表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

3

「よく考えたら、ディナーコースの最初がオードブルじゃなくてスープって……俺の身体が冷え切っていたから、気を利かせてくれたんですか? ありがとうございます、サツキさん」


厨房へ戻ろうとするサツキさんの背中に声をかけると、彼女は振り返って嬉しそうにパッと表情を明るくした。


「えへへ、分かっちゃいました? まずは芯から温まってもらおうと思って! 特製ポタージュ、大成功ですね!」


彼女の温かい配慮に心が和んだのも束の間。俺の眼前には、容赦なく次の画面がポップアップした。


【 アンティパスト(前菜)を選択してください 】

・生ハムとメロン

・カプレーゼ

・カルパッチョ


「おいおい、今度はメニューの注文画面かよ……」


アドベンチャーゲームというより、もはやただのレストランのタッチパネル注文画面のようになっている。ご丁寧に三つの料理名が綺麗な枠線に囲まれて並んでいた。


「あら、素敵な配慮ね。うちの厨房、優秀でしょう?」


ハルカさんが楽しげにグラスを傾ける。


「というか、これ、俺が選んだメニューがそのまま厨房で作られるってことですか? システムが料理まで生成するのか、それとも奥の料理人たちがシステムに合わせて大急ぎで作るのか……」


アヤカさんは相変わらずの無表情で、虚空の選択肢を裏側からじっと見つめながら呟いた。


「おそらく後者でしょうね。厨房の気配が、今、宗近様がどれを選ぶかで一触即発の待機状態に入っています。生ハムを切るか、トマトを切るか、魚を捌くか……料理人たちの行動が、宗近様の指先一つにかかっていますよ」


「責任重大すぎるだろ!」


下手に自動選択オートが発動して、自分の意図しないものが厨房に伝わるのも申し訳ない。

俺は少し考えて、一番シンプルで今の気分に合いそうな

【 カプレーゼ 】

の枠をしっかりと指先でタップした。


選択肢が消える。そして、お約束のナレーションが、今度は妙にグルメレポート風の文章で紡ぎ出され始めた。


『おれは迷った末に、瑞々しいトマトとモッツァレラチーズの調和を求めてカプレーゼを選択した。冷えた身体に染み渡るスープの次は、さっぱりとした酸味で胃袋を刺激し、この後に続くであろう豪華なディナーへの期待を膨らませる。その食いしん坊な選択を見つめるハルカの瞳には、またしてもおれをからかうような悪戯めいた笑みが浮かんでいた――』


「食いしん坊って言うな! あとハルカさん、そんな目でこっち見ないでください!」


「ふふ、だって本当に可愛いんですもの。サツキ、宗近さんの注文はカプレーゼよ!」


ハルカさんの声に応じるように、厨房の奥から「はーい! カプレーゼ一丁入りましたー!」とサツキさんの元気な声が響く。


俺は恥ずかしいテキストをバシバシと叩き消しながら、顔の熱が引かないまま、次に運ばれてくるであろうトマトとチーズの皿を待つしかなかった。


しばらくすると、厨房からサツキさんが見事な手際で仕上げられた一皿を運んできた。

赤と白のコントラストが鮮やかなトマトとモッツァレラチーズに、鮮烈なグリーンのバジルソースが美しく映えている。


「お待たせしました! 厳選トマトのカプレーゼです!」


勧められるままにフォークを伸ばし、トマトとチーズを一緒に口へ運ぶ。


完熟したトマトの爽やかな酸味と甘みが果汁となって溢れ出し、そこにモッツァレラチーズの濃厚でまろやかなコクが絶妙に絡み合う。


仕上げのオリーブオイルとバジルの高貴な香りが鼻腔を抜け、スープで温まった胃袋が心地よく刺激されるのが分かった。


「美味い……本当に絶品ですね、これ」


感動して漏らした呟きに、ハルカさんは嬉しそうに目を細め、アヤカさんも小さく頷いている。


「まあでも、よくよく考えてみれば……吹雪の中で遭難して死にかけていたところから生還できて、こうして美人の皆さんに囲まれて美味しい夕食をいただいて、明日の朝には帰れるんだ。状況は狂っているけど、男としてはこれ以上ないくらい贅沢な一晩なのかもしれないな」


ふっとそんな風に肩の力を抜いて、安堵の息を漏らした――その瞬間だった。


『おれは自らの置かれた奇妙な状況に、知らず知らずのうちに甘やかな幸福感を抱き始めていた。凍えるような死の淵から一転、美しい女主人とメイドたちに囲まれる悦楽。明日の朝には去らねばならぬという切なさが、今この瞬間の贅沢なひとときをさらに輝かせる。おれは自らがこのハーレムめいた劇空間の主役であることを、内心で深く噛み締めていた――』


「だから文章化するな! あと『ハーレムめいた劇空間の主役』とか本当にやめろ! 誰もそこまで噛み締めてないから!」


もう何度目になるか分からないツッコミを空中に叩きつける。


なんとかならないのか、このプライバシーの欠片もないシステムは。

俺が恥ずかしさのあまり頭を抱えていると、視界には息つく暇もなく次の選択肢が展開された。


【 プリモ・ピアット(第一の皿)を選択してください 】

・スパゲッティ・カルボナーラ

・リゾット・ミラネーゼ

・ラザニア


今度はパスタか米かグラタン系か、という究極の選択だ。カルボナーラの濃厚さも捨てがたいし、熱々のラザニアもこの寒い夜には最高だろう。


俺がどれにしようかと画面を見つめて悩んでいた、まさにその時。

厨房の方からパタパタと足音が聞こえてきて、ひょいと一人の女性が顔を出した。


紺色の髪を後ろでまとめ、エプロンを身につけた彼女は、少しサバサバとした職人のような雰囲気を纏っている。

彼女は俺の前の空中に浮かぶ選択肢を一瞥し、あっけらかんと言い放った。


「あー、すんません。厨房の都合上、今はリゾット・ミラネーゼでいきますんで。……よろしく頼んます!」


「えっ、あ、はい」


「すぐ作りますねー!」


彼女はそれだけ言うと、また厨房の奥へと引っ込んでしまった。


俺が唖然としてアヤカさんを見ると、彼女は相変わらずの無表情で、すらすらと事情を説明してくれた。


「今のは料理長のナギサさんですね。サツキから注文の連携を受ける前に、おそらくすでにサフランの準備を始めてしまっていたのでしょう。メニューの主導権をお客様が握っているように見えて、実は厨房の在庫と仕込み状況がすべてを支配しているのです」


「選択肢の意味がまるでねえな……」


ハルカさんは「ふふ、ナギサったら相変わらずマイペースなんだから。でも、彼女の作るリゾットは絶品よ?」と楽しそうに微笑んでいる。


目の前では、俺が選ぶのを待つように【 リゾット・ミラネーゼ 】の文字が、まるで『これを選べ』と言わんばかりに明滅していた。

システムが提示するゲームの世界観に、厨房のリアルな都合が完全勝利した瞬間だった。


・  ・  ・  ・  ・  ・


「お待たせしました、リゾット・ミラネーゼです!」


ナギサさんが誇らしげに運んできたのは、サフランの鮮やかな黄金色に染まった、実に見事なリゾットだった。

絶妙なアルデンテの食感と、濃厚なチーズのコク。文句なしに旨い。


続いて運ばれてきたのは、セコンド・ピアット(メイン)。


「鯛のアクアパッツァと、付け合わせのグリル野菜です!」


驚いたことに、今度はあの鬱陶しい選択肢の画面がまったく現れなかった。


「おや……選択が出なくなったな? まあ、毎度毎度選ぶのも面倒だったから、この方が好都合だけど」


「あら、ナギサのフルコースにシステムが気圧されたのかしら?」とハルカさんが悪戯っぽく微笑む。

アヤカさんも「選択の余地がないほど完璧な献立、ということでしょう」と淡々と頷いた。


実際、その通りだった。鯛の旨味が凝縮されたスープが、香ばしくグリルされた野菜に染み込んで、これもまた震えるほど旨い。


そして最後を締めくくるのは、ドルチェ(デザート)。


美しいガラスの器に盛られたほろ苦いティラミスと、コーヒーが目の前に並ぶ。


「完璧なディナーだ……。凄いな、素直に感心したよ」


遭難者への即興の振る舞いとしては、あまりにも贅沢で、洗練されている。

心からの賛辞を口にし、温かいコーヒーで息をつく至福のひととき。


しかし、このシステムが俺をただの「美味いものを食べた一般人」のまま終わらせてくれるはずもなかった。

余韻を台無しにする勢いで、淡く光る文字の字幕が目の前に湧き上がってきた。


『おれは至高の美食に身も心も満たされ、この完璧な夜の虜になっていた。極上のティラミスの甘みと、コーヒーの心地よい苦味。それはまるで、この館の美しき主人・ハルカとの、甘く甘美なドラマの始まりを予感させるかのようだった。おれは満足げに息を吐き、この後に待ち受けるであろう「二人の特別なイベント」に、激しく鼓動を打たせていた――』


「だから!! 最後まで一言余計なんだよ!!」


俺はコーヒーを吹き出しそうになりながら、立ち上がって虚空の文字をバシバシと叩き消した。

豪勢な夕食に感動していただけなのに、なんでいちいちロマンス展開に繋げようとするんだ。


「あら、二人の特別なイベント、ですって。ふふ……期待してくださってもよろしくてよ?」


案の定、ハルカさんが頬に手を当て、実に楽しそうに俺をからかってくる。


完璧なディナーの余韻は、一瞬にして羞恥の嵐にかき消された。

だが、食事が終わったということは、いよいよこの後、この「アドベンチャーゲーム(現実)」は更なる別展開へと進むはずだ。


消えかけた字幕の奥から、またしても不穏な気配が近づいてくるような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ