストの表示が容赦なく完成した。
『おれは増殖した美少女たちを前に、恐怖の限界を超えた新たな悦びに身体を震わせていた。一糸乱れぬ純白の群れ。おれは理性という名の枷をパージし、この場にいる彼女たち全てと真実の愛を紡ぐべく、一歩を踏み出――』
「暴走すんなこのクソシステム!! 一度に何人と愛を紡ぐ気だお前は!!」
これ以上の大誤解を、出会ったばかりの彼女たちに植え付けるわけにはいかない。
俺はテキスト表示欄をくしゃくしゃの球体に丸め、ラウンジの窓を開け放つと同時に、マイナス以下の外気へ向けて渾身のストレートで庭へ投げ捨てた。
冷気と共に窓をピシャリと閉め、こちらを見つめている銀髪の少女たち(複数)に向き直る。
「……すみません、夜分にお騒がせしました。お休みなさい」
俺は深々と一礼すると、これ以上の被害が出る前にと自室へ撤退した。




