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第二話:その魔石、査定額が違います(後編)

 だが――査定室の扉へ戻ろうとしたイーヴァルが、ふと足を止め、アストリッドの耳元に身を寄せて低く囁いた。

「……おい、新人」

「はい、イーヴァルさん?」

「……さっきの魔術師の言葉、気付いたか」

「え……? 酒場で商人から買った、という話ですか?」

 イーヴァルはルーペの奥の鋭い瞳を細め、誰も聞いていないことを確認してから呟いた。

「……今月に入ってから、良質な特級魔石の持ち込みが一件もない。……スコグハイムの開拓林や鉱山からは、毎月必ず数個の大鬼や魔狼の特級魔石が上がるはずなんだ。……だが、窓口に来るのは、今日のような薬品細工の紛い物か、下級の小石ばかりだ」

「それは……どういうことでしょうか?」

「……誰かが、森の出口や酒場で冒険者を待ち伏せし、本物の特級魔石を高値で買い占めている。そして代わりに、こうした粗悪な偽装品を掴ませて役所に持ち込ませているんだ。……本物の魔石は、正規の窓口を通さず、どこか別の場所へ横流しされている」

「公定価格を通さない、魔石の闇ルート……!?」

 アストリッドの背筋に冷たいものが走った。

 国家戦略物資である魔石の無許可売買は、王国法で厳しく禁じられた重罪だ。

「……帳簿の買い取り総量と、過去の推移をよく見ておけ。何か大きな穴が空いているはずだ」

 イーヴァルはそれだけ告げると、鉄扉の向こうへと姿を消した。

 アストリッドは手元のメモ帳を開き、『特級魔石の急減・不正横流しの疑い?』と小さく書き留めた。

 昨日の朝、ビョルンが口にしていた「無登録の潜り冒険者の増加」。

 そして今日の「消えた特級魔石」。

 二つの点が、アストリッドの几帳面な頭の中で、不気味に結びつこうとしていた。

「……っと、いけない! こんなことを考えている場合じゃないわ!」

 壁掛け時計を見上げると、針はすでに午後四時四十分を指していた。

 査定日の激務を乗り越え、窓口の受付終了まであと二十分。

 アストリッドは猛烈な勢いで算盤を弾き、本日の魔石買い取り総額、出納帳の数字、そして手提げ金庫の硬貨残高を照合した。

 カチ、カチ、ジャララン……!

「……合いました! 一銅貨の誤差もなく、完璧に一致しています!」

 アストリッドの顔に、勝利の笑みが広がった。

「やりました……! 昨日あれだけ残業したんですもの、今日こそ定時退社です! あと二十分、何事も起きなければ――!」

 バタン!

 その瞬間、執務室の奥の扉が勢いよく開き、顔を青白く引きつらせたスヴェン主任が駆け込んできた。その腕には、天井に届かんばかりの分厚い公文書の束が抱えられている。

「ア、アストリッド君……! 大変なことになった……!」

「……え? 主任、その書類の山は何ですか?」

「さっきの魔石偽装事件の報告書が、もうロルフ次長のところに上がってね……! 『窓口の審査体制が甘いから不正を持ち込まれるのだ! 明日から持ち込まれる全ての魔石について、三段階の成分試薬検査と、採取場所の誓約書、および身元保証人の署名を義務付ける!』と、緊急業務改善通達が出たんだよ……!」

「は……? 三段階検査……? 身元保証人……!?」

「そうよ、アストリッドちゃん」

 横から、軽やかな足取りでヘルガが歩み寄ってきた。

 その手にはすでに私物の鞄が握られ、外出用の外套が羽織られている。

「検査工程が三倍になるってことは、窓口の処理時間も三倍。明日からの窓口は大渋滞確定ね。……あ、私、明日は有給休暇を取って王都の巡回劇団を見に行く予定だから。新様式の受付マニュアルと冒険者向け告知チラシの作成、今日中に仕上げておいてね〜!」

「えぇぇぇっ!? ヘルガ先輩、明日休むんですか!?」

「公務員の権利よ、有給休暇は。じゃ、頑張ってね。お先に〜!」

 ヘルガは天使のような笑顔を残し、終業鐘の余韻とともに執務室から風のように姿を消した。

「…………」

 アストリッドの目の前には、高さ四十センチはある新規則の文書の山。

 壁掛け時計の針が、非情にも午後五時を打った。

「……先輩。明日じゃ、ダメなんですか……?」

 誰もいない虚空に向かって呟いたアストリッドに、スヴェン主任がおずおずと胃薬草茶のカップを差し出してきた。

「アストリッド君……すまないね……。胃薬茶、飲むかい……?」

「いりません主任。手伝ってください。今夜は朝までコースです」

「ひいぃぃっ……!」

 不正を防ぐための正しいルールが、なぜか現場の残業を無限に増殖させていく――。

 新米公務員アストリッドの算盤の音が、今夜もスコグハイムの夜空に虚しく響き続けるのだった。


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