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月下の亡霊、異世界に立つ  作者: 旧世代の遺物
18/18

18/ 戦場の掟

 /1


 累々たる死屍の山。一面に広がる暴力の残骸。

 その中央にぽっかりと開いた穴の中央。

 そこにはたった一つだけ、置き去りにされたかのようにぽつんと人影が立っていた。

 月明かりに照らされ映し出される立ち姿は影絵のよう。

 その影の陰に倒れ伏す巨体。

 それは大きな毛皮を纏う熊──否、それは紛れもない人間であり生者であったものだ。

 だがそれも過去のこと。

 その熊かと見紛うような巨体すら、今となっては散らばる死者の群れとなんら変わりはない。

 いかなる猛者とて、死は平等に対等に迎え入れる。

 死は時に娼婦のような卑賤さと、巫女のような清廉さを以って具現する。

 望む者もそうでない者も、生ける者は須らく悉く。


 それはかつて不撓不屈を誇り、獣の勇猛さと人の高貴を以って支配を為した者とて同じこと。

 倒れ伏す残骸の中でも一際巨大なそれも、かつてはそのような者だったのだろう。だが死の手はその全てを余さす掬い、決して戻れぬ無明に誘った。

 

 ならばその傍らに立つ影は果たして何か。

 聳える死者の山に立ち、それを見下ろすそれは。


 静寂が全てを支配していた。

 耳を劈く鬨の声、染みわたる苦悶の声もなく。

 死者と生者が口を揃えて紡ぐ沈黙だけが世界に満ちている。


 思えばほんの一瞬でしかなかった怪異。

 二つの在りえざる力の衝突。

 あれは、いったい何だったのか。

 その怪異たる影を囲み、時が止まったかのように全ての者が言葉も戦いも忘れていた。


 誰もがその非現実そのものな現実を正しく見ることができなかった。

 二つの陣営の兵は、それぞれが異なる意味合いを含む忘我に駆られていた。


 ──しかし。

 その渦中の中にただ一人、誰よりも先に現実へ回帰できた者がいた。


「──見よ! やった、やったぞ! あの黒いのは我らの味方だ! ベルナルドは斃れた、死んだのだ! この戦い、我らの勝ちだ!」


 アルベルト。その蒼と黄の縞柄の外套から蒼き狼と呼ばれる騎兵隊の棟梁たるその男は、その観察眼を以って異様な熱狂から脱し、場の全ての者に眼前の現実を叩きつけた。

 

 アルベルトの目配せに呼応し、亡霊はその黒い刃で分厚い筋肉で守られたフェルム族長ベルナルドの首を斬り、血潮滴るそれを敵陣と自軍の両軍に向けて掲げた。


 右手に死の刃を、左手に首を持つ亡霊は死神も斯くやという異相である。

 その暗い装いは味方には希望を、敵には漆黒の絶望を送り届けた。


「時は満ちた──蹂躙だ! 残さず平らげよぉぉぉ!」


 その勝鬨を聞いたフェルム族は恐慌に顔を曇らせ、蜘蛛の子を散らすように潰走する。

 再び戦場に戻った活気。それはより色濃い死相を漂わせながら暴風じみた苛烈さを以って緑の平野を蹂躙していく。


「たまらねぇ! この時がようやくやって来た……! 死に腐れゴミ虫どもがぁ!」

「禽獣にも劣るド畜生どもぉ! 首も財も頂きじゃあ!」


 肉を抉りすり潰す音に血と臓物の濃密な香り。

 これは、戦ではなく宴だ。

 逃げ回る兎を追う貴族の狩猟のような宴。


 長い緊張から解き放たれた獣性は、理性の枷を払い除け縦横無尽に暴れ狂う。

 飢えに飢えた獣の群れは、眼前の全てを平らげ駆ける。

 

 暫しの時を経て、もはや狩りつくす敵さえもいなくなったその時。

 それはこの狂気の宴の第二幕の開宴を意味した。


「略奪だ! 金も麦も女も、あるモン全部かっぱらえ! 奪った物は全てその者の取り分とする!」


 アウロラ族の隊長の幾人かが大声で告げる。

 荒くれ者の兵達は歯止めの利かぬ獣性を滾らせ、抵抗する者さえいない集落に突撃する。


「まだ火は付けるなよ! まずは畑と家を漁れい! 隠す者は皆斬り捨て御免! そこから乱取り放題よぉ!」

 

 集落から悲鳴が上がる。

 イナゴさながらに群がる兵達は瞬く間に作物を取り尽くし、家屋に押し入って金品を漁る。

 特に中央の貴族居住区では、戦利品の獲得に焦る者達が見つけた金品をめぐり諍い、この世のものとは思えぬ混沌が巻き起こっていた。

 震える老人が腕輪を着けていればその腕を切り落とし、装飾品を着けた女がいれば抱えて連れ去る。

 とりわけ子供と若い女は悲惨である。

 母子は切り離され、嬲られ、金品として商人に売却される。

 その行き先は売り手にすら解りはしない。まさしく無惨そのものだ。


 平民の兵達は殺戮を含めた即興の悦楽に浸り、かたや貴族は武具と貴重品の獲得の為に奔走する。

 本質はどちらも同じ天下の大泥棒だが、こうした所にこそ人品というものが現れるのだろう。

 事実、その浅ましい畜生の世界にアルベルトの姿はなかった。

 彼は蒼い狼の副官に略奪を任せ、一人どこかに姿を消した。

 この混沌の渦の中からは、亡霊とアルベルトの姿はどこにも見当たらなかった。



 /2



 遠くからけたたましい哄笑と絶叫が夜風に乗って木霊する。

 人肉の焦げる独特の香りが鼻に抜ける。

 集落の方では小さく火の手が挙がっていて、そこから子供のようなすすり泣きと獣そのものの悲鳴が聞こえている。

 どこを見渡しても一様な屍の荒野だけが目に映る。

 優しい月明かりも、満天の星も、吹き抜ける微風も──感じている者などいない。

 ただ一つ、この自分を除いては。

 じっと、己の手で落とした首を傍らに携え──ただ何をするでもなく遠望を眺める。

 そうしていると、たった一人世界に置いて行かれたように思えた。


「おう、やはり居ったか"月下の亡霊(モーナン・ガースト)"よ。こんなところで何をしておる?」


 にやにやとした笑みを浮かべながら、アルベルトは馬を降り傍らに立つ。

 その手には見慣れない白塗りの八角形の盾が握られている。

 それは間違いなく敵からの略奪品だろう。それだけで彼が何をしていたのか漠然と理解することができた気がする。


「……炎だ。炎を見ていたんだ」

「あの炎か。あれが気になるか?」


 アルベルトは笑みを浮かべたまま、飄々と言葉を並べる。


「あれはな、恒例行事のようなものだ。戦勝の祝いとでも言うのか。敵の神官どもを集落の中央に連れてきて、まとめて柴で焚き上げる。藁人形に詰めて焼くのが上等だが、即興でやるならそんなもの。……無聊の慰み程度にはなるか。ありきたりでは面白くもないがな」


 アルベルトはさもつまらないという風に嘆息する。

 その点に関しては全力で同意だ。

 別にあの炎の中に何があろうが、気になることなどない。

 そう、何ら感慨などない。

 久々の大物狩り(ビッグ・ゲーム)を完遂したことも、その結果としてもたらされたものに対しても。

 暗がりの平野に揺らめく煉獄の炎。絶望を焚べられ、怨嗟を薪として燃え上がるそれは、まるで這い回る蛇さながらだ。

 

「お前、戦場は初めてだと言ったな。ならばよく見るがいい。これが戦場の掟だ。敗者は失い、勝者は得る。世界はそうして今も回っておる。帝国があった頃も、その前も。我々は戦なくして生きてはいけん。人間は数を増やしすぎたのだ。狩るも耕すもそれでは足りぬ。ならばただ奪うのみよ」


 彼の言うことは的を射ている。

 人間に限らず生物の本質は闘争だ。

 こちらの世界でも、原始の頃より人と人の争いは須らくあった。

 そこに正邪善悪はなく、また美醜もない。

 言うなれば摂理のようなものだ。

 獅子と獅子が食い合うと同じく、ヒトの行いも所詮は自然の一つ。

 自分は人間を特別な存在とは思わない。

 人間も虫と同じく生まれ、老い、病み、飢え、やがて死ぬ。

 わずか百年足らずのちっぽけな道筋。そんなものがいったいどれほど崇高だというのか?

 ……とは言うものの、自分もその一つであることは同じで、それを卑下するつもりもないのだが。

 

「そうだな。神々からすれば我らなど塵芥にも及ばんさ。そんな小さな藁葛がいかな涜神を、いかな功徳を重ねようと、あれらのあずかり知ることではないかと思うてな。それを尊いだの醜いだの語る者どもの愚かさよ。争いの本質はいつの世も利害だけさ。怒りだの憎しみだの、所詮はそれに付随する付加要素に過ぎん。戦争は政治の延長であって、刹那の熱狂の所産ではないのだ。それを解しておらぬから愚者は争うし、それを解しておるからこそまた賢者も争う。ははは、命とは素晴らしいものよなあ」


 彼の言葉にはまったく同意だ。

 愚かだろうと(さか)しかろうと、争うことに変わりはない。

 戦士とは屠殺者のようなもの。それ以外との違いなど単に手を汚さずにいられるかそうでないかの程度の違いでしかない。


「……お前はあの連中を愚かだと思うか? 下衆だと思うか? だがあれもまた当然のように営みの一つなのだ。生きるために殺し、争い、奪う。我らの日々はそうした屍の上に成り立っておる。ただ殺しのみを以って栄達したお前ならば身に染みているだろう」


 何一つ否定することなどない。

 かつて自分の居た世界でもそれは当然のことだった。

 豊かな国の人間は貧しい国から富を吸い上げ、誰かに代わりに手を汚させる。

 そう、この光景は単に数ある必然の不幸に過ぎないのだ。

 それを嘆く人間もいるにはいるのだろうが、すぐに皆忘れて日々を重ねていく。

 ……そんなことを考えていると、脳裏に見慣れた人影がちらつく。


「さて、今回も我らの勝利だ。じきに占領部隊がやってくる。それまでここで過ごし、帰るとしよう。後は族長がどうにかするさ」

「……これでフェルム族は潰えたのか?」

「いいやちっとも。ここが中枢で、お前の持ってる首が統領だったというだけさ。まだあちこちに豪族やらが残っておる。族長はそれら統治機構を残存させ、既得権益を保障することで連中をこちらに組み込むつもりなのさ。そちらの方が虱潰しにやるよりよほど賢いというもの」


 なるほど、そちらの方が反乱の可能性を抑えられるということか。

 まあなんにせよ、政治は政治屋の仕事であって、こちらの知るところではないのだが。


「さあ今夜は宴ぞ。帰れば恩賞もたんまりだ。いつまた戦になるか分からんからな。今はただ一時の勝利を堪能するとしようか! 新しい髑髏杯で乾杯じゃあ!」


 嬉しそうに不穏な言葉を吐き、無駄に強く肩を叩いてくるアルベルト。

 久方ぶりの激闘だったのだ。問題はないとはいえそれなりに疲労が蓄積している。

 それに敵の使っていたあの兵器──あれも詳しく調べる必要がある。

 そもそも宴やらは好きでもないし、自分からすれば余分に仕事が増えたようなもの。

 しがらみ抜きに休みたくはあるが、どうにも──息をつけるのはもう少し先になりそうだ。

 




ようやく序章も終わりです。

ここまで話を運ぶのに少し悠長になりすぎたように思えますね……


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