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仄暗い短編集  作者: 鈴生
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哀情

 私は一羽の鴉だった。

 私は片翼の鴉だった。

 私はある人間に捕まった。

 こんな面白みのない私を捕まえてどうしたいのだろうか。

 標本になるのだろうか。

 だって私の特徴は、片方の羽がないことなのに。

 捕まってしまったのは単に運が悪く、人間の前に出てしまっていた時だったのだ。

 懇切丁寧に、人間どもが病院と呼ぶ建物に、布に包まれて連れていかれた。

 細かいことはよくわからない。

 どうやら私はこの、私を捕まえた人間に飼われるようになったらしい。


 この人間、ああ、これからは飼い主と呼ぶべきなのだろうか。

 この飼い主は、私に触れるとき、恭しい手つきをもってその指先で私の羽を撫でた。

 私はもうどうなっても良かったので、何もしなかった。

 仮にこうして扱いにくい鳥なのか、扱いやすい鳥なのかを今判断して、今後剝製にするときにどう対応するかを練っていたとしても、どうでもよかった。


 私は生まれつき片翼だった。

 親兄弟からも疎まれ、周りの鴉たちからも疎まれた。

 きちんと飛ぶことができない。

 きちんと座っていることもままならない。

 そんなお荷物はいらぬと言わんばかりに、私は他の兄弟よりもずいぶん早く巣から落とされた。

 殺されなかっただけ温情だろう。

 当時は殺してくれと懇願したものだが、今ではこう思う。

 殺さず置いたほうが他の生き物のためになるのだろう。

 だがしかし、現実はうまくいくとは限らない。

 親の思惑通りにはことは運ばなかったのだ。

 私が落とされたところには、幼虫が私の動ける範囲内にたくさんいた。

 おかげで命を繋いでいた。

 身体が大きくなればなるほど、歩いて移動したりする距離も増えたので、一般的な鴉とは違い、地を這って生きることを選んだのだった。


 飼い主は私の身体を撫でながらよく言う言葉がある。

「今日も綺麗だよ、昨日よりもずっと。大好きだよ。」

 それが誉め言葉であろうことは理解できたが、なぜ私に向かって言うのかは理解できなかった。


 ある日、飼い主が見ていたテレビで、似たような言葉が聞こえた。

 人間の男が、人間の女に、何か言っているシーンであった。

「今日も綺麗だ。本当に可愛い。ずっと愛してる。」

 どうやら、男は女に求愛しているようであった。

 それでは、飼い主は、私に求愛しているのだろうか。


 そのまた別の日、飼い主が見ていたテレビから、これまた似たような言葉が流れた。

 それは、人間の女が、犬に向かって何か言っていた。

「かわいい、本当にかわいいね。大好きだよ。ずっとずっと。」

 飼い主は、私に愛玩動物に対する溺愛じみた感情を向けているのだろうか。


 そしてまたある日、飼い主が見ていたテレビが、似たような言葉を流した。

 それは、人間の男が、人間の子供に向かって何か言っていた。

「かわいいなあほんとに。絶対に何があっても守るからな。大好きだよ。」

 飼い主は、私に子供に対する包容力のある愛情を向けているのだろうか。


 鴉である私には、人間の言葉の真理なんて分かりはしない。

 それでも飼い主はずっと同じ言葉を私にかけ続けていた。

 何日も、何週間も、何か月も。

 いつしか私もその言葉を飼い主から与えてもらうのが当然のようになってしまって、飼い主の指で身体を撫でられるときは、自分からすり寄るようになってしまっていた。

 初めて私が飼い主にすり寄った時、飼い主はずいぶん喜んだようだった。

 声の調子が弾んでいたのが聞こえた。


 私の寿命は長くはない。

 昔から、なんとなくそう思っていた。

 片翼の鴉、そんな普通ならあり得ない生き物が長く生きられるとは思っていなかった。

 だから、ある日から突然、私が飼い主からの餌をほとんど食べられないようになってしまったとき、私自身は何も思うことはなかった。

 私はもう長くはない、その事実を受け入れた。


 飼い主はそうもいかないようだった。

 たった数カ月、餌付けをしただけの鴉にどうしてこうも感情移入できるのだろうか。

 私は不思議でならなかった。

 徐々に動きも鈍っていく私を優しく撫でながら、日がな一日静かに泣き続けていた。

 いよいよ私が自立することすら叶わなくなり、布に包まれて飼い主の腕の中で家の中を見て回るとき、泣き続けだった飼い主がやっと口を開いた。

「なんで先に行っちゃうんだよ、もっと長いこと一緒に居たかったのに、俺、ずっと前から言ってたじゃん、先に逝ったらあと追うからって、なのになんで、」

 その言葉は私は聞いたことのない言葉だった。

 飼い主がよくテレビを見ているから、なんとなく、この言葉は、私に向けられたものではないと思った。

 何を勘違いしているのだろう。

 飼い主はまた涙をこぼしながら、嗚咽混じりに先ほどの言葉を繰り返していた。

 それを聞きながら、だんだん私は抗いがたいほどの眠気に襲われて、抵抗することなくそれに飲み込まれた。


 目が覚めたところは、飼い主の家ではなかった。

 妙な具合に明るさに包まれている。真夏の、真昼のような明るさなのに、気温は鴉たちが巣作りを始めるころぐらいだ。

 それに、なんだか知らないものばかりだ。

 人間の暮らしを間近で見てきた私にも、知らないものがたくさんある。

 それに、どうしてここにいる人間や動物は、頭の上に光る輪のようなものを付けているのだろう。

 混乱していると、老人の風体をした、頭に輪の付いている人間が近づいてきた。

「ここは、死後の国じゃよ」

 死後の世界なんていうものがあるとは。

 まさか、いつも通りの見慣れた世界に居たときは思いもしなかった。

 老人は私を見て、続けて言った。

「お主、ここに待ち人がおるようじゃの。そおら、そっちに見えるあの若い女性じゃ。あいさつしていらっしゃい。」

 老人の指さす先には、確かに若い女性が一人、良い香りを漂わせる白い花を咲かせた木の陰で、沈んだ表情をして佇んでいた。

 片翼しかない私はいつも通り地を這ってそこまで行こうとしたのだが、それを老人に止められた。

「ああこら、待ちなさい。お主は自分の思い込みが強すぎるようじゃの。ここでは自由なのじゃ。お主の翼が一つしかないなんて、そんなことはない。一度くらい、ちゃんと飛んでみたかったじゃろう?それなら、思い込むのじゃ。お主の翼は二つあると。」

 私は、必死に思い込むことにした。

 自由に空を飛ぶことができたなら。

 親と、兄弟と、一緒にあの広い空を飛び交うことができたなら。

 こんな鴉にあるまじき、地を這って生きるなんてことしなくてもよかったのに。

 前から燻り続けていた思いを、翼に変える。

 そうして、しばらくすると、普段は重みを感じたことのなかった方に、ぐっと重たくなるような感覚を覚えた。

 これが、翼か。

 今なら、飛べる。

 そう思って、力を込めて、上空に向かう。

 私の待ち人だという、あの女性の元へ。


 おぼつかない飛び方ではあったと思う。

 それでも、途中で墜落することもなく、私が今まで見てきた仲間たちのように、悠々と空を飛んで、女性の佇む近くに伸びる枝に向かった。

 近づくほどに、あの良い香りが強くなっていく。

 降り立つ時に、少し翼を畳むのに手こずってがさがさと音を立てた。

 その音でやっとその女性は私の方を振り向いた。

 私の羽のような真っ黒な長い髪に、眼鏡を掛けている。

 そのレンズの奥で、あの飼い主にどこか似ているような瞳が煌めいた。

「ああ、あなたが、あの人の元にいてくれたあの子なのね。」

 その声は柔らかだった。

 飼い主が私に声を掛けてくれた時と同じくらい、柔らかな声音だった。

「私ね、あの人のことを置いてきてしまったの。」

 なるほど、この女性は飼い主の特別な人だったのだ、と私は思い至った。

「あの人の事、愛していたの。心から。誰よりも。何よりも。だから、私最期に、こっちに来ないでって、お願いしたの。すごく狡いわよね。」

 そういって女性は口の端でほんの少し笑った。

 最初に声を聞いたときの、あの柔らかさが抜けて、どこかとげとげしさを感じるような、薄い笑い方だった。

「でもそんなこと言っちゃったから、私、ずっとあの人のことが心配で、心配で、どうしようもなくなっちゃって、ずっとここにいるの。」

 私はなんだかいたたまれなくなってきて、特に意味もなく羽の毛繕いをしてみた。

 この木に咲く花の甘い香りが強すぎる。

 この女性はこの香りに対して何も思わないのだろうか。

「そしたら、あの人が、あなたを拾ったものだから、私、安心したの。ああ、この人はやっと前を向けるようになったんだって思って。だってあの人、動物は好きではなかったから。」

 初めての毛繕いはうまく出来たのかわからないが、なんとなくそれらしく出来たのではないかと思って終わりにした。

 そういえば、飼い主が私に最初に触れてきたとき、いっそ妙に思えるほどにおどおどしながらも丁寧に触れてきたような気がする。

 人間が鳥に触れるとき、あそこまで挙動不審になれるものだろうかと思ったのだった。

「でもね」

 毛繕いを終わらせてしまったからだろうか。

 さっきよりも花の香りが妙に強く感じられる。

「あの人、あなたに、私と同じ台詞を言っていたわ。」

 どの言葉の事だろうか。

 常にどうやら愛情らしき意味の言葉を向けられていたので、女性がどれを指しているのかの見当は一切つかなかった。

 甘い花の香りがする。

 くらくらしそうだ。

 だんだん女性が何を言っているのか分からなくなってきた。

「あの人、立ち直ってなんかいなかった。」

 もうこの香りは私には堪えられない。

 このままこの香りを嗅ぎ続けていたら、枝に止まり続けることもできなくなる。

 私が枝から飛び立とうとする間際に、泣き出しそうな女性の声が聞こえた。

「ごめんね、ごめんなさい。あの人、あなたを私に重ね合わせていたわ。どうしようもないくらい愚かな人だわ。ごめんね。あなたは私じゃないわ。ごめんなさい。どうか、これからのあなたに、幸せが訪れますように。」

 せめて最後まで聞くべきかと思った私は、女性の言葉が嗚咽混じりに小さく途切れていくその言葉をきちんと耳で拾い上げて、上空へ向かった。

 初めは上手く翼が動かなかった。

 きっと、あの香りを嗅ぎ過ぎたせいだ。

 でもあの木から離れるほどに、私の翼は滑らかに、まるで仲間たちのように動くようになった。

 ああ、上へ、上へ、もっと上へ。

 最初に声を掛けてきた老人が遥か下に見えた。

 しわしわの手をこちらに振ってくれているようだった。

 ああ、空を自由に飛べるってこんなに素晴らしいことなんだ。

 私はこんなに自由なんだ。

 もっと、もっと上へいこう。

 今の私には翼が二つある。

 風が少しひんやりしてきた。

 それでも、もっと上へ。

 私は、自由なんだ。


 白木蓮の下で俯く女性は、泣き続けていた。

「ごめんね、ごめんね。私だってもっと一緒にいたかった。あなたに会いたい。会いたいよ。手をつないでよ。抱きしめてよ。寂しいよ。ごめん。ごめんね。ごめんなさい、許して、」

 白木蓮の花は、より一層強く香る。

 その周りの空気に色を付けてしまいそうなほど、強く、甘く。



 可愛がっていた鴉を、庭の隅に手厚く埋葬し、小さな墓を立てた後も、飼い主であった男性は泣いていた。

 墓の前で手を合わせ、家の中に戻り、真っ直ぐに仏間に向かっていく。

 そこには数年前に亡くなった、最愛の妻が笑っている。

 真っ直ぐで一度も染めたことのない、射干玉色の髪を緩く結んで、少し角ばったフレームの眼鏡の奥で、目を細めて楽し気に笑っている。

 男性は、妻と交際したばかりの頃を思い出した。

 最初は、妻は自分に関心を向けるようなこともなく、すべてされるがままだった。

 妻は知的好奇心が旺盛で、自分には分からないような専門書のページを繰っては、いつもあの冷ややかなフレームの奥で目をきらきらと輝かせていた。

 最初のうちはこちらにあまり関心を向けてくれなくてもいい、と男性は思っていた。

 それでも、可愛い、綺麗だ、好きだよ、と声を掛け続け、少しずつこちらから手をつないだりするようになったころ、妻が初めて自分から手をつないでくれたのだ。

 天にも昇る心地だった。

 彼女は少し照れた様子で、こちらの顔を見ようとはしていなかったが、耳が赤くなっているのが見えた。

 何にも代えがたいほどの、美しい思い出だ。

 もう彼女に二度と触れられないとしても、それでも、どこかで彼女の面影を追ってしまう自分がいる。

 笑っている彼女の顔を見つめる。

 彼女は瞬きすることなく、笑顔でこちらを見つめ続けている。

 その笑顔を見つめ続けているうちに、気づかぬうちに泣いてしまっていたらしい。

 顎を伝う生ぬるい感覚があった。

「どうして、後追いさせてくれないんだよ、なんで先に行っちゃうんだよ、もっと長いこと一緒に居たかったのに、どうして、俺だけ残して、」

 自分でも、何が言いたいのか分からなくなっていた。

 そこから先は言葉にならなかった。

 もう何度も何度も、笑顔の彼女に向かってそう言い続けてきた。

 夢枕に立ってでもいい、もう一度話がしたいと何度思ったことだろうか。

 でも彼女が現れることは一度としてなかった。

 俺は、彼女が最期に遺したあの言葉に縛られて生きていくのだ。

「お願いがあるの、後追いなんてばかなこと考えないで。幸せに生きて欲しいの。大好き。愛してるの。だから、お願い。私よりもずっと長く生きて。」

 その言葉が、ずっと耳から離れない。

 俺は、どうやっても幸せに生きていくことなんて出来ないのに。

 俺は、彼女のあの言葉に縛られて、色の無いこの世界を生き続ける。


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