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食事が終わると、サツキさんが俺に声をかけた。
「では、宗近さんをお部屋にご案内しますね! お風呂もばっちり沸かしてありますよ~」
「え、お風呂まで……?」
手厚い待遇に、驚きと恐縮で一瞬言葉に詰まる。
だが、システムは俺の硬直などお構いなしに、当然の義務であるかのように新たな選択肢をポップアップさせた。
【 「ありがとう、いただきます」と素直に風呂に入る 】
【 「いや、まずはこの館のことをもっと詳しく聞きたい」と拒否する 】
【 「一緒にどう?」と軽いノリでハルカを誘う 】
「三番目は完全に俺のキャラじゃないだろ!」
俺が思わず叫ぶと、ハルカさんがくすくすと喉を鳴らした。
「あら、残念。誘われたらちょっと考えてあげたのに」
「ハルカ様、お戯れを」
アヤカさんが冷ややかに釘を刺す。
俺はもう反論する元気もなく、観念して一番上の選択肢に指を触れた。
『おれは彼女たちの厚意に甘え、温かい湯に浸かることを選んだ。長い吹雪の中での凍えが解けていく。湯煙の向こうに見えるのは、おれの閉ざされた心を溶かしていった彼女たちの優しい笑顔。こんなにも誰かを愛おしいと思うなんて、いつ以来だろう。おれは今、静かに恋の温もりに包まれ――』
「ナレーションはいいから! 閉ざされた心なんて最初からねえよ!!」
目の前に浮かぶ字幕を叩いて消し去り、俺は一つ息を吐いた。
俺はハルカさんに改めて一番の懸念を尋ねてみた。
「明日の朝には、この雪も止んでくれるでしょうか……? 俺の車、大丈夫ですかね……」
「なんとも言えないわね。だって、この物語はまだ始まったばかりだもの」
彼女の微笑みには、どこか楽しげな、層底知れぬ不思議な響きが混じっていた。
煙に巻かれたような心地のままだったが、俺は素晴らしい夕食ともてなしに礼を述べ、食堂を後にした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
サツキさんに案内されて辿り着いたのは、二階の客室だった。
重厚な木製の扉を開けると、そこは暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる、広々とした優雅な寝室だった。
大きなベッドと、その奥に続く洗面台付きのバスルーム。まさに絵に描いたような「洋館の客室」そのものだ。
「それではごゆっくりどうぞ。おやすみなさい、宗近さん!」
サツキさんがペコリと一礼して去り、部屋に一人きりになると、俺はベッドの端に腰掛けて大きく息を吐いた。
「……はぁ。ようやく静かになったな」
これでようやく、あの羞恥ナレーションともおさらばして一息つける――と思った、まさに直後のことだった。
視界の中央に淡い光の文字が浮かび上がった。
【 風呂に入って身体を温める 】
【 部屋を探索してみる 】
【 ベッドに倒れ込んで眠る 】
しかも今度は、選択肢のすぐ下に、今までになかった小さな文字の注意書きまで添えられている。
《 ※この選択により、夜中のイベントが発生する可能性があります 》
「イベントってなんだよ! 怖いこと言うな!」
深夜の洋館のイベントなんて、ロクなことがないに決まっている。
俺は虚空に向かって叫びながらも、まずは冷え切った身体を最優先すべく、一番上の
【 風呂に入って身体を温める 】
を選んだ。
『おれはバスルームへと向かい、熱い湯を張った浴槽にゆっくりと身体を沈めた。疲れ切った筋肉が心地よく解けていく感覚に、思わず低いため息が漏れる。だが、おれはまだ気づいていなかった。この館の湯は、ただの水ではない、何か特別な――』
「いや、普通の湯だろ! 変な不穏フラグを立てるんじゃない!」
勝手に怪談風の解説を入れようとするナレーションを大急ぎで叩き消す。
風呂から上がり、備え付けのバスローブを羽織って部屋に戻ると、俺の帰りを待ち構えていたかのように、早くも次の選択肢が出現した。
【 そのままベッドに入って眠る 】
【 暖炉の前に座って考える 】
【 廊下に出て館を少し散策する 】
俺は迷わず、二番目の【 暖炉の前に座って考える 】を選択した。
まだ寝るには頭が冴え渡っているし、何より、この現実とゲームの概念が混ざり合った異常な状況について、少しでも思考を整理しておきたかったからだ。
橙色の炎が揺らめく暖炉の前に腰掛け、俺は静かに考えを巡らせ始めた。
要するに、俺の思考や心配事が引き金となり、それをシステムが面白おかしく、微妙にズレた方向へアレンジしながら筋書きを進めているのだ。
余計なことを考えれば考えるほど、このお節介な世界に燃料を投下することになる。ならば、今俺が取るべき最善の策は一つしかない。
「早めにさっさと寝るに限る」
これ以上システムに付け入る隙を与えないよう、思考を完全にシャットダウンするんだ。俺は部屋の電灯を消し、大きなベッドへと潜り込んだ。
カーテンの隙間から外に目をやると、敷地の野外灯に照らされた白銀の雪が、静かに、しかし絶え間なく降り続けている。
暖炉の余熱と布団の温もりに包まれ、ようやく一息ついた俺の意識は、心地よい微睡みの中へとゆっくり沈んでいった。
うとうとと、完全に意識が手放されようとした、まさにその時。
静まり返った暗闇の中、視界に淡い光の文字が割り込んできた。
【 深夜の自室に、妖艶な女主人のハルカが静かに訪れてきた 】
【 深夜の自室に、元気なメイドのサツキが夜食を持ってやってきた 】
【 深夜の自室に、クールなメイドのアヤカが用件を伝えに現れた 】
【 深夜の自室に、料理長のナギサが仕込みの相談に来た 】
【 深夜の自室に、全員が雪崩れ込んできた 】
「最後のは何だよ!!」
引きずり込まれそうだった眠気が一瞬で吹き飛んだ。
静かに寝かせてくれという俺のささやかな願いは無残に打ち砕かれ、眼前に浮かぶ選択肢は完全に暴走している。
百歩譲って上から4つ目までは「深夜の個別イベント」として理解できなくもない(ただし、ナギサさんの仕込みの相談は意味不明)。
だが、5番目は確実にシナリオの破綻、あるいはギャグ全振りのカオスルートだ。
主のハルカさんの来訪は性的に危うい予感しかないので却下だ。
あの大人の色香で迫られたら、俺の心臓が明日の朝まで持たない。
サツキさんの夜食というのも、フルコースを食べて風呂に入り、あとは寝るだけという今のタイミングで選ぶ選択肢じゃない。
アヤカさんの用件? これも何か不安だから無しだ。
そして、ナギサさんの仕込みの相談……って、一応は客人である俺と深夜に話す内容じゃないだろ。
だめだ、どれを選んでもまともな未来が見えない。俺は絶望的な状況を打破すべく、ふと考えた。
「待てよ。この世界が俺の思考で励起されているなら、システム上に自由行動のコマンド機能を無理やり作り出せるかもしれない――」
そう意識しながら光る文字の枠の隅々まで目を凝らすと、選択肢の枠外に、それまでなかったテキスト入力用の【 空欄 】がぽつんと用意されているのを見つけた。
「よし、ここへ自分で直接打ち込めば、システムに勝手なイベントを起こされずに済むはずだ」
俺はベッドから起き上がり、空中に浮かぶ入力欄へ、指先を使って直接サラサラと文字を書き込んだ。
『ナギサに、明日の朝食の希望を聞かれた。』
これだ。これなら夜に料理長が部屋に来る理由としても100%健全だし、極めて穏便にイベントを消化できる。我ながら完璧な展開設定だ。
俺が決定ボタンをタップすると、書き込んだ文字がシステムへ吸い込まれていった。
(よし、これでもう変な展開には――)
安心したのも束の間、次の瞬間、吸い込まれた俺の文章をベースにして、システムがものすごい勢いで「再翻訳」を開始した。
『おれは深夜、ノックの音とともに現れた料理長ナギサと、暗がりのベッドサイドで二人きりになった。ナギサはおれの顔を覗き込み、吐息を感じるほどの近さで「明日の朝、何が食べたい……?」と、甘く罪作りな声音で問いかけてきた。おれは彼女の予想外の積極性に翻弄されながらも、厨房ではなくこの部屋で始まる新たな「恋の仕込み」の予感に、胸を躍らせていた――』
「だから!! ラブラブ的な不穏な内容に勝手に変換するんじゃねえ!!」
思わず空中のテキスト目掛けて枕を投げつける。ただの穏便な朝食のメニュー選びが、なんで一瞬で深夜の恋愛小説みたいな展開になるんだ。
コンコン――不意に部屋を叩くノックの音。
俺が慌ててドアを開けると、そこには本当にナギサさんが立っていた。
しかし彼女の視線は俺ではなく、なぜか俺の背後へと注がれている。
(?……あっ、まずい……!!)
俺の背後には、まだあのふざけたナレーション字幕が怪しく空中に浮かんだままだった。
消し忘れたテキストを全身で覆い隠そうとしたが、時すでに遅し。文字を読み終えたナギサさんは、当惑した視線を俺に向けてきた。
「え……? ア、アタシがいいんすか? いや、ちょっとこういうのは、その、柄じゃなくて困るんすが……」
いつもはサバサバしている彼女が、心なしか少し頬を染めて縮こまり、最後にふいと視線を横にそらした。
その姿はシステムの干渉なんて無くても、ギャップというか、普通にちょっと魅力的で――。
「って、やめやめ! 危ない!」
俺は慌てて自分の邪念をぶんぶんと頭を振って追い出した。
これ以上一瞬でも変なことを考えたら、またあの鬼畜システムが嬉々としてトンデモナレーションを生成し始めるに決まっている。
案の定、俺のささやかな動揺を感知したのか、目の前の空間で次のテキストが『おれはナギサの初々しい仕草に、思わず胸の高鳴りを抑えきれず――』とサラサラ書き出そうとしていた。
「動くな! 止まれ! それ以上書くな!!」
俺は湧き出しかけた文字を両手でバシバシと力任せに叩き潰し、ナギサさんに向き直った。
「ナギサさん、すいません! システムがバグって変な書き方になってますけど、要するに明日の朝食は何がいいかっていう、ただの確認ですよね?!」
「え、えぇ、そうです」
ナギサさんはホッとしたように胸をなでおろし、ようやくいつものサバサバした表情に戻ってくれた。
それからしばらく、俺はシステムが「ここで二人の距離が急接近し――」だの「夜の静寂が二人を――」だのといちいち文字で茶々を入れてくるのを必死に手で払いのけながら、なんとか「明日の朝食はパンと卵料理がいい」という普通の会話に軌道修正することに成功した。
「了解っす。じゃ、明日の朝、楽しみにしててくださいね。おやすみなさい、宗近さん」
ナギサさんが今度こそ扉を閉めて去っていき、部屋には本当の静寂が戻ってきた。
「……疲れた。マジで疲れた……」
遭難して雪山を歩いた疲労よりも、この意味不明なシステムと格闘した精神的疲労の方が遥かにデカい。
俺は傷だらけの戦士のようにベッドに潜り込み、もう選択肢が出ようが文字が光ろうが、絶対に目を開けないと心に誓って目を閉じた。
視界の端で『おれは嵐のような一日の終わりに――』と何かが浮かび上がった気配がしたが、もう知るか。
俺は押し寄せる強烈な眠気に身を任せ、ようやく意識を深い闇へと沈めていった。




