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第九話《『見渡せる』世界》

「よう、新米。はは、様になってるじゃねえか」


 キッチンの隅でジャガイモの皮を剥いていたが、邪魔だと外に出されてしまっていた。


「あーあー。下手くそだな。元中尉どの?」

「コツを教えろよ」

「独り立ちしねえといけないだろ?」


 ニヤニヤとカイを上から見下ろす、ダリス。


「用がないなら帰れ」

「いいや? 用ならあるさ」

「何だ?」


 皮剥きの手をとめ、ダリスへ視線を上げる。


「俺の娘の話だ!」


 カイの手が、完全に止まった。


「お前の娘と会ったことはないが?」

「いや、お前がウチに入り浸ってる時にいたぞ。料理を運んでいたが?」

「気づかなかった。すまない。で? お前の娘がどうかしたのか」


「悲しいことに、お前に惚れ込んでてよ。『私は、カイ様のお嫁さんになるの! 邪魔しないで』なんて言われててよ」


 ダリスは、ため息をつきながら、カイの剥きかけのジャガイモとナイフを奪った。

 手際よく、皮を削ぎ落としていく。


「そのせいで、夫婦喧嘩になってよ? 俺が『あいつなんかに嫁がせるか!』って言ったらよ? うちの妻が『あの子はまだ六歳よ!』ってさ。六歳でも立派な女の子なんだ。すぐに嫁に行っちまう。その嫁ぎ先が、お前なんかだったら、俺の身が持たねえよ」


 ダリスは、一つ、二つとジャガイモを素早く剥いており、ものの一瞬で全て剥き終わってしまった。


「俺は喜べばいいのか? 悔しがればいいのか?」

「嬉しがれよ。ウチの、可愛い可愛い娘が恋してるんだぜ? うわ、口に出したらお前を殺したくなってきた」

「災厄な、親バカだ……」


 カイはこめかみを押さえた、その時。


「いつまで、くっちゃべってんだい。次はニンジンだよ」


 背後からマリンダの鋭い声と共に、桶いっぱいのニンジンが渡された。


「手伝え」

「嫌なこった」


 ダリスは、椅子を持ってきてカイの目の前に陣取った。


「そうだ。エレナちゃんがお前に怒ってたが、何かしたのか?」

「……遠乗りに連れてく約束をしていた」

「忘れてたのか」


 ダリスは豪快に笑った。


「女の恨みはこえーからな」

「娘にでも恨まれてろ」

「俺を殺す気か!」

「どちらかと言えば、お前が俺を殺すだろ」


 カイが呆れたように言い返すと、ダリスは「違いない!」と笑い飛ばした。


「まだ終わんないのかい! ダリスも手伝っておやり!」

「はっ! マリンダ様」


 ダリスは手持ちのナイフを取り出し、スルスルとニンジンの皮を剥く。


「そうか。お前は、元マリンダさんの部下か」

「こえーんだよ。あの人」

「なんか言ったかい。ダリス?」

「いいえ!!」


 皮剥きのスピードが上がっていく。数十分で終わりを迎えた。


「じゃ、俺はこれで。マリンダ様、失礼します!」

「おう、助かった。また来い」

「お前が、ウチに来い! いや、だめだ! くるな」

「ぜひ、娘さんを紹介してもらおうか」

「ぜってぇ来るなよ! 来たら追いかけ回すからな」


 捨て台詞を残して、嵐のようにダリスは去っていった。

 大急ぎで駆けていくダリスの背中に、マリンダは、ふんと鼻を鳴らした。


「あれなら復帰できるじゃないか」


 マリンダは腰に手を当て、隣に立つカイを見上げた。


「ちょっとこっちに来な。渡したいものがある」


 マリンダさんに案内されたのは、孤児院の二階にある一番奥の小さい部屋。

 使い込まれた机の上に、年季の入った帳簿と、古びた鍵がいくつか置いてある。


「これは?」

「見ての通りさ。もう、数年前から膝を壊していてね。娘も国に帰ってきてね。『一緒に暮らそう』ってうるさくて。そこにカイくんが、現れたってわけ。ようやく私も、お役御免だね」


 カイは、机の上に置かれた重みのある鍵を見つめた。


「なぜ、自分なのですか?」

「おや、嫌だったかい?」

「いいえ! むしろ嬉しいです。ですが、なぜなのか」


 マリンダは窓の外、庭を元気に駆け回る子供たちの姿に目を細めた。


「もちろん、腕っぷしもある。そうだね。……不器用なりに努力して子供たちのために動く姿に、感動した、とでも言っておこうか?」

「取ってつけたような理由ですね」

「あたしが任命するんだ。不服かい?」


 マリンダが片口角をあげて、カイに笑いかける。


「いいえ。全く」


 マリンダは帳簿と、鍵をカイに手渡した。


「子供たちを頼むよ」


 マリンダの、どこか寂しげで、けれど揺るぎない信頼の籠った眼差し。

 手渡された鍵を、割れ物を扱うように、けれど強く握りしめた。

 鉄の冷たさを感じる。


「かしこまりました」


 カイは深く、深く頭を下げた。

 かつて、王の前で跪いた時よりも、その背中は真っ直ぐで、迷いなどなかった。


「子供たちを、守り抜くと誓います」


 頭を上げれば、満足そうに頷くマリンダさんがいた。


「さてと、新しい院長……カイさんには、屋根の修理でも頼もうかね」


 マリンダが、イタズラっぽく笑って部屋を出ようとする。

 カイは鍵をポケットに収めた。


「人使いが荒いですね」

「なんか言ったかい?」

「いいえ。仰せのままに」


 孤児院には、子供たちの笑い声や、怒鳴り声が響いている。


 屋根に登れば、街が一望できるだろう。


 テオが愛し、己が守ると決めた。

 この騒がしくて愛おしい世界が。

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