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魔獣対策・討伐管理課 新人書記官アストリッド 〜公務員受付嬢が帳簿と規則で現場をねじ伏せる、異世界お役所お仕事コメディ!~  作者: 須藤
番外編:ヘルガ先輩の優雅なる有給休暇

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番外編:ヘルガ先輩の優雅なる有給休暇(第二夜)

第二夜 猫は梁を舞い、甘い毒を囁く


 有給休暇二日目――薪火の日(エルダグ)の朝は、小鳥たちのさえずりと渓流の澄んだせせらぎで幕を開けた。

 ふかふかの羽毛寝台からゆったりと身を起こしたヘルガは、朝の光の中で猫のように大きく背伸びをすると、姿見の前に立った。

「んぅ……お肌の調子、文句なしね。源泉と鉱泥塗りの効果はてきめんだわ」

 指先で自らの頬をそっと弾く。指が吸い付くような瑞々しい潤いと張り。

 昨夜、深夜二時半まで冷たい川霧の中で倉庫の偵察をしていたなどとは、神様だって見抜けないに違いなかった。


 午前十時。

 柔らかな室内着の上に羊毛の肩掛けを羽織り、暖炉の燃える食堂へと向かうと、接客係のキルスティが感嘆の声を上げながら朝食の盆を運んできた。

「まあ、ヘルガ様! 一晩お休みになられて、ますますお美しくなられましたね……! お肌が真珠のように輝いていらっしゃいますよ」

「ふふ、ありがとうキルスティ。こちらのお湯と香油施療が素晴らしいおかげよ」

 ヘルガは優雅に微笑み、香ばしく焼かれた紅鱒の香草グリルと、源泉で茹で上げた半熟卵、焼きたての温かいライ麦パンと山羊乳のバターに舌鼓を打った。

 普段の第七窓口の朝といえば、胃薬草を煎じるスヴェン主任の悲痛な呻き声を背景に、冷めかけた薬草茶で乾いたパンを流し込むのが日常である。

 それと比べれば、この穏やかな朝の食卓はまさに地上の楽園であった。


 昼下がりには、落ち着いた琥珀色の街着ドレスに着替え、細身の傘を片手に麓の湯治街へと散策に出かけた。

 湯煙が立ち上る石畳の通りで、名物の『源泉蒸し蜂蜜パイ』を買い求め、温かく甘い木の実と蜂蜜の風味を味わいながら、土産物屋の軒先を軽やかに冷やかしていく。

 だが――裏路地の角にある、古びた刻み煙草と乾燥薬草の店の前を通りかかった瞬間、ヘルガの歩みがごく自然に緩やかになった。

 木椅子のうえでパイプを燻らせていた隻眼の老店主が、紫煙を吐き出しながら、誰にともなく低く呟く。

「……あんたが探してる運河沿いの第七倉庫、その古い建築図面だ。銀貨三枚だよ」

「はい、ちょうど。お釣りは結構よ」

 すれ違いざま、ヘルガの白く細い指先から三枚の銀貨(シルバー)が音もなく老人の外套のポケットへ滑り落ち、代わりに固く折りたたまれた羊皮紙の切れ端が、ヘルガの傘の柄へと吸い込まれた。

 互いに視線すら交わさず、立ち止まることもない、熟練の職人芸のような情報授受であった。

 通りを抜けた木陰で、傘を傾けながら手早く図面を確認する。

 そこには、第七物資集積倉庫の地下へ通じる通気竪坑の位置、そして今週から雇われている警備責任者の素性が細かな文字で記されていた。

「警備隊長は、元傭兵のブラント……。腕っ節だけは三流冒険者より強いけれど、酒と女にはめっぽう弱い単細胞、ね。ふふ、ずいぶんと扱いやすそうな相手じゃない」

 ヘルガは満足げに目を細めると、蜂蜜パイの包み紙を小さく畳んで鞄にしまい、何食わぬ顔で宿への帰路についた。


 ――そして、深夜一時。

 下町の運河は、一寸先も見通せないほど濃密な乳白色の川霧にすっぽりと覆われていた。

 張り詰めた夜の冷気の中、水面を渡る微かな風を切り裂いて、ひとつの黒い影が音もなく舞い降りた。

 漆黒の『隠密革装束(シャドウ・レザー)』に身を包んだヘルガである。

 肌に吸い付くしなやかな黒革が、夜気にさらされた豊満な胸元の膨らみと、引き締まった腰から尻へと続く艶めかしい曲線をくっきりと浮き彫りにしていた。

 髪を覆う黒絹の下から、フォレストグリーンの双眸が猫のように鋭く光る。

「霧の濃さは申し分なし。見張りの視界も最悪……絶好の潜入日和ね」

 ヘルガが左腕を掲げると、袖口に仕込まれた小型ゼンマイ式の『鉤縄銃(グラップル・ボウ)』が微かな作動音を立てた。

 シュッ――と風を切って放たれたのは、闇蜘蛛の糸と鋼線を縒り合わせた極細の黒縄である。

 カチリ、と倉庫北側の荷揚げ用高窓の石枠に、三又の鉤爪が正確に噛み合った。

 次の瞬間、ヘルガが巻き上げのゼンマイを解放すると、彼女の身体は重力を忘れたかのようにふわりと宙を舞い、滑るように高窓の縁へと吸い寄せられた。

 髪留めの絹布からミスリル銀の細工針を抜き取り、窓の隙間に差し込んで内側の掛け金をカチャリと跳ね上げる。

 音もなく開いた窓から、まるで夜霧そのものが忍び込むように、ヘルガは倉庫の天井裏へと滑り込んだ。


 倉庫の天井裏には、樹齢数百年を超える巨大な松材の梁が、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。

 『消音長靴(忍び靴)』の柔らかな爪先を太い梁にかけ、ヘルガは音もなく四つん這いの姿勢をとった。

 黒革の装束越しに、しなやかに反る背筋と、丸みを帯びた桃のような臀部の曲線が妖しく揺れる。

 梁の遥か下方――油ランプの鈍い光に照らされた一階の荷積み場では、三人の武装傭兵が木箱に腰掛けて酒盛りをしていた。

「おい、明日の早朝には、王都から商工連合の特別輸送馬車が到着する手筈だ。荷物の積み込み準備は抜かりねえだろうな?」

「へっ、心配すんな。地下の金庫室から運び出す段取りはとっくに整ってるぜ。ロルフ次長が直々に私印を捺した極秘の『再鑑定伺い書』も、裏金の受領台帳も、明日の便でまとめて王都の本部へ送っちまう予定だ」

「あの気取り屋の次長も、商工連合から毎月たんまり金貨を握らされていいご身分だよなぁ。それに比べて、昼間から帳簿と睨めっこしてる庁舎の下っ端役人どもときたら、実に哀れなもんだぜ!」

 傭兵たちの下卑た笑い声が、天井裏まで響いてくる。

(……やっぱりね。ロルフ次長の裏金台帳も、本庁の保管庫から消えた特級魔石も、すべてこの下の秘密金庫に揃っているわけだわ)

 ヘルガの艶やかな唇の端が、冷ややかに吊り上がった。

 彼女は梁の上を猫のように音もなく這い進み、地下区画へと通じる換気用の縦穴の上へと回り込んだ。

 黒縄を垂らし、壁面を蹴って音もなく垂直に滑り降りる。

 冷え切った石造りの地下回廊へ、鳥の羽根が舞い落ちるようにふわりと着地した。


 だが――その直後であった。

 カツ、カツ、カツ――と、前方の曲がり角から、鉄鋲を打った軍靴の重々しい足音が近づいてきたのは。

(しまっ……定時の巡回経路から外れているわ!?)

 ヘルガの脳裏に鋭い火花が散った。

 左右を分厚い石壁に挟まれた一直線の地下回廊。身を隠せる木箱もなければ、飛び乗れる天井の梁もない。

 角を曲がって姿を現したのは、背に大剣を負い、片手に強い大麦の火酒(蒸留酒)の瓶をぶら下げた大男――警備隊長のブラントであった。

「あァ? なんだてめえは、誰だッ!?」

 酒くさい息を吐きながら、ブラントの血走った目がヘルガを捉え、背中の大剣の柄へと太い腕が伸びる。

 まともに抜刀され、大声で仲間を呼ばれれば、いかにヘルガといえども袋の鼠となる絶体絶命の場面。

 しかし――ヘルガは逃げるどころか、ふっと全身の力を抜き、熱っぽい吐息を漏らしながら妖艶に微笑んだ。

 パチン、パチン、パチンッ!

 ヘルガの白い指先が、喉元から胸元にかけて並んでいた黒銀の留め具を一気に弾き外した。

 左右に大きく開いた黒革の襟元から、深く刻まれた胸の谷間と、零れ落ちそうなほど豊満で真っ白な乳房の上半分が、惜しげもなく露わになる。

 同時に、外套の下に忍ばせていた薄絹の肩掛けをふわりと肩に纏い、宿から持参した芳醇な木苺の果実酒の小瓶の栓を親指でポンと弾き飛ばした。

「あらぁ〜……お兄さま、こんな暗くて冷たい場所で、お一人で何をなさっているのかしらぁ……?」

 甘く濃厚な木苺の酒の香りと、湯上がりの香油の匂いが、殺風景な石の回廊にぶわっと広がった。

 ヘルガはわざとらしく足元をふらつかせ、潤んだ深緑の瞳で上目遣いに見つめながら、驚愕に固まるブラントの分厚い胸板へと、しな垂れかかるように倒れ込んだ。

「お、おい……な、なんだお前は!?」

「やだぁ、怖いお顔をしないで……。私、川向こうの湯治宿で露天風呂に入っていたのだけれど、果実酒に酔って夜風に当たっていたら、いつの間にか変な裏木戸から迷い込んでしまって……。あぁん、石の床が冷たくて、身体の芯まで凍えてしまいそう……」

 ほんのりと桜色に染まった頬。甘い蜜のような吐息。

 そして何より、男の腕にむぎゅっと押し当てられる、信じられないほど柔らかく弾力に満ちた双丘の感触と、松明の明かりに浮かび上がる雪のような白肌。

 巡回をサボって火酒を呷っていたブラントの粗野な頭は、その刺激に一秒で沸騰し、完全に麻痺した。

「ゆ、湯治宿の客の姉ちゃんか……? し、しかし、なんだってそんな生々しい格好で……」

「お兄さまこそ、とっても逞しくて頼もしいお身体……。ねえ、お願い。外の通りまで案内してくださらない……? もし送ってくださったら、お礼に私のお部屋で、もっと美味しくて熱いお酒……朝までたっぷりご馳走してあげるからぁ……」

 ヘルガの柔らかな唇がブラントの耳元に近づき、熱い吐息が耳たぶをくすぐる。

 ブラントの顔に、これ以上ないほど下卑た笑みが広がった。

 大剣の柄から完全に手が離れ、だらしなく鼻の下を伸ばしながら、ヘルガの細くくびれた腰を抱き寄せようと太い腕を回す。

「へ、へへへっ……! なんだ、そういうことなら最初から言えよ、姉ちゃん! 外へ出す前に、まずは俺の宿直室でじっくり温めて――」

 男の脂ぎった指先がヘルガの腰に触れようとした、まさにその刹那。

 ヘルガの瞳から、蕩けるような甘さが跡形もなく消え失せた。

 北方の氷河のごとき絶対零度の光が、深緑の瞳に宿る。

(――お生憎さま。あんたみたいな単細胞に割く有給の時間は、一秒もないのよ)

 背後に回していたヘルガの右手の指先に挟まれていたのは、青白い稲妻の結晶を封じた『麻痺魔石(スタン・ステイン)』。

 目にも留まらぬ神速の抜き手で、無防備に晒されたブラントの太い首筋――頸動脈の急所へと、魔石の先端が正確に突き立てられた!

 バチチチッ!!

「がッ、ぐ……ッ!?」

 音もなく奔った青白い魔力電流が男の神経を焼き切り、ブラントは立ったまま白目を剥いた。

 ドサアアアアンッッ!!

 声にならぬ呻きすら上げられぬまま、二メートル近い巨漢の警備隊長が石畳の上に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。

「ふぅ……」

 ヘルガは氷のような眼差しで足元の男を見下ろすと、胸元の黒革を寄せ、黒銀の留め具をパチン、パチンと喉元まで手際よく留め直した。

 眩い白肌の谷間が、再び漆黒の革装束の奥へと厳重に封印される。

「男って生き物は、胸元を少し開けて甘いお酒の匂いを嗅がせると、どうしてこうも簡単に思考が止まるのかしらね。……帳簿の端数計算より百倍簡単だわ」

 気絶したブラントの巨体を回廊の隅の樽の陰へと足先で転がし、ヘルガは再び音もなく通路の最深部へと足を速めた。


 地下回廊の突き当たり。

 二重の鉄格子扉を細工針で難なく突破した先にあったのは、分厚い花崗岩で築かれた秘密金庫室であった。

 その部屋の中央に鎮座していたのは、人の背丈を優に超える黒鋼と真鍮の塊――王都の熟練ドワーフ工房が鍛え上げた特注品、『三重輪転式・魔導絡繰《からくり》金庫』であった。

「出たわね、ドワーフの頑固職人が造った難攻不落の絡繰金庫……。まともに鍵なしでこじ開けようとすれば、攻城槌でも持ってこない限り無理な代物ね」

 ヘルガは黒絹の髪留めから、極細のミスリル銀の細工針を二本抜き取ると、一本を艶やかな唇に軽くくわえた。

 金庫の前にしなやかに膝をつき、冷たい黒鋼の輪転盤(ダイヤル)の脇に、そっと自身の耳を押し当てる。

「懐かしいわねぇ。昔、王都のさるお屋敷で嫌というほど相手をさせられた型だわ。……三重の内部歯車と、魔力式の落とし掛け金。解錠の順序は――」

 ヘルガの研ぎ澄まされた指先が、真鍮の輪転盤を髪の毛一本の狂いもなく滑らかに回していく。

 チッ、チッ、チッ……。

 常人の耳には決して届かない、分厚い鋼鉄の奥で微細な歯車と留め金が擦れ合う極小の振動。

 それを、ヘルガの鋭敏な聴覚と指先の感覚が、ひとつ残らず正確に拾い上げていく。

「一の輪、右へ四十五目盛り……カチリ」

「二の輪、左へ百二十目盛り……チッ、チッ……ここね」

「そして三の輪、細工針から微弱な魔力を流し込んで逆回転――」

 ガコンッッ!!!!

 重厚な内部の閂が外れる金属音が、静まり返った地下金庫室に低く響き渡った。

 プシューッ……と密閉されていた金庫内の空気が抜け、厚さ三十センチを超える黒鋼の扉が、ゆっくりと手前へ開いていく。

 闇に包まれた金庫の奥から、眩いばかりの深紅と青白の魔力光が溢れ出してきた。

 ヘルガのフォレストグリーンの瞳が、満足げに細められる。

「ご開帳ね。……さあ、商工連合とロルフ次長が溜め込んだ汚い裏帳簿、一文字残らず拝見させてもらうわよ」



(第三夜へ続く)


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