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月下の亡霊、異世界に立つ  作者: 旧世代の遺物
17/18

17/ 屠熊の幽鬼

 /1


「主は正義を以って世界を裁き、公平を以って民を裁かれる。汝は虐げられる者の砦、悩めし時の砦なり」


 我らは滅びの際に立った。

 だから神に頼んだ。神に尋ね、神に求めた。

 そして神は聴き遂げられた。

 その御前に平伏し名を称えた。


「主よ、私を憐みたまえ。死の門より引き上げたまえ。仇為す者より遠ざけたまえ」


 ──神話は、ここに事実となった。


「主よ、立ち上がりたまえ。人に勝利を与えず、民に御前で裁きを与え給え。彼らに恐れを起こし、彼らに己がただ人であると知らしめ給え」


 顕現せし者は口を開く。


「主は自らを知らせ、裁きを行われた。悪しき者は己の仕掛けし罠に囚われる。悪しき者、神を忘れし者は陰府へ去り行く」


 彼に平伏し、ただ言葉のみを耳にする。


「貧しき者は常に忘れ去られず。苦しむ者の望みはとこしえに滅びず」


 その口は神の門。その舌は救いの福音。


「主は正しき者も悪しき者も調べ、その御心は乱暴を憎まれる。主は悪しき者の上に硫黄と業火を降らせられる。主は正しくいまして、正しき事を愛されるが故に。正しき者は主の御顔を仰ぎ見るであろう」


 腕を差し出し、見上げる。

 腕に圧し掛かる重み。眼前に現れた神器。

 昏い黒鉄の柄と、深紅の三日月。

 これこそが、主が与えし正義の刃。


「主を待ち望め。強く正しく、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め」


 使徒は姿を隠された。

 私は与えられた神器を持ち、玉座に腰掛けた。



 ◇  ◇  ◇



 刃が振るわれる。

 大気は畏れ、大地は慄く。


 馬に乗ることもなく、男は一人歩む。

 馬に乗り、躍りかかれど意味はない。

 近づくことも触れることも叶わず、一振りで無数の屍が積み重なる。


 族長ベルナルドが解放した兵器。

 それはまさしく神話の具現というしかなかった。

 

「……よもや、あんなものがまだ在ろうとは」


 アルベルトは混乱に紛れ、疾駆しながら愚痴る。

 ベルナルドは暴風のように暴れ、その様はまさしく台風の眼だ。

 伝承の中にしか存在しないはずの古の兵器。

 いったいどこでそんなものを手にしたというのか?


「むう……ここにきて途方もないモノを出してきたなぁ」


 アゼルウルフも眉間に皺を寄せ、難儀する。

 たった一騎で千を屠り、万を平伏させる神の如き力。

 しかもその主は悠々と歩み、自身の居る本陣ににじり寄ってきている。

 しかしこれを如何にして破ったものか。


「……やはり、今使える手駒はあやつか」


 脳裏に浮かぶのは、やはりあの虚空の戦士。

 蒼い狼の囲い込みと引き付けありきとはいえ、彼は既に大多数の将を隠密のまま打ち取るという大戦果を挙げている。

 願わくは、それと同じようにあの大熊を闇討ちしてくれればいいのだが──。


「ちと危険だが、アレが動くか見届けるとしようか」


 配下に号令し、重装歩兵達に全力の防御態勢を整えさせる。

 ベルナルドの常識外れの力がここに幸いした。ヤツがあまりにも強力なあまり、巻き込まれまいとヤツの周りに兵はいない。

 敵も味方も、ヤツ一人に完全に釘付けとなっている。

 だからこそ、対処のしようもあろうというもの。

 そう、ここで盛り返した敵の総攻撃を受けようものなら、それこそこちらが瓦解するかもしれなかったのだから。

 アゼルウルフは、今できる最善を尽くしながら、機の到来を待つことにした。



 /2



 ──紅い風。昏い輝き。

 染みわたる大気の嘆き、世界の疼き。

 ソレを感じた途端、魂の奥底で形容し難い感覚が灯る。


 ──アレはこの世にあってはならぬモノ。

 アレこそ秩序の敵、世界への冒涜。

 

 視界に映るはその異物たる遺物のみ。

 五識は針のように鋭く、透き通るように研ぎ澄まされる。意識は遠退き、心は書き換えられるように静まり返る。

 心、感受、想念。それらを超えた、根源的なナニカが総身を支配し表出していく。

 

「色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常なり。色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我なり。すべての行は無常なり、すべての法は無我なり」


 ──殺せ。

 殺害し排除し蹂躙し轢断し破壊し浸食し殲滅し根絶し葬送し──断罪せよ。

 

「──諸行無常(諸行は無常なり)  是生滅法(是れ生滅の法なり)  生滅滅已(生滅を滅しおわりぬ)  寂滅為楽(寂滅を以って楽と為す)


 ──独白すらも、既に不要。

 これより先は、ただ行を為すのみ。

 故に。

 これを記憶することすらも、無駄として放棄した。



 ◇  ◇  ◇



 吹き荒れる神の御業、滅びの旋風の最中。

 ベルナルドは正面に途方もない違和感を感じ取った。


 ──これは、なんだ?


 双方の兵が静まり帰る。

 仄暗い影が、深みの淵から這い出るように出現する。

 そしてそれは、彼と完全に相対する形で立ち止まった。


「貴様は、なんだ?」


 おかしい。

 致命的になにかが狂っている。


 眼前に映るのは、一人の年若い男。

 平均より一回り小さく、細い体躯。

 鴉の濡れ羽のように黒い髪と何も移さぬ深海の瞳。

 身に纏う衣装は、深緑と濃紺で塗られた縞柄の外套と漆黒の平服。確かに森に闇に溶け込むには最適化された代物だが、それら自体は何の変哲もない物でしかない。

 腰に下げている大小の短刀(サクス)も、黒塗りで光を反射しないだけの業物にすぎない。


 ──この違和感。

 それはその手に握られた剣にもあった。

 

 黒く、金で文字が鋳込まれた鞘。同色の、しかし新月の如く昏すぎる極光を纏う片刃の刀身。それは異なる世界で造られた、大太刀と呼ばれる武装。

 加えてどことなくちぐはぐに思える服と武具の組み合わせ。されどそれはまだ本質を示してはいない。


 ベルナルドだけでなく、その場の全員が感じる違和感の本質。

 そう、まるで虚空を眺めているような存在の希薄さ。

 そうでありながら、信じられないほどの悍ましさを伴う殺害への意志。

 無我であっては表せない殺意と、有我では届かぬ明鏡の佇まい。

 その矛盾。

 そんなものが、はたしてこの世に存在したことがあっただろうか?


 アルベルトもアゼルウルフも、その場の全ての生あるものが熱狂したまま凍り付く。

 ──たった一人、ベルナルドを除いて。


「──小僧、貴様がナニカは知らぬが、命を粗末にしたようだな」


 ──死闘が始まった。



 /3



 開幕を悟った刹那。

 ──ベルナルドは瞠目することとなった。


 首にわずかに生暖かい感覚を感じる。

 ──浅く切り付けられた。


 あとほんの一瞬でも遅く、対処を誤っていれば、彼は今頃自分を見上げることとなっていただろう。


「……信じられん」


 彼自身も、今の攻防を認識できていなかった。

 斧を振るどころか、構える時間すら与えることなく、昏い影は十五メートルという距離を駆けた。

 精確無比に、首筋に振るわれた一閃。

 その首が絶たれようとした寸前、彼の持つ斧が反応したかのように頑丈な柄で首を防護した。

  

 先に動いた──否、動こうとしたのはベルナルドであるのに、先攻は相手だった。

 

 ベルナルドは思わず冷や汗をかく。

 ──それすらも隙を晒す行為なのかもしれなかった。


 宵が訪れ、月明かりが辺りを優しく照らす。

 敵の背中から昇った月は、その黒い姿と同じ影を台地に映し出す。

 不吉極まりなく、死そのものを表すような凶兆。

 それはまさしく──。


 ──月下の亡霊(モーナン・ガースト)


 誰かが、そう呟いた。

 

「──迅いな。だが!」


 その姿に向け、斧を振る。

 紅の真空刃が空に飛ぶ。

 しかし、それが亡霊に触れることはなかった。

 ──その時にはもう、亡霊はそこにいなかった。


「おのれ……!」


 またしても接近を許してしまった。

 自身ではなく、斧がそうしているかのように刃を防ぐ。


 真空の刃とはすなわち空気そのもの。

 そんなものを生物が視認できようはずもない。

 亡霊がそれを完全に躱しうる理由。

 それは彼自身の体術にあった。


 彼は実際に紅い空気の刃を見てなどいない。

 そう、見ているのではない。それを生起させる全ての要素を正確に観察しているだけにすぎない。

 一連の動作を引き起こすまでの大気の流れ、筋肉の収縮、角度、座標、瞳の向きと骨格の駆動。

 不確かな予測などではない、現在開示されている確実な情報から計算された回答。

 それを一瞬で暗算し、回避可能な位置を割り出す。

 ──要は、見て聞き感じ、動かれるより先に動く。たったそれだけの、理屈もないもないごく単純な技術。

  

 なぜそんなものが必要になるのか。

 それはヒトという種族の限界にこそある。

 ヒトという種は酷く脆く、そのままでは到底強大な"異界のモノ"に対抗することなどできない。

 だからこそ、力ではなく技を使う。

 ヒトの限界を知悉し、同様に敵をも知り尽くす。

 如何なる力も、発生するより先に潰してしまえば用を為さない。それでは現実に起きてすらいないのだから。

 相手に行動をさせるまでもなく、致命の一撃を決める。そうして一の力と二十の技を以って十の力を凌駕する。

 ──殺られる前に殺る、末法じみた戦術の極地。

 それが、亡霊の極めた道だった。


 ──そして、それはまだ彼の妙技の一つでしかなかった。

 

 ベルナルドが渾身の力で振り抜く。

 その刃が亡霊の身体を通り抜ける。

 しかし、どこも切り離されてはおらず、亡霊は今も五体満足なままだ。


 ここに立つ全ての者が、その異様に言葉を失う。


 ベルナルドの力と速度は既にヒトの域を逸脱しており、その身体能力は野生の化身と化した狂戦士をも上回っている。

 対して、亡霊は単純な速度においても獣に匹敵するほどだがそれだけだ。

 力と速さ、その二点で比較しようとも亡霊はベルナルドには到底及ばない。

 だというのに──実際はこれだ。


 常人の動体視力では線にしか映らない斬撃、時にそれが亡霊を捉えたように見える。

 されど──その度に無意味に終わり、ベルナルドの急所に反撃が襲う。


 見えているのに、捉えきれない。捉えているのに、当てられない。

 ──当たっているのに、かすりもしない。


 あまりにも速すぎる攻防はもはや凡人の眼に映らず、故に傍観者達はその異様の正体に触れることはなかった。

 ただアルベルトとアゼルウルフを除いて。


 二人は眼前で繰り広げられる鬩ぎ合いに瞠目する。

 ベルナルドが強いから? 亡霊が巧いから? ──否。

 ベルナルドは、まったく見当違いな方向に刃を振るっていた。

 

 戦場において熟練の戦士が行うとは思えない、あり得ない失態。

 熊の如き膂力と神速を以って振るわれる連撃は、悉くが躱すまでもなく自ら外れていっている。

 それが、亡霊の体術の真価だった。

 

 避けるも防ぐもできぬのなら、相手に外してもらえばいい。

 そうして練り上げられた彼の体術は、ある一つのことに特化することとなった。

 すなわち、相手の認識の隙間に潜り込むことだ。

 人間に限らず、あらゆる個体は五感あるいは第六感によって形成された認識によって存在を把握する。

 そこで彼は、それが代償として有する"盲点"に入り込むことにしたのだ。

 視覚に聴覚、はたまた触覚から気配まで、あらゆる感覚のわずかな隙間──それを瞬時に理解し、相手にとって存在すら思いつかない暗闇に潜む。

 

 ベルナルドがひたすらに無駄を続ける理由がそれだ。

 彼が亡霊の姿を捉え、腕を振るった時、亡霊はとうにそこにはいない。だがその空虚な残像は、虚像としてほんの一瞬目に留まる。だからそれに気付くこともなく無意味な攻撃を続ける。

 当然、そのような幻影と一人相撲しているのはベルナルドのみ。第三者の眼にはただベルナルドがむやみやたらに攻撃しているようにしか映らない。それも捉えられればの話ではあるが。

 加えて言えば、亡霊が先に見せた十五メートルもの縮地のタネもその認識の幻惑にある。

 しかもこの体術は認識阻害のみでなく、認識そのものをさせないことに真髄を発揮するため、仕組みを見破ってもなお慣れるということがない。

 それも当然だ。学習とは記憶の積み重ねによって為されるもの。

 その土台となる認識すらもできないのであれば、いったいどうしてそれを学べようか。

 

「──ありえん。なぜだ、なぜだ、なぜ、貴様は──!」


 地の底より這い出る悍ましい感覚が、ベルナルドを蝕む。

 彼はもう自身に訪れる運命を本能で感じとっていた。

 それを振り払い、必死になって抵抗する。

 おそらく、ここで冷静になったところで焼け石に水だろう。

 タネを見破ったところで、この一騎打ちという状況に持ち込まれた時点で彼の敗北は必定だ。

 この完全な斬り合いにおいて、彼の手にする神の兵器は本領を発揮することができない。

 しかし亡霊の持つそれはただ近づき、切り捨てることに長けたもの。

 要はそれだけの違いだ。

 放つモノと斬るモノ。ベルナルドは過ぎた力を誇るあまりにその真価を見誤った。

 ──およそ亡霊が最も得意とする闘いに持ち込むことを許してしまった。

 敗因を挙げるとすれば、それは彼の人生そのものだ。


 結局のところ、ベルナルドは戦士(ベオルン)であり、ヒトを束ねて"戦う"者であった。

 対して亡霊は殺戮者(クウェレンド)であり、己のみを頼みにただ"殺す"為だけの存在だった。


 人として長となり、誇りを旨に闘争を繰り返した人生と。

 人であることすら捨て、殺戮の極みに立ち続けた生涯。

 

 ベルナルドはこれを戦いとして臨んだが、亡霊にとっては単なる殺しでしかなかった。

 それだけでしかなく、しかしどこまでも隔絶した差。

 誇りなど微塵も介在しない殺し合いと堕したこの場において──それは致命的にすぎる。


 ──終止。


 唐突に、何を思ったのか亡霊はピタリと動きを止めた。

 ベルナルドはあまりにも予想外な挙動に一瞬あっけにとられ、その集中にわずかな罅を入れた。

 ──それだけで、十分なほどの隙だ。


 斧がこれまでで最大の力で横凪にされ、亡霊の躰を通過した──


 その、直後。


 ベルナルドの心臓と首に、刃が入り込む。


 ──なに、が。

 

 回答はこの上なく単純だ。

 ベルナルドは斧を振ってなどいなかった。ただ、そうしたと彼が思いこんでいただけ。

 彼が亡霊の突然の停止に意識をわずかに向けた刹那。

 彼自身がその行動に認識を集中させてしまったほんの瞬時。

 そのコンマ一秒ほどの必勝の機を、亡霊は決して逃さなかった。


 亡霊はベルナルドが瞠目し、認識の隙間に風穴を開けた瞬間、真正面から彼ににじり寄り、その大太刀と短刀(サクス)でそれぞれ二つの急所を貫いたのだ。


 ベルナルドはそれに気づくことすらなく、既に動かない躰で武器を振ったつもりでいた。

 彼からすれば、時間が逆行したと錯覚するほどの衝撃だったことだろう。

 二つの急所を貫かれ、糸の切れた人形のように頽れる巨体。

 

 背中から崩れ落ちた躰は、毛皮も相まってまさしく猛熊。

 そして返り血を浴び、背中から月光に照らされるその姿。

 ぽっかりと人の居ない戦場の中心に出来た絵画もかくやという絶景。

 

「……終いか」


 何の感慨もなく、小さく亡霊は呟いた。



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