12/ 亡霊の戦場
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「ほう、貴公が族長が召し抱えておる亡霊殿か」
「そうだ。あいにく名など持っていないのでね。新参者故に無骨な言い回ししかできないが、どうか容赦してくれ」
「はは、ほんの二か月でそれだけの語彙があれば問題なかろうて」
にこやかに笑う筋骨隆々の壮年。
長く伸びた金の髭と同色の長髪は、その目付きと相まって槍の穂先のような鋭さを醸し出している。
彼こそが今回の総大将にしてコーバックの右腕。
その名を"剛岩のアゼルウルフ"といった。
彼はその名に恥じることなく、チェインメイルの上にスケイルを貼ったマントという極めて厳めしく剛健な装いをしている。
体躯そのものは平均を少し上回る程度だが、その眼光と刻まれた皺がより一層彼を巨大に見せている。
その様は紛うことなき歴戦の猛者。
自分が慣れ親しんできた、死の薫りを纏う者だ。
「さて、時間も押している。余計な言葉は不要か。簡潔に、貴公の為すべきをのみ伝えよう」
ただ最低限の礼を以って、最小限の言葉のみで語る。
アゼルウルフも出自からして歴とした貴族のようだが、余計に飾るようなものを持たないところが見て取れる。そしてどちらの点もアルベルトと共通した特徴だ。
どうにも、この部族の貴族というのは純粋な戦士としての性質が強いようだ。
「作戦については知ったところで詮方なきこと。貴公の役割はただ一つ。目ぼしい獲物を殺る、それだけよ」
まあ、言われずとも知っていたことだ。
自分は戦士ではない。
そう、ただ殺す。たった一つの芸に秀でているだけの殺戮者だ。
またあの時のように、目立つモノを始末すればいいだけのこと。
「貴公の戦果は常々耳にしておる。その技量に疑いの余地はなく……その寒気すらするような死の気配も本物だ。貴公のような者は未だかつて目にしたことがない。いつ貴公に寝首を掻かれんかと考えれば、なるほど恐ろしくもなろう」
今になって、一度の戦闘で戦果を出せるような機会に恵まれた幸運に感謝する。
……自分は寝首を掻くような部類の所謂"暗殺者"ではなかったはずだ。
でなければこのような術理は身に付けていない。
「つまるところ、どさくさに紛れて大将首を獲れ、と」
「うむ、その通りだ。状況は我らが都合する。貴公を出すのはただ一度のみ。その時が来たら貴公を戦場に出す。そして陰から必殺の機を窺うがよい」
まるで切り札のようだ。
戦場という大人数の死合いはまだ慣れないが、たった一度で済ませられるのであれば実に容易い仕事だ。
所詮は人間、どれだけ屈強だろうと頸か心臓をやるだけで手早く死んでくれる。
記憶が混濁しているので何とも言えないが──自分の技は人間を殺るには過剰であるように感じる。
わざわざ即死を狙わずとも、どこかに深く傷を入れるだけで放って置こうが人間は勝手に死ぬ。
それだけのことに、頭そのものを毟り取るような技術が必要なのだろうか?
まあ、それがウリになっている以上、有った方が得なものだが。
「話としてはそれだけだ。貴公は歩兵部隊に紛れて移動する。本来であれば私の側につけたいところだが、あいにくと貴公は馬を持っておらぬでな……」
「気にしなさんな。仕事に支障がなければ、どこで誰と一緒だろうと関係ない」
「……そう言われればそうかもしれんのう。ではな、またすぐに会うことになろう」
失礼する、とだけ告げて陣を去る。
もう前線の部隊は移動を始めている。
その中には装備がまちまちな部隊があり、おそらくそれが徴集された歩兵隊だろう。
装備が持参である以上、貴族だけで組まれた騎兵隊と違い、平民兵はその練度も武装もバラつきが大きい。
だからこそ入るにはそこしかない。
ごく自然な足取りで、その列に割り込む。
普段は農民や商工業者とはいえ、やはり戦士の群れ。その空気は生と死の綱渡りを幾度も経験してきた者のそれだ。
だが過酷な冬を目前とした、大規模な略奪の好機だからか、皆一様に歓喜の色が見える。
その足取りは早く、戦列も堅固で纏まっている。
流石は本軍、こういった箇所にも緻密に訓練された痕跡が顔を見せている。
この分なら計算通りの日程で目的地まで辿り着くだろう。
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隊列に加わり前進していると、ふと見覚えのある人影が視界に映った。
確か、あの中肉の壮年は──
「おや、誰かと思えばいつぞやの……。やはり君も来たんだね」
「義務だからな。そういうお前さんも逃れられなかったようだが」
フェリックス。城壁の外側に住んでいた農民の戦士だ。
彼にはアレックスという拾い子が居た。
戦火から希望を見出し、それでもなお争うことをやめられない。
実に因果というものは意地が悪い。
「やはり躊躇いがあるのか? また殺し合うことに」
「……ああ、少なからずね。だがこれもあの子の為。生きていく以上、争いからは逃げられない。……その業からもね」
ここで戦いを拒めばただ死ぬだけだ。
残された者がどうなるかは、その双肩にかかっている。
「なら余計なことは考えない方がいい。誰かの手を取るという選択の意味。それはオレには解らずとも、お前さんなら誰よりも理解しているはずだ」
「そう、だな……確かに、君の言うことには理がある。……君を見ていると、私の凡庸さを思い知らされるよ。迷い多く、優柔で、不純だ。君は生きる上で優れた資質を持っている。選び、戦い、迷わぬ意志。どれも非凡で希少な才覚だ」
──いや、そうではない。
自分はこれまでで何かを選び取ったことなどない。記憶などなくとも、それは自覚している。
ただ与えられたモノを、そのままに受け取ること。
それしか選べないのであれば、迷う余地などどこにあろうか?
自分の在り方。それはきっと、眼前に延びる道を踏み外すことなく辿り続けること。
それがこの自分というイキモノだ。
「そうかもな。確かに非凡といえばそうだろう。だがそれだけだ。迷いも鈍りもない、それは時に求道者のように見えるかもしれないが、それとも違う。……オレは、お前さんや他の人間が持つモノを持っていないんだ。人間が普遍にして自明だと信じ、考えることさえしないモノを。それが、その代償だ」
「では、君は……」
フェリックスは暫し沈黙する。
その皺の入った顔には、無数の感情が浮かび上がっている。
愛情、憎悪、悔恨、安堵。
その全てが、自分が手にすることのなかったモノだ。
「……ふ、余計なことを考えているのは君ではないのかね。そこまで判っているということは、君とて思うところがあった証左だというのに。君は欠けているのではない。ただ持っていないだけのこと。いずれ解るさ。私のような歳になればね」
「──そういうものか」
──それは、言われればそうかもしれない。
自分は切り捨ててきたというより、むしろ。
……何を考えている。
迷いなど最も死地にあってはならないものだというのに。
「今は解らずともいい。いや、今だけは知らない方がいいのか。まあ、帰ってゆっくりと思索に浸ってみなさい。それとも君のお付きに教えでも乞うかね? 若人よ」
「教えられるものならな。……何にせよ、今は詮無きこと。やるべきことだけ考えることにするよ」
「なら気を付けることだ。例えばこんな所で敵が出たら、なんてね」
平原を抜け、鬱蒼とした森が眼前に広がる。フェルム族の本土とする場所はこの森を抜けた先にある。ここが二つの勢力を分かつ境界だ。
騎兵が続々と突入するのに続き、前列の歩兵達も列を乱すことなく行軍する。
薄暗い森──おそらく自分の戦うべき場所はむしろここだ。
視界が悪く遮蔽物に囲まれたここであれば、体術による三次元戦闘がやりやすくなる。そして特技の奇襲も。
だがこれは群れの戦いだ。自分一人が戦えたところで与える意味は薄い。
こんなところで敵にゲリラ戦を挑まれれば、騎兵などひとたまりもないだろう。
「そう焦ることもない。大将殿によれば、ここのホルト族は森を侵し略奪するフェルム族と深い遺恨がある。それゆえ我らとは遠征に出る前に族長が同盟を結んでいるとのことだ。それに──彼らが森で分断してくれるおかげで、奴らは我らの遠征を知らぬ。族長も上手いことを考えなさる」
なるほど、同盟による行軍路の確保と軍団の隠匿か。しかもフェルム族に恨みを持つために加勢してくれる可能性もある。
敵の攻撃性を逆手に取った奇襲。あの髭面の巨漢も頭は回るようだ。
目を凝らせば、森のあちこちに身体に色を塗り、周囲に溶け込んだ戦士がまばらに潜んでいる。
全裸であったり半裸であったりする、雑多な装備をした森の戦士。
アウロラ族やケルサス族と違い、昔ながらの暮らしを守る秘境の部族。
なるほど、このような部族がいるのであれば森を軍団で抜けるのは困難を極めるはずだ。
だからこそ、フェルム族はまさかこんなところから大軍が出てくるとは思わないだろう。
それこそ、こんな時季に本軍が現れるなど。
森の部族を蛮人と蔑み虐げてきたことが、彼らにとって大きな仇となった。
さて、そろそろ日も傾き始める時刻だ。
決戦の地である平原が見え始めた辺りで陣を張り、休息する。
敵に気づかれることのない奇襲攻撃。
この戦は一度の戦いが決めてとなる。
決着は明日か、あるいは明後日か。
「それじゃ、ここまでだな。オレは森の方に居る。……死ぬなよ、先輩」
「君もだな。共に戦神の加護あれ。今は暫しの別れを」
陣を張り始めた辺りで隊列を抜け、本陣に向かう。
自分のやるべきはただ一つ。
足早に森を駆け、建設された本陣へ向かった。




