13/ 古の記憶
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「やはり、来ると思っていました」
歩兵隊の陣地から離れ、あちらこちらへ移動していた時のこと。
通りかかった本陣で出迎えてくれたのは、よく知った顔なじみであるアーデルハイトだった。
彼女も後方の補給部隊などに混じってついてきていたのだった。
「奇遇だな。どこかに居るとは思ったが」
とはいえこんな所で顔を合わせるとは思っていなかったが。
「アルベルト殿がお待ちのようです。あなたが見つからないので、私が取り次ぐようにと」
「アルベルト殿が?」
筆頭戦士である彼は前線に居るはずだ。
いちおう地形の把握の為にうろついていたのが、思わぬ偶然もあるものだ。
「彼は森の東に居るはずです。あなたを呼んでおいて欲しいとのことです」
確かあそこには軽騎兵が集まっていた。
アルベルトは『蒼き狼』の団長として森の東部に陣取っているらしい。
作戦についての詳細はおおよそ把握している。自分が狙うべき好機についても。
蒼き狼が行動するのは戦闘が佳境に入ってからだ。自分が動くとしたらそれが巻き起こす混沌の渦中しかありえない。
「分かった。すぐに向かうよ」
「──、少しお待ちください。いえ、ただ──」
彼女は何か言いたげな面持ちでこちらを見据える。
言葉が詰まっているのか少し黙っていたが、幾何かして意を決したのか口を開く。
向けられる視線は何とも形容しがたい感情が含まれているが、それでも真摯に形にすべき言葉を探しているのが見て取れる。
「──Gōd ƿyrd」
ただそれだけの、されどそれほどの言葉。
決して上手くはない、不器用だからこそ形だけのものではない激励。
それは白紙に垂らした墨のように、ヒトとしての情を育てなかった自分のどこかにじわりと染み込んでいった。
「……ああ」
こういう時、何と言えば正解なのかは判らない。
それでも、たった一言にありもしない感慨を込めて頷く。
これ以上の言葉は不要。
彼女に背中を向け、昏く深い森に駆けていく。
振り返ることはない。
今までも、これからもそうであるように。
ただ、眼前の課題を為すだけのこと──。
2/
「遅かったな。もう日が落ちているぞ」
森の東。
そこに見える蒼の群狼。
精巧なチェインメイルの上に群青の縞柄マントを羽織った騎兵隊。服の留め具や装飾にも狼が象られている。
馬にも同色の鞍が装着されており、その視認性は戦場において比類なきものとなっている。
アウロラ族の威信である彼らは全員が貴族で構成されており、それゆえに圧倒的な士気を有している。
こういうものを貴族の義務とでもいうのだろうか。
「お前を探すには難儀したぞ。なんせあちこちとウロウロしているものでな」
天幕の横の石に座り、武装したままに話し込む。
どうにも今話しておくべきことがあるようだ。
「……ちゃんとアーデルハイトとは話したな? よし、本題に入ろう。長話になりそうでな」
そういって空を見上げる。
視界に映る限りの深緑。見渡せど見渡せど輝く月など見えはしない。
とこしえに変わることのない景色。
きっと彼のような人間には退屈で仕方がないものだろう。
「……お前が出るべき時は弁えているな? 俺たちが進撃を始めた時だが、一つ忠告しておくべきことがある」
「なんだ?」
「お前のことだ、混乱に乗じて大将首を上げる心積もりなのだろう? となれば何も知らないのでは危険かもしれん。よく聞いておけ」
アルベルトは普段は鷹揚で気楽な男だが、こういう時には誰よりも鋭い気を放つ。
おそらく、長話であっても無駄なことではあるまい。
「この槍を見よ。これは先祖代々家宝として、もといアウロラ族伝来の"神の奇蹟を限定的に起こす"神代の武器だ」
「……なんだと?」
それは彼の得物である、鉄の穂先と青銅の柄を持つ、儀式文字が鋳込まれた槍だ。
アルベルトは槍を掲げ、小さく祈る。
すると槍の穂先が淡く輝きを放ち、葉脈に水が流れるように輝きが文字に伝わっていく。
これが──神の奇蹟だというのか。
「ああそうとも。神々は去られてもなお我らの見えぬところで我らの行いを見ておられる。この力……それは天界よりもたらされたもの。語るとしよう、"天へ至る者"の神話を」
彼は滔々と語り始める。
その並みならぬ神秘の力。それがヒトの世にもたらされた失われし神の時代の伝承を。
◇ ◇ ◇
──神話において。
神とは力であった。
それは人が文字を持たず、石と銅とで暮らし、白き人も黒き人も同じ言葉で話していた太古の時代。ある氏族にマヌとイェモという兄弟があった。彼らは最も早く荷車で暮らし、牛と馬とを飼うことを知る者達であった。
兄弟の氏族は順当に数を増やし、彼らが伝えた牧畜によって人類は原始から文明へと移行していった。しかし数を増やしすぎた彼ら一族の一部が故郷を捨て、荷車に乗って遠く未知なる地へと踏み出した。そして新天地にて数を増やした彼らは再び分かたれ、やがて異なる氏族へと変わっていった。
そうして無数の氏族に分裂した彼らは、互いに相争うようになった。
──その渦中、彼らの前に二人の男女が現れた。
二人はそれぞれ彼らに力を与えた。
男は天よりもたらされた神々の兵器を。
女は争いを鎮める叡智と、言葉を残す文字を。
男は天と地の間に立つ者と崇められ、"天へ至る者"と呼ばれた。
女は"知悉せし者"と呼ばれた。
そうして人類は高度な文明を形成し、各々が都を築いた。
石の城壁、天まで届く神の塔。記録を残す碑文の数々。
人類は自然と切り離され、神に選ばれた種として繁栄を謳歌した。
されど争いだけは絶えることがなかった。
いつのことかはもはや誰にも知りえぬこと。
どこかで起きた戦争において、ある族長が禁じられた神々の兵器を持ち出したのだ。
人が触れてはならぬ、神の用いる暴威の権能。
それが人の争いに持ち込まれた。
ここに人の世の秩序は打ち砕かれ、果て無き神々の戦いが幕を開けた。
報復が報復を呼び、争いは無秩序に拡大していった。
世界全てが破壊の風に轢断された。
吹き荒ぶ大嵐、渦巻く炎の蛇、荒れ狂う天の雷。
塵屑のように吹き飛ぶ建物、草一つ残らず焼き尽くされた大地。天をも黒く染め上げ太陽すら隠す死の瘴気。そして──未曾有の大波が物も命も等しく洗い流した。
圧倒的な暴力によって世界が黄昏を迎えようとした時。
人を哀れんだ神々は己の使徒を遣わせ、その愚かさを正さんとなされた。
されどディエウスは神に背き、己が天の軍勢を率いて使徒へ立ち向かった。
激突する力と力。
天へ至らんとせし人と真なる神の使徒の死闘は、全てを無に帰さんとするばかりであった。
長き戦いの果て、遂にディエウスは倒れ、彼の軍勢も死に絶えた。
そしてどちらに加担することなく、全てを傍観していたウォイドも姿を消した。
生き残った僅かな人々は四散し、栄光の時代は終わった。
斯くして人は異なる言葉を話すようになり、かつての知識と技術の全てが霞と消えた。
それでもなお、人は忘れられないのだ。
かつてあった完全なる世界と、天へ至ろうとした者どもの記憶を──
◇ ◇ ◇
「この伝承は我ら北方の民のみならず、大陸全てに今なお残っておる。おそらく……我らは皆、太古の氏族の子孫なのだろう」
太古の文明の盛衰の神話。
そのような伝承はこちらの世界でも世界各地に存在していた。
それでも、神々でなく神の力を持つ人と神の争いというのは異質だ。
しかも民族によって脚色され原型を失うことなく、当時の形のままに現存しているなど。
「……ディエウスと天の軍勢は滅び、神々の兵器を振るう者はいなくなった。されど、時に神秘を宿す武器が存在する。それらは今では遺産と呼ばれている。これもその一つだ」
淡い神秘の輝きを宿す尖槍。かつて世界を滅びの淵に追いやった力の一つ。
まさか──ここにきてこのような事実が発覚するとは。
この世界は──確かに異世界そのものだ。
「とはいえコイツに伝説ほどの力はないがな。だが、コーバック様を筆頭に古い血筋を持つものはこれらの武器を受け継いでいる。問題は、これらを持っている敵がいない保証はないということだ」
「つまり、連中の将が持っていたとしてもおかしくはないということか」
もしかすると、これは命拾いしたかもしれない。
何も知らなければ、前と同じくこちらの世界の法則が万事通用すると思い込んで挑んでいたかもしれなかったのだから。
「ああ、特に個の力においては北方でも突出しているフェルム族であれば、いずれかの将が使い手であってもおかしくはない。お前が奴らを討つというのなら、決して常識に囚われないことだ。乱戦となる此度となればなおのこと」
「……感謝するよ。でも、どうしてわざわざ? オレが上手く首を獲れなければ戦功を独占できるかもしれないのに」
アルベルトは一瞬沈黙する。
……また何か無神経なことを言ってしまったかもしれない。
「……いや、いくら何でも鈍すぎるだろう。はあ、これだから刺客という輩は……」
「……気に障ったのなら謝ろう」
「まあ、つまりだ……」
アルベルトは一拍置いてから、笑った。
「お前が死んだら俺が悲しいからに決まっているからだろう! 生死を共にする以上、お前はもう俺の仲間だ。ならば誰に詫びることなく死力を尽くせ! そして祝杯を共に挙げるのだ! そう思えば武者震いが止まらんなぁ!」
──やはりこの男、根本的な部分はこの上なく単純だ。
そういうところも、やはり自分が居た時代と常識からして違うのだろう。
「ご憂慮痛み入るが、杞憂だな。なぜなら……貴公が懸命に打ち合っているところで不意を打つだけの仕事なんだからさ」
「……気楽でいいな」
他愛のないやり取り。
こんなことが人生でいったいどれほどあったろうか。
それすらもとうに忘れた。
「──Ƿes Hāl」
「þancie þē」
適当な所を見つけ、夜風を凌ぐ準備をして眠りにつく。
思えば大規模な殺し合いは初めてか。
そんな中で自分の業がどれだけ通用するかは未知数だが、やるだけの意味はある。
まずは己の限界と、それを超える方法を知る。
もしかしたらそこにこそ記憶を取り戻す鍵があるのかもしれない。
明日は緒戦。敵が上手く策に嵌ってくれればそこで決着だが、そう易々とは運ぶまい。
それならそれで、獲物を見定めようというもの。
栄誉や財宝に興味はない。
ただ己の為すべきところを為す、それだけだ。




